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K氏の呪縛

モノの考え方というのは自然に出来上がるようでいてそうではありません。
特に新しいことを習おうとすると、最初に習った人(師)の影響を強く受けるものです。

仮に経験を積み、様々な書物を読み、考え方が変わったと思っていても、心の奥底では最初の考え方を排除することなど至難の業なのです。
無意識について回るものといえましょう。

小生が最初にリフレクソロジーを習ったのは(技術を個別的に習ったわけではありません、考え方そのものを習ったという意味)K氏からでした。

K氏の考え方の柱になるのは「老廃物除去」つまり循環理論です。
「徹底して老廃物を除去する」
除去ですから、その技法は極端な瀉法になるのは当然です。

瀉法は認めるにしても、そのやり方が極端過ぎはしないか、という疑問も後に出てくるのですが、それが今日に至る安定持続圧という極端瀉法に対するアンチテーゼであることを認めるのにヤブサカではありません。

つまり、反面教師という意味で影響を受けているわけです。

K氏の施術家としての力量は技法的な問題だけではないような気がします。
向こう気が強く、気性の激しい人でした。いわば気合で治す、というようなタイプの施術家です。今考えればK氏の赫々たる治療実績は、大部分が個人の気の強さに由来しているのではないかなと思います。

施術家には二つのタイプがいて、一つはK氏のように気迫とか気合で治すタイプで、もう一つは優しく癒しの気で包み込むようなタイプです。

勿論、どちらが良いのかという問題ではありません。それぞれのニーズがあるわけですから、個人の属性に合ったタイプになってもなんら不都合はないわけです。

同じ人間でも、とにかく癒されたいというときと、気合を入れて貰いたいときがあるわけですから、ましてや違う人間が多数いる中でのニーズはそれぞれ成り立つ余地があるのです。

それで救われる人がいる以上、批判の対象にはなりえません。あくまで施術家個人の好みの問題となるわけです。

たまたま小生は、K氏のような強い気迫で臨むというより、心からくつろぎ癒されていると実感してくれれば良いという考え方の持ち主だったようです。

多分に個人の(幼少体験を含めて)属性がそういう考え方を生み出したものと思われます。そういう属性の違いがあるわけですから、施術の仕方や考え方が違ってくるのは必然の成り行きと申せましょう。

さて、ことほど左様に考え方が違い、技法が違っているにも関わらず、やはり呪縛というものはあるようです。

遡れば小生のクラッキング嫌いはK氏の影響を受けているのです。
K氏は極端な瀉法を用いるにも関わらず、クラッキングに批判的でした。というより否定しておりました。理由はクラッキングした関節に老廃物が再溜するというものです。

関節包が破けるものでもないのに再溜するというのはナンセンスだとは思うのですが、別の意味で頻繁にやってはいけないものだと納得しておりました。

理屈を別に依拠しながら無意識にタブー視していたとも言えましょうか。

後に自身の体に経絡感覚が発達してきて、漠然と広がる伝達を感知するに至ったとき、中足趾節関節(MP関節)から上の関節をクラッキングさせたところ、対応経絡上に鈍い響きが広がっていきました。

第三趾には古典経絡では対応経絡がありません。にも関わらず、第三趾からも広がっていき、そしてそれは増永師が教えるところの三焦経そのもののラインなのです。

こうして足にも三焦経が存在していることを実感できたわけですが、単に押圧のみであったら実感できたかどうか・・・

勿論、クラッキングをお奨めするわけではありません。
特にセルフケアーをする方々にはお奨めできないものです。

何故なら、毎日そんなことをやっていると関節包が肥厚して動きが悪くなるからです。
しかし、施術はどんな短期スパンでも一週に一回です。場合によっては二週に一度、一ヶ月に一度の頻度ではあります。

これくらいなら、関節包の肥厚など心配する必要がありません。むしろ経絡上の瀉法として有益ではないかなと思う昨今です。

足は安全です。特に熟練した技術が要求されるわけでもありません。
激しい瀉法を行わない施術家はそういう簡便な瀉法も使えると便利ではあります。

※クラッキング=骨鳴音を伴う矯正系の技法

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