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股関節脱臼

先日、海外ドラマ「ER」という番組を観ていたら、股関節脱臼の整復を行うシーンがあって、大変参考になりました。

事故などで、股関節脱臼が起こりますと、まずは手技で整復するものなのか!と初めて知った次第です。(考えてみれば当たり前の話です)

ER医師はそのような手技にも通じていなきゃいけないということで、中々、大変ですね。
ドラマの中では、新米インターンがその方法を知らなくて、先輩レジデントから教わっておりました。このことから考えると、授業などでは教えてもらえず、実践で学ぶ種類のものなのでしょう。

我々は医師ではありませんので、このような場面に遭遇することはまず考えられません。
若し、遭遇したとしても医師法の問題が出てくるわけですから、うかつには整復術を行えないものと思います。

にも関わらず、何故参考になったかといえば、小生が行う手技によく似ていて、股関節後方転位に応用できる手技であったからでした。

股関節に問題を抱えていない成人はまずいません。
その中でも片側後方転位の確率はかなり高いものです。

うつ伏せでも仰向けでも出来ますが、この度の手技は仰向けバージョンでしたから、仰向けから施術に入る小生のスタイルにはピッタリです。

ほんの一瞬のシーンでしたが、普段行っている手技のわずかな応用で済むのですから、さすがに記憶力が落ちているとはいえ、再現するのは簡単です。

後方転位の整復は医師法の問題には引っかかりませんので、これを日常的に施術に取り入れるのは何の問題もありません。(民間療法扱い)

では実際の股関節脱臼ですが、これを整復するとか、ましてやメニューに加えるということは法に触れますから、厳禁です。

使わねばならないシチュエーションとしては、例えば、何人かで山登りに行って、一人が崖から落ちたり転んだりして脱臼してしまい、歩けなくなった。一人残して下山するわけにはいかない・・・・こういう場合なら使っても許されるでしょうね。山まで救急車がくるわけもないのですから。

まあしかし、こんな場面は一生のうち一度もない方のほうが多いとは思いますね。

ですから、後方転位の整復に限っての使用となるでしょう。

K氏の呪縛

モノの考え方というのは自然に出来上がるようでいてそうではありません。
特に新しいことを習おうとすると、最初に習った人(師)の影響を強く受けるものです。

仮に経験を積み、様々な書物を読み、考え方が変わったと思っていても、心の奥底では最初の考え方を排除することなど至難の業なのです。
無意識について回るものといえましょう。

小生が最初にリフレクソロジーを習ったのは(技術を個別的に習ったわけではありません、考え方そのものを習ったという意味)K氏からでした。

K氏の考え方の柱になるのは「老廃物除去」つまり循環理論です。
「徹底して老廃物を除去する」
除去ですから、その技法は極端な瀉法になるのは当然です。

瀉法は認めるにしても、そのやり方が極端過ぎはしないか、という疑問も後に出てくるのですが、それが今日に至る安定持続圧という極端瀉法に対するアンチテーゼであることを認めるのにヤブサカではありません。

つまり、反面教師という意味で影響を受けているわけです。

K氏の施術家としての力量は技法的な問題だけではないような気がします。
向こう気が強く、気性の激しい人でした。いわば気合で治す、というようなタイプの施術家です。今考えればK氏の赫々たる治療実績は、大部分が個人の気の強さに由来しているのではないかなと思います。

施術家には二つのタイプがいて、一つはK氏のように気迫とか気合で治すタイプで、もう一つは優しく癒しの気で包み込むようなタイプです。

勿論、どちらが良いのかという問題ではありません。それぞれのニーズがあるわけですから、個人の属性に合ったタイプになってもなんら不都合はないわけです。

同じ人間でも、とにかく癒されたいというときと、気合を入れて貰いたいときがあるわけですから、ましてや違う人間が多数いる中でのニーズはそれぞれ成り立つ余地があるのです。

それで救われる人がいる以上、批判の対象にはなりえません。あくまで施術家個人の好みの問題となるわけです。

たまたま小生は、K氏のような強い気迫で臨むというより、心からくつろぎ癒されていると実感してくれれば良いという考え方の持ち主だったようです。

多分に個人の(幼少体験を含めて)属性がそういう考え方を生み出したものと思われます。そういう属性の違いがあるわけですから、施術の仕方や考え方が違ってくるのは必然の成り行きと申せましょう。

さて、ことほど左様に考え方が違い、技法が違っているにも関わらず、やはり呪縛というものはあるようです。

遡れば小生のクラッキング嫌いはK氏の影響を受けているのです。
K氏は極端な瀉法を用いるにも関わらず、クラッキングに批判的でした。というより否定しておりました。理由はクラッキングした関節に老廃物が再溜するというものです。

関節包が破けるものでもないのに再溜するというのはナンセンスだとは思うのですが、別の意味で頻繁にやってはいけないものだと納得しておりました。

理屈を別に依拠しながら無意識にタブー視していたとも言えましょうか。

後に自身の体に経絡感覚が発達してきて、漠然と広がる伝達を感知するに至ったとき、中足趾節関節(MP関節)から上の関節をクラッキングさせたところ、対応経絡上に鈍い響きが広がっていきました。

第三趾には古典経絡では対応経絡がありません。にも関わらず、第三趾からも広がっていき、そしてそれは増永師が教えるところの三焦経そのもののラインなのです。

こうして足にも三焦経が存在していることを実感できたわけですが、単に押圧のみであったら実感できたかどうか・・・

勿論、クラッキングをお奨めするわけではありません。
特にセルフケアーをする方々にはお奨めできないものです。

何故なら、毎日そんなことをやっていると関節包が肥厚して動きが悪くなるからです。
しかし、施術はどんな短期スパンでも一週に一回です。場合によっては二週に一度、一ヶ月に一度の頻度ではあります。

これくらいなら、関節包の肥厚など心配する必要がありません。むしろ経絡上の瀉法として有益ではないかなと思う昨今です。

足は安全です。特に熟練した技術が要求されるわけでもありません。
激しい瀉法を行わない施術家はそういう簡便な瀉法も使えると便利ではあります。

※クラッキング=骨鳴音を伴う矯正系の技法

中足骨変位

外反母趾が中足骨変位を伴っているのはご承知の通りかと思います。
ところが、外反母趾だけではなく、中足骨またはそれに付随する関節群の変位が腰椎に直接及ぶことはあまり知られていない事実ではないでしょうか。

足の骨が想像以上に身体に影響を与えることを知っているつもりでも、因果関係を把握するのには遠すぎるが故に足の専門家(リフレクソロジスト)でも見落とすことが多いのです。

先人がいうには第一中足骨変位は第二中足骨、第五中足骨の変位を生み出し、第二中足骨変位は第一、第三腰椎を変位させるとしています。

また、第五中足骨変位は第三、第五腰椎の変位を惹起させるということですから、ここで共通するのは第三腰椎です。当然、二番、三番間、三番、四番間の椎間関節に影響を与えないはずはなく、腰の感受性が鋭い人なら違和感もしくは痛みが出てもおかしくはないでしょう。

さらに一番、五番腰椎は構造医学ではベクトル0の椎骨として非常に重要視されています。
これらに不具合が生じた場合、その影響は計り知れません。

中足骨またはそれに付随する関節群の歪みはその程度が小さいものであれば、リフレクソロジーの施術で整復されます。(期せずして)

しかし、ギャビングを起こしているほどに強いものなら、別の手技が必要です。

リフレクソロジストであれば脈診とともに中足骨から楔状骨にかけて軽く触れ、その歪みの程度を知ることが必要と思われます。

足の整復技術は、昔はカイロの独壇場でしたが、足病医制度の確立とともに、段々と廃れていきました。今では行う者が限られています。

現在はリフレクソロジストがその任を担うことになるはずなのですが、リフレは刺激療法としては優れていても整復技術まで求められません。

故に極端な瀉法を行うか、リラクゼーション化するかのどちらかになってしまうわけです。

足の専門家を任ずるのであれば、途絶しかけている技術の復興を目指すべきだと思い取り組んでいます。

足脈診もまたその一つではあるのですが、中足骨関連の整復を行ったとき、脈気が回復することも度々で、意を強くしている次第。

リフレクソロジーにおける補瀉の決定

補瀉の概念についてはこのブログでも、HPでも触れていると思います。
難解であるという意見が多いようですが。
確かに難解ではあるでしょう。

狭義の意味の補瀉と広義の意味のそれがありますので、混同してしまいます。
東洋系の考え方の特徴なのですが、厳密解釈によって理解されるものではないケースが多々あるわけです。

東洋医学系に惹かれてもイマイチ理解できない部分というのはその語句の意味が時々で変わってくるというのも原因のひとつかと思います。

瀉法というのは、「実」を取り除くという意味であることには異論がないでしょう。
補法は不足を補うことだということについても異論はないはずです。

しかし運用の仕方が違ってきます。
例えば鍼では一経の虚実の中で補瀉を行いますし、手技はそのフレックスさ故に二経に
虚実を求めます。

どちらが正当で、どちらが邪道ということではありません。採用する手段によって考え方の違いが許容されるのです。

さて、リフレクソロジーにおいての補瀉というのは、反射区個々について虚実を決め、補瀉していく方法が考えられるのですが、このやり方は煩雑を極めます。また時間もかかる。

そこで虚の半身に対して補法、実の半身に対して瀉法という考え方を採用する場合もあるのです。

どちらの足を虚とし、どちらの足を実とするか?
普通は左足が「陽」右足が「陰」ですから、左足に対して瀉法、右足に対しては補法というのがセオリーになりますが、これも個別的に考えねばなりません。

手ががりになるのは脈診でしょう。
リフレクソロジストなら足脈は最低でも取らねばなりません。
このとき、脈に左右差があって、弱い(若しくは取れない)方を虚と考えて差し支えないと思います。左右差がなければセオリーどおりで構いません。

症状から追っても、実の症状、虚の症状がありますから、無理です。
また整体での決め方は肩の下がっている方を虚の半身とすることが多いようですが、あくまでリフレクソロジーでの決定ですから、違っても良いのです。

鍼が虚実補瀉しなくとも効くようにリフレクソロジーにおいても虚実補瀉などしなくとも効くことは効きます。

効けば良いという考え方にケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、ねらいどおりに脈気が回復してきたという醍醐味を味わうのは施術者にとって魂のご馳走みたいなものです。長く仕事を続ける上で必要なものではないでしょうか。

脈診については某団体が世界大会を行った際に小生が拙論を発表したことがあります。

主に胃気についての内容ですが、胃気については古来より相当重要視していることが古典によって分かります。そしてたまたま足脈は胃脈が取りやすいのでした。

ある経絡治療家の「未だかつて胃虚の人を診たことがない」という発言を何かで読んだこ
とがありますが、大変、疑問に思ったものです。

胃経は下腿、大腿前面を通り、女性で言えば卵巣を通って、乳腺の真ん中を貫き、さらに甲状腺から口へと行く経絡です。この経絡が虚した状態になることがあり得ないなどということがあるわけがないと・・・・・

まあ、見方が違うといえばそれまでなのですが、少なくとも、足の観点から言えば、胃脈の異常は日常茶飯事ですし、脈の盛衰がそのまま、その人の状態を表している場合も数多く見受けられ、より古典の記述に近い病態がわかるのは、古典が足脈重視であったという傍証にもなるでしょう。

骨盤ケア

骨盤を矯正するという概念は何時頃からあったのでしょうか?
産後の恥骨の歪みをふくらはぎに灸点を下ろして治したという言い伝えがあるくらいですから、少なくとも江戸時代にまでは遡れるようです。

明治以降、現代までは西洋手技の影響(カイロ・オステなど)を受け、民間療法に吸収されていきました。所謂、「骨盤矯正」と呼ばれる民間療法です。

この方法はすでに当局(当時の厚生省)の通達によって、指圧には当たらないとし、当該法規には抵触しない旨の確認が行われています。

最近では機器類の業者が骨盤矯正目的の健康器具などを売り出し、一種のブームのような様相を呈しておりますが、商品名に「矯正」という言葉を入れるのは法律上できないようなので、「骨盤ケア」「骨盤ダイエット」などのサブタイトルを付けているようです。

実は小生、試してみたことがあります。
エアーを使う本格的なもので、業務用といっても良いくらいの製品でした。
その日は普段とは違い、相当に歩いたのですが、日頃の運動不足がたたって足首が途中で痛くなってしまいました。

他人様の足首の拘束を取る仕事を生業にし、かつ、運動不足の弊害を訴えている自分がそういう状況に陥ったのですから、シャレになりません。

しかし、足がまともに地につかないほど痛みましたから、これは早いうちになんとかしなけれなば固着し、持病になってしまったら、長いこと苦しむことになるぞ、と経験上分かります(嫌というほどそういう人を見てきていますからねぇ)

だんたまたま、訪問先がサロンでした。そこに骨盤の矯正機がおいてあったのです。
商品名は骨盤ダイエット「リセッティ」というものでしたが、そもそも、ダイエットには興味がありません。

しかし、原理的には股関節、仙腸関節などを調整する機器です。
日頃、仙腸関節、股関節、膝関節、足関節の関連性を訴えているわけですから、若しかしたら、この機器で足首が治るかもしれないと思い、体験してみました。

15分で終了するのですが、最中、股関節の矯正感をはっきり感じましたし、仙腸関節が動くのも感じました。(う~ん、中々いい感じかも・・)

そして、終わったあと、あ~ら、不思議!足首の痛みは全く消えていました。
足首に触りもしないのにです。確かに矯正されていたのです。

一応は手技法家ですので、どちらかというと機器類をバカにする傾向があるのですが、このときばかりは、感心することしきりでした。
メーカー各社も力を入れて開発しているようです。

「骨盤の歪み」とはよく聞く言葉かと思います。
骨自体が歪んでいるのであれば、これはもう、骨の病気か、事故以外では考えられないので整体適応症ではありません。

整体で対応できる骨盤の歪みとは、仙腸関節の潤滑不全、恥骨のズレ、そして腸骨と仙骨をしっかり挟みこんでいる股関節も骨盤の歪みの概念に入ってくるでしょう。

恥骨のズレはそれほど多くはありませんが、出産後に腰痛が出た方は一応疑ってみるべきかと思います。或いは階段を踏み外して恥骨がズレてしまう人も稀にいます。

仙腸関節と股関節、特に股関節の歪みがありますと、必ず仙腸関節の不全運動が起きてきますので、重要なところではありますね。

リフレクソロジーでいう「股関節の反射区」は反射率が低く、実用性がありませんが、リフレクソロジー自体に足首の拘束を緩める効果がありますので、股関節痛やそこからきている腰痛などが鎮まることがままあるわけです(足首の動きが悪いと膝、股関節に負担がいきます-三関節原理)。

股関節の反射区操作はクラッキングまでは必要ありませんがややスラスト気味に行えば、より足首が緩むと思います。

さて、直接的な股関節へのアプローチは様々な方法がありまして、この方法が正解だとは言えません。しかし、様々な流派のやり方を注意深く見てみると、ほぼ同じ原理で行われているのが分かります。

技法が若干違うというだけのことが多いので、自分に合った、若しくは環境(ベッドの種類、或いはベッドを使わない施術など)を考えて研究すれば良いのではないかと思う次第。

とは言っても、股関節にアプローチする方法をザッと思い浮かべてみれば、経絡操作を含めて20種類以上はありますから、やはり習ったほうが効率的かも知れません。

いずれにしても、股関節の狂いから、仙腸関節に影響が及んで歩行がおかしい人がたくさんいます。やがて愁訴に至る予備軍ですので、将来のお客さんになる人がそこにも、ここにも、あそこにも・・・という感じで、癒し系が流行るはずではあるなぁ、といつも思うのでした。

骨盤には周期的な開閉期があるのだそうですが、出産時に恥骨結合を解くホルンモンが出るところをみると、そういう説も成り立つだろうな、と思います。

とすると、内分泌系や自律神経系もまた骨盤の歪みの原因にもなりえますね。
そういえば、昔、リフレクソロジーで極端な瀉法を使っていたとき、リフレのみで骨盤の歪みが直ったという方がいました。

これは間違いなく、自律神経系機序が働いた例ではありますね。
まあ、面白いものです、ヒトの身体というのは。

※クラッキング=音を鳴らすこと
※スラスト=スラストメント(衝撃圧)

施術上の響き

施術上の響きの概念はもともと故増永静人師が詳しく論考したのが始まりではないかなと思います。

鍼の世界では随分と前から言われているようですが、専門ではありませんので言及できません。

少なくとも手技法において響きの概念を一般に広めたのは増永師をもって嚆矢としなければならないのではないかと思う次第です。

実はリフレクソロジーにおいての響きの表現は、私が最初に使いました。

小生の論文を見て、勤めていたリフレクソロジー学院のオーナーが採用したものでした。
他校との差別化を図るものであったのでしょう。それがそのままキャッチコピーにもなり宣伝文句としてはかなり有効であったようです。

なぜなら、響きに魅力を感じて来校される方も多数いらっしゃったからです。
資料請求数だけなら、当時の最大手校を上回ったことさえあります。

しかし、時代は流れ、響きという言葉は一般化し、当時の最大手校でさえ、文中に使うようになりました。また、整体分野のおいても使うところはあとを絶たず、もはや差別化どころか、非差別語化さえしているのが現状でしょう。

しかし、リフレクソロジーにおいても整体においても響きの概念の重要性を失っているわけではありません。

むしろ、一般化し宣伝文句として訴求効果がなくなっているときにこそ、響きの意味を探るのは意義のあることではないかと思うのです。

かつて某リフレクソロジー学院で中間管理職の悲哀を一身に浴びていたとき、部下が説明会に来た入学希望者に対して体験施術を行いました。部下が曰くには「響きを体験したくて来たのに、感じられませんでした。ですから帰ります!って、帰ってしまいました」と。

当時の手技法そのものが、響きを感じさせるのに不十分なものでありましたが、実はもう一つ原因があります。

それは何かというと、個人の感受性の問題があるのです。
もともと響きとは体性神経で感じるものとは全く別のものなのです。

響きというのは言葉にしか過ぎません。ですから、響きを感じるその人の感性がどう捉えるのか、それは人それぞれなのです。或いは、響きというものをどのようにイメージしているのかにもよります。

足を押されて頭のテッペンにまで響けば誰でも「響き」であると感じるでしょう。しかし、そういう人は稀です。そうでなくとも響きというのは必ずあるものなのですが、これを言葉で説明するのはかなり難しい作業です。

まず、施術者の指の存在を感じない、というのが最初の条件になるでしょう。加圧力のみ感じ、それが茫漠な或いは曖昧な圧力が足裏から(リフレの場合)広がるような感じとでも言ったら良いのでしょうか。

勿論、身体のそこここにパルスのような疼きにも似た感覚を覚える方もいるでしょう。何度も言いますがそのように明瞭に感じるものだけを響きとは言わないのです。何処とは特定できないものですが、奥に感じる何かなのです。

ちょうど内臓の調子が悪いとき、ここだ!とは特定できないものですが、明らかに不全感を感じるようなものと似ているかも知れません。

高次神経系ではなくもっと原始的な自律神経的な感じ方だと言えるでしょう。
説明不能に近いのですが、この場合は経絡機序が働いていて、その経絡機序は細胞間伝達の所謂、液性伝導に近いのですから仕方ありません。

これを感知するにはその人の身体の状態や、感受性が絡んできて、こういうのを響きというのだよ、とは例を挙げて説明できないのです。

そのような一群の人々もいますので、腕神経叢などがある前頚部の付け根を押して物理的に神経的に有無を言わさず、正中神経などに響かせる技法も発達してきました。

しかし、それでも感じない人もいます。そういう人は健康体と言ってもいいのですが、そういう人に感じ取れ、と言っても無理な話ではあるでしょう。

もう一つの響きの感覚は施術者との一体感があるということです。
響きという言葉自体にこの意味が含まれないので、誤解するところではありますが、本来、響きというのは施術者と被術者があって成り立つものです。

そこには当然、心の交流があるのが望ましいわけです。さらに心を超えた生命的な交流が起きたとき、必然的に一体感が生まれるのです。そして(ああ、癒されているなぁ、これで自分は治っていくかもしれない・・)とクライアントが思ったとしましょう。実はそのことこそ、生命的な響きであり、物理的な響きとは次元を異にする本来の命の響きになるわけです。

自己と他者によって行われる施術というものは、一方だけでは成り立ちません。
両者によって共鳴しあう、まさに響きあう関係性を得たときに本当の意味の響きが生まれます。

勿論、信頼関係なくして起こり得ないものでもありますし、施術者の心構えもまた影響を与えるでしょう。或いはクライアントの精神状態も関係するに違いありません。

試技はこういう関係性のもとに行うものではありませんので、中々理解してもらえないので難儀するところです。

時々、施術中に滂沱する一群の人々がいます。様々な重荷を背負って生きてきて、心がいっぱいいっぱいになっているのかもしれません。

それが施術によって癒され、感情が解放されるとこういう現象が起きるのでしょう。
特別な何かを小生が持っているわけでもないのですから、人はときとして、人の手のぬくもりを感じ、そしてそれで癒されるに違いないのです。

また逆に自分自身にこらえようのない感情がいきなり噴出することもあります。
どこから沸き起こってくるものなのか、さっぱり分からないのですが、施術中に泣いてしまうこともあるわけです。プロとしては失格なのかもしれませんが、この激した感情をコントロールするのに四苦八苦することがあって、困ってしまいます。

こうした経験を積むうちに本当に共感し、響きあうということがあるのだなぁ、と思うのでした。

いずれにせよ、響きとはこうした現象を含めて言うわけで、肉体的に直截的に感じるものだけを言うのではないと理解して頂きたいと思い拙文を供した次第です。

経絡とリフレクソロジー

経絡とリフレクソロジー。これは初めてのお題ですねぇ。まあ、「リフレクソロジーと経絡」でもいいのですけど。経絡治療家がリフレクソロジーに興味を持つとは思いませんので、ホントは「リフレクソロジーと経絡」と題したほうがいいのかもしれません。

リフレクソロジーというのは足のみで完結する治療法に対し、経絡は全身的に診て行うというのが大きな違いです。

経絡が素晴らしいところはこの全身的なアプローチを可能にする理論であるというところにあると思います。いきなり本丸を攻めることなく、全身的調整を行う必要があるという発想は理に適っていますし、臨床上、確信できるところではありますね。

一方、リフレクソロジーの良いところは足で完結するため、施術が簡単であるというところでしょうか。気軽、お手軽、という言葉のとおり、癒し系サロンでは必ずメニューには加えているようです。

リフレクソロジーの治癒機序や足を揉む意義についてはHPや本などで、「足証九大原理」としてすでに発表しておりますからそちらを参考にして頂ければ幸いです。

反射区の存在は疑いようがないですね。確かにドンピシャリと身体の不調部位が対応反射区に出る場合がありますもの。これは自分の不調のときも経験するところです。

しかし60数箇所の反射区全てにそれが言えるかというと、どうもいい加減なところもあります。いい加減に付け足しで作った反射区じゃないかな、と思うところもあって、全てを肯定でき得ません。

それでも、一通りの反射区を施術することによって、一通りの「足の施術」ができるわけですから、様々な治癒機序が働き、治癒力を引き出していく可能性に思い至ったときに、「この反射区は飛ばして」とか、「ここは揉まなくていいよ」とか言えません。

総合的な観点から判断すれば一通りの方法を教えるより他ないのです。

さて今回、経絡とリフレクソロジーと銘打ったのは、反射区と経絡上の重要な要穴が重なっている部分に言及したかったからです。

足裏で言えば「湧泉-副腎」が該当するでしょう。まあ、これはちょっと置いておいて、「子宮」と「卵巣」の反射区について述べてみたいと思います。

言わずと知れた子宮の反射区には腎経の要穴が集まっております。
腎経というのは腎臓を支配する経絡という意味ではありますが、東洋医学での腎は腎臓だけのことではありません。

脳下垂体系を中心とした内分泌、それを統御する視床下部などの働きが入ります。子宮自体は内分泌器官ではありませんが、下垂体ホルモンの影響を受けて活動しますので、当然そのホルモンのレセプターがあることになります。

したがって、乳腺と同じ仕組みで働くわけですから、乳腺異常がここに出てもおかしくはないのです。経験から言えば、乳房摘出がここの反射区が出ている例に出くわし、驚いたことがあるのですが、経絡の観点ではあり得るものでしょう。

因みに乳腺の外形上の支配経絡は胃経ですので、下肢胃経に強い圧痛反応がある乳房
摘出者もいました(摘出した側だけに圧痛があるのです)。

反射区の中でも子宮の反射区は重要視され、反射率も高いと重宝されているものですが、リフレクソロジーの観点だけではなく、経絡的観点からもその重要性をうかがうことができるのです。

卵巣の反射区は腎の陰陽関係にある膀胱経が該当します。
膀胱経は背骨の際を通っているのをみても分かるとおり、自律神経系と密接な関係があります。

そして、自律神経と卵巣機能はこれまた密接な関係があります。更年期障害を考えても理解できるところでしょう。そしてこの卵巣の反射区もリフレクソロジーの中では非常に重宝する反射区なのです。

このように全く経絡を意識しないで「リフレクソロジーをやっている」つもりでも経絡機序が働き、訴の解決を図っていることがあるわけです。

そのとき、経絡機序が働いたのか、リフレクソロジーの機序が働いたのかを特定することなどできません。

臨床的立場からすればどちらの機序が働いたものであっても全く不都合がないのは当然です。しかし、プロである以上、盲目的な、或いは知識不足による盲信は術者としての実力を向上させる妨げになるかもしれません。
考えるという作業だけは放棄してほしくないものです。

経絡的アプローチにおいても下肢は重要視されますから、リフレクソロジストである立場というのは経絡的にもアプローチしやすいはずです。

足揉みを健康法として一般に広める仕事と、プロとして施術を行い、報酬を得るというのではその要求されるレベルが違います。

療法、療術として取り組むのであれば、今一度、自分の操作の経絡的意義というものを考えていくのも一法ではないかと思う次第です。

整体師のためのブログ・・・

そもそもこのブログのサブタイトルが「整体・リフレクソロジーの話」というわけなのですが、生真面目に論じたり、脱線したりと、まあ好き勝手にやってきました。

特に宣伝めいたところもなく、気の向くまま、勝手気ままに書いてきて、最近では少しずつアクセスも増えているようです。有難いことです。
本来は整体師の整体師による整体師のためのブログ、の予定でした。

しかし、いい加減なのが功を奏しているのか、全く整体師業界とは無縁な人達も定期読者になって頂いているようで恥ずかしいような嬉しいような・・まあ今後ともヨロシクです。

今回は本来の趣旨に戻って、整体的アプローチの意義について語ってみますか。

クラニアルだとか、足証だとか、部分的には述べてきたつもりですが、全体として、何故、全身的アプローチをとるのか、ということについては述べていないような気がします。

整体師を養成するスクールや学校などは☆の数ほどありますが、何故このような方法を教えるのかを詳しく説明しているところはあまりありません。

文章を読み込む人が少なくなっているというのも理由の一つなのでしょうが、せめてどのような理由でこの方法をやり、どのような理由で治癒機序が働くのかくらいは説明しませんと。

小生はHPでそれを詳しく述べているつもりなのですが、ちょっと専門的過ぎるという意見もありましてね。または量が膨大だという意見もあったりして。

概括的にザッと述べられないものか・・とは考えていたんですよ。
しかし中々機会を得ることが出来ませんでした。

さて、整体師のもとにはまあ!ホントに様々な症状をお持ちの方が来られます。
小生のHP-施術百話をご覧になった方は分かるでしょう。

あれはほんのごく一部でしてね。西洋医学的な分類で言えば、整形外科あり、胃腸科あり、内分泌科あり、神経内科ありの・・・・ほとんどの科を列挙できるくらいです。

以前は医者に行く前に来られる方が多かったのですが、最近は医者に行った方、或いは行っている方のほうが多いようです。

医者に行ってください!と言う手間が省けて、楽と言えば楽なのですが、その分、症例的には難しくなっていますね。

何故、こんなに多くの異なった症例でもたじろぐことなく施術できるかと言えば、簡単な話です。ヒトには自然治癒力、若しくは自己修復システムが備わっているからに他なりません。

即効的に治せるかどうかは別として、緊急を要する(即、命に関わる)症例以外対応できるわけです。

整体師の役目というのは、この自己治癒力をいかに高めるか、という一点に価値が出てくるわけで、その方法論がどのようなものであるか、というのは無視できない問題ではないでしょうか。

整体師は医者ほどステータスも高くないですし、収入も医者レベルになるには余程事業センスがなければ無理でしょう。しかし、対応力は本来、医者よりもあるべきものでもありますし、その概括的知識は医学レベルに留まることなく、実に広範な知識が要求されます。

このような職業において、国家資格でもなく明日からでも看板を掲げてできるというのは日本の法制度の不備かとも思いますが、かなり長い間、この状況は続くでしょうね。

ですから、整体師と一口に言っても玉石混交状態なのです。
熱心に勉強する整体師は並外れた知識と技能を有していますし、そうじゃない整体師は素人と大した違いがありません。これは按摩、マッサージ、指圧師、柔整師にも言えることで、百話の中で五十肩を肩板症候群に移行させたトンデモ接骨院があると述べたのはご承知の通りかと思います。

いずれにせよ、整体師の看板を掲げた以上、あらゆる症例に対応していかねばならない宿命にあるわけです。

さて、カラダというものを大雑把に分けて考えた場合、上半身と下半身、左半身と右半身、四肢と体幹・・などに分けられます。ちょっと専門的な用語になりますが、ボクは「末梢」と「中枢」という分け方をしてみたいと思います。

末梢神経、中枢神経などいう言葉はリッパな専門用語ですが、そこまでは厳密に考えなくても良いのではないかと思っております。

例えば、患部があったして、そこは施術上の中枢であり、そこから離れた部位が末梢というふうに考えてもらえれば良いのです。

自己治癒力を高めるという一点に整体師の価値があるとすれば、患部そのものにアプローチするのではなく、周辺から解きほぐし、循環を良くするという発想は自然なものではないでしょうか。

東洋医学の経絡的発想はまさにこのことを体現している方法論ではないかなと、思うわけ。別に経絡的アプローチでなくとも例えば、フルフォード博士などはまさにこのような方法論を取るわけですし、優れた治療家は技法の相違はあるにせよ、基本的に考え方は同じです。

卑近な例で申し訳ないのですが、痛いほど肩コリがあったとして、そのコリの部分に直接アプローチするならば、クイックマッサージになります。これではまたすぐにコッてしまって、その場しのぎでしかありません(すぐにコルくらいならまだ良いほう、下手すれば揉み返しが起きてしまう)

ところが、足の裏を充分にほぐし、首を緩め、頭のコリを解消し、肩甲骨の動きを良くすれば、それが未体験であれば思わずアンビリーバボー!と叫ぶほどに長持ちします。

つまり、肩こり一つとってみても部分の異常ではなく、全身的症状のシグナルなのでありまして、局所的な症状に対して局所的な処置を加えるのは対症療法でしかないのです。

整体師の役割が自己治癒力を高めるということにあるのでしたら、このような方法論は論外です。どのような症状に対してもです。

サロンに勤めていて本来自分の意図しない時間制限や、やり方を強制されるのは仕方ありませんが、少なくとも開業した場合、このことはよく肝に銘じて置かねばならないでしょう。

戦争なら、まず中枢を叩くというのがセオリーです(大将首を取ったところで勝敗が決します)。しかし、癒しは戦争ではありません。

整体術というのは如何に相手と融和するか、ということが問題なのです。相手の急所、弱点を責めるのはイジメなのであって、整体師の仕事は戦争やイジメと対極にあるものなのです。

相手のカラダと対話しながら、いきなり急所をつかず、むしろ気づいてもらう、という無言のカウンセリングが施術というものです。

対話はもっとも忍耐が必要なものの一つでしょう。ご承知のとおりです。
ボクは個人的には短気なほうですが、施術だけは忍耐力を最大限に発揮するようです。

むしろ、持っている忍耐力を施術で全部使い果たすくらいですから、日常、益々短気になるのかな、と思うくらい。― 余談でした。

以上のことから、小生の体内浄化プログラムという手技は足、まさに末梢中の末梢である足裏から始めます。(ミドルコースの場合はこの限りではありませんが)

これは出身がリフレクソロジストだということもあるのですが、少なくとも足からこの世界に入った整体師であることに後悔はしていません。

後悔どころか、足の可能性について誰よりも詳しくなったという意味で誇りさえ感じております。

さらに上肢を入念に行います。こうして末梢神経、末梢循環を高めておいて体幹へ移っていくわけです。

一見、症状とはなんの関係もないところから始めているようですが、これがクライアントも、施術者さえ気づかないほど、ロングスパンで施術の効果を高めてくれるのです。

そして中枢神経の親玉である脳へのアプローチ、即ちクラニアルマニピュレーションでフィニュッシュ、ということになるわけですが、それぞれがまるで漢方薬における生薬の複合効果のように相乗し、自己治癒力を発動させる原動力となりえるわけです。

しかも、単体で責めるものではありませんので、ほとんどの人が痛くない、むしろ気持ち良さの極地を味わうことになります。

この施術を受ければ癒し系と治療系は究極的に一致するということが実感として分かるはず。気ぜわしい現代という社会の中において、このような方法論は贅沢といえば贅沢なものでしょう。

しかし手技法がかつて「王者の治療法」と呼ばれたことを思い出してみれば、整体師の役割を再考するに充分な言葉ではないでしょうか。

※クイックマッサージを全否定しているものではありません。ある一群の人々には必要とされる場合もあります。また、読んでお分かりのように技法等を云々しているものでもありません。あくまで概括的かつ大雑把に考え方を述べたものです。

枕と首

ある人が首の異常を感じ、レントゲンを撮ってもらいに病院に行ったそうな。
すると、5番・6番頚椎あたりに黒い影が写り、専門医への受診を薦められたとのこと。

結局、大きな病変はなく、老化によるものでしょう、という診断。
大事に至らなくてよかったね、というところなのですが、その診断した専門医が気になることを言ったそうです(小生的には)。

「枕は何を使っていますか?えっ?低反発枕?あ~、ダメダメ、低反発枕は日本人には合わないのです。すぐに使用をやめなさい」と。

そんなこと初めて聞きました。
低反発枕は一世を風靡したヒット商品です。小生の使用枕の一つは低反発ですし。

何故「日本人」には合わないのか?
じゃ、何人なら合うのか?

構造的にどのような理由で合わないのか?
事情が許せば詳しく聞きたいところです。

具体的な「低反発枕」という商品名が出てきますので、公に言うと、営業妨害の恐れがあります。故に一般的には知られていない事実なのかもしれませんし、医師の中には時々、独善的に決めつけるタイプの人もいますので、普遍性のない意見なのかもしれません。

しかし、頚椎の専門医が述べるということは、一考の値はありますよね。

過日、NHKの番組で枕の特集をしておりました。
種々参考になりましたね。

首の角度を15度にすると頚椎への負担が最も少なく、楽になるのだとか。
具体的な角度を示した知見に出会ったのは初めてです。

材質も適度な硬さがあるほうが良いとのこと。
フムフム・・・やはり低反発は沈み込みすぎて良くないんだ。

あの特集は結構、反響があるんじゃないでしょうかね。
だって、枕で悩んでいる人って相当数いますよ。

不祥事続きのNHKですが、中々良い番組を作ってくれる。少なくともヤラセがないだけ、安心して観てられます。信用に値するというか・・・・・

早速、15度になるように枕を工夫して寝たら、なんか良いようですよ。

昔、首と肩のコリが酷くて、とにかく朝起きたときが一番コッていてツライという人がいました。結構、そういう人って多いのですが、その方は突出しておりましてね。

まだ若く、しかも男性なんです。何十回も施術をしていたのですが、一向にその症状がなくならなくて、ホントに困りました。

「枕が合わないんでしょう」と言いましたが、こんなんじゃアドバイスでもなんでもないですもの。だって、どういう枕がいいか、と具体的なこと言えないじゃないですか。

あの人、あの番組観ていてくれたらなぁ、とマジで思いましたね。

観ていてシミジミ思ったのはやはり人によってフィットする高さが違うということです。
15度という角度は普遍的な角度だそうですが、その15度角になる高さというのは体格によって違うじゃないですか。

わずか5ミリ単位で調節していくのですが、番組で紹介された方法はお金がかからなくて実に良い方法だとおもいます。タオルなんていくらでもありますもの。ウチにはバスタオルが新品状態でダンボール一箱分あるし。

こういうのが一般に認知されると枕業界は痛手でしょうね。
値段が高いこと高いこと。枕で悩んでいる人はいくつも持っていますものね。

因みにボクが持っている低反発枕は友人がプレゼントしてくれたのですが、なんでも2万5千円したのだそうです(アンビリーバボー!)。

それで首に良くないんですからね。ナンセンスの極みです。

我々の業界も痛手じゃないかって?
まあ、確かに、首コリ、肩コリの人が減るという意味では痛手かもしれませんね。

でも、精魂込めて施術して、それを枕如きで無効にされてしまうストレスに比べれば、なんてことはないです。

モノを売る商売じゃないですから、とにかく自分の身体を使った仕事(施術)の効果が少しでもクライアントの役に立つ、というのを生きがいにしてますでしょ。

前述の若い男性の例にしてもですよ、全力で施術して、翌日の朝にはまた酷い首コリになっているわけ。あらゆる方法を試み、あらゆる施術概念を持ち出し、出来得る限りのことをやっても、そうなんですから。

こういうのは本人もツライでしょうが、施術家にとってもキツイんです。

たかが枕、されど枕。
ジャストフィットすることで愁訴がなくなるという一群の人々が少しでも増えることを願って止みません。

番組の中で枕の高さと頚椎(特に椎間板)に対する影響をやっていましたね。
イメージとしてなら、先刻承知、ていうことになるのですが、ああいうヴィジュアルなもので、しかも色分けしてそれぞれの椎間板にかかる負荷を示されると、説得力が違います。

ジャストフィットした枕では負荷のバラツキがありませんが、低すぎても、高すぎても酷くアンバランスな負荷がそれぞれにかかってしまうのでした。

毎日、少なくとも6時間~8時間は枕を使わざるを得ないでしょ。
そうすると、アンバランス負荷が蓄積されるではないですか。

これは首の問題を絶対に引き起こしますね。
あれを見ると、頚椎ヘルニアなんて、ほとんど枕が原因じゃないかな?などと思ってしまいます。寝違いもそうですね。

とにかく枕と首。これは予想以上の関係です。

賢明な読者なら首の重要性はご存知の通りです。

重要な神経があることは当然のこととして、中でも、僧帽筋を支配している神経や肩甲背部を支配している神経が通っています。即ち、枕が合わないと、合理的(?)に肩コリになるということ。

迷走神経もまた割と浅層部に走っていますから、内臓系や自律神経系も合理的(?)にバランスが崩れてしまいます。

実際、それが原因で不定愁訴やホントの病名がつく病気になっている方もいるのでしょう。
あそこまでアンバランスな負荷がかかるとはね・・・

つまり首だけの問題じゃなくなるっていうわけです。

枕と首の関係は真剣に考えたほうがいいですね。
番組で紹介された方法は非常に安価な方法ですから、絶対に試すべきだと思うのです。

頚椎のどこにもアンバランスな負荷がかかっておらず、脊髄神経もノビノビとまっすぐにスーッと通っているあのMRI写真を見せられたとき、逆に恐怖を感じました。
そうじゃない状態で寝ているとどうなるか?って。

小生悔やまれますね。
寝ながら本を読むクセをつけなければ良かった。

寝ながら本を読むとどうしても枕が高くなります。
それでボクは二つの枕を重ねるのですが、そのまま寝てしまうと次の日がツライことツライこと。

祖父も寝ながら本を読む人でしてね。晩年、脳卒中で倒れ、17年間寝たきりでした。
種々の理由はあるのでしょうが、首を傷めていたのが原因の一つだったかもしれません。

今でこそ、老眼で寝ながら本を読む機会は減っていますが、40歳くらいまでは毎日でした。昔から、首が弱いのは、そういうことでもあるわけだなぁ、と反省しているのですが、考えてみるとボクの知識のほとんどが寝ながら本を読んだ賜物なので、どっちが良かったのか・・・どのみち遅いですけど・・

いずれにしても枕と首の問題。自分的にもクライアント的にも懸案事項の一つだったのですが、その回答が見つかってヨカッタ、ヨカッタ!

※この番組を見逃した方へ
具体的にどのような方法かというと、中々文章では説明しづらいのですが、一応、試みてみます。

まず基本になる座布団を容易してその上にフェイスタオルなり(バスタオルでも良い)を重ねていきます。ホントに微妙なものですから、一枚づつ重ね、自分的にしっくりきた枚数で、さらに手を胸の上にクロスさせて、そのままその枕で横向きになります。そのとき、自分の側頭部と枕の高さが一致し、首が傾いていないかどうかを体感します。もしこのとき、少し不全感を感じるならば、またタオルの増減で調節します。こうしてピタッとフィットした高さが貴方にとって理想の高さ、つまり、首の角度が15度になっているというわけです。

座布団とタオルの堅さが丁度良いらしいのです。なるほど低反発素材は高さが一定しないので決めづらいですよね。

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