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施術者の探究心

血液やリンパ液の流れを良くするというのは、当然のことであって、あらためて強調するようなことではないと思います。

大事なことは“何が”血流やリンパ流をブロックしているのか?という探求でしょう。
そこに至るプロセスというものが必ずあるはずです。

例えば耳のリンパ流の阻害は直腸反射によって解決される事実を知ることとか。
逆に言えば、直腸反射の阻害が原因の一つとも言えるわけ。

そうすると、直腸反射を正常するには、どうすれば良いのか?という方法論にいきついていきます。

先人達の探求によって、仙尾骨の制限的拘束が原因だと分かるとします。それを操作することによって、解決したとするならば、それを結果論として考えると「リンパ療法」と言うことができますし、方法論から言うならば「仙骨療法」と呼ぶこともできます。
反射という側面にスポットを当てると「反射療法」とも呼べるわけです。

このようにどの側面を強調するかによって呼称が違ってきます。
極端な話、全く同じ操作を加えても、療法の呼称が全く違うこともあるわけで、単に受け取る側のイメージにしか過ぎないことも起こりうるわけですね。

自分が何をやっているのか?という施術者の認識は重要です。その操作の結果として何が起こりえるのか?という予測のもとに施術しませんと、施術自体が単なる作業となってしまい、いずれ飽きてきます。

ところが、治癒機序は一つではありません。未だ未解明な部分も含めて、様々な機序が働いて自己治癒力を促していくわけですから、施術者が全く予測していないメカニズムが働くことだって考えるられるのです。

施術の面白さというのは、実はそこにあるような気がします。良き施術者はすべからく、このような探究心があるのではないでしょうか。

ある程度のレベルまでいくと教えられるものではなくて、様々な機会を利用して啓発されるものなのです。それは文献であっても、クライアントからであっても、勉強会であってもどんな形でも良いのです。

自分のやっていることを違う側面から理解できたり、或いは、そういう考え方もあるのか!とインスピレーションを受け、技法を変化させたり、と様々な機会を捉え、糧としなければなりません。

怖いのは原理主義に陥ることです。ある考え以外受け付けないというのが原理主義なのですが、こうなると全く進歩がなくなります。

フルフォード博士が90歳を超えて尚、亡くなる3日前まで、より本質的な手技について考え続けたというエピソードは我々を鼓舞してくれる好例でしょう。

そういう意味では全ての施術者は未熟とも言えるわけで、到達した者などいません。
ただ単に限界を甘んじて受け入れているか、甚だしい勘違いをしているか、どっちかということになるのですが、いずれにしても探究心なき者はせっかく施術という汲めども尽きぬ奥深い世界に足を踏み入れながら、その本当の醍醐味を知らずに過ごしていることになります。

考え続け実践し、実践し続け考える。
上級者であっても初級者であっても、このような態度で臨まねば、単に施術が上手いかどうかでしかなく、それは街の揉み屋で人気は出ても本当の意味での施術者になることはないでしょう。

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