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リフレパシーの意味

refleは英語のreflex の省略形。つまり反射するor反映するという意味です。
pathyは療法という意味があり、合わせるとreflepathy、即ち「反射療法」と訳されるかもしれません。一方、リフレクソロジー(reflexology)もまた「反射療法」と訳されますが、こんにちでは足や手に特化した療法の名称として用いられております。

また、リフレクソロジーは“反射区”または“反射帯”という区域を設定し、これに基づき施術をすることになっています。この“反射区”の存在は反射機序よりも、ホログラフィック・パラダイムという原理に基づいており、作用機転で考えるならば、むしろホログラフィック・セラピーと呼んだほうが良いくらいだと思います。

しかし、業界の通念上、リフレクソロジーは足への施術の代名詞にもなっており、これと混同を避けるためにあえてリフレパシーという名称を造語した次第です。

経絡反応を起こさせるにしても、トリガーポイント処理を行うにしても広義の意味での“圧反射”を使うことには変わりありません。リフレパシーは紛れもなく、圧反射を利用し、治癒に導くわけです。そしてその対象は足だけではなく、全身に及びます。

従いましてリフレパシーは“圧反射”がキーワードの一つになっており、その技法により全身の経絡反応や歪みの是正、トリガー・ポイントの沈静化を図ろうとする療法であると認識して頂ければ幸いです。

                                  by Reflepath T.Takeda

追記

当ブログでは専門用語を解説なしで使ってあったり、多少、分かりづらい面があるかもしれません。しかし、読み流していくうちに自然に整体やリフレに必要な周辺知識が身に付くように工夫してあります。お時間のあるときにでも、全編に目を通して下さい。少しでも読者に資するところがあれば望外の喜びです。

棘上筋(きょくじょうきん)

 棘上筋は見落としやすい筋です。

 この道、ン十年のベテランでも見落す、というか考慮さえしたことがないというのが実態ではないでしょうか

 なぜなら、棘下筋は直感的に経験的に手がいきやすいのですが、棘上筋ばかりは学習しないと認識できませんし、ましてや施術などできる部位ではありません。つまりそのキャリアの中で学習する機会がなかったからでしょう。

 なにせ、分厚い僧帽筋に覆われていて、普通の施術体系の中では届かない位置にあるわけです。

 ところが、ちょっとしたコツを知ると、さほどアプローチが難しいわけではないのです。知識は力なり!を実感させてくれる筋肉ではあります。

 棘上筋は石灰化しやすいランキング、ナンバーワンの筋ですから、五十肩の原因の一つであることは間違いないところです。

 しかし、そればかりではなく、肘やその周辺の痛みの原因となることもあります。

 原因不明の当該部位の不都合が実は棘上筋が犯人だったということも十分に考えられますから、そういう意味でも盲点的な筋肉だと言えるでしょう。

 また、この筋は胃経や膀胱経との関連が深く、更年期に発症しやすい不具合の原因ともなります。(胃経は婦人科系、膀胱経は自律神経系の支配が強いですから)

 小生がみるところでは、この筋肉の処置ができるかどうかが、整体師のステイタスバロメーターになるのではないかと・・・密かに思っているのですが、おそらくそれが出来る整体師諸氏には同意して頂けるものと思います。

 流儀は違っても極めて少数、ここの処置を完璧に行える整体師はいます。

 そういう人に出会うと流派の違いを超えて敬意を表したくなりますね、(お主、中々できるな・・・)と。

 今のところ極めて少数なのが残念なところですが。

 そういう意味でも、もっと注目されてしかるべき筋肉ではあります。

棘下筋と小腸経

棘下筋を意識するのは五十肩の時くらいですが、回旋筋腱板(ローテーターカフ群)の一つですから、仮に五十肩の症状が出ていなくとも、酷使されトリガー・ポイントが形成されやすい筋肉ではありますね。
(成人は大概あると思います)

この棘下筋と関係が一番深い経絡は小腸経です。
増永経絡図表をお持ちの方は一目瞭然かと思いますが。まさに肩甲骨の真上を走行しているわけです。

小腸経の働きは“心”を補佐して血流支配の一端を担っているのと同時に、精神的には強いショックやトラウマなどに反応しやすく、こころが弱っても小腸経の異常として現れてきます。

またこの小腸経は横首から顎関節かけて走行し、迷走神経や奥歯、また耳の問題として現れることもあります。

腰の部分では腰椎の一番、二番、または起立筋、腰方形筋とも密接に関連しており、これらが原因で殿部の痛みや仙骨部の痛みを起こすこともあります。

経絡に上下関係はありませんが、実務上、異常が現れやすい経絡はこの小腸経が大腸経の次くらいに多いのではないでしょうか。

漢方では瘀血の証でよく出る異常です。

さて、五十肩の場合、この棘下筋を外して治療は考えられないのですが、それはとりもなおさず、五十肩という病態が、小腸経の強い関与を示唆しているわけで、その根底には血流の問題や心(こころ)の問題、臓器としての心臓の問題もまたそこに関与していると言えないこともありません。

個人個人によってその症状として出る部位が違うわけですが、五十肩、耳鳴り、顎関節症、腰痛、殿部痛、仙骨痛などの共通項として小腸経がキーワードとなることが多いということを理解しておいたほうが良いでしょう。

外側翼突筋との関連も深いことから、線維筋痛症という病態にも深く関与している可能性もあります。

この病気の発症は強い精神的なショックから起きる場合が多いことからも、この説の正しさを裏付けているのはないでしょうか。

一見無関係な病態でも経絡という一つの見方をそこに入れると、鮮やかにその関連性が浮かび上がってくるわけですね。

そうすると、トリガー・ポイントだけのアプローチではなく、全身的な協力が必要だということが分かってくるわけです。

つまり施術とは、そこに現れた症状からその人自体の歴史や傾向性を知るということにも繋がるわけで、ただ施術すれば良いというものでもないわけです。

筋肉派と経絡派はまるで敵対するかのような傾向がありますが、決してそうではなくて、筋肉のTPからも経絡異常を知ることができますし、経絡異常からも筋肉TPの見当をつけることもできるのです。

部位をピンポイントで特定するにはTP体系が役に立ちますし、そもそもその本質はどこにあったのか・・・これを知るには経絡説が非常に役立つわけです。

クライアントさんに言わないケースもたくさんありますが、その症状からその人の人生においてどのような問題があったか、というのが分かります。

具体的な出来事はもちろん分かりませんけれども、傾向性ですよね。どのように過ごしてきたか・・というライフスタイルやどのような思いをもって生きてきたか、という、まさに”傾向性”です。

整体師は占い師ではありませんから、そこら辺を突っ込んで話していくのはその人の感情生活に巻き込まれる可能性もあるわけで、それは避けねばなりません。

しかし、機械ではなく人間を相手にする以上、そこに“理解”もしくは“共感”という作業がないと真の癒しにはならないということも確かです。

直接口には出さなくとも、その共感の中で施術をしてあげることが重要ではないでしょうか。

それには別に超能力も霊能力も要りません。
多少の筋肉的、経絡的知識と深い思いやりだけです。

胸骨反射と心(しん)

この場合の心(しん)というのは東洋医学における”心”であって、心臓のことも含むけれども、文字通り”こころ”のことをいいます。

腹証においては水月(みぞおち辺り)が反応点なることはご存知のとおり。

水月の上には胸骨があって、ここは感情の座とも呼ばれているところです。

精神的な緊張や不安、恐れなどがその人に深く根ざしている場合にこの胸骨が緊張し拘束されるわけです。

胸骨にはある種の微細な振動があって、その微細運動がストップしてしまうことを“拘束”と呼ぶわけですが、ほぼ例外なく、心に問題を抱えている人やかつて強い感情的なショックを受けた人は“拘束”されています。

ばかりか、我が三水会の長老がいうには、旦那が浮気している奥さんに乳がんが多いと述べていましたが、胸骨から乳腺へのリンパ管が多数走行していることから考えて、あながち間違いではないと思うわけです。

直接的肉体的な被害は女性でガン体質であれば乳がんということになりますし、男性であれば、肺がんもしくは心臓病ということになるようです(もちろん、ライフスタイルの問題が非常に大きいのですけれども)。

さて、この胸骨の微細運動を回復させるのも重要な施術の要件にはなりますが、微細運動は強い刺激には逆に反応しないという特長があります。

弱い刺激によってのみ反応するというのはある意味、物理学の法則を超えているわけですが、これが命と無生物の違いなのでしょう。

しかし、実務上、胸骨に触れるだけの施術というのがクライアントの納得を得られるものではありません。
(一体何やってんだ?)と思われたら、その時点で効果がなくなりますから、余計に実効しづらい施術方法ですね。

東洋医学的なアプローチが優れていると思うのは、胸骨に直接コンタクトして、触れるだけという手段を取るのではなく、その下の水月部分にアプローチをかけるということではないかなと思っているわけです。

ここなら、胸骨ほどバストに近いわけではありませんし、ある程度の力を込めても間接的でありますから、胸骨の微細運動の促進こそすれ、阻害することがありません。

さらに陰陽関係で小腸反応ゾーンを施術すれば、より完璧に胸骨の微細運動回復に役立つわけです。

腹証を上手にされると、極めて気持ちが良いのは、ある種の感情の解放を伴うからです。

小生も初めて腹証をされたとき、スッと心が軽くなった気がしたものですが、それは気のせいではなく、実際に胸骨の微細運動が回復し、感情の解放が起きたからなのでしょう。

そういう意味で、腹証の意義はもっともっと知られて良いと思いますし、もっともっと使い手が増えてほしい手技の一つだと思う次第です。

首の痛み

前回も首の話題でした。
不思議なもので、来院するクライアントさんの問題箇所が立て続けに同じということがあります。

一種のシンクロですね。

昔の話ですが、最高5人連続で膝痛のクライアントさんだったということがあったくらいでして。
さすがに5人連続というのはそれ以来ないですが、今でも2人連続、3人連続はザラにあります。

全く接点のないはずのクライアント達なのですから、もうこれはシンクロとしか呼べない現象です。

それはさておき、
首の症状も続いております。今回は痛みを取り上げてみましょう。

60代女性。
首から肩にかけて異様にコル感じすると・・・
さらにコリ感というよりも、痛みに変わるほど悪化していくそうな。

ふむふむ、なるほど、なるほど・・・

愁訴を聞いただけで、肩甲挙筋のセントラルTP症候群だと分かります。

前回の人のように首の回旋不能というのも、肩甲挙筋が大きく関係しておりますが、このように痛みを出すということもあるわけです。

ムチ打ちなんぞは典型でしょうね。

たまたま前回の三水会で肩甲挙筋の処理の仕方などを復習したわけですが、特にセントラルTPの処理の仕方をマスターすると守備範囲が飛躍的に広くなるわけでして、重要な操作の一つだと思います。

さて、このクライアントさんは定期的にこの症状が出てしまうということでした。
姿勢を診てみると、酷く猫背なんですね。

猫背の場合は大胸筋、小胸筋の短縮が間違いなくありますから、その処理をしないと施術効果が長持ちしません。

つまり、首まわりの処理とともに、肩~肩甲骨まわりは当然として、前側の処理に時間をかけなければならないのです。

ゆっくり、静かに、深~く、大胸筋、小胸筋に圧を送り、自然に緩むようにしてあげました。まあ、気持ち良さそうなこと。

鎖骨の下あたりから乳腺が始まるぎりぎりのところまでやらねばなりませんので、クライアントさんが女性ですと、非常に気を使います。

しかし安心感のある施術で上手にやれば、凝っているわけですから、適応症の方はとても気持ちが良いわけです。

愁訴についての施術を一式やったところで、眠ってしまったようです。
起こすのが偲びないのですが、仕方がありません。

起きて頂き、首を回してみれば、痛みは完全消失。

それほど重症ではありませんので、一回でOKです。

三ヶ月くらいは持つでしょうね。

このように明らかにTP症候群であったとしても、歪みの連鎖の中で考えていかねばならないことも多いわけです。

トリガー処理だけをする西洋的な発想ではなく、歪みの連鎖、つまり経絡的な発想というものも施術には欠かすことができません。

絶対的に正しい筋肉連鎖モデルというのは実はないんですけどね。

姿勢とか硬さとかを診て、自分がこうだと思った方向で良いわけです。

あとはTPが大きくハズレていなければ、大概の問題は解決するのです。
(ある程度の回数が必要な人もいるけれども)

自律神経と首コリ

その人はもう30年以上、睡眠導入剤と安定剤を服用し続けています。
もともと、昼夜逆転の生活を長く送り、自律神経失調気味であったものが、40歳くらいを境に更年期と相まって益々酷くなり、ついに数ヶ月間の入院生活を送ったこともあります。

私も様々な人を診てきましたが、この人ほど眠剤と安定剤に依存している人は珍しいでしょうね。

たった一日でも、薬が切れてしまうと、不安感がこみ上げ、就寝どころではなくなります。
あるとき、風邪で体調を崩し、かかりつけの神経科に行くことができませんでした。

つまり、薬が切れてしまったのです。

さあ、そうなると、風邪の症状もさることながら、眠ることもできず、大変に辛い。
そこで、眠剤を服用している友人から、一日分だけ分けてもらいその薬を服用したそうなのです。

その眠剤を服用したあと、お風呂に入ったのですが、そこで意識を失いました。
(眠剤の種類が違ったらしい・・・なんと無謀な)

ご主人が帰ってくるのがもう少し遅れたら、お風呂の中で溺死していたかもしれません。

湯船で意識を失っている妻を見たご主人はさぞびっくりしたことでしょう。

起こすと、朦朧としながらもなんとか風呂から出て、布団で休んだらしいのですが、それから約3日間、寝たきりとなり、その間の記憶が全くないといいます。

少し落ち着いてから、ご主人から電話があり「・・・そんな事情なんだが、診てやってくれないか?」とのこと。

小生にもある施術のヒントが思い浮かびましたから、快く承諾した次第。

実際、診てみると、予想はドンピシャ。

そう表題にあるように、首コリです。

自律神経系の症状の方は首に酷いコリを持っていることが多いもの。

その人は度を越しており、左右にほんのわずかでも振ることができません。

カラーをあてたように全く首が動かないのです。

しかもあきらかに呂律が回っていないようです。

まあ、そんなことで、重点にすべき部位が分かりましたので、早速、施術。

当然ながら、首の硬いこと。

どうしたら、こんな硬いコリが生じるのだろう?と思うくらいです。

首が左右に回らない場合、普通は肩甲挙筋のセントラルトリガーが原因です。
ここに出来ている頑固なコリが首の回旋を困難にしているケースが非常に多いわけ。

当然、その部位についても入念な操作が必要ではあるでしょう。

しかし、その人の回旋困難症状は肩甲挙筋がメインであるわけではなく、ここに至っては頸筋全部の硬化と考えるべきです。

実際、手から伝わってくる感覚でも分かります。

手に触れる頸筋すべてを緩めるべく、かと言ってムキにもならず、静かに、優しく、深く・・いつもの通り緩め、トリガーに触れ、施術を進めていきました。

うつ伏せ、横向き、仰向け。
すべてのポジションで首を緩めていくのは明生館流の真骨頂です。

もちろん、首だけの施術では長持ちしませんから、全身的にもやりました。

小一時間ほどの施術のあと、回旋不能であった首が左右45度づつ、計90度まで回復しました。

すると、虚ろだった目に光が戻り、口調がはっきりしてきたのが誰の目にも分かるほどの改善を見せたわけです。

薬の常用がそのような首の状態を招いたのか、そのような首の状態だから、薬を服用し続けねばならない症状が出てきたものなのかまでは分かりません。

しかし、一つだけ言えるのは首の症状と自律神経症状や、場合によって神経内科領域や心療内科領域の病と密接にリンクしているということです。

ここに盲点があるということは再三に渡って述べているのですが、正式な医療では全く耳を貸そうとはしません。

今しばらく、我々が主体となって、このような症状の方のお力になるしかないようです。

しかし、神経内科や心療内科領域の一部まで整体適応である、とどのように知らせるかが問題ですね。

ネットなどで地道に情報を発信していくしかないでしょう。

HbA1c

HbA1c

そのままエイチビーエーワンシーか、ヘモグロビンエーワンシー呼ぶのが一般的なようです。

ご存知の方は、常識だ!くらいの勢いで承知しているでしょう。
糖尿病の指標になる血液検査項目の一つです。

逆に糖尿病と縁がない人は医療関係者でもない限り、聞いたことがないかもしれません。

よく聞く「血糖値」とはまた違う指標なのですよ。

詳しく知りたい方はネットでググれば小生などが説明するよりはるかに詳細かつ懇切丁寧に解説してあるサイトが多くありますので、ご参照ください。

通常この数値は4.3~5.8%が正常とされています。
糖尿病の方やその前段階にある人は確実にこの数値を超えています。

小生、実のことを言いますと「6.5」ありました。
リッパな糖尿予備軍ですね。

食事の改善によって様々な検査数値は改善したのですが、このHbA1cだけは中々改善しなかったんですねぇ。

HbA1cは過去2ヶ月くらいの平均が出てしまうので、すぐに改善するものではありません。
しかし、相当に節制していても半年以上に渡ってこの数値が全く改善しませんでした。

いやはや体質とはよく言ったもんだな、と。
そう思うほど努力が報われない検査数値でしたね。

結局、8ヶ月くらいでようやく「5.6」という正常範囲に収まってくれてホッとしたわけですが、話によると、小生は運が良いほうらしい。

何年にも及ぶ節制でもこの数値が一向に改善しないという一群の人々がいるらしいのです。

普通、高血糖状態はよろしくないので、薬の使用に踏み切ってしまうわけですが、そうなるともう一生服用を続けなければなりません。

インスリンがインスリンレセプターに働きかけて糖が細胞に吸収されていく・・・こういう話は聞いたことがあると思います。

このときに重要な事実は、インスリンは出ているということです。
インスリンが出ていないのであれば、これはⅠ型糖尿病といって、成人病のⅡ型とは区別すべきものですから。

インスリンは出ている・・・しかし、糖が処理されず残ってしまう。
細胞は糖が不足し元気がなくなるわ・・・血管は高血糖にさらされて傷んでくるわ・・・これが糖尿病ですよね。

実はインスリンとそのレセプターが結合するためには耐糖因子が必要と言われています。
GTFと略されるものですが、このGTFを構成する要素として重要なのが三価クロムという微量元素なんです。

この三価クロムはホントに微量で済むものなのですが、その分、吸収が悪いんですね。
だから、ある意味、乳幼児のときが勝負でございまして、母乳から摂取して積み立てて置くのです。そして、その在庫を消費していくということになるわけです。

じゃ、その在庫はどこにあるのか?

ちょっと意外なことに腎臓が主な貯蔵庫になっているのですよ。

足を揉みますと、血糖値が下がります。
この効果はかなりのものなのですが、すい臓が刺激されてインスリンの分泌量が増えたわけではないんですね。

むしろGTFが作られるように変化した、つまり、腎臓が活性化してGTFを作る材料の在庫が出てきた・・・と、こうなるわけです。

実際のところ、三価クロム不足が原因で糖尿病になっている人は驚くほど多いらしいのです。

じゃ、簡単な話じゃん!三価クロムを補給すれば良いのでは!ということになるわけですが、これがそう簡単ではありません。

微量元素というのは非常に吸収が悪い。
特にこの三価クロムはベラボーに悪い。

だから、考え方を変えなきゃいけません。

三価クロムという在庫が底をついてしまっているというよりも、残ってる在庫を利用できなくなっている、という具合にね。

腎臓を中心として、全身細胞の活性化が必要になるわけですね。

小生、ようやくこれに気がついて、遅ればせながら、足揉みのセルフケアーをしましたもの。

セルフケアーは大変ですが、自分の全身をセルフケアーするのは難しいでしょ。
足しかないじゃないですか。

これをやるようになって、実はHbA1cが下がったんですね。

三価クロムのサプリメントも良いのですが、前述のように中々吸収されませんから、気の長いスパンで服用していくべきでしょう。

その間、高いままなら大変ですから、足を揉んで在庫活用していくのがベストのような気がします。

以上、自分の体験からでした。

現在、小生は血糖降下剤や、糖を吸収しづらくする薬などの治療薬は一切服用しておりません。

それでも、このHbA1cは完全にコントロールされているのです。

名医と並医とヤブ

上工、十に九を
 中工、八を
  下工、六を全うす。

難経(なんぎょう)という鍼灸の古典に出てくる一節です。

意味は
名医は10人の患者のうち9人までを治すことができる。
並みの医者なら8人であり、ヤブ医者は6人である。

治癒率でいうと名医は90%。並医は80%、ヤブ医者なら60%ということになりますね。

深読みすると色んな意味が汲み取れて面白いものです。

まず名医の十に九・・は当然でしょうか。
どんな名医でも百%の治癒率なんてことはあり得ません。
患者のうちの10%くらいはいかに適切な治療をしても治し得ないでしょう。
これは常識として分かります。

次の一節(中工、八を
並みの医者に8割の改善率を与えていますね。

名医と治癒率では10%しか変わりません。
名医と並医の実力の差が、10%しか違わないなんてあり得ないにも関わらず。
名医とは天賦の才と文字通り並外れた努力によってようやく達成できるレベルであって、それが故に「名医」なわけです。

疑問に思いませんか?

実はこのこと自体が東洋医学の特長をよく表しているものなのです。

鍼術の方法論というのは経絡、或いは経穴を探り、いかにその人(患者)にとって適切なツボを選ぶことができるか、ということですよね。

名医は正確に正解のツボを選ぶことができるわけです。

並医は正確かつ適切なツボの選定という観点からいうと、おそらく名医の半分にも満たないでしょう。

それでも、8割の改善率になる・・・
このことで何を言いたいのか?ということを行間から読まねばなりません。

人の身体には自然治癒力というものが備わっています。
この場合は、外的刺激を治癒のキッカケ、もしくはパワーに転換する力のことです。
もともと身体に備わっている「能力」と呼んだほうが良いかもしれません。

ですから、ツボを半分しか当てられない並医でも、患者の身体のほうが勝手に治癒パワーに変換してくれて、治病に至るというわけです。

8割の患者を治せるであれば、多大な労力をかけて、ほとんど自分の全人生を捧げてまで研鑽して「名医」になり、わずか10%ほどの治癒率を向上させなくとも良いのではないか・・・という疑問が湧いてきませんか。

患者というのは統計的に処理された数値ではありません。
その人にとってはたった一つしかない、かけがえのない「命」を持った存在です。
その「命」を十人のうち一人でも余計に救える技量というのは「命」が何物にも代え難い貴重なものであれば、何物にも代え難い尊い行為になるのは当然のことですよね。

ですから、すべからく医者を目指す者は「名医」を目指すべきであって、結果として才なく名医足り得なくとも、その努力をした者に天は8割の改善を与えるように取り計らっているわけだと・・・このように解釈せねばなりません。

中工の意味の解釈になるのですが、順当に考えれば小生が文中に表現してきた「並の医者」という意味になります。しかし、相当な訓練をし、情熱を持っていなければ8割方の患者の治癒力を引っ張り出すことなど不可能でしょう。

名医を目指し、本当に一生懸命努力してきた・・・が・・才一歩及ばず・・・というのが中工の真の姿ではないかな、と思うわけです。
実力に相当の差があるにもかかわらず、治癒率が一割しか違わないのはまさに天の計らいだと思いますよ。

さて下工。
これをヤブ医者と訳しました。
ツボがほとんど当たらない医者。そもそも医者をやることが間違っている医者。
向いてない奴、というニュアンスになりますよね。

これにおいてさえ、十のうち六を全うする、わけですよ。
これこそ、先に述べてある刺激転換能力のお陰としか言いようがありません。

鍼術は素人がやると危険ですから、下工といえども、その扱いくらいは知っていなければなりません。
しかし、これを手技法(徒手療法)と考えればどうでしょうか?

6割はちょっとオーバーな表現かと思いますが、まあ半分近くは改善していくことでしょう。
つまり、さほど習熟していなくとも、それなりに実績は出せるということです。

手技は安全ですし、癒し効果もあるので、鍼ほど取り扱いに注意しなくても良いわけです。ですから、継続して勉強していく動機を持ちづらいんですね。

だからある意味、手技業界は下工だらけっていうか、下工の集まりみたいな・・集団下工だ・・

改善率が全体で半分もあれば、口の上手い人なら、充分にやっていけるわけですし。
また面白いことに、ホントに治す能力はないのに「上手な施術者」というのが存在し得るのが手技の世界なのですよ。

鍼や漢方は上手=治癒率になりますけど、手技は別の要素が含まりますから。
即ち、「癒し」です。

癒しという分野では手技に優るものはないでしょう。
しかし、治病においても本来、鍼灸や漢方薬に決して劣るものではありません。

癒し効果という持ち味を生かしつつ、真の実力を発揮させれば、手技は集団下工どころか、上工に匹敵する集まりになれるはずだと、ず~と思ってきました。

それにはやはり継続した勉強が必要ですから、三水会を開催し続けているわけです。

三水会は当然、上工を目指す集団です。
そこを目指しつつ、結果、中工に終わっても良いのです。
その努力をした者に天は八割を保証しているのですから。
下工だけにはならないでおきましょう。

※十のうち九、八、六という具体的数字は正確なガチ数値ではありません。
古典のシンボリックな表現の一つです。ましてや歪みが深く潜行している現代においてはこの数値より全体に下がることは言うまでもありません。

虚実補瀉とトリガーポイント

黄帝内経-調経論

「実者外堅充満 不可按 按之則痛」
「虚者ろう(耳を三つ書く)辟気不足 之按気足以温 則快然而不痛」

虚実補瀉について論じた最古の記述です。
虚実補瀉の概念そのものと言っていいかも知れません。

意訳しますと、
「実」は外側が堅く、中身もパンパンに張っている。これを按じてはいけない。もしこれを按ずればかえって痛みが増すぞ。

「虚」はろうへき(耳を三つ書いて“ろう”と読ませる)-シワがよって力のない状態で、気が不足している。之を按ずれば気が満ち足りて来て、温まってくる。するとスカッと痛みがなくなるものだ

増永師はこれを読んで悩んでしまった、と書いておられる。
小生はその書いたものを読んで悩んでしまいました。

中国医学の根底には陰陽思想があります。

陰陽を経絡に当てはめたとき、虚実と表現するわけで、「実」は目立ち分かりやすい「陽」の性質なわけです。

「虚」は陰にかくれて見つけづらく、分かりづらい文字通り「陰」の性質なわけです。

「実」は誰にでも分かる、ということは本人にも分かることですから、症状を持つ部位(痛む部位)であって、確かにその部分を深く按ずれば、かえって痛みが増すのは施術者なら経験があるはずです。

炎症のある部位が禁忌となる所以でもありますね。

対して「虚」は本人も自覚できない真の原因となっている部位のこと。
「犯罪の陰に女あり」という比喩を増永師は用いていましたが、まさに、まさか!の黒幕みたいな存在で、だれもそこに原因があるとは思わない部位のことです。

つまり、我々がごく普通に言っている「症状のある部位と原因の部位は必ずしも一致するとは限らないよ」という言い方の原点になっている考え方なんですね。

虚実補瀉の特に虚が分からない・・「虚のコリ」が分からない・・というのは「実」は外堅充満、「虚」はろう辟(シワがよって気不足)という語句に惑わされているからに他なりません。
陰陽論の基本に立ち返ったとき、虚実の真の意味が取れるのであって、字面を追っても理解できないでしょう。

簡単にいうと症状の原因となっている部位なのですから、少なくともコリや痛みの原因となっているトリガーポイントは「虚」であり、それが原因で痛みを得てしまっている部位は「実」なのです。これでは実をいくら按じても、効果がないばかりか、かえって痛みが増すのは道理なわけでして、古典の記述は正しいと分かるのです。

「外堅充満」や「ろう辟」はシンボリックな表現方法であって、古典はよくこのようなシンボリックな表現方法を採ります。思想背景にまで踏み込んでいかないとホントの意味は分かりません。

自分に投資していますか?①

(一)

自分への投資は一体いくらやれば良いんだ?
という方がいらっしゃいます。

いくらというのは金額なのか、はたまた費やす時間なのか・・・
中々難しい問題を孕んでいますが、定量化できる金額でいうと、将来の収入目標額の3%を継続的に投資すべきであると、その道の権威者(ビジネス界の)は言います。

3%・・・たったそんなもの?消費税よりも少ないの?

例えば、年間の収入目標が1000万円だとすれば、年間30万円は自己投資を行わねばならないと、そういうことなんでしょうね。

しかし目標というのは、まだ達成していない数値ですから、その時点での年収は200万円かもしれません。
その人が1000万円を目標とするならば、200万円の中から30万円を捻出しなければならず、収入の15%に達してしまいます。
しかも、低収入時はエンゲル係数が高いので、余計に苦しく感じることでしょう。

そう考えると、目標収入の3%投資はかなりの決意を持っている人でないと実行は難しいのではないでしょうか。

これは事業を行う際の経費のことではありませんよ。
株とか商品に出資するとかいう意味でもありません。

あくまで、自分の目標達成能力というスキルに投資するという意味です。
(簡単にいえばお金を稼ぎ出す能力のことです)

じゃ達成した後はどうなるのか?というと(この場合でいうと1000万ですか)、目標達成能力を維持するためにやはり継続的に3%は投資し続けなければならない、ということらしい。

これは分かりますね。時代は変化していますし、自分のスキルも時代と共に変化させなければいけないわけですから。

現状維持は即、衰退を意味するのが古今の法則みたいなものです。
自身のスキルも常に更新していかねばなりません。

しかし、このときには、もうすでに目標を達成しているわけですから、3%は大したものではありませんよね。エンゲル係数も低いし。

さて、問題は述べたように、目標を達成していないときの投資ですよ。
これが相対的にキツイわけです。

じゃ、目標値を下げますか、という話になるわけ。
目標値が年収500万円なら15万円になりますから、現時点で200万円の人でも、なんとかなりそうです・・・・・

まあ、これらのことは、あくまでも目安的な指標を述べているわけで、厳密にそうでなければいけないということでないと思います。

小生思うに、目標を単に夢で終わらせるのではなく、目標達成能力というものを具体的に磨いていけ!という意味に解したほうが良いような気がしますね。

行動を起こせ!という意味で具体的な数値を挙げているのでしょう。

人生は公平ではありません。出身の違い、学力の違い、生まれた時代の違い、性別、容姿、あらゆる条件が違ってきます。

しかし、その応分において努力しつづけねば非常に厳しいことになってしまう時代に入ってきたことは確かなようです。

(今般の大災害の復興にも多額の予算を必要とします。国にはもう余裕がないですよね)

自分の始末は自分でつけなければいけないのはいつの時代も同じですが、今後、その傾向は益々強くなるでしょう。

ですからこれからの時代、分に応じた目標達成能力ほど重要なものはないと思いますね。

お金は使えばなくなりますが、お金を稼ぐ能力は使ってもなくならないどころか、益々磨かれていくわけですから。

さて、そこで再び問います。

あなたは自分に投資していますか?

久しぶりの五十肩

久しぶりに五十肩のクライアントさんが来院されました。

腕を挙げようとすると痛いと訴えておりました。

痛みで寝られないとか、じっとしていても痛みがある、というわけではないので重症ではありません。

しかし、不用意に挙げてしまうと激痛が走るため、不便だと言います。

腕を挙げなければ、痛みがないので、つい忘れて挙げるのですが、実はこのこと自体が悪化させる原因となります。

最初はこんなところから始まり、下手すると痛みのため目が覚めてしまう・・・さらに悪化すると、もはや寝ることさえ容易ではなくなり、さらに悪化すると、目覚めてジッとしていても脂汗が出るほど痛む・・・ということになりかねません。

小生が嫌というほど経験しましたからね。

ここに至るとホントに辛い・・・しかも鎮痛剤がほとんど効かないのです。

逃れようのない!誤魔化しようのない!痛みで瞬間瞬間苦しめられるのですから、それがどれほどのものであるか想像して頂くしかのないのですが、幸いにして、今回のクライアントさんはそこまで悪化してはいません。

一度そうなってからのほうが施術の有難味が分かると思いますし、健康の有難さも身に染みると思うのですが、まあ、施術のタイミングもご縁でございますから、全力を尽くすことはいうまでもありません。

五十肩の施術はすでにパターン化されていますので、一度覚え込むと難しいものではありません

昔、五十肩のクライアントさんが不得意で不得意で、出来れば来てほしくないと思っていたのがウソみたいにストレスのない施術ができます。

ローテーターカフ群、日本語では回旋筋腱板という四つの筋肉が原因であることが多いわけですが、時には首の斜角筋が主因の場合もあります。

ま、いずれにしても施術のパターン化が容易なので、手薬煉(てぐすね)を引いて待っているという症例になります。

今回で2回目だったのですが、一回目が終わった直後、さほど変化がないらしく(これは非常に珍しいことです)、『ブロック注射が効くと友人から聞いたんですが、それをやってもらって方がいいでしょうか?』などとのたまうわけです。

ブログに書いてしまいますと、証拠が残りますから、どう答えたかは書きません。

2回目、案の定、翌日以降沈静化されて、挙げるときの痛みが少し残る程度にまで回復しておりました。

放っておけば絶対に悪化するタイプの症例でしたから、これでも施術の目的は達したことになると思いますよ。

面白いのはこういう経過の人もいますし、施術直後、相当に楽になって、翌日以降に痛みが激しくなるというタイプの人もいるわけで、事前にこの区別が中々つかないんです。

施術自体は何度も言いますが、難しくありません。しかしこのようなことがあるため、カウンセリングがちょっと面倒くさいんですよね。

いずれにしても、どの流儀でも難儀する五十肩への方法論が確立されているということは施術家として実に幸運なことと申せましょう。

ネットでググってみても五十肩ほど的外れな施術法を一様に採っている症例は珍しいと思います。(かつては小生もあまり他流儀のことを言えた義理ではありませんでしたけど)

ということは不要な痛みを不必要な期間、執拗に感じ続けねばならないということですから、日本国全体でみると一年間の経済換算損失は相当なものでしょう。

自分達ができることで国にも貢献しているわけです。

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