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日本式リフレクソロジー

(一)

独立したとき、しょっちゅう聞かれたのは貴方のリフレは何式?ということでした。
(何式?って聞かれてもなぁ~)

日本人ってどうして、どこに勤めているのか?どういう団体に所属しているのか?
華道をやれば何流か?茶道をやっても何流?ということを気にするのでしょうかね。
アインデンティを自分以外の組織、団体で証明しようとする悪弊があります。

さて、何式リフレクソロジー?と聞かれてハタと困りました。
基本的にはオリジナルですからね。

英国人でも中国人でもない小生が考え、やっている施術方法なので、小生式だというわけにもいかないので、日本人のボクがやっているわけだから日本式という答えが妥当かなと。

あんまり聞かれるのでホームページで日本式リフレクソロジーとうたいました。
当時(2002年)、日本式リフレクソロジーでネット検索してもそんなのないわけです。

小生のところしかないので、まあ、そんなものか、という感想を持ったものです。
ところが、最近、日本式リフレクソロジーで検索してみると、小生のところなんて全然上位に出てきません。

あるわあるわ日本式が・・・わんさとあるようになってしまいました。
なんだってこんなに増えたの?

それぞれその説明も様々でね。まあ、色んなことが書いてあります。
独自に考えついたのか、小生のHPに影響されたのか知りませんが、隔世の感がありますよ。

そういえば、ボクのところの卒業生が言っていました。

「先生、○○さんという卒業生がいますか?」

「○○さん?聞いたことないなぁ。どうしたの?」

「近所に癒し系サロンがあって、たまに受けにいっていたのですが、最初は台湾式のガリガリ系で揉んでいました。ところが最近、行ってみたら、ナント安定圧系に変わっていたんです。それで安定圧を使うんですねぇ。どこで習ったの?と聞いても、曖昧にして答えくれません。それで聞いてみたんですが・・」

「あっそう・・・待って、ちょっと調べてみるわ」

と名簿を調べてもそういう名前の方はいません。
「やっぱりいませんね、そういう方は・・・」

「前に先生のHPを紹介したので、それを見て参考にしたのかもしれませんね」

「HPを紹介したんだ?じゃ、それを参考したんだろうね」

ということがありましてね。
結構、ボクのHP、ヒット数は少ないのですが、業界関係の方がじっくり見るケースが多いようです。施術技術に特許はありませんから、文章を参考にして取り入れるのは全く問題ありません。

しかし、足裏に対する安定圧は難しくてね。
2年や3年くらいの施術経験では我流でやってもホントの意味でのマスターはできませんよ。基本を覚えて訓練していかないと。

我流でやると、身体を傷める可能性がありますので気をつけてくれないとね。
効かない安定圧をやるくらいでしたら、フリクションでやったほうが余程よろしいですし。
いずれにしても業界に多少でも影響を与えているというのは結構なことです。

さて、日本式リフレクソロジーの定義を真面目に考えてみると。
他所のところでは適当なこと言っていますが、マジでちゃんと考えると、矛盾が出てくるんですよね。だから、ボクも日本式とうたいながら、それを前面に出さないというのがあるんです。

まずね、リフレクソロジーという考え方そのものはアメリカで作られたものです。
だからリフレクソロジーはすべからくアメリカ式なのですよ。

しかし、それをベースに個人の考え方によって、技法が異なってくるわけ。
そうすると、それは個人ベースの問題ですから、個人の名前が冠されるのが正しいのです。例えば藤田式とか・・・

個人の名前、例えば武田式とかいうのは結構恐れ多いことでもあるので、或いはビジネス的にヒットしづらい理由もありますから、英国式とか日本式にするわけです。

厳密に言うと決して正しいことではありません。
だって、英国全土で統一された施術方法でもありませんし、日本全土で統一されたそれでもないのですから。

国の名前を冠するのはどう考えてもおかしいのです。

名前の由来として、呉若石という個人の名を冠した若石リフレクソロジーは正しいですね。最近は個人の名前ではなく、「石のように自然な方法」と強弁するのは如何なものか、と思いますが。

「呉若石という人物がこのような方法で実践したのが始まりである」と言ったほうがよほどスッキリします。

ボクも錯誤させているのですから大きなことを言えませんが、日本式リフレクソロジーにしても英国式リフレクソロジーにしても、或いは中国式にしても台湾式にしても実体はないわけですよ。

ただイメージとして英国式はあたりが柔らかく、癒し系と感じますし、台湾、中国式は強く擦り、痛いという感じを受けます。

何式?と聞く場合はこのイメージを前提として聞いているのでしょう。
今のところ日本式といわれてそれがどんな感じのものなのか、イメージできるヒトは少ないに違いありません。(いくらウエブページが多くなっていても)

文章で説明されたってわからないですからね。
体感しか記憶に残らないのです。

ですから日本式が増えていっているという現状を考えても、人々の体感イメージが定着するには時間がかかるか、若しくは結局、定着しないかのどちらかでしょうね。

さて、ここで悩むんですよ。
名前の由来としては正しくないにしても、日本式を前面に出してボクが頑張ってね、それで日本式の体感イメージを定着させるような方向性でいくか、それとも、勝手にやってくれとばかりに無視していくか。

少なくともウエブ上ではボクのところが初の日本式を名乗ったという自負もありますしね。
これホントに悩みますよ。

仮に日本式が良いということになって多少の評判が出てまいりますと、資本力があるところがあっという間に市場を席捲するでしょうし。

何せ、「日本式リフレクソロジー」というのは商標権が取れませんから。
一般語として解釈され商標権の対象外ということになるんです。

(二)

それでも折角の機会ですから、あえて日本式の意義を探ってみましょう。

欧米にはツボという概念がありません。
だからツボを点で取るという発想、つまり点穴という技法がないのです。

中国は当然ツボの本家ですから点穴技法があるわけです。
しかし、どうしたことか、足裏に関してはツボを取らず、反射区という面積のある平面を擦るという作業を行います。

刺激量は増大しますから、それはそれで治癒機序が働くことでしょう。
別に文句はありません。

また鍼にしても中国の鍼は太く、刺激量は当然多くなります。
刺激量が多いのを好む民族にいつのまにかなってしまっているんですね。

中国古典「黄帝内経」という鍼のバイブルには豪鍼といって限りなく細い鍼の効用が書いてありますのに。

小さい頃から鍼を打っていると、刺激の閾値が上がっていって、段々強いものになっていきます。これは手技も同じですね。

強い刺激の足揉みを受け続けると、閾値が完全に上がってしまって、多少の刺激にはビクともしなくなります。そういうヒトは英国式程度では全く反応しません。

かえって気持ち悪くなるくらいだというヒトもいるくらいです。
ボクがいうツボが潰れた状態でもあります
正確にいうとツボが奥まってしまった状態なのです。

擦るという作業によって摩擦が発生し、刺激量を増大させるものの、閾値があがり、ツボを奥のほうに押し込めてしまうわけです。

閾値を上げるというのは実は日本の指圧家も時々やることです。
例えば痛い部分があったとして、その痛みを軽減させるのに、他の部位を強圧し、それで痛みの閾値を上げ、結果、痛みが楽になったという現象があるわけですね。

でも、これはその機序を知っていてやっているわけです。
加減も難しいのです。また、しょっちゅうそれをやると弊害も出てくると知っているわけ(知らない人もいるかもしれませんが)。

身体の仕組みを知ってやっているのと、強い刺激が功を奏するのだと誤解してやっているのとでは全然違います。

中国系リフレの施術者がとにかく強い刺激を送りたがるのは、効果があるからだと思ってのことなのでしょう。

しかし、強刺激によって単に痛みの閾値が上がっているだけだと認識できているヒトは一体何人いるのか?甚だ疑問です。

今は随分と情報化時代なのでそういう知識も身に付けた施術家も多いと思いますが、依然としてこういう基本的なことを知らない施術者もいるのです。

だから、虚証のヒトに強刺激を送り、失敗するわけ。
まあ、足ですから安全なので大きな事故に至ることはほとんどないですけど。
首とか頭だったら大問題ですよ。

知っていてその技法を時々使うというのは、まあ「有り」です。たまに小生も使いますし。
だからフリクション系そのものを否定はしません。

また柔らかい当たりの刺激、つまり欧米系の刺激も感受性によっては治癒機序が働き、それによって楽になるヒトもいるに違いありません。それも「有り」です。

しかし、日本人に生まれ、せっかくツボにハマル感覚を知っているのに、それを使わない手はないでしょう。

英国式(と言われているモノ)がマッサージ的技法、中国式(と言われているモノ)が平面上の摩擦刺激に対して日本式は縦方向に深い刺激を送るというツボッた感じになります。

これの難しいのは、閾値が上がってしまったヒトに対する対応です。
いくら平面上に強い刺激を送られ続けられても、ツボは深くなるだけで、なくなるということはありません。ツボ処女のパターンが多いものです。奥まったところに到達できるどうか、これが日本式の難しいところでしょう。

力の大小ではなく圧面積の大小による調節。そして何より身体の力、特に肩の力を抜くというコツが要求されます。そうでなければ、圧が浸透していきません。このコツを掴むかどうか。これが難しいわけです。

日本という国は不思議な国ですね。
300年近くも鎖国をして明治維新により開国しました。産業技術は後進国だったわけです。しかし、ご存知のように、あっと言う間に国際競争力をつけ、強国の仲間入りをしたのです。

そもそも自力で鉄道を引くなんていうのは、欧米以外の国では考えられませんでした。
それをやってのけたのですから欧米人はビックリ!

時は移って、敗戦。経済は壊滅しました。世界でもっとも遅れた国に逆戻り。
ところが、あれよあれよと言う間に復興を果たし、経済大国の仲間入りです。

ベースに何があったかというと、教育レベルの高さとなんと言っても江戸時代に培われた細部を疎かにしない、あるいは、細部に拘る国民性というものがあったに違いありません。

故にプロダクツは現在、日本製が絶大な信頼を勝ち得ているわけです。

そして汎用技術もさることながら、先進特殊技術も日本のお家芸です。
その日本の技術がほしくて外国企業から買収されている中小企業もたくさんあるわけです。

日本が成功した要因の根本にあるのは細部の拘り、改良し続けるという民族特性によるものだと思うのです。

で、足裏を安定圧で行うというのは、大雑把に反射区というものを捉えて擦るとか、マッサージするとかではありません。

実に微妙な角度と位置を決めなければ影響を与え得る施術が出来ないのです。
これはまさしく細部に拘る民族特性が如実に表れるものではないでしょうか。

1度の狂い、1ミリの狂いも許されません。
職人気質の権化とならなければとてもじゃないですが、そういう施術の発想すら浮かばないのです。

こういうのはまさに日本という国の民族特性から来るものであって、中国人にも欧米人にも出来ないのです。

故にこれを日本式と呼んでも(厳密な意味では違いますが)あながち間違いではないと思うわけです。

(三)

日本人は屈筋優位の民族だと言われております。
つまり、手元に引き寄せて動作することが得意ということ。

これが、手先が器用ということに繋がってくるわけ。
そんなんで、日本人独特の身体動作の特徴が生まれてくるのですね。

とにかく、日本人の道具の使い方は特殊です。
(我々から見れば日本人以外が特殊ということになるのですが)

例えば、のこぎりは引いて切ります。しかし日本以外では押して切る。
カンナも同じで引いて削る。これも外国では押して削る。

ところが鉛筆をナイフで削るときは押して削ります。
外国人は引いて削るのです。
これは手元に引き寄せるが故のものなのでしょうね。

話は逸れますが、小生の祖母が鉛筆を削るとき、身体から少し離し、引いて削っていました。とても違和感を感じたものです。

日本人じゃない血が流れていたのかな?
そういえば、祖母が若いころ、馬に鞍も着けず、アブミもなしで裸馬を乗り回していたと聞いたことがあります(どんな娘時代なんだ?)

古代ローマ、カエサルの時代なら、実に優秀な騎馬兵になっていたことでしょう。
(大昔は鞍もアブミもなく、馬を乗りこなすのは大変に難しいことだったらしい)
ちょっと変わった祖母でした。

こういうのは例外として、基本的に日本人は述べたように身体動作が世界の人々と逆になるわけです。
これが屈筋優位と言われる所以なんですね。

手先が器用、細かい作業が得意という利点もあるのですが、不利な点もあります。
なにせ疲れる。つまり肩がコリやすい。

現実の施術の場合、本来的な器用さがあるので、あるレベルまでは割りと簡単に技術を習得できるのですが、屈筋に力が入ってしまうため、素直に圧が入るフォームが作れないわけ。この矛盾をどう解決するか、ということですね。

利点を生かしつつ、屈筋に力が入らないようにする。
増永師は「支え圧」とか「肘の使い方」に留意するように教えていたようです。

人によってピンとくる表現は違うのですが、ボクの場合は「肩の力を抜く」という表現が一番ピンとくる表現方法でした。

押しているときでも知らないうちに屈筋群が対抗する特性というのは最終的に肩に力が入るクセになりやすいものだからです。(少なくとも個人的にはそうなんです)

だから日本式リフレクソロジーの特徴である(と思っている)圧を持続的に安定させるに、最大の難関は屈筋群の邪魔をいかに排除するか、ということ。

これさえ克服できれば、もともと精密な手先の感覚を持っているのですから、狙った位置に正確な角度で入り、かつ、疲れず安定的に圧が浸透していく方法論をマスターできるというもの。

身体に力が入らず、しかも力強い。こういう感じの施術は難しいかもしれません。
しかし、そういう発想があるということだけでも有利です。
いずれできるようになるのですから。

これが実現できたとき、日本式だと胸を張って言えるのではないでしょうかね。

頭蓋

頭蓋をトウガイと読むのが専門用語としては正解なのですが、一般にズガイと言われております。

事実、今使っているワープロソフトでもズガイは一発で変換してくれますが、トウガイと入力しても見当違いの言葉しか出てきません。

まだ文字で表現するときはいいですよ。ズガイと読もうとトウガイと読もうと、お好きなように・・・意味が通じれば良いんだから、という感じで気が楽です。

ところが、現場で音声を発する立場は困ります。
授業のときと施術でのカウンセリングの使い分けがありますでしょ。

授業は専門家を育てる場なので、ズガイなどとは言えません。
カウンセリングは一般の人なのでトウガイなどと言っても相手は??になってしまう。

これ若いときなら瞬時に使い分けできたものですが、年取ってくると、すぐに言葉が出てこない。何度も言いなおさなきゃいけないので難儀します。

同じ字を書いて専門用語と一般語が違う読み方をする言葉って他にありますでしょうかね。困りますね~。どちらかに統一してほしいものです。

ところで頭蓋縫合部(トウガイホウゴウブ)。
コラーゲン質で出来ており、時計回りに噛み合わさっております。

ですから、時計回りに締めますと当然きつくなり、反対回りなら、緩むことになります。
ただ現実問題として、締める緩めるという手技は余程うまくやらないと不自然なものになるでしょうね。大概は皮膚を引っ張っちゃう。

皮膚を引っ張れば引っ張ったでそれはスカルプ系の機序が働くので、悪いとは言いませんが、頭蓋そのものを問題にしているわけですから、この場合は良い手技だとは言えないわけです。

仮に上手く出来たとしても手技でどこまで頭蓋を緩め、または締めることができるか、という問題も残ります。だから、時計回りか、反対回りかをメインに訴える手技が存在しないのです。

ややスピリチュアルな要素が入りますから、あまり言及することはありませんでしたが、軽いドレナージュを縫合部に沿って時計回り、反対回りを意識してやると、感触が違ってくるのが分かります。

それは思い込みだと言われれば、反論できるものではありませんが、手指の感覚だけを頼りにして施術する身としては、その感覚を研ぎ澄ましていくことも重要かなと思うわけ。それが全てではないにしてもです。

頭蓋縫合部は年齢ともに癒着していきます。
90歳を超えるあたりから、縫合はほとんどなくなるといっても過言ではありません。

具体的にいうとコラーゲン質がなくなり、骨そのものになるということでしょうか。
コラーゲン質と言っても「にこごり」のような柔らかいものを想像されても困ります。

それなりに硬いものです。しかし、骨そのものよりはずっと柔らかい。その弾力性が年齢ともになくなっていくというのは悲しいのですが、その頃には脳細胞の死滅も進み、心臓、腎臓など重要な諸器官の機能が低下していくわけですから、頭蓋の縫合だけが正常であっても意味のないことです。

いずれ寿命がくる宿命を背負って生きている人間にとっては止むを得ないことなのでしょう。

しかし、充分に若く、まだまだ老いる年齢にない一群の人々に中には、既にコラーゲン質の劣化が人より急速に始まっている場合もあります。

このような場合こそ、クラニアル系の手技が威力を発揮するのは当然ことでしょう。
靭帯でさえある条件下のもと骨化するのですから、コラーゲン質が骨化していくことはおかしい話ではありません。

一般的な言葉を使えばコリにより、体液の循環が妨げられ、みずみずしさがなくなる状態が続くとそうなってしまいます。

そうなると、脳が呼吸リズムを刻むにも上がツカエテいるのですから、ままならないことは想像できるのではないかと思います。

極めて残念なことに頭のコリは成人、特に30歳を過ぎれば誰でも持っています。
肩こりが誰でもあるのと同じでそれを感じるかどうかという問題だけです。

しかも首や肩と違って、所謂、コリ感があまりないところですから、普段は意識できません。ある種の頭痛、頭重感によってしか感じ取れないものです。

気を使い、頭を使い、目を酷使し、ストレスを溜め、という現代社会では頭コリという「証」は、まず、ほとんどが当てはまるのではないかと思いますね。首、肩だけを解してもすぐにコッてしまうのはそれが故だと思うわけです。

骨化するのを少しでも防ぐために、手技だけに留まらず、何かコラーゲン質にものを頭皮から染み込ませることは出来ないものか、という素人考えから、ローションスプレーを考えたのですが、如何せん、検証に時間がかかり過ぎるという欠点があります。

頭皮や毛根などに働きかけるモノはいくらでもあるのですが、頭蓋縫合部に働きかけるモノ。何かないでしょうかね。

まあ、そんな都合の良いものなどないのかもしれません。

漢方とリフレクソロジー

大昔、何が怖かったかというと、生活習慣病ではなく、疫病に代表される感染症です。

それらに対処するために漢方が生まれたと言っても過言ではないくらいなのです。

こんにち、漢方というと西洋医学では対処できない不定愁訴や、慢性的未病症状に用いられておりますが、本来はそういう性格のものではありませんでした。

ただし、鋭利な効き方をする薬剤で病原菌をやっつけるという発想ではなく、あくまでその病人の免疫力を高め、自然良能で治病するという方法論を取るわけです。

それがこんにちでも通用する源泉になっているのです。
つまり応用が利くということになるでしょうか。

しかし、述べたように、本来は緊急の病に対処できるように発達してきたわけです。
ですから漢方を極めるとモルヒネでさえ効かない痛みを瞬時に無くすることさえ出来たと言われており、ホンマかいな、と突っ込みいれたくなるのですが、どうも事実のようです。

小生は漢方家ではないので、詳細まで勉強をしたことはありませんが、耐性菌の問題が叫ばれているこんにち、もう一度、漢方薬に注目すべきだろうと思う所以ですね。

健康な人はノンビリしていますが、耐性菌の出現は疫学者達をパニックに陥れているほど、大変な問題になっているのはご存知でしょうか。

薬剤が全く効かない菌は当然ながら自分の免疫力でやっつける他ありません。
ですから、体力の弱った病人が病院で耐性菌に感染し、亡くなる例があとを絶たないのです。検査や他の薬剤で弱りきっている状態ですからね。

そこに漢方に通じた医師がいれば、随分と違った処置がなされることでしょう。
しかし、西洋医学的なマニアル主義では漢方は究められない。ここのところに難しさがあって、現実にはうまく役割分担が出来ていない状況です。

リフレクソロジー(足揉み)も同じで、本来、足が疲れたからやってもらうとか、そこで何らかの癒しを得たいと思って施術を受けるものではありません。

勿論、それはそれの役割として重要なものなのですが、本当の目的は弱った病人の体液循環を助け、耐えられる程度の圧反射を起こし、全体として免疫力をアップさせることにこそ力を発揮するものです。

ここに至れば、もはや技術ではなく、やるかやらないか、若しくはそれが許される環境にあるかどうかの問題です。

漢方を究める医師が少ないのであれば、せめて安全なリフレなりを取り入れてほしいと思うのですが、それにはもう少し時間がかかるでしょう。

我々の仕事の中ではそのクライアントのほとんどが実証なのですが、「手当て」に代表されるが如く手技の真骨頂は虚証に用いられてこそ、その真価を発揮することができるのです。

残念ながらそのような機会に恵まれることは少ないのですが。
しかし頭にだけは入れておく必要があるでしょう。
いつでもそれに臨めるように。

恐れのない心の準備はしておくべきかと思うのです。
おそらくはそれが使命だと思うからです。

嗅覚

犬は人間の一万倍の嗅覚を持っているとか。
いやいや一万倍どころか百万倍だ、という説もあって、犬語をしゃべれない限り正確なところは分からないのかもしれません。

ところで一般的に男より女のほうが、嗅覚が鋭いらしい。

生理中では男の百倍の嗅覚を持つというのは極普通で、中には10万倍に跳ね上がる女性もいるのだそうな。こうなると、もはや犬並みですねぇ。

こういう女性と結婚したら絶対に浮気はバレます。
女性にタバコを吸わせる習慣をつけたのはアメリカが最初なのですが、これは女性の嗅覚を鈍くして気づかれないようにするための男の悪知恵なのかもしれません。
さすがアメリカだ。陰謀大国アメリカ、多分、WASP達の考えたことです。

冗談はともかく、前に見た映画(スピーシーズ)でメスの宇宙人がオスの人間と交わり、子孫を残そうとうする場面がありました。

そういう中で、病気持ちのオスの人間が分かってしまい、交尾を拒絶するんですね。
案外、的外れではないんじゃないかな、と思って見ていました。
別に宇宙人じゃなくても人間のメスでも無意識にそういう判断をしているのかもしれないなぁ、と。

昔はその病気特有の臭いを嗅いで病気を判断していました。
東洋医学では「聞診」として残っています。
(聞くというのは音だけではなく臭いを嗅ぐという意味もあります)

現代医学では診断機器が発達していますから、そういう判断はしませんが、一部の地域では機器類が手に入らないので、そういう訓練もするとか。

小生もどのような病気がどのような臭いがするのかを検証したことはありませんが、
以下のように言われております。

癌(ある種の) ― 何とも表現できない悪臭
ジフテリア    ― 甘い臭い(不快感を伴う)
湿疹・とびひ   ― かび臭い
はしか       ― むしりたての鳥の羽毛のような臭い
ペスト        ― リンゴ
腸チフス     ― 焼きたてのパン
黄熱病      ― 肉屋の店先のような臭い

しかしなんですね。中世ヨーロッパを恐怖のどん底に叩き落したあのペストの臭いがリンゴの臭いとはね。リンゴの香なんて大好きなんですけど。
焼きたてのパンだって良い香じゃないですか。

あとER的に緊急を要する場合、
アセトンのような甘い臭いだと、糖尿病でぶっ倒れたと判断するのだそうです。

アンモニア臭なら腎機能不全。便臭かったら腸閉塞とか。
ここら辺は常識の線ですね。

その病気が放つ特有の臭いがそのまま病名になっているものもありますよ。

オストハウス病。
オストハウスというのはビールを造る際に麦芽を寝かせておく倉庫のこと、つまり麦芽の臭いがする病気ということらしい。

メープルシロップ尿症。
文字通りメープルシロップの臭いがするのでしょう。日本人にはキャラメルの臭いがすると言ったほうが分かりやすいかな。

以上、「鼻の中の羅針盤」という本から抜粋しました。
これらはほんの一例でしょうね。
昔の名医達は常人には嗅ぎ分けられない微妙な臭いを基に判断していたのかもしれません。

男女に関係なく、人間はある臭いに鋭敏です。
それはメチルメルカプタン臭といって肉が腐ったときに放たれる臭いなのですが、ナント!1リットルの空気中に4000億分の1グラム、この物質が混じっているだけで、嗅ぎ分けることができるのです。

原始時代に獲得した身を守る能力の一つです。ほとんど超能力に近いと思うのですが、誰でもこの能力を持っているとは驚きです。

都市ガスにわざとこの物質を混ぜ、ガス漏れに気づくようにしていることは広く知られた事実でしょう。本来、天然ガスは無臭なのですから。

先日出会った元警視のお話。
その元警視さん、まだ下っ端だったころ。

現場で一番嫌な仕事をさせられたときの話を述懐しておりました。
郊外の林で首吊り自殺死体が発見されたんだそうです。

上司とともに駆けつけたわけですが、現場はその状態のまま。
そこで上司が言いました。

「おい、おまえ!ホトケさん下げてこい!」
「ええっ私ですか!」
「おまえしかおらんじゃないか!いいから下げろ!」
上司の命令に逆らうわけにはいきません。

縄をちょん切ればいいだけだと思うでしょうが、そうすると落ちた拍子に遺体が傷む可能性があります。

そこで、はしごに登り、遺体に抱きつくんだそうです。
抱きついたまま、他の人に縄を切ってもらい一緒に落下するのだそうな。

遺体を傷つけないことが目的ですから、自分のほうから落下し、遺体は自分の上、つまり自分が遺体の下敷きになるように落ちるんだそうですね。

落ちた瞬間、遺体が自分の上に覆いかぶさるような格好で、しかも遺体の顔と自分の顔がくっついた。
「まあ言ってみればホトケさんとキスですな」とおっしゃっておりました。


ある時は滝つぼでぷかぷか浮いている自殺死体があったそうな。
このときも上司の得意なフレーズ。

「おい、おまえ!ホトケさん引き上げろ!」
「ええっ!どうやってですか!」
「あそこまで行ってだよ」
「だって水の中ですよ」
「見りゃ、わかるよ、おまえが水の中に入って引き上げて来るんだよ!」

背広を脱ぎ、ズボンも脱いで、冷たい水の中へ入って行ったのだそうです。
何日も経っている遺体らしく、膨れてとてつもなく大きく、しかも岩場で何度も打ちつけられた遺体だったらしい。まるで、轢死体を水につけておいたような・・・・

そういう現場でそういう作業した日は必ず、家族から「お父さん、臭い!」と言われたと。
「風呂に入ってゴシゴシ洗ってもとれんのだよ、臭いが」と元警視。
メチルメルカプタンの威力は凄いものです。

臭いは音速を超える?

断食をするとあらゆる感覚が鋭敏になると言われております。
その中でも食べ物の匂いには敏感になるとのこと。さもありなん!

昔読んだ本に断食経験者の体験談が載っていました。
断食中にやきいもの匂いがしたらしい。

近くにやきいも屋でも来ているのか?と思って、かなり時間が経ってから「いしや~きいも」というお馴染みのフレーズが遠くのほうから聞こえてきたというもの。

つまりスピーカーから流れる音が聞こえる遥か前より匂いをキャッチしていたものらしい。
極微量の匂いの分子に反応したのか、それだけではなく、匂いというのは空気中を漂ってくるものではなく、空気分子に転写されてくるものなのか。

この著者は大学の先生なので、この話を学生の前でしたら、ある学生が「餓鬼道の世界ですね」と言ったらしい。それで他の学生が大笑いし、腹が立ったのでその話は止めてしまったとのこと。

宇宙物理学でいう位相転移という現象かもしれないという深遠な科学の奥義を聞けるチャンスを学生達はみすみす逃してしまってバカ共が!と思い、それ以来、ヒトの話にはチャチャを入れまいと決心しました。

科学はときとしてSF小説よりも奇なる仮説を立てるものです。
宇宙誕生時(ビックバン)、猛烈な勢いで爆発し(現在も爆発しつづけ)、150億年だか経た姿が現在の宇宙なのだそうです。しかし、単純にそう考えると、矛盾が出てくる。

超えられないはずの光速をある時期、超えないと現在の宇宙の姿にはならないそうな。
それで考え出されたのが位相転移という現象。難しくてよく分かりませんが、数学的には「あり」なのだそうです。

匂いの分子が位相転移するなら、音速どころか、光速さえ超えます。
まあそんなことにはならないとは思いますけど、ロマンがあるではないですか。

ところで現在知られている生物の中でナンバーワンの嗅覚の持ち主はご存知でしょうか?

犬でも熊でもありません。
カイコ蛾のオスです。

メスのカイコ蛾が発する微量なフェロモンを嗅ぎつけ10キロ先からやってくるのだそうです。こうなると、そのフェロモンの空気中の量はもはや計測不能なくらい薄い。

化学的には「無い」も同然です。それでも嗅ぎつけるのですから、一体どうなっているのでしょう。

生き物というはそれぞれが超能力の持ち主というか、存在自体が超自然現象のような気がしてきます。

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