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椎間関節の潤滑2

ボクは自分の手技が一番だとか、他よりも優れている、とか言うのは好みません。
根底に「証」という概念があるからです。
足の療法には恐ろしいまでの可能性があるのも事実ですが、全てそれで解決できるものとは考えていません。証が合えば、超絶的な効果があることもあるし、証が合わねば、さほど効果がない場合もあります。まあ、当然です。

考えてみれば、クラニアル(頭蓋)療法を取り入れたのは足の施術家だったからに他ならないような気がします。
単なる足揉みではなく、より本質的な足を利用した療法を念頭において施術をしてきたわけですが、東洋的な表現で言えば「気」を動かす施術ということになるのでしょうか。

それなりのレベルになったと思っていたら、新しい問題が発生しました。
まともに気を動かすと、気詰まりの箇所が発生するわけです。そこにモヤモヤ感や、詰まった感じを受けるという具合なのです。
では「気」を動かさない療法、つまり単なる反射療法などに自分をあえてレベルダウンさせられるかというと、これは実際問題難しいことです。多少の瞑眩があっても、やはり、本質的な手技を行いたいわけですね。
そこで、そのモヤモヤ感や詰まり感を指標として、整体でその部分の通りを良くするという方法論に行き着くのは当然の成り行きでした。

しかし、どうしてそうなるのか?根本の問題を考えてみたわけです。
すると、どうしても頭が閉じているという概念に行き当たり、それに回答を与えてくれたのがクラニアル・マニピュレーションだったのです。
瞑眩は出るもののその頻度は格段に下がりました。
手技で瞑眩など出ないという施術家もいますが、経験上、同意できません。
それは本質的なことを行っていないからです。
本質的なことに加えて、さらに本質的なことをやる。
そのことによって、瞑眩率が下がるというのは一石二鳥でもあり、鬼に金棒でもあるわけで、大いに気を良くした次第です。

足の施術で「気」を動かし、「気」の詰まりがあれば整体で取り、さらに頭を開いてあげる。
(東洋的な表現で申し訳ない。全く別の表現方法もあるのですが、面倒なので今回はこの
表現でいきます)
これで一応の完成を見たかな、などと傲慢なことを考えていたら、それでも解決しないヒトも出てくるわけです。(或いは時間がかかる)
さらに探求していくのは施術家として当然のことです。
個人的に成功例などはすぐ忘れるのですが、失敗例は中々忘れられないという損な性格なのです。考えることを止めようとしない変人の部類に入るのかもしれません。
(プライベートのことは何にも考えないバカノンキな男なのですが)

とにかく改善を早くしたい。できればその場で。そしてそれが長期間続くように。
機会があれば考え続け、実践し、文献をあさり、さらにクライアントから啓発を受け、様々な症例を積み上げていきました。
今のところ、行き着いたのは題名のとおり、椎間関節の潤滑という概念です。
脳脊髄液の循環という観点から考えても、背骨の際のリンパ交換は極めて重要なことです。
また、背骨を流れる督脈は各経絡に気を分配する重要な役目を負っています。
つまり、椎間関節の潤滑不全というのは、組織拘束という物理的阻害であるとともに、エネルギーブロックという「気」の問題でもあるわけですね。
表現は様々でしょうが、レントゲンやMRIでも確認できない椎間関節の潤滑不全があって、それが、あるときは神経伝達を、あるときはリンパ流を、またあるときは血流を妨げているという結論に達したのでした。医学的な証拠がない分だけ、そのような結論に至るのには実感が必要なため、物凄く時間がかかっています。

勿論、それだけで全てを解決できるわけではありません。
足、膝、股関節、仙腸関節、これらの調整が不可欠なヒトもいます。
当然、クラニアルはどんなヒトでも必要でしょう。
それらが全て生かされ、臨床上も理論上も納得でき得る手技が椎間関節の潤滑技法なのです。

つづく

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椎間関節の潤滑

仙腸関節の潤滑の重要性については、そのアプローチの違いや思想の違いがあるにせよ、重要視する流派が複数以上あるはずです。
有名なところでは、構造医学、AKA療法などが該当するでしょう。
それぞれに効果があり、それなりにその結果に満足しているクライアントがいるところを見ると、体の異常を除去する優れた方法論なのだと思いますし、それを否定することはできません。証が合えば、劇的な効果さえ生まれ、その方法論に固執する施術者がいることにはある意味共感さえ覚えます。
いずれのアプローチにしても、それなりの難しさがあることは当然のことで、そう簡単には真似ができません。
最も簡便で難しくはないと言われているリフレでさえ、深く追求していくとトンデモナイ難しさがあるのですから。

ボクはその事実を認めながらも仙腸関節の潤滑だけではなく、椎間関節の潤滑によって、様々な愁訴を解決する鍵が隠されていることを発見しました。
このことは秘中の秘として、奥伝に属するものなので、簡易ブログなどで安易に発表するようなものではないかもしれません。しかし、一子相伝、幻の秘術にある種の嫌悪感を覚えるボクとしては、お構いなしで書きます。
現状、秘孔をついて常識では考えられないような威力を求めるきらいがありますが、現実には秘孔など存在しません。あるのはその人特有のツボであり、それがたまたま合致したからといって必ずしも特効的効果を生み出すということではないのです。様々付加価値をつけ、それがあたかも独自のものであると宣伝する様は恥じ去らず業界の悪弊に他なりません。

話を戻しますが、椎間関節の潤滑は腰椎のみならず、胸椎、頚椎と背骨であればどこでも存在します。この潤滑がなされないとき、その影響は靭帯、筋・筋膜に影響を及ぼし、俗な言葉を使えば、コリを感じやすい人は酷いコリに悩まされることになるでしょう。
筋・筋膜を解し、柔らかくすることは勿論、重要かつ当然のことなのですが、椎間関節の潤滑を意識しその部分の処置をすることによって、相当な威力を発揮するのです。

我々が最も難しい処置は何か?不治の病は別として、実は単純なコリ性なのです。
コリくらいはそこらへんのなんちゃってマッサージ屋さんで解してくれるでしょうが、問題はその人をコラない身体にしてあげるということです。コリは未病の代表格ですから、それを実現できれば、東洋医学でいうところの名医であることは間違いありません。
「名医、未病をよく治す」とは東洋医学の絶対的基準といってもいいからです。
名医が少ないという現実から、これを実現できる手技法家は日本にどれくらいいるのか、はなはだ疑問です。
個人情報の問題があり、パスワードロックされた施術百話でしか施術例を出すのは難しくなってきました。たまたま、実例として、自分を題材に書いてもいいという奇特な方がいらっしゃいました。その方、女性なのですが、有名な一流企業に勤めていて、見た感じは若く、30代の半ばにしか見えません(ホントは40歳)。しかし、真面目で律儀な性格と相まってミスのできない職種についているせいでしょうか、身体のコリは半端ではありませんでした。どこのマッサージを受けてもその場しのぎで長くて三日、酷いときは翌日には元の木阿弥だったそうです。ボクの施術を受けて、2週間ほとんどコリを感じずにいて驚かれたようです。今も2週に一度施術していますが、その間、軽い頭痛などの瞑眩反応があったようですが、それもなくなり、コリで悩まされることがなくなっています。
今のは本人の許可がありますので、こうして書いているのですが、その他、マッサージを受けても一週間しか持たないという方が3ヶ月は持つようになったとか、そういう方は枚挙に暇がないほどです。
これもすべて、椎間関節のアプローチを取り入れているせいです。
さすがに生涯を終えるまでコリを感じさせないということは今のところ検証できていませんが、単なる解し、単なる矯正技法などよりも期間だけでいうと10数倍の威力があるのです。
これらは厳密な科学的検証はできませんが、偶然ではありません。椎間関節の不潤滑が身体に相当な悪影響を与えているのです。

椎間関節が潤滑されていない、というのはかなり概念的で、分かりづらいものかと思われれますでしょうが、経絡に代表されるように、整体的には当たり前でも、医学的には未解明ということが往々にしてあるものです。解明されるのを待っていたら、救われるはずの人も救われません。最悪でも害をなさないという方法論で挑戦していかねば、我々の価値がなくなるでしょう。

つづく

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冷え

秋をすっ飛ばして、冬になりました。
この間まで暑い!と言っていたのが、もう寒い!・・ですからね。
食欲の秋も読書の秋も運動の秋も死語になるかもしれませんねぇ。
もう少し経つと、「春、夏、秋、冬」が「春・夏、残夏、冬」という言い方に変わる可能性がないでもないなぁ。
かつて日本には「秋」という季節があって・・なんて教科書に載るかもしれません。
「秋子」さんなんて名前をつけている人はノスタルジックな雰囲気ぷんぷんでモテモテになるかも。男だと秋男かな。

そんなことはどうでもいいのですが、もう冷え性の方にとっては嫌な季節になってきました。そろそろ、クライアントさんの手足が冷たいなんてことも起きてきて、受難の季節ですね。

冷えと一口に言っても様々なタイプがあって、単純に体の熱量が足りない場合、自律神経のコントロールが上手くいっていない場合、一部の臓器の炎症があって、あえて手足を冷やさなければならない場合。その他、重大な病のシグナルの場合など。

我々が相手にするケースはほとんどが前二者ですから、単純に温めてあげればいいのですが、中には全く温まってこない方々もいるので難儀します。

手足は末梢神経反射が起きるところなので、昔の津軽三味線弾きがやったように、温水ではなく、氷水に一瞬つけて、毛細血管の拡張と促すという手もあるのですが、根本的な解決にはなりません。(一時的には温まりますよ、サウナのあと冷水に浸かるとポッポと体が熱くなるのに似た感じですね)

低体温からくる冷えの場合は、その人のライフスタイルなどが大きく影響しますから、普段の生活を見直す必要があります。朝食を摂らないと低体温になりやすいというのは真実ではなかろうか、と思いますです。
自律神経系の問題は=ホルモンバランスの問題でもありますから、これも体質改善であって、即効的な効果を得さしめることはできません。
でも気長に施術を続けていると、「冷えで悩むことがなくなったわ」などという話もよく聞き、対処しやすいものではあります。足の施術は内分泌系によく効くものです。

機械的なメカニズムも関係していて、人工股関節や人工膝関節挿入者が冷えで悩むことも多いことから、ソケイ部=股関節に何らかのブロックがあって血流、リンパ流を阻害している場合もあります。大概は複合的な要因ですね。生殖腺の問題を抱えていて、股関節に問題がない、という人は稀ですから。

ヒトの身体というのはよく出来ていて、外気温に関わらず、一定の体温を維持できるようになっています。そうでなきゃ、蛇みたいに冬は冬眠しなきゃいけない。ある一定の体温がなきゃ活動できないわけですよ。各器官が活動しやすい体温というものがある。
ところが、ヒトの身体はたんぱく質で出来ているわけで、このたんぱく質は42度で変性が始まってしまいます。たんぱく質が変性すれば生きていかれません。即ち死あるのみです。実に狭い範囲でしか体調を維持できないんですね。

内臓の中では肝臓が一番温度の高いところです。普通の人でも40度はあるんじゃないですかね。いつも熱くなって働いている臓器なのです。
普段でもカッカしている臓器ですから、イライラ、怒りなどでカッカすれば、肝臓はさらにカッカしてその熱を逃がさねばなりません。
「怒りは肝を傷る」とは東洋医学の格言ですが、肝火上衝という病態は中々洞察力があるのではないかと一人で感心しておりました。

肝の熱は上へいきますので、当然、手足が冷たくなります。
肝硬変などの病気で手足が異常に冷えるということはよくあることだそうな。
そこで、肝臓辺りを冷やしてあげると、ピタリと手足の冷えが治まったという記述を読んだとき、「う~ん、さもありなん!」と大いに感心したのでした。

このケースは医者にかからねばならない程の「病気」なのですが、病気までいかなくとも、未病レベルで肝が傷められ、そこにイライラが募って、手足が冷えているという場合もあるのではないか、と秘かに思っております。
さすがに、その見分けは未だつかないので肝臓周辺を冷やしながら施術をしたことはありませんが。

いずれにせよ、様々な原因がある。「冷え」という単純そうな症状でも一筋縄ではいかないことが多いわけです。

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施術者の探究心

血液やリンパ液の流れを良くするというのは、当然のことであって、あらためて強調するようなことではないと思います。
大事なことは“何が”血流やリンパ流をブロックしているのか?という探求でしょう。
そこに至るプロセスというものが必ずあるはずです。

例えば耳のリンパ流の阻害は直腸反射によって解決されるとか。逆に言えば、直腸反射の阻害が原因の一つとも言えるわけ。

そうすると、直腸反射を正常するには、どうすれば良いのか?という方法論にいきついていきます。
先人達の探求によって、仙尾骨の制限的拘束が原因だと分かるとします。それを操作することによって、解決したとするならば、それを結果論として考えると「リンパ療法」と言うことができますし、方法論から言うならば「仙骨療法」と呼ぶこともできます。
反射という側面にスポットを当てると「反射療法」とも呼べるわけです。

このようにどの側面を強調するかによって呼称が違ってきます。
極端な話、全く同じ操作を加えても、療法の呼称が全く違うこともあるわけで、単に受け取る側のイメージにしか過ぎないことも起こりうるわけですね。

自分が何をやっているのか?という施術者の認識は重要です。その操作の結果として何が起こりえるのか?という予測のもとに施術しませんと、施術自体が単なる作業となってしまい、いずれ飽きてきます。

ところが、治癒機序は一つではありません。未だ未解明な部分も含めて、様々な機序が働いて自己治癒力を促していくわけですから、施術者が全く予測していないメカニズムが働くことだって考えるられるのです。

施術の面白さというのは、実はそこにあるような気がします。良き施術者はすべからく、このような探究心があるのではないでしょうか。
ある程度のレベルまでいくと教えられるものではなくて、様々な機会を利用して啓発されるものなのです。それは文献であっても、クライアントからであっても、勉強会であってもどんな形でも良いのです。
自分のやっていることを違う側面から理解できたり、或いは、そういう考え方もあるのか!とインスピレーションを受け、技法を変化させたり、と様々な機会を捉え、糧としなければなりません。

怖いのは原理主義に陥ることです。ある考え以外受け付けないというのが原理主義なのですが、こうなると全く進歩がなくなります。
フルフォード博士が90歳を超えて尚、亡くなる3日前まで、より本質的な手技について考え続けたというエピソードは我々を鼓舞してくれる好例でしょう。

そういう意味では全ての施術者は未熟とも言えるわけで、到達した者などいません。
ただ単に限界を甘んじて受け入れているか、甚だしい勘違いをしているか、どっちかということになるのですが、いずれにしても探究心なき者はせっかく施術という汲めども尽きぬ奥深い世界に足を踏み入れながら、その本当の醍醐味を知らずに過ごしていることになります。

考え続け実践し、実践し続け考える。
上級者であっても初級者であっても、このような態度で臨まねば、単に施術が上手いかどうかでしかなく、それは街の揉み屋で人気は出ても本当の意味での施術者になることはないでしょう。

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リラックス

随分前のことですが、ある30代の女性の方の施術をしたことがあります。
第一回目の施術を終え、まあ、それなりに良い施術が出来たと満足しておりました。
二回目の施術。この女性の方、絶賛の嵐。
「今まで色んな施術を受けてきましたが、これほど身体が楽になった記憶がありません。翌日は絶好調でしたし、それがかなり長い間続いていました。先生!凄いです!ゴットハンド!ゴールドフィンガー!魔法の手!間男!」(間男はウソです)
施術家として悪い気はしませんね。話半分に聞いても相当な満足感があったわけです。

さて三回目。この方、かなりハッキリものを言うタイプなので、どうでしたか?と問いました。
すると「一回目の施術で感じた解放感がありませんでした。なんか普通の感じです。身体が楽になった感じもしませんでした」

さて、何故でしょう?
二回目の施術と一回目の施術が違った?
つまり手を抜いた?
ノー、ノー!です。施術自体は全く違いがありません。
じゃ何?

実は一つ違いがあったんです。
一回目の施術はこの方、とてもリラックスしていてほとんど何も喋らず、されるがままに受療されていたのが、二回目の施術は慣れがあったのとボクに伝えたかったのでしょう、一回目の施術が如何に良かったかを。そこから、ドンドン発展してほとんど世間話みたいになってしまいました。終わってみれば、施術の間中、喋っておりました。
(まずいなぁ)とは思いながらも、「ちょっと黙ってて!」と言うわけにもいかず、内心、困っていたのですよ。

全く同じようなケースが過去三度ほどありましてね、心配はしていたのです。
まあ、施術中に色んなことを喋って、それでストレスを解消するタイプの人もいますので一概にそれがダメだとも言えないのですが、施術自体の効果はかなり減衰してしまいます。
よく「寝てしまうと効果が半減する」と言われておりますが、クライアントが喋りながらの施術は半減どころではありません。おそらく五分の一くらいになってしまうでしょう。
(寝てしまうと効果が半減するという説には同意できません。施術のあり方の問題です)

健康時には分かりませんが、喋るというのは結構エネルギーを消費します。そもそも言語中枢が働かねばならないので脳が休まりません。脳はエネルギー消費ナンバーワンの器官です。声帯も使いますし、呼吸筋も使います。
だから、ホントの病人は弱弱しい声でしか話せないのです。
声を聞けばその人の元気度が分かるというくらいですからね。

エネルギーをインプットする毎に消費してしまえば、ザルに水を溜めようとするみたいなもんですよ。(参ったなぁ)です。気の弱いボクとしては中々途中で遮ることができないので、プレカウンセリングのときに言うようにしています。
それで大概は黙って施術を受けてくれるのですが、中にはこういう方もいて、困るわけです。

この問題は実に難しい問題を孕んでおります。
施術家としてはその人のことを知りたい、という欲求があるわけ。
知れば知るほど、適切な処置が出来るという側面もあるのでね。
しかし、施術自体の効果を犠牲にしなければなりません。
別枠でカウンセリングの時間を長く取るというのは、時間が押してしまい、事実上不可能かと思われます。
さて、どっちを取るか?
ボクは施術効果のほうを取るタイプです。
っていうか、施術自体に集中力が要求されますので、相槌を打つだけで集中力が乱されてしまい疲れてしまうわけ。

そんなに集中して疲れない?とよく言われますが、全く逆。
集中力の極限に達したとき、多分、脳波計があればα波が出ているのが検出されるはずです。
ある種の瞑想状態に近い感じなります。すると自身の身体が軽くなり、至福感にさえ包まれます。自分がリラックスせずしてクライアントがリラックスできるはずもないので、こういう感じの施術を全編通じてやりたいのですが、修行が未だ足りません。途中で途切れてしまい、罪悪感を感じること度々ですから、ましてや、相槌を打ったり、相手の話に乗ったりすると、全くリラックスできないわけですよ。
施術効果の減衰だけではなく、自身の健康にも悪い。

結局、施術というのは相手と一体となるほど集中して、その結果、完全なリラックス感が自身に再現されることを言うのだと思います。
これ以上のことは自分には出来ない、と自信を持って言えるレベルまでいくことが目標にはなるのですが、いかなる場合もその状態にスンナリと入っていける、となると、まあ、いつのことになるやら。寿命が300歳くらいまであるなら、250歳くらいで到達するのかもしれません。

ですので、なるべく集中しやすい環境を作るというのも一つの方法なのですが、あまり恵まれた環境にありますと、ちょっとした物音でも集中できない体質になってしまうので、難しいところではあります。

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詰まった身体

スタッフのKさんは下半身系(リフレ、フットマニ)の施術を受けると、上半身が詰まったような感じがして、余計にコリを感じると言います。

上半身系の施術(ネック&クラニアル)を受けると、今度は下半身が重だるく、違和感を感じてしまうのです。

実はボクもそうなんですが、翌日か翌々日には解消されていて、身体が軽くなるのでまだ程度としては良いほうでしょう。

こういう方は結構いらっしゃいまして、全身的なアプローチが必要たる所以なのです。
しかし、漫然と全身をやるだけでは、肝心なポイントまで通り一遍の施術で終わってしまいメリハリがありません。
全身的なアプローチをする中でもやはりその人固有のポイントを掴まねば良い施術はできないわけです。
本人の自覚できない部分を見つけ出すのが施術家の使命とは言え、ある部分に強い自覚症状がある場合はそれがその人のポイントの一つであることは間違いありません。
問題はどの程度の時間を割き、どのような技法で対応するか、ということなのですが、これが経験知に属するもので、そうは簡単に手応えを得ることはできないでしょう。

(むぅ~、詰まってんなぁ、ここと、あそこと、そして・・うん、そこもだ。よし、重点が決まったぞ)てな具合で、手応えのある施術が出来たとき、とても嬉しいものなのですが、自分の手応えとクライアントの反応が一致しない場合もたまにあります。
こういう場合は一気に疲れてしまうのですが、時間が経ってから反応が起き始めることもありますから、様子を見ることにします。むしろ、すぐに反応がないほうがいいかもしれません。持続的な改善が続いているという証拠なのですから。
とはいうものの術後の楽チン感があったほうが良いですね。カウンセリングがやりやすいですもの。

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首と歯

たまたま二枚枕で寝てしまい、たまたま連チャン施術が続き、たまたま長文の文章を打つ機会があって、それぞれがいっときに重なると歯が浮きます。

歯が浮くようなお世辞を誰も言ってはくれないので、間違いありません、首のコリからくるものです。

3番・4番くらいかなぁ。その周辺が酷くコッた感じがしましてね。
苦しくてしょうがない。

ここの施術、ボク得意なんですよね。
横向きで筋筋膜のみならず靭帯のみならず経絡のみならず椎間関節の潤滑を円滑にするのですよ。単純な押圧でもマッサージでもない独特な方法なんですけど、なにせ自分の身体にはできないものですから癪に障る(しゃくにさわると読みます)。
仕方ないです。そういうときはジッと我慢の子を続けます。

頭蓋縫合部と上歯の関係は当然のこととして、実は頚椎と歯の関係は男女関係みたいなものでして、深い関係があるのです。
なんて意味深なことを言っていますが、鼻だって、耳だって、目だって関係するのは施術家なら周知の事実であって、首のコリは結局、全部に影響を与えるのでした。
神経解剖学的には理解されませんけどね。
循環系での理解なら容易でしょう。コリは血流、リンパ流を妨げますもの。
でもでも、血流、リンパ流だけで説明するのは無理があります。
そこで経絡という説明にもなるのですが、経絡万能主義はさすがに賛成しかねます。勿論、経絡機序が働いていることは認めますが。

コリという言葉を最初に使ったのは夏目漱石だとか。
コルというと、まあイメージ的には筋肉のことのような気がしますが、筋肉系はそもそもコラないという学説もあるくらいですから、筋肉(筋膜も含め)はコリの正体ではないような気がします。
筋肉系はコラないという学説は腱がコルのだという結論になっているのですが、経験上、腱のコリもまたコリの本体ではないような気がします。
靭帯もコリの本体ではありません。
触って明らかに柔らかく、コッてないような人でも酷いコリ感を訴える人がいるくらいですから、これらはコリの本性でも本態でもあり得ないのです。
しかし、明らかにコッている人もいます。
そこで考えられるのは、内臓を悪くしたとき、体壁反射を起こして背中の筋肉が硬くなるのと同じで、何かの投影としてのコリがあるのではないかと。
その何かとは・・?
ボクは椎間関節の滑動不全だと思うのですが、如何でしょう?
亜脱臼とも、サブラクレーションとも違うのですね。
あえていえば関節の組織拘束か、微細な動きの制限かな。
これらにアプローチすることによって、コリは抜けていくのですが、すでに筋腱群、靭帯群にコリが投影されている場合はこれらにもアプローチしませんとクライアントは納得しませんね。
関節の滑動不全と筋群へのアプローチが同時に行われる施術が重要な方法論かと思います。
実はこれ、簡単そうで難しいものです。状態によって微妙な加減が必要ですし、動き自体が微妙です。マッサージ師とも指圧師とも違う手の動きが要求されることは勿論のこと、診る観点が違いますし、施術家の施術イメージが違ってきます。
(施術イメージがいかほど重要かはベテラン施術者なら理解して頂けるものと思います)

まあ何でもいいや、とにかくこの分野は得意な分野なんです。
それが自分の身体に応用できない。
外科医が自分の身体を手術できないのと一緒です(ブラックジャックはやりましたけど)。

今、これを書いている時点で、浮き歯も収まり、コリも沈静化しているような感じ。
首の重苦しさも消えています。
そういえば、昨日、フット・マニュピレーションの施術を試験官として受けたっけ。
下半身の操作で上半身を楽にするにはある程度のスパンが必要ですからね。

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低反発枕・・・その後

実に不思議です。
(さて本格的に寝るか)と低反発枕を単独で頭の下にし、寝たつもりです。
ところが起きてみると何故かパイプ枕に変わっているのです。

さては無意識に枕を変えたか・・・と2回目に挑戦。
結果は同じ。やはりパイプ枕に変わっておりました。

我が部屋にはキャスパーがいるに違いありません。
時々、冷蔵庫のケーキがなくなってるし。
アイスココアも知らないうちに減ってるし。

というわけで低反発実験は中止します。
キャスパーが高反発するんじゃ仕方がない。

しかし気になりますねぇ。
ホントに低反発枕は日本人に合わないのでしょうか?
どなたか覚えがある方いませんかね。

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低反発枕と首

ある人が首の異常を感じ、レントゲンを撮ってもらいに病院に行ったそうな。
すると、5番・6番頚椎あたりに黒い影が写り、専門医への受診を薦められたとのこと。

結局、大きな病変はなく、老化によるものでしょう、という診断。
大事に至らなくてよかったね、というところなのですが、その診断した専門医が気になることを言ったそうです(ボク的には)。

「枕は何を使っていますか?えっ?低反発枕?あ~、ダメダメ、低反発枕は日本人には合わないのです。すぐに使用をやめなさい」と。

そんなこと初めて聞きました。
低反発枕は一世を風靡したヒット商品です。ボクも使用枕の一つは低反発ですし。
何故「日本人」には合わないのか?
じゃ、何人なら合うのか?
構造的にどのような理由で合わないのか?
事情が許せば詳しく聞きたいところです。

具体的な「低反発枕」という商品名が出てきますので、公に言うと、営業妨害の恐れがあります。故に一般的には知られていない事実なのかもしれませんし、医師の中には時々、独善的に決めつけるタイプの人もいますので、普遍性のない意見なのかもしれません。
しかし、頚椎の専門医が述べるということは、傾聴に値します。

ボクが二つの枕を使っているということはすでに述べたとおりです。
仰向け時には一つなのですが、このときはパイプ枕を使用していて、低反発枕のみで寝るということがありません。
これは実験してみる価値がありそうです。
今度から、仰向け時の一つ枕は低反発にしてみようと思います。

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頭と枕

先日、テレビで枕の特集をやっていたようです。
残念ながら見ることが出来ませんでした。興味がありましたのに・・残念!

枕はとても難しいですね。特にコリを感じやすい人や神経質な方は枕が変わっただけで、眠れなくなったり、朝起きたとき、酷いコリを感じたりして。

なぜ難しいかというと、枕そのもの高さが、仰向け時と横向け時では必要とされるそれが違うということではないでしょうか。
少なくともボクはそうです。
仰向けで丁度良いと思っても横向きになったとき低すぎたり、逆に横向き時が丁度良くても仰向け時には高すぎたりと。
自動的に感知して高低を調節してくれるものはないものか、と思うのですが、さすがにそんなものはないようです。

仕方がないのでボクは二つの枕を用意して寝ます。
横向き時は枕を二つ重ね、仰向け時は一個しか使わない。
上手くいくこともあるのですが、時々、二つ重ねたまま仰向けで寝ているときがあって、そんな朝は首がつらい。

クライアントさんの話を聞いても、どうも枕の問題は深刻なようです。ボクのようにどのような枕を使っても、そもそも寝る体勢によって必要とされる枕が違うなんてこともあるわけで、高額な枕を買っても結局、合わない、ということになります。

ボクの友人で枕がいらないという男がいました。
ノーマクラ!ですよ。ノーマクラ!
彼によると枕があると眠れないのだそうです。信じられないのですが、ヒトの体質とはかほど違うものか、と思い至った最初の例でした(高校時代です)。
しかし、枕がいらない人間というのは一番便利な存在ですね。
枕を選ぶ必要がないんですから。どこへ行っても、どこで寝ようとも枕をしなければ、普段寝ている状態を再現できるのですもの。
寝不足に悩むこともなく、コリとも無縁で生きられるなんて、なんと幸せな男なんでしょう。
普通は「枕を高くして寝ることができるわい」という言葉があるようにある程度の枕の高さが熟睡の条件なのですが、この原理が適用されないヒトもいるということは驚きです。

それから幾星霜。
同じような方がいました。仰向け施術のとき、枕を外して下さい、と言われたことがあって、ボクは驚いてしまったのですが、即座に高校時代の友人のことを思い出しました。
クライアントさんは「私の後頭部は絶壁なんです」と言って理由付けをしていましたが、そういえば、友人も絶壁だったような気がします。

クラニアル施術を長くやっていると、ヒトの頭の形というのはこれほど違うものか、と思うこと度々です。頚椎の湾曲だけではなく、頭の形によって必要とされる枕の違いが出てくるのかもしれません。硬さや高さ、形状などなど。
ほとんど全部のヒトで頭の形が違うので、全ての枕はオーダーメードでなければならないのではないのかなぁ、と。
頭骨は人種によってもかなり違いますから、欧米スタイルを真似たホテルの枕が合わないという人が日本人に多いのも頷けます。

仮に頭骨の形状を三次元的に計測し、かつ頚椎の湾曲から、その人に合った枕を作ったとしても、ボクのように、横向き時と仰向け時で違う枕を必要とするヒトもいるわけで、実に困った問題です。

後靭帯骨化症-別名、日本病と呼ばれている病気です。
その名のとおり、頸部の後靭帯が硬化(カルシウム化)し、まるで骨のようになっていく病気です。別名、日本病と呼ばれているくらいですから、日本人に極端に多く、日本以外で発症した例というのはほんのわずかしかありません。
実に不思議に思っていたものです。遺伝子的に発症しやすいものを持っているのかなぁ、とか。
確かにそれもあるのでしょうが、やはり日本人の睡眠習慣、睡眠環境、即ち枕の問題があるのではないかと、最近思うようになってきました。
日本人の頭骨は鎌倉時代を境にかなり変わってきたと言われております。長頭型から短頭型への変化なのですが、頭骨の変化があるにも関わらず、歴史的に高い枕を使用してきたということから、靭帯の柔軟性が失われたのかなぁ、と。
エビデンスなしの私見でしかありませんが、いずれにせよ、人生の三分の一の期間、付き合っていかねばならない枕です。
この影響は計り知れないものがあるでしょう。

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緑内障とイップス病

昔、タレントの大橋巨泉氏がゴルフに関するコラムを週刊誌に書いておりました。何気なく読んでいたら、イップス病という言葉が出てきたのです。ボクはゴルフをしないので、なんのことやらと読み続けると、どうもパターが突然入らなくなる病みたいです。
そんな病気があるのか?訝しがっていると、神経系の混乱がおきて多分に心理的な要因があるとのこと。治療法はないのだそうです。
一流のプロゴルファーでも突然かかることがあって、引退に追い込まれた例も多々あるらしい。
中島常幸氏も一時、この病にかかり半引退状態に陥ったらしいのですが、今は長尺パターに代え、活躍していることはご承知の通りかと思います。

そういうコラムを読んだお陰でイップス病という言葉、もしくは概念を知ったわけですが、自身、ゴルフはしませんので記憶の彼方に仕舞われ、思い出すこともありませんでした。まあ、命に関わるような病気でもありませんし、プロゴルファーでもないかぎり、生活に支障が出るわけでもありません。一種の贅沢病であって、庶民には関係ない話だな、と。

ところが最近、大橋巨泉氏のその後の経過を知る機会がありました。産経新聞で彼自身が「緑内障」という題名で述べおりました。
仕事まで減らしてゴルフに専念できる環境を作ったのになんだってこんなパターが入らなくなる病気に罹ったんだ?と憤っていたのらしいのですが、一向に改善される様子はなく、落ち込んでいたらしい。
ある日、ある人から、片目で見てご覧と言われ、左右の目で確かめてみると、右目は正常なのだそうですが、左目で見るとカップへいくラインが歪んで見えることを発見したというものです。何度見ても歪んで見えるので、これはおかしい、ということになって、精密検査をしたら、左目の網膜が剥離しかかって「緑内障」という診断が下ってしまったというのです。
そう、彼の場合はイップス病ではなく緑内障からパターが入らなくなっていたのでした。
彼の言によると、ゴルフをやっていたお陰で緑内障が発見され、失明に至らなく済んだ、と。(実兄は緑内障で失明したそうです)
ゴルフをやっていたお陰でイップス病と勘違いし発見が遅れたという論も成り立ちそうですが、まあ、かたいこと言わないでその通りだとしておきましょう。

ともあれ、ゴルフという競技を見る限り、ドライバーショットに代表されるように一定方向に身体が捻られますし、パターに代表されるように動きを止め、多大な集中力も要求されます。
従いまして、運動量の少なさのわりには、身体の不調がプレイに影響が出やすいのではないかと思います。つまり、異変のシグナルを感知しやすいスポーツだなと。
アドレナリン全開のスポーツですと、多少の異変など感じなくさせてしまいますもの。

ゴルフをしない我々は日常的なイップスに気をつける必要があるのかもしれません。
今まで出来たことができなくなったり、言葉で言い表せないような違和感を感じたりしたとき、検査も含め何らかの処置をすることは重要なことなのかもしれません。
大半は単なる加齢によるものであったとしても、何百分の一の確率でホントの病変があるのかも、です。神経質になりすぎて毎日不安に怯えているようでは本末転倒になってしまいますが。そこらへんがバランスの難しいところではあります。

※ちなみに40歳以上の方、20人に一人は緑内障に罹っているのだそうです。そして、8割~9割は治療をしていないと。ボクサーのような打撲が原因ではなく、目の酷使が主因であるそうな。だとすると、この先、増えることはあっても減ることはないでしょう。携帯でのメール、パソコン操作、コンタクトレンズの普及、目に対する環境は悪くなる一方です。かくいうボクもパソコン画面の見過ぎ。マズイ、還暦の頃にはリッパな緑内障になっていそうな勢いです。目の支配経絡は胆経か。古典経絡では大腸経「曲池」。自分で押せるので予防に押しておくかぁ。(自分で押しても気持ちよくないんだけど)

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訂正

リフレクソロジーのプロコースの授業の中で、ヒトには再生されない細胞があって、その代表格は脳細胞(神経)と心筋細胞だとお話しました。

昨日、NHKの番組を見ていたら、この常識を覆す内容が放映されておりましたので、謹んでここに訂正をしたいと思います。

この番組の中で医者自身が「今までの常識が覆されていく」と発言しております。現場の医師でさえそうなのですから、ボクの知識が若干古いものであったというのは仕方がないことなのかもしれません(言い訳)

しかし、驚きました。幹細胞が、様々な細胞に変化し、再生医療の切り札になるかも知れないと報道されたのは随分前のことでした。しかし、色んな問題があって実用化にはまだまだ時間がかかると思っていたわけです。
この度の内容は患者自身の骨髄細胞が使われており、倫理的には問題ないものです。また、骨髄移植が一般化しておりますので副作用の問題もほぼクリアーされているものでした。したがって、臨床試験は驚くほど早く許可がおり、日本でもすでに実施されていたというのはボクの勉強不足以外の何物でもありません。いや失礼しました。

脳梗塞によって、脳細胞の一部が死滅し、脳自体の再生はできないという従来の見解から、リハビリ等で新しい回路を作っていくほかないという、そういう見解を持っていたのでした。しかし、番組によると、骨髄細胞を培養し患者の身体に戻したところ、なんと!!死滅したはずの脳細胞の周りに新しい血管が作られ、かつ、脳細胞が正常化していくということが立証され、臨床的にも改善されていくという現実を知ったわけです。
現在、まだ臨床試験中で、一般的な治療にはなっておりませんが、ボクの予感では普通の脳梗塞治療としてスタンダードなものになっていくのではないかと思います。
大変かつ驚くべき進歩です。腰が抜けるほど驚いてしまいました。

心臓もまたドイツの例ではありましたが、放映されておりました。
これも脳梗塞の例と同じくらい驚きです。
ある条件がつきますが、心筋梗塞や脳梗塞の患者さんには本当に朗報となるでしょう。
いままで社会復帰が困難な例でも復帰する可能性が出てきました。

一刻も早く臨床試験をクリアーし、一般的な治療になることを願って止みません。
民放報道はヤラセの問題でその信用は地に落ちた感がありますが、クサってもNHKです。
少なくとも、報道自体にヤラセはないでしょう。

ヒトの持つ再生力には驚きです。
まだまだ眠っている再生力を顕現させる方法があるに違いありません。
そして、それは手技という方法論についても言えるのではないでしょうか。

太古のエジプトでは手足ががなくなった兵士のそれをクリスタルの力で再生したという伝説があります。また使いものにならなくなった内臓さえも再生したとも。
多分に誇張された伝説だと思っておりましたが、なにやら現実味を帯びてきました。
常識が覆される方法論がこれからも発見されていくことを心から願うものです。

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嫌いなもの

国語嫌い
子供のころから国語が嫌いで良い点数を取った記憶がありません。
今でも漢字は書けないし、書き順が違う、と指摘されること度々です。
ところが何故か本が好きだったので、読むことは出来ました。
読むことも、その意味も分かるのでワープロが普及し、お手ごろ価格になったときは喜んだものです。なにせ勝手に変換してくれるわけですから。
辞書を引き引き悪筆で原稿を書く必要がなくなったのは人生最大の僥倖でさえありましたね(おおげさかな)。
とにかく作文が嫌いで嫌いで、人参と牛蒡と作文がボクの三大急所の一つだったのです。
ですから、その日、給食のおかずがキンピラゴボウで、作文の授業があったりすると、アルマゲドン的気分です。(もうだめだぁ!この世の終わりだぁ!)と思いながら引きずるようにして学校へ行ったものでした。

今もキンピラゴボウがダメなのは変わりませんが、休日の大切な時間にこうして作文しているのだから不思議な気分です。
これもワープロソフトのお陰なのですが、このことから考えるとボクは作文が嫌いだったわけではなくて、書くという作業が嫌いだったんでしょうね。
書くというストレスがなくなった途端、文章をなんのストレスもなく作ることが出来るというのは大いなる発見でした。

音楽嫌い
これも苦い思い出があります。
音楽の時間、先生がピアノ(オルガンだったかな)である音を出しました。
そして生徒に指示するのです。「はい、この音を出して!」
生徒はその音を聞き、あ~♪とか、う~♪とか、声に出して再現する授業でした。
実はその当時、ボクの世界観の中では音程という概念は全くなかったのです。
皆、それぞれ音を出しているようです。しかも、先生が納得しているところを見ると間違っている様子はないのでした。

遂にボクの番になりました。
ある音を出され、ボクはままよ!とばかりに思い切り声をあげました。
すると、まるきり音程が外れていたらしく、皆、大爆笑です。
音が外れているということさえ分からないボクでしたが、大爆笑しているわけですから、大変なドジをこいたことは分かります。ミルミル顔が赤くなり、全くもって消え入りたい気分です。そしてなによりこたえたのは、先生が怒るわけでもなく、気の毒そうな目でボクを見ているその視線でした。
その瞬間にボクは真性音痴、絶対的救いようのない音痴の烙印を押されたのでした。
それ以来、ボクは歌が歌えない人なんだと思い込み、カラオケが流行り始めのときも、全くの素通りです。
ところがある日、なんとなく興が向き、歌ったところ、歌えるではないですか。
あれ?なんで歌えるのだろう?どうして?何故?
驚いたのなんのって。
音が外れているかどうかも分かるようになっていました。外れるとちゃんと修正する自分がいますし、他人が外して歌っていると、指摘したくなる気分になるのです。
不思議です。ボクは歌が上手い人と下手な人の区別が出来なかったのですよ。
どんなに上手いプロの歌手が歌おうと、音痴なオッサンが歌おうとさほどの違いを感じなかったボクなんです。(そういう意味では真性音痴の極致だったかもしれませんねぇ)
いつの頃からか、脳に音程回路(そんなもんあるかどうか分かりませんが)が出来上がったに違いありません。
ワープロといい、カラオケといい、現代テクノロジーのお陰で苦手だと思っていたものが普通に出来るんだということが分かった次第です。恩恵を受けている一人ではありますね。

案外、そういうことってあるんじゃないですかね。
自分では不得手だと思っていたのものが、実は結構、人より上手く出来るなんてことが。
意外な才能が眠っているのかも知れませんよ。

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愛と寛容

愛と寛容を説く宗教は多いのですが、特に教団的な色もなく、愛と寛容を生活の旨とする考え方があります。
この考え方は両刃の剣でとても危険です。
心の底から愛が満ち溢れ、ヒトを許す気持ちになれればなんと豊かな人生を送ることができることか。それについてはなんの異存もありません。

しかし、人間にはどうしようもなくついて回る負の感情もあって、そこから逃れることはできません。もしそういう感情に捉われ、それを発散できなければ、どうなるでしょう。自分の信条とは別の感情ですから、それを抑圧し、(ダメだ!こんな感情を持っては!愛を持たねば愛を持たねば)と言い聞かせるに違いありません。
しかし、それはそのまま感情の抑圧になるのです。
古来より聖人が少ない確率でしか生まれないのは、本当の気持ちでそう思うことができないという人間の本来的性によるものなのです。理想に一歩でも近づこうとする努力は認めますが、身体的にはマイナスに働きます。或いは極端な二重人格を形成してしまうかもしれません。

かのアンドルー・ワイルも同じことを言っていて、愛と寛容の心持が病気を治すという意見に異を唱えています。
ある男が不治の病に罹り、絶望に打ちひしがれました。
その絶望のあと、その男はどうしようもなく強い怒りを感じたのです。
それは自分に対する怒りでもあったのかもしれませんし、そうさせた何かに怒りを覚えたのかもしれません。いずれにせよ、その男は怒りを爆発させました。凄い勢いで怒ったのです。そして、その怒りを解放させ、落ち着いたときから快方に向かい、病気は完治してしまいました。著作に載っている例です。

負の感情も抑圧してはいけないのです。
しかし、怒りは回りに迷惑をかけてしまいます。悲哀を感じて泣くというのも人前ではできません。当然ヒトに迷惑がかからないような環境での感情開放が前提になるのですが、とにかく抑圧してはいけません。

社会正義を追求するとき、不正に対する強い怒りが原動力になります。
悲しみは他人に対する深い共感を覚える手段にもなります。
このように負の感情でさえ、ヒトを成長させる原動力足りえるわけですから、その感情を恥じる必要もないわけで、むしろ抑圧こそがヒトの成長不全を促し、かつ病気にさせてしまう原因なのです。

ただし、何度もいいますが、ヒトを不快にさせる環境での爆発は帰ってマイナスにはなるでしょう。
故橋本龍太郎元首相は「瞬間湯沸かし器」との異名を奉られたくらい怒りっぽい人であったそうな。官僚ともタイマンで議論できるほど有能な政治家だったそうですが、仲間内からは極端に嫌われていました。不遇の晩年を送ったのはご承知のとおりです。
管直人氏は政界随一の論客と言われていますが、通称「イラ管」(いつもイライラして怒っている)と呼ばれ、実力の割には人気が出ません。
このように感情のコントロールは人間関係がある以上、不可欠なものですが、コントロールと抑圧は別物なのです。

無理やり抑圧している人には2つのタイプがあります。
一つは人間的な輝きを失い能面のような顔つきになるタイプ。
一つは愛と寛容を口にしながら、とめどもなく愚痴をいうタイプ。
どちらにせよ、感受性が鈍いものです。

ある介護士はストレスがキツクなってコントロールが出来なくなりそうになると、リネン室に用意してあるパンチングボールを思い切りひっぱ叩いて、何事もなかったように笑顔で仕事をするのだそうです。
こちらのほうが余程健全でしょう。要介護者を引っ叩いてしまったら、大変な問題です。

優しくしなければならない、愛を持たねばならない・・・
~ねばならない、かくあるべき、という理想論は一種の呪縛ともなりうるのです。
だから両刃の剣となって、あるときは自分を傷つけてしまう。
真面目な人に多いのですが、真面目がいいとは限らないわけです。
いい加減は良い加減でもあるわけで、本来、中庸の精神のことを言ったものでしょう。
いい加減ではなく良い加減を会得するにはこれもまた修行が要りそうです。
しかし、~ねばならない、という呪縛に陥るよりは建設的ではあります。

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人間は考える腸である-3

「男は頭で考え、女は子宮でものを考える」
昔から言われてきた言葉ですが、ちょっと性差別的な言葉で、今、こんなことをいうとハラスメントで訴えられかねません。
しかし、感性的、情緒的な判断が優先する思考形態を持っていることは確かでしょう。
そもそも、母性という男にはない無償の愛を顕現しやすい感情が備わっています。

ある卒業生がクライアントの症状を貰って、自分の身体に再現されてしまう、と悩んでいました。実はこのような悩みは多いものです。
しかも、圧倒的に女性が多い。
これを共感現象というのですが、この現象の背後にあるのは原始感覚、つまり内臓感覚なのです。
まさにガット・フィーリングでもあり、子宮感覚でもあります。

ヒトは本当に疲れきったとき、または限界状況に陥ったとき、父性的な厳しい愛よりも、母性的な無条件な愛に包まれたいと思うものです。そのときはいかなる理屈も受け入れられない状態になっていますから、理屈を超えた癒しを欲するのは当然です。
戦争をしていた時代、徴兵された若者が最後「天皇陛下万歳!」ではなく、「お母さん!」と叫んで壮絶な戦死を遂げた者が多かったというのは有名な逸話です。
(職業軍人は別として)

世に母親との関係がうまくいかないという人も多いのですが、それだけでその人の人生には癒しが不足し、身体に変調を来たすか、精神的にやや偏りが生じてしまいます。
一種の女神信仰はその代償的な産物なのかもしれません。

話を戻しますが、共感現象が極端に現れる体質の持ち主の場合、どのように対処するか?
それぞれ工夫をされているようですが、ボクはそのまま受け入れるより他ないと思うのです。もともと癒しとは同苦するということでもあり、分かち合う、ということでもあります。そこには理屈や技法を超えた精神的な触れ合いがあるはずなので、むしろその感覚を大事にしていくことが肝要でしょう。経験を積むとうまくコントロールできるようになるものです。

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人間は考える腸である-2

セロトニンと言えば、ドーパミンと並んで脳内物質の代表格的な存在です。
しかし、身体の分布から言えば、実に90%は消化管に存在しています。
言ってみれば消化管に何らかの機能低下があると、全体のセロトニン量に影響を与えてしまい、不都合が生じる可能性があるわけです。
腹証の意義はそんなところにもあるのかもしれません。

腸の働きを良くするのに、古くは整腸剤サプリや今風な感じで言えば、特定保健飲料など、様々なものがあって、どれが自分にあっているのかさっぱり分かりません。
腸の働きを大切にするのは重要なことですが、情報過多というのもまた選択できなくってしまう要因ではありますね。
これについては専門外ですので、なんともコメントしようがありませんし、お奨めのものは?と問われても答えに窮してしまいます。

整体的に考えると、腸をはじめ内臓の働きを活発にする方法はいくらでもあります。
伝統的なツボ刺激でも内臓はよく動きますし、足の施術でも活性化できるものです。
施術者なら多くの経験を持っているのではないでしょうか。
意外に腕の施術で内臓が動いたりして、(ヒトによってポイントが違うのだなぁ)と実感できる現象ではあります。

個人的に思うに、一番の内臓機能低下の原因は下垂によって起きるような気がします。腹証を限りなく行っていると、第10肋骨の開き角度があまりにも人によって違うことが分かるのです。一言でいうと胸郭の有り様ということになるのですが、煎じ詰めると、第10肋骨の開きの問題になるでしょう。生まれつきのものですから、大きくこの角度を広くする変えることはできませんが、そこに加齢現象が加わり、または仙腸関節(骨盤)の歪みと相まって、横隔膜の弾性が失われ、さらに胸郭の歪みを助長しているケースが多いものです。
そうすると、胃があるべき位置に収まらず、やや下垂し、それに伴い、全体が下垂していくわけです、当然、腸管もまた圧迫され、または自ら下垂し、機能低下に至るわけです。
そうすると、下腹が膨らみ、特有の「下腹部ポッコリ」状態となってしまいます。
腸は脳の母ですから、母の不都合は子に及び「母病犯子」となって、物忘れも拍車がかかっていくわけです。
内臓が下垂していると頭の働きは確実に低下していくのですが、これを指摘した療法家は寡聞にして知りません。
そこで胸郭をやや広げ気味に、また横隔膜の弾性を回復させ、かつ内臓(胃を中心に)の位置を上方に押し上げると、ウエストが締まり、アンチエイジングともなるのでした。
男性に多いリンゴ型腹部膨満(アンタのことだという声が聞こえてきそう)は完全なメタボなので即効的対処ができません。(困ったもんだ)

手技だけでは限度があります。当然、腹筋の強さが必要になりますので、ある程度の腹筋力はつけておくべきでしょう。
エステ等で行う痩身術はこの腹部内臓下垂の問題を解決したときにハッキリしたウエストラインが出て、効果を実感できるものなのではないかと推測できます。
また、そのような状態にしたとき、間違いなく若返るのは腸と脳の相関関係によるものであって、単に気分の問題ではありません。脳が若返ることによって、ホルモン量が変わるのです。
頭蓋が閉じていると影響力は限定的ではありますが。

こうしたことから、真のアンチエイジングとは腹部の内臓位置異常を正し、頭蓋へのアプローチによって脳脊髄液の循環を促し、直接的、間接的に脳の活性化を図るということになるのではないかと思う次第です。

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