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早い早い

施術百話の第25話を更新しましたよ。早いペースでしょ。やれるときにやって置かなきゃね。5年近くかかって19話しか出来なかったものが、二ヵ月で6話更新してますからねぇ~。やっぱ、書きやすいです。パスワードロックがあると。

さてさて、特筆すべきことがありません。

無理やり作ればあるんだけどね~。

まだ暑いので大丈夫なんですが、例年、ボクは秋に体調を崩すことが多くてね。

夏の疲れが秋に出るという典型です。今年は暑かったから、どうも悪い予感がするなぁ。

今からそんなこと考えていても仕方ないのでとりあえず頑張ります。

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更新しましたよ

施術百話更新しました。(第24話)

今日もお祭りです。
暑いのにご苦労さん!てか。

昨晩はお祭りにかこつけて、久しぶりにパブ-meiseikanを開店致しました。
年に数度しか開店しないという伝説のパブです。
アルコール度数が四十度を超える強い焼酎を飲みすぎたのか、今日はちょっと調子悪い。
二日酔いまではいかないのですが、似てるかも、です。

まあそれはさておき、突然ですが風林火山が楽しみです。
ガクト謙信、中々良いではないですか。ガクトって確かローマ字で表記してたよなぁ、くらいの認識しかありませんけど、あの人、ミュージシャン?
役者じゃないよね。ちょっと甘いところがあるけど、それがまた新鮮かも。
少なくともあんな感じの謙信(まだ長尾景虎だけど)は見たことがないなぁ。
今回の大河ドラマはキャスティングが成功していますね。
それと脚本。一回の放送の中で必ず一回は見せ場を作る。原作に忠実であればそんなこと不可能なんですけど、うまく脚色していますよ。井上靖先生も草葉の陰で喜んでいるに違いありません。脚本も重要なんだなぁ、と新たに認識させられましたです。脚本家は誰なんだろう?今回こそクレジットを見逃さないようにしなければ。

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麻布十番祭り

最近、更新してませんねぇ~。
やることいっぱいあるからなんだけど。

たまに息抜きで書くことにしました。

今日から麻布十番祭りなんですよ。

正式名称は「麻布十番 納涼祭り」

名称からも分かるように縁日とかではなく、全く宗教色がない商店街のお祭りなんですねぇ。

だからクリスチャンでもイスラム教徒でも全然問題なく来れるというもの。

まあ、混みますよ~。ホント無茶苦茶でんがな。あの狭い地域に何十万人もの人がやってくるんですから。

ボクは麻布十番にいるのに一回出てみてギブアップでした。人混みがダメなタイプなんです。そういう人ってボク以外にもたくさんいるとは思うんですけど、逆に人がたくさんいるところに惹かれて行くっていう人もいますねぇ。若い人なんか多いんじゃないかな。

まあ、明日もやってますから、一度も来た事がない人はいらしてください。

単位面積当たりの人出は多分日本一でしょう。話の種にね。

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魔法の和らか整体

慣れないことを長時間行うと疲れますね~。
前述のようにイラストなどという全く不得意なことに時間を費やし、しかもそれをパソコンに取り込み、かつレイアウトを考えるなどという初めてのことに挑戦しております。

う~~~、上手くいかないよ。ダメかも・・・・(超弱気)

気づくと昨日は食事もしてなく、危ないところで食事抜きになるところでした。

なにせ、交感神経緊張状態は腹が空きませんからね。

当然、身体もコチコチに固まっておりました。

ただでさえ、生まれつき身体が硬いのに、この上、硬くなったら、死後硬直並だなぁ、なんて冗談を言っている場合ではありません。

こりゃ、何とかせねばなんねぇて、とばかりに普段、クライアント様にやってあげている整体を一人整体に変形させてやって見ましたよ。

他人の気が入るわけではないので気持ち良くないのが欠点ですが、効果テキメン。随分と硬さが取れ、なんとか普段の状態に戻ったのでした。

こりゃ、一種の魔法みたいなもんだなぁ、とシミジミ思ったわけ。筋・筋膜にはある種の性質がありましてね。性質っていうか、法則と言おうか。

この法則に逆らうと和らかくするのに時間がかかる。でも、あんまりこの法則に触れている書物に出遭ったことがないな。当然のこととして見逃しているのか、それとも公開したがらないのか。

「ストレッチ反射」と「押圧防御」がキーワード(両方ともネガティブな意味だけど)。

技法的には「拮抗筋へのアプローチ」がキーワードになるかも。

今週は四水会があるので、そこらへんをもう一度勉強しなおしましょうかね。

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最近・・・・

最近は慣れない、っていうか全く不得意なイラストを描いたりしてます。勿論、遊びぢゃないですよ。テキスト用ですけど。いつになるかは保証できませんが、そのうち、お披露目できる日もくるでしょう。ということでしばらくは、その作業に時間を取られ、ブログが滞りがちになるかもしれません。

HPのほうでは来週早々にでもまた施術雑感をアップする予定でおります。

暑くてね~。色んなことに体力が要ります。

体力低下は万病の元。皆様も水分を充分補給してなんとか乗り越えてくださいませ。

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フルフォード

フルフォードが一次呼吸システムを認めなかった理由。
フルフォードはその治療経験の中で、人には生命場というべきものがあって、それが肉体の中も外側も包んでいると確信しておりました。
言葉を変えて言えば、「ライフエナジーフィールド」に包まれていると思っていたのです。
それは多分に電磁気的な性質を帯び(勿論、それだけではありませんが)、触知可能なものという信念があったのです。事実、彼はそれを触知して治療に利用していたのでした。

彼の言動は数少ないのですが、その数少ないものの中で、繰り返し訴えていることがあります。それは「エネルギーに注目せよ」です。勿論、ここでいうエネルギーはライフエナジーのことです。もし、これに注目しなければ、オステオパシーは衰退し、それ以外のヒーリングシステムに取って代わられるだろう、とまで言っています。

彼が目指した治療システムは言ってみれば「多層体としての生命に対する多次元的アプローチ」なのです。
今も一部のスピリチュアル系ヒーラーによってエネルギー体としての身体にアプローチする方法論は行われているようですが、既知の解剖、生理とは無縁なところでの話です。
フルフォードが目指すところは、現代医学での解剖学、生理学との真の融合であって、説明も実感も可能な治療システムの構築でした。だから「多次元的アプローチ」なのです。
当然、彼の代では果たすことが出来ないことは承知しておりましたから、次世代へのメッセージを何度も発していたわけです。

個人的に言わせて頂ければ、これらの考え方が定着し、常識になるのは21世紀の後半、22世紀くらいにかけてのことと思われます。
このような時代がくれば人はもはや病気で死ぬということがなくなります。
死因は老衰か事故死に限られることでしょう(その前に人類が滅亡しなければ)

さて、フルフォードはこの先のヒーリングシステムの姿を、自身の体験によってある程度予見できたものと思われます。
そして、それを担う役目がオステオパシーであるべきだと信じていたわけです。
しかし、彼の実感を追試できるものはいない、というのも現実の姿です。
そこで彼は自分の実感を優先し、物理的な頭蓋の動き、即ちCRIやその背景にある一次呼吸システムを排除する決意をしたのです。しかし、その有用性を否定している言動はありません。あくまで方向性の問題です。たとえ、最先端をいってるかのように見えるCRIの概念、一次呼吸システムであってもフルフォードからみれば物理的過ぎると映ったのでしょう。「多次元的アプローチ」の範囲が狭められるという判断が無意識の中で働いていたに違いありません。

彼は百年先を行っているヒーラーで、ある意味、預言者的存在でもあります。
しかし、その過程、プロセスにいる我々はどうすればいいのか?
やがて、そういう時代がくるにしても、その時代まで、頭蓋の調整を行うことによる治癒システムを捨てることなどできるでしょうか。
折角そこにある治癒の鍵をみすみす捨てるなどということなどできるわけがありません。
現実に存在する物理的な頭蓋の動きを手がかりにヒーリングを行う現行のやり方について異議を唱えられても(フルフォードは異議を唱えているわけではないのですが)困ります。

いずれにしてもフルフォードは生命場というものを最重要視したことは間違いありません。
それによって、物理的な動きに偏り過ぎるオステオパシーの現状に警鐘を鳴らしたというところが真相なのでしょう。

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技術と感性

100年前のボクシングの構えをみて、現在伝わっている古武道の構えにあまりにソックリなので愕然としたという古武道家がいました。その人は実践第一主義で、強くなければ意味がないという考え方の持ち主。毎日ケンカに明け暮れていたという困った人です。

その彼が修行中、ひょんなことでボクシング部の主将と対決するハメに陥りました。
当時、彼は、ボクシングなどという柔な西洋発の競技など、日本の武道に適うわけがないと硬く信じていたらしい。それで、ボクシングのルールでやったろうじゃないかと、啖呵を切ってボクシング対決になったというもの。今ならその無謀さは、少しでも格闘技を知っている者なら分かるのですが、その当時は昭和30年代ですので、まあ、勝つことを確信していたのだそうです。
さて、実際やってみると、面白いくらい、自分の突き(拳)がかわされてしまう。そして面白いくらい相手のパンチを貰ってしまう。結局、ボクシングでのルールでは完敗してしまった(当然だぁ、しかし何でもありのルールなら彼のほうが強いのですが)。
彼が偉いのはマジで世界一ケンカが強い人類最強を目指していたので、偏見と先入観を捨て、ボクシングを研究したということに尽きます。
その結果、冒頭でご紹介した資料(写真)を発見して愕然となったわけです。

100年前、ボクシングが発祥した時分には古武道に極似した構えだったものが、いかに相手にパンチを貰わず、自分のパンチを当てるかという課題にボクシングが取り組んだ結果、現在の構え、フットワーク、打ち方に進化してきた事実、そう!進化してきた事実を知ったわけです。それで、愕然としたわけですね。百年遅れた技術で対抗しても勝てるわけがない。相手は百年先にいっているわけですから。
勿論、彼はボクサーになる気はさらさらなく、あくまでケリもパンチも何でも使うケンカ世界一が目標ですから、ルールに限定され過ぎたボクシングの技術に深入りすることはなく、偏見と先入観を捨てるにいい経験だったと述懐しているわけです。

格闘技といっても身体動作に変わりはなく、技術が主体になることは変わりません。ある目的において技術というのは進化します。ある部分が進化すると、それに対応して違う部分も進化します。その違う部分が進化すると、また別の部分も進化して・・・・全体が進化するという特性を持っているものです。しかし最適適応した結果、進化の袋小路にも入ってしまって、もうボクシング以外の格闘技には対応できなくなるのも事実です。生物界では恐竜もそうで、環境に最適適応した結果、環境の激変に耐えられず、絶滅してしまいました。哺乳類はまだ進化の極みには達していなくて生き残り、現在の人類を生んだことは周知の事実です。

生物界の進化については蛇足でしたが、技術的な進化というのはこのように連鎖反応が起きて、全体のレベルを押し上げるものなのです。
昔の職人の技術の高さに驚きの声を上げるのはその技術が一時、途絶えたがゆえに起きるものです。継続し、多数の者が関わっていれば、昔の技術に感心するなどということが起きるはずもありません。伝承が途絶えたときのみにそれが起きるのです。(ピラミッドしかり、古代ローマの土木技術しかり)
翻って、手技技術というものを見るとき、実は伝承の途絶つという事態が何度も起きております。特に東洋ではそうです。手技は結構大変なので、底辺を支える才能ある施術者の絶対数が少なかったという事情があるかもしれません。
テニスやボクシングのように途方もない数の人間が関わり支えていくならば、その中で天賦の才に恵まれ、努力を惜しまない者、つまりトップレベルでは信じがたい進化が起きていくものなのですが、いかんせん、手技は絶対数が足りなかったというのが現状でしょう。
なんども途絶し、その度に新たな天才によって再興される、という循環を繰り返す中でしかその命脈を保つことができなかったわけです。
これからは様相を異にします。絶対数が増えてきて、職業的手技法家が増えるにつれ、その分、才能ある人たちも増えていくことになります。そして、それがある一定数に達し、その状態がある一定期間続くと、進化が始まる沸騰点に達するはずです。
技術的ブレイクスルーも起きるでしょう。

しかし、手技というのは技術というテクニカルな面と同時に芸術的な感性的な側面によっても構成されていて、単なる技術の進化だけでは括れない部分もあります。
技術的なことはともかく、彼(彼女)の施術を受けると、他の人にはない安らぎを得られるとか、気迫を感じるとか、評されるそれです。
これは、施術家一人一人が持つ個性が被術者の感性とピタリと一致したときのみ起きる現象で、ある意味、技術論では説明できない感性的側面が含まれる所以であることを示しているわけです。
音楽が好きだと言っても、ロックが好きな人、演歌が好きな人、クラシックが好きな人、様々です。音楽は演歌しか聴かないという人が、クラシックを聴いて、指揮者による微妙な解釈の違いを感じ取れるか疑問です。同じように好みが偏向している受療者に対して、その好みから逸脱した手技を加えても、それがいかに技術的高度なものであったとしても、正当な評価を下すことはまず考えられません。

競技であれば、ルールに則って戦えばどちらが上か簡単に分かるわけですが、手技は毎回ルールが違うスポーツのようなもので、被術者が違えばルールが違うというまことに複雑なものだと思うわけです。だから、世界手技法選手権試合などというものは存在し得るはずもなく、仮にあったとしてもさほど意味のないものとなってしまいます。

単に技術的な問題ではないが故に、技術軽視という事態にも陥りやすいという問題点を内包していて、手技技術の進化を止めてしまう要因さえはらんでいるわけです。これらはあくまで、バランスの上で考えていくという知的能力がある一定の水準に達していないと、容易に抜け出せない落とし穴です。だからこそ、絶対数が必要になってくるわけです。母体数が大きければ、それだけ優秀な人材にも恵まれるということは当然ですから、その分、そこのバランスをよく理解できる人たちも増えてくるに違いありません。

ボクはヒトに教えることも生業としている人間ですが、いつもこのバランスを考えています。具体的には、ある程度教えたら、何も言わないでじっと施術する姿を観察します。
ああ、この人は技術的に飲み込みが早いな、とか、角度は狂いがちだけど、包み込むようなリズムがある人だ、とか。よく分からないけど全体に癒しのオーラが出ていて、人の痛みが分かる人だな、とか。教えている技術が感性に合わないのか、あまり真剣に取り組んでいないようだな、とか。凝視し続けますと、その人の考えていることまで分かります。人はそれぞれ違う個性を持っているので、なんとかその人の個性が生きる形で教えようとします。クラシック音楽のような施術をするタイプに演歌を無理やり教えても、訳が分からず脱落するでしょう。技術的水準がある一定のレベルに達していないのに精神論的共感のあり方を述べても実感が湧かず、これもまた脱落する原因にもなります。だから、教え方の重点が一人一人違ったりもします。
これはマスプロ教育ができなくなった明生館の塾形式での教授法になってから気づき実行しているものです。しかし初期の頃はわりと画一的でした。もっと酷かったのは若い頃で、その人の個性、感性など一顧だにせず、あるやり方を押し付けていたのが現状でした。冷や汗ものです。

長くやっていくと、技術も変わりますし、感性も変わっていきます。しかし、本性は変わるものではありません。少なくともこの業界に入ろうとする者は、他人を癒してあげたいという本質的な優しさがあると思います(ごく一部を除いて)。長い経験の中でそう感じます。事業家が冷酷非情な一面がないと事業家として成功できないのはどんなオタメゴカシを言っても事実だということが分かる年代になってきました。したがって、一流の施術家であって、かつ一流の事業家であり得るということは基本的にありません。この業界に入る方々の優しさという一面を個性や感性は違うといえども生かす方向性というものを模索する日々ではあります。

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頑張りました・・・

暑いですね~。遂に私室の冷房を「ドライ」から「冷房」にしました。

エコロジー主義に反しますが、こう暑くちゃ、しょうがないです。

さて、頑張りまして、施術百話の第23話をアップしましたよ。

あと施術雑感の原稿も書き終えたので、夜までにはHP上にアップしてくれることでしょう。
(HPは自分でアップできないので他人頼りになってしまいます)

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エステ店業務停止命令

エステ店業務停止命令
報道によりますと、強引な勧誘と解約トラブルで年間1万件の苦情が寄せられる業界なんだそうですね。あまりにも苦情が多いため、ついに問題になっているエステ会社(3社)に対して六ヶ月間の新規募集を停止するよう経産省が命令したそうです。重い腰を挙げたというか目に余るというか、そこまでの罰則は珍しいことではないかな、と思う次第です。
平均、30万~70万円の契約を強引に行うらしい。

もともと悪評がある業界ではありましたが、それも実は一部の業者の仕業でね。
個人に近い形でエステサロンを経営している人たちは技術に自信があり開業するわけです。技術に自信がある人たちは商売が下手です。商売が下手というより、良心的なんですが、そういう人たちまで、風評被害が及ぶというのは可哀想な気がします。

何か儲かりそうな事業がありますと、目端の利く人たちは事業化します。事業というのはシステムですから、そのシステムの作り方が上手いわけです。
特殊な技能などなくとも募集の仕方のノウハウとか、強引にクロージングに持っていく方法とかに長けている人たちが儲かるわけですが、その分、下の社員には相当なノルマをかけて締め付けるという方法が一般的ですね。これは経営者の責任以外のなにものでもないですよ。
こういう悪徳商法にノーと言えない、というか騙されるのも悪いのですが、一番悪いのはそういう方法を考え実行させ、かつ、儲けた奴等ということになるでしょう。

かく言うボクも悪徳商法に騙されたので大きなことは言えません。
業種は違うのですが、電話機セールス。電話がかかってきて、電話代が半額になる電話機があるっていうんです。そんなうまい話があるものか、と思ってはいたのですが、とりあえず会うことにしました。
すると、電話代が半分になるし、その分でリース代を賄え、かつ、音質が良くなるという説明だったんです。確かにハウリング気味だったので、興味を示したら、付け込まれてしまいました。7年リースでオリックスと契約。電話機はNTT製です。NTTの子会社と言っていましたから、それで信用したのですが、それもウソ。
後で分かってもリース会社に債権を売っているのですから相手はリース会社ということになります。これ、絶対勝てません。争ってもエネルギーの無駄。泣き寝入りしかないのです。契約書には電話代が半分になるなんて書いてませんからね。口頭での説明ですもの。
悪徳商法は色んなお膳立てをするものですよ。NTTの子会社とか。絶対騙されないぞ!と思っても騙されるようにシステムを作っているんです。
しかし、そんないい加減な会社と提携したオリックスと、そんないい加減な会社に電話機を卸すNTTにも腹が立ちましたね。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。金輪際、NTTとも縁を切りたいわけです。だから、KDDIとマイラインの契約をしましたし、プロ野球ではオリックスが負けると喜んでいます(オリックスファンの方ゴメンなさい)
これ八つ当たりっていうやつでしょうかね。でも、責任はあると思いますよ。
どこにもぶつけようがありませんもの。
その会社、ちゃんと倒産しましたし。
今時、電話機にトータル70万円も払うバカはいませんよね。冷静に考えれば分かったことでした。

エステの話。
脅しのトークがメインになりますから、絶対引っかからないでほしいですね。
高級そうな精密機械で肌を診てこのシミの具合では手遅れになる、とかいうわけですよ。
そして何十万円もの契約をさせる。施術に一括契約なんてあるはずがない。
回数券くらいはありますが、それは通うと決意した方の利便性を考えて用意するものですから、一括契約とは違います。さらにクレジット会社を利用して一括契約なんてそもそもがおかしい。施術が合わなかったらどうするんでしょう。
だからトラブルになったんでしょうけど。それにしても年間1万件の苦情とは凄いものです。それだけ市場規模がある、ということなんでしょう。
エステに通うことには反対しませんが、大手やチェーン店は避けたほうがいいと思いますよ。必ず、個人営業で腕の立つ良心的なお店があるはずです。
肌も奥深いですから、経験豊かな研究熱心な先生が良いと思いますよ。むしろ、若い施術者よりもある程度年配の先生がいいです。自分のシワやたるみを何とかしようと必死に勉強しているはずですから。

六ヶ月間の新規募集停止なんて言わず、永久営業停止にすればいいのに。
渋谷のスパの爆発といい、今回の処分といい、美容健康分野は問題が多いですね。
岩盤浴ブームも下火になりそうですし。

ボクの立場とは業態が違うといえば違うのですが、重なるといえば重なる分野です(同じ手技法という意味で)
まったく・・・・他人事とは思えないなぁ。だからハラがたつ。

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ストックが・・・

前回の休日は久しぶりに施術雑感を更新しようと思い、それに専念しておりました。
すると、ブログ原稿のストックがなくなり、今日はまともな記事がアップできません。楽しみにしていた方々、平にご容赦のほどを。

因みに施術雑感は未完成です。どこかで時間を作り、完成させたいのですが、どうでしょうか?お題は「真の癒しとは」です。当然、HP上にUPする予定です。
「である体」文章は久方ぶりなので感が狂って時間ばかりかかります。でも、たまにはいいものでした。あと百話も書きたいしね。書きたいことは一杯あるんですけど、一日24時間しかないので限度がありますよ。仕事が終わってからは無理ですもの。この暑さでジャブジャブ汗かいて、終わったぞ、さぁ~原稿書こう!なんて気力はさすがに出ない。
この原稿は今、一時間ばかり空いた時間で作ってます。
だから構成が変だと思いますけど、勘弁してください。

そういえば、改フルフォードじゃなく純正フルフォード型のクラニアルを立て続けにやってみました。この方法はウチのベッドでは低すぎてちょっと厳しいかなぁ。
でも、ベッドを使わない(出張施術等)施術者はむしろやりやすいかもしれません。
エネルギーフィールドを捉えるところまでは行きませんが、頭の硬さの変化はなんとなく分かると思います。
そのうちクラニアルフリーク会で研究してみましょう。

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しばしば見られるO脚、X脚について

25歳も過ぎますと、骨も固まり、あらゆる意味で完成体に近づきます。
従いまして、O脚、X脚を完全に治しきるということはできません。
このことについては、授業や勉強会でも何度も触れています。
しかし、そのことがその人の歪みの問題であって、症状を現出させている基本的な要因である場合、やはり完全ではなくとも矯正しておかねばならないでしょう。
なぜなら、骨盤の位置異常や仙骨の収まりに影響を与えてしまうからです。
そういった意味で施術の効果を計る観点から、どの程度矯正されたか、診るというのは意義のあることと思われます。
特に意識せずとも三関節原理の基本手技を行えば矯正されていくものなのですが、微妙に角度を変え、また、O脚とX脚との違いを考慮した手技をチョイスするなら尚矯正されやすくなるものです。
そのことによって骨盤内臓器が正常な位置に戻りひいては症状の軽減もしくは消失を得られれば一石ニ鳥というものです。
ビジネス上、治療的分野と美容的分野の施術を分けてメニューを作りますが、本来一体不可分なものであるということは施術者なら当然知っていることであって、あくまで、商売上の問題を考えてのことでしょう。

整顔美容整体も同じです。
「苦痛に顔を歪ませる」などという表現がありますが、まさに顔の歪みは肉体的、精神的苦痛の表現なのです。
クラニアル的にいえば脳膜の歪みが反映されているに過ぎません。
それが極端に矯正されやすい人とそれほど物理的には変わらない人たちがいて、美容的観点のみでセールスしてしまうと、満足できない一群の人々から不評を買うことになるわけです。そして2ちゃんねるに書き込まれ、ダーメージ商品の典型となって、信用を失うことにもなりかねません(なっているようですが)。
足から顔の歪みを治すという方法論もありますが、これも意識されない苦痛の表現である顔の歪みを足の施術によって苦痛を取り去り、歪みが矯正された結果というわけで、同じように物理的にあまり変わらないように見える一群の人々もいます。ですから、これもまた美容的観点のみのセールスでは信用を失います。
一等地でお客に困らない店舗なら次々とクライントが来て、また、効果が見える人も一定の確率で出ますから、なんとかある一定の客数を確保できますが、個人でサロンを開き、少数を相手にする場合は、それのみのセールスでは無理かと思われます。

顔は無意識であってもそれが如実に出やすいわけで、だからこそ、顔の望診という方法論が古代より行われてきたわけです。
分かりやすく言えば、顔の歪みを様々な観点から診て全身の歪みを診ようとしたものが望診なのです。当然、全身の歪みがなくなれば顔の歪みもなくなるわけで、それを顔だけ無理やり0.5ミリ変え、「ほら、矯正された!」と言い含めるのは施術者ではなく商売人でしょう。商売人が悪いとは言いませんが、自らの首を絞めるだけではなく、真面目な同業者の信用まで失わせるのはどうかと思います。

美容整体は治療的一要素に含めるべきと思う所以です。
昨今、そのような考え方のサロンも出てきているようです。
おそらく今後、美容整体の考え方はその方向でいくでしょう。
ほんのわずか技法を変えるだけで対応できるのですから。

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神経衰弱?

もうビックリ!神経衰弱っていう病名は廃止されているのかと思いました。かろうじて、トランプのゲームにその名残をみることができるものとばかり思っていたのですが、この病名生きていたんですね~。
もう既にご存知かと思いますが、朝青龍の正式な診断名です。
腰骨の疲労骨折という診断書を提出し巡業不参加。ところが当人、母国モンゴルでサッカーに興じていたてんいうですから、伝統を重んじる相撲協会は黙ってはいません。何を考えているんだ!とばかりに帰還命令が出され、処分を発表しました。それが過去類例を見ないほどの厳しいもので、2場所出場停止。これは事実上の引退勧告だという人もいるくらいですから、前代未聞の醜聞ではあるでしょう。
ここまではなんとなくでもテレビや新聞を見ている方なら分かっていることでしょうが、ここからがもっと面白い。
朝青龍さん、相当精神的に参っているらしい。これは仮病でもなんでもなく、本当に参っているらしいのです。気持ちも揺れ動き、もう一度頑張ると言ってみたり、もうダメなどと、弱気なことを口走ったり、ごく普通の若者となんら変わるところがないわけです。

考えてみれば当たり前のことで、自分の26歳のときのことを考えてみれば、世間の怖さも知らず、まるきりのガキでしたもの。
昔の人は早熟だったんでしょうか。20代で心・技・体のバランスがピークになり分別が完全につくようになって、さらに他の者のお手本になるようになることを求められているんですからね。それに比べれば、自分はガキ過ぎたかなぁ~と。
だから、朝青龍の神経衰弱にはとても共感を持てます。神経衰弱でいいじゃん。弱さをさらけ出していいんじゃない?まだ26歳なんだから。これから大人の小狡さを身に付けていけば上手くいくよ、頑張れ!ってね。日本は本音と建前の国なんだから、目立つズルしちゃダメよ、って。ズルするなら分かんないとこでヤレ!ってね。

なんでこんなこと書くのかというと、大相撲の伝統を汚したとか、横綱の品位に関わるという役員どもの言い草が気に食わないわけよ。
あいつら、八百長相撲の先鞭をつけてるじゃないすか。そりゃ、朝青龍も八百長やってるよ。でも、歴代の横綱の中では貴乃花の次に八百長が少ない横綱ですよ。
品位を汚さないように八百長する横綱と、品がないけど正々堂々と相撲を取る横綱とどっちがいいの?

あと日本の相撲文化。新弟子のときのしごきは理不尽でさえありますね。自分も部活のとき先輩の理不尽的しごきに耐えてきましたけど、そんなレベルじゃない。そこに上下関係をキチッと教えていくという伝統があるなら、自分が上位者になったときの心構えを教えなきゃ。特に朝青龍みたいに闘争心の塊みたいな人にはね。外国の人に阿吽の呼吸とか、暗黙の了解など通用しないんだから。強さが全てなんだ、強い者は何をやっても許される世界なんだ、と誤解していくのは必然でしょう。
自分で八百長やって番付維持したりしている兄弟子や親方衆が何いっても説得力ないけどね。金と番付が全ての世界。これが国技の実体ならそんな国技要らないよ。
今まで馴れ合いと、建前で維持してきた大相撲だけど、今般の問題は朝青龍という個人的なキャラクターによって、その矛盾が一気に噴出したものだと思いますよ。

それにしても神経衰弱とは・・・・・。
亡霊のような病名が亡霊なような相撲界を表しているようで面白かった次第。

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しばしば見られる腹部の邪骨について

しばしば見られる腹部の邪骨について
邪骨とは何か?と言う問いに答えられる人はあまりいないでしょう。
日本の漢方史の中では最大に重要視されてきたものではありますが、西洋医学的な検証はなされておりません。しかし、現実にあります。そしてそれが病気の根であり、原因であることが多いという経験値を持っていたわけです。それが腹を重要視した日本の伝統でもあり、日本人の感性でもあったのです。
しかし、最近はむしろ、西洋手技法の内臓マニピュレーションが紹介されるに至って、あたかも新しい方法論であると思われて使い始められているのは、日本人としては何とも複雑な気持ちではあります。

ある人がフルフォード、唯一の一般向けの著作「生命の輝き」のあとがきの中にオステオパシーで使う技法は日本の柔道整復の技法にルーツがあるかもしれない旨の記述があると教えてくれました。ところが、私の蔵書を見るとそんな記述はどこにも見られません。おかしい、ということでその方は蔵書を帰ってからもう一度確認して、その記述があるところをわざわざファイル化して送ってくれました。確かに、そのような記述が載っておりました。初版では載せたものの、色々不都合があると判断したのでしょう。版が代わって、その部分は削除したものと思われます。

骨格をいじろうとすればそのやり方は似てくるのは当然で、オステオパシーが柔道整復の技法を真似したのではないとは思います。たまたま似ている部分があったという偶然でしょう。ですから、内臓マニピュレーションが日本の腹証を真似したものであるとは言えません。むしろ、腹部に注目したオステオパスの観察力に敬意を表したいくらいです。
しかし、ここが複雑なところなのですが、日本にはその伝統がありながら、療術界では無視に近い扱いを受け、西洋的装いを纏うことによって、腹への注目が集まっている昨今の現象はなんともナショナリズムを刺激されるのです。

個人的な感想はともかく、腹への再注目は歓迎すべきことです。その理由は過去のブログでも述べておりますので繰り返しません。

オステパシーでの邪骨の捉え方はどのようなものでしょう。
内臓、腸間膜の癒着と捉えるようです。深部でのリンパ流、血流が何らかの原因で停滞したとき、組織が繊維化していくプロセスの一つとして捉えているようです。
それが甚だしいとき、実際に触知できるようにもなり、漢方でいう索状物はまさにそれであって、癒着の結果、起きるものと認識されるわけです。科学的に正しいかどうかは分かりません。少なくとも、MRIなどでは写らない程度のものから進んでいくのでしょうから、現在の精度では中々証明できない、あるいは論議を呼ぶところでしょう。
面白いのは背骨の前面の血管に及ぼし、椎間板などの修復力が減衰することがあって、それが腰痛の原因にもなり得るとしているところです。結果だけを言えば、腹証と同じ結論です。先の柔道整復といい、腹証といい、オステオパシーは日本人に相性がいい手技なのかもしれません。
いずれにせよ、邪骨という言葉を使っても癒着という言葉を使っても、言葉が違うだけで、それを重要視するということには変りがありません。
そして、それらが特に女性において甚だしく多いという現実があるわけです。
腹部の制限と言えないこともありません。
骨盤靭帯や取り巻く筋肉は筋膜を通じて股関節、ソケイ部へ影響を与えます。そしてここの流れまで阻害することになれば、当然、下肢は浮腫みはじめ、ダイコン足へまっしぐらということになります。
(正しくはダイコン足=ムクミではありません。足の細い人でも強烈にむくんでいる人はいます。よく発達した筋肉で太くは見えますが、浮腫んでない方もいます)
そうすると足のむくみ取りというのは、浮腫んだところをいくらドレナージュしてもダメだということが分かります。股関節の動きをつける、腹膜の浮腫みを取る、深部癒着を寛快させるということが重要になってくるわけです。
美脚は腹からなのです。
足を扱うリフレクソロジストが美脚路線に失敗し、内臓マニピュレーションを重視するオステオパスが美脚路線で実績を挙げるというのは考えてみれば当たり前なのかもしれません。

かつてボクがリフクソロジーという手技を深めていったとき、もっとも重要視した反射区は小腸など腸系でした。何故かというと腹証という概念があったからです。「腹証の意義」などと題して専門誌に小論を発表したこともあるくらいお腹の働き、存在を意識しておりました。それは多分に増永師の影響もあるのでしょうが、個人的な感性というのも影響していると思います。そして、現在、忠実なリフレクソロジーの手技を行わなくなったとはいえ、足裏に別の意義を見出したとはいえ、やはり、反射区でいえば大、小腸の部位を重要視しているわけです。

今、リフレクソロジーという手技をもっとも有効に活用しているのは、リフレクソロジストでも指圧師でもカイロプラクターでもありません。オステオパスなのです。
何故なら、彼等には(一部かもしれませんが)腸間膜癒着という概念があるからです。
全息胚原理によって、ある程度それを足裏で診断できます。そして、まず足裏から緩める。そして実際、お腹にも触れる。すると、足裏が訴える何か、と腹部が訴える何か、にある共通性を感じることもあるでしょう。また、何の共通性も見出せないこともあるかも知れません。感じ方は様々で構わないのですが、少なくとも足裏が緩めば腹部が緩むということが分かるようになると思います。またいきなり腹部からだと警戒されますが、足裏からだと警戒心が解かれる率が高いものです。
それらのことを利用し、足裏と腹部の往復施術をするケースが多々あるということを知ったときは驚きました。これにクラニアルを加えれば、まさにボクがやっている施術のスタンダードになるからです。

いずれにしても腹部におけるある種のブロックは現実にあるものであり、これを何とかしようとするコンセプトは今や、珍しいものではなくなりました。また、足裏を含めた考え方というのも、異端ではなくなってきているようです。

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しばしば見られる鎖骨の制限について

鎖骨の動きが制限されているなどと一般の方はまず思いますまい。
しかし、非常に微細な動きが制限され、肩こりを初めとする不定愁訴を訴える方が意外に多いものです。これは施術家の中でもオステ系の施術家なら同意して頂けるものと思います。
経絡的アプローチでもこの鎖骨の動きを伸展、運動系の技法の中で具現化しております。よく動きを分析してみますと、「なるほど・・そういう意味もあったのか」と感心することが多いものです。
フルフォードがよく使った鎖骨の評価即治療法がボクの技法によく似ていたので、とても気を良くした覚えがあります(凄いだろう!なんて威張っているわけではありませんよ)
何か身体に影響を与えようとすれば、どこか似たような技法になるのは当然です。
まあ、同じような技を使いながら、使い手によって雲泥の差が出るのはこの世界では常識ですから、有名なヒーラーと似た技を考えていたなんていうのはそれだけでは何の自慢にもなりません。
さて鎖骨の重要性ですが、鎖骨は胸骨と肩(肩甲骨)を連接し、ある意味、固定している重要な骨であることは間違いありません。

男性の中には鎖骨フェチといって、女性の鎖骨の美しさに欲望がかきたてられる、というタイプがいるのだそうです。
勿論、ボクは鎖骨フェチでも足フェチでもありません(クラニアルフリークではありますが)。
ただ、時々、女性特有の浮き出た鎖骨を見て、片方の鎖骨の位置が違っているのを発見したりすると、気になって気になって仕方がないことがあります。クライアントなら、施術できるので、腕の見せ所ということになるのですが、それがたまたま、電車の中とか、コンビニで見かけると、実にストレスが溜まります。
(呼吸システムがうまく働いてないんじゃないだろうか?肩に制限がかかって、早いうちに四十肩になるんだろうな、あ、やっぱり!あんな重そうなバックを肩にかけてる!)
こんな調子でジロジロみていたら、絶対怪しい奴に思われますので、見て見ぬふりをするのですが、それが実にストレスが溜まります。
ボクの出不精はそんなところからも来ているのかもしれません。
(特に夏は露出度が高いので身体の様々なパーツの不都合が目に付きます)

話がそれました。鎖骨の制限は当然、呼吸システムにも影響します。実に微細なものであってもそこからある種のエネルギーの流れ、それで納得できなければリンパ流、がほんのわずか阻害されれば、長い人生です、何かが壊れていくキッカケになるのです。
ニュートラルに戻しておくに越したことはありません。

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しばしば見られる胸骨の制限について

しばしば見られる胸骨の制限について
胸骨の動きが制限されると、そこを通るリンパ流が阻害され、肺系、乳房系の疾病リスクが高くなります。さらに呼吸システム全般に影響を与えますので、どこにその影響が出てもおかしくはない、ということにもなるわけです。
前回、感情の抑圧によってもその動きが止まりやすいと述べました。
抑圧が嵩じますと、ウツ的な傾向を招くことは素人でも想像できるところです。
感情が抑圧されてしまうという根本の原因を除去すれば良いのですが、中々、すぐには出来ず、ある期間を待てねばならないことも多いのではないでしょうか。
しかし、肉体的に解決できるものは解決しておいたほうが良いに決まっています。
なるべく早い時期にニュートラルに戻しておくべきでしょう。
また、篩骨との連動によって、胸骨の動きが阻害される場合もあるとのことですから、クラニアル系の手技によって、その動きを回復させることも重要かと思われます。

近年、乳癌の発症率が高くなっていると聞きます。
篩骨との連動で考えるなら、若しかすると、花粉症の問題も幾分、これに関与しているのではないでしょうか。
篩骨は顔面部、鼻の部分にある骨ですので、この部分に炎症が起こり、長引けば、胸骨の動きを止めてしまう可能性は充分に考えられます。

クラニアル&セイクラルというくらいですから、頭蓋と仙骨の連動については解剖学的にさえ理解できます。しかし、クラニアルと胸骨の対応関係は中々理解できず、ある部分ではかなり密接な関係があるような気もしないではなかったのですが、フルフォードの直感的、演繹的把握力によって指摘されていたことを知ったのは心強いことでした。
篩骨は紛れもなく、クラニアルの一部なのですから。

エステにおけるフェイシャルマッサージは女性の美に対するあくなき願望の現われかとも思いますが、以上のことを考えると、また違った側面も浮かび上がってきます。
篩骨と胸骨が連動するならば、顔面のマッサージを通じて、胸骨の開放を行い、無意識に抑圧された感情を解放している行為でもあるような気がするのです。

クラニアル手技の中で、顔面部へ働きかけたとき、なにかがスーッと抜けたような気がするという方が多いのですが、それも一つの現れかもしれません。

なにせ、胸骨の制限はしばしば見られ、中年女性の半数を超えるものと思われます。
足の施術を行いながら観察すれば推察することが可能です。
(施術百話の20話以降参照)

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しばしば見られる前頸、横頸部の制限について

前頸部、横頸部の重要性については、今、なんの資料も見ずにざっと挙げることのできる神経でも、迷走神経、腕神経叢、横隔神経、肩甲背神経、副神経、などが通っており、これだけでも明らかです(経絡を加えてもいいのですが煩雑になりますので省略します)
後頸部がコリを感じやすいのに対して、「前、横頸部」はさほどでもなく、どちらかというと軽視されがちな部位ではあります。
ところが、臨床上、この部位に制限、若しくはブロックがある例が多いのです。
篩骨(シコツ)のブロックが胸骨にまで影響し、制限することがあると述べたのはフルフォードですが、もしかすると、その途中にある「前、横頸部」までが影響を受け、制限されてしまうのかもしれません。
また、現代、夜空を見上げるなどという習慣もなく、大体がうつむき加減で仕事をするせいなのかもしれません(つまり前頸部がストレッチされない)
たまに夜空を見上げ、宇宙の広大さに思いを馳せるというのは精神衛生上だけではなく、肉体的にも良い影響を与えると思うのですが、残念ながら都会の夜空は見上げるほどの価値もなく、お金を拾う機会を逸するだけです。
いずれにしても、30歳も超えてしばらくすると、この「前、横頸部」に制限が見られるのです。
確率から言えば、7割~8割くらいでしょうか。
中々デリケートな部位でもありますから、静かに按圧します。
制限の強い人は強い響きを感じることでしょう。
この部位を和らげ、胸郭出口をやはり静かに按圧しておりますと、呼吸のリズムが微細な動きとなって伝わってきます。それを感じつつ、肩まで降りていくと、結局、肩の制限にいきつくのです。増永師が肩関節の前方変移を重視したのがよく分かります。
四十肩、五十肩がほぼ全員の人で起こることを考えると、日本人が持ちやすい普遍的な身体的歪みなのかもしれません。
その原因を遡ると、「前、横頸部」の制限、さらに遡ると、篩骨の可動性の問題、波及効果としては胸骨の拘束が浮かび上がってきます。
胸骨は感情の座でもありますから、抑圧された感情によってもその動きが止まります。そして逆転移を起こして、前、横頸部を制限する場合もあるのかもしれませんし、それが、篩骨の動きを止めることもあるかもしれません。
やはり、ここでも肉体と心を分離して考えることは出来ないようです。

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クラニアルフリーク~7

というわけで、フルフォードは仰ぎ見る存在であって、崇敬と畏敬の念の対象ではありますが、これをそっくり真似すれと言われても無理です。

CRIを生命場の変調として捉えるなど、一体、いつになったらできるものやら、です。
やはりここは物理的に感じることに重点をおいて訓練していくしかないのではないでしょうか。しかし、その先には必ずエネルギー自体を弁別する能力が備わっていくに違いありません。それが物理的なものであるのか、エネルギーの波動なのか、よく分からないという段階にもくるでしょう。焦らないことが肝要です。

ボクと同じようにクラニアル系手技を美しいと思う感性を持っている方達、また、クラニアル系手技を実践で使う機会が少ない方達、これらの人達の鍛錬と訓練の場としてクラニアルフリークの会(略称CFサークル)を立ち上げ、理論と感性、そして実技を深めていきたいと思っております。・・・・・了

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