代償反応
ある研究者があらゆる病気は身体の防衛反応から来ているものであって、それはガンですら当てはまる、と述べていたことを思いだします。
微視的には理解しがたい論ですが、巨視的には案外そうなのかもしれません。
例えば、無痛症という病気があります。うまれつき痛覚がないという極端に稀な病気なのですが、痛みに苦しんでいる人から見ると、羨ましく感じる症状です。
本当に羨ましいかといえば、決してそんなことはなく、怪我をしても病気をしても全く痛みを感じないのですから、当然、処置が遅れ、短命に終わってしまいます。
そのような子供を持った親御さんは子供から目を離すことができず、ある意味悲劇的でさえあります。
痛みは異変のシグナルなのですから、異変そのものが分からないというのは寿命を短くさせる最大の要因であることは当然のことです。
骨折すれば痛いに決まっています。どこかに炎症が起きればこれもまた痛い。
この場合、痛いということ自体、病気ではなく、現象として現れる兆候だということは理解できるはずです。
さらに一歩進んで考えると、病名がついた病気であったとしても、それ自体が病気ではなく、ある種の兆候として捉えるという理論になっていくわけです。そして、目に見える形の病気は対応的代償作用の産物だということになります。
対応的代償作用によって病気が引き起こされるという理論は、行き過ぎた代償、若しくは防衛反応によって現症状が出ているということですから、その陰には、そうせざるを得なかった隠れた異変があるに違いありません。
身体自体が選択した結果としての病があるのであって、病因論としては異端中の異端ではありますが、全部ではないにしろ、当てはまるような気がします。
立証しろと言われると出来ませんが、リウマチの人はガンになりづらいと言われており、統計的にも真実らしい。
若しかしたら、その人の身体はガンではなくリウマチを選んだのかもしれません。またガンの方はそれ以上の何かを選択するのが嫌でガンを選んだのかもしれません。
形而上的な問題も含んできますので、中々同意を得られない理論ではあるでしょう。
しかし、人体の不思議な代償作用というのは現実としてあります。
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