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死に方上手

人間70歳も超えますと、腎臓の能力が若いときの半分くらいにも落ちます。

しかし、良くしたもので、ちゃんと基礎代謝も落ちていきますし、体力も落ちていきますので、無理が出来なくなる。消化器系も当然、機能が落ちますから、若いときのように無茶な食い方も飲み方も出来なくなります。

だから、腎臓の能力が落ちたからといって、そんなに負担がかかるわけじゃないので特に心配することはないんです。
(老人の強壮剤、精力剤はバランスを崩すので漢方や中医学では厳禁です)

しかし、なんといいましょうか。今の高齢者って気持ちが若い。
ヨボヨボな感じってありませんよね。気持ちが若いだけなら、まあ別にいいことで問題ないのですが、中には若いときのままのイメージでライフスタイルを送っている方もたまに見かけます。

実はこれが問題でしてね。身体に負荷をかけすぎることになります。
どこかで抑えませんと、健康寿命を縮めることになります。

別にそんな長生きしたくもない、とかいいますけど、ぽっくりいくならいいんですが、今の医学はなんだかんだと言って、延命してしまいますから、結構、寝たきり状態が長引くということになるわけですよ。

昔は人生50年と言われたくらいですから、寿命が短かったんですが、その中でも長生きした人たちもいる。その方たちの死に方を調べると、実に死に方上手としかいいようがありません。

自然に食が細くなり、最後、お腹を空っぽにして、枯れ木が朽ちるように静かに息を引き取っていくわけ。場合によってはいつ死んだか分からないくらい静かにね。

いいなぁ、こういう死に方したいですねぇ。
昔は交通機関が発達していなくて、息子なり娘なりがかけつけるのに時間がかかりました。そこで医者はいうわけです。
「おじいちゃん(おばあちゃんでもいいんですが)、あと三日ほどで息子(娘)さんが来ますよ」

大概、これだけで、それまでは生きるんです。まあ、2~3日くらいですと、自分で寿命のコントロールができるものなんですね。

10日もかかるとなると、さすがに持たない場合があるので、漢方では異例の単味処方である独参湯(朝鮮人参を単独を煎じたもの)を与える。

これで息子(娘)達は親の死に目に立ち会えることが多かったみたいですね。そして、息子(娘)に最後会って、静かに息を引き取るということになるんですけど、ほとんどまた持ち直したなんてことはなかったようです。

今は持ち直した、また危ない、また持ち直した、って何度も親戚筋が集まっては去り、また集まっては去りって忙しいことおびただしい。

こればっかりは薄情者の烙印を押されますから、嫌な顔もできず、とりあえずは死ぬまで、それを繰り返すことになります。他人のことは口出しする権利はないですけど、自分は嫌だなぁ。

お世話になりっぱなしで生きてきましたから、死ぬときくらい潔く、一回の召集で済ませたいものです。しかし、延命処置がありますからね。自分の意思ではどうにもならない。

因みに古代文明があったある一時期、特別な訓練によって、物理的手段によらないで、つまり精神の力だけで死ぬことが出来たらしい。

現在もチベット仏教の高僧はこの技術を身に付けていて、「そろそろ、私も明日死ぬことにしたよ、あとはよろしく頼む」
「さようでございますか。どうかやすらかに・・」

なんて会話が普通に交わされて、翌日その僧は法衣を身にまとい、仏前で座った状態で亡くなっているんだそうです。

このことを書いた人は現役のラマ僧なんですが、彼が言うには、精神の力だけで死ぬっていうのは大変なエネルギーがいるそうな。

本来、人は本能的に生への執着が強いものでしょうから、それを精神の力で抑えつけるわけですので、エネルギーがいるっていうのは、さもありなん、ですね。

一体どんな修行をすればいいんでしょうかね。

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