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整体師のためのブログ・・・

そもそもこのブログのサブタイトルが「整体・リフレクソロジーの話」というわけなのですが、生真面目に論じたり、脱線したりと、まあ好き勝手にやってきました。

特に宣伝めいたところもなく、気の向くまま、勝手気ままに書いてきて、最近では少しずつアクセスも増えているようです。有難いことです。
本来は整体師の整体師による整体師のためのブログ、の予定でした。

しかし、いい加減なのが功を奏しているのか、全く整体師業界とは無縁な人達も定期読者になって頂いているようで恥ずかしいような嬉しいような・・まあ今後ともヨロシクです。

今回は本来の趣旨に戻って、整体的アプローチの意義について語ってみますか。

クラニアルだとか、足証だとか、部分的には述べてきたつもりですが、全体として、何故、全身的アプローチをとるのか、ということについては述べていないような気がします。

整体師を養成するスクールや学校などは☆の数ほどありますが、何故このような方法を教えるのかを詳しく説明しているところはあまりありません。

文章を読み込む人が少なくなっているというのも理由の一つなのでしょうが、せめてどのような理由でこの方法をやり、どのような理由で治癒機序が働くのかくらいは説明しませんと。

小生はHPでそれを詳しく述べているつもりなのですが、ちょっと専門的過ぎるという意見もありましてね。または量が膨大だという意見もあったりして。

概括的にザッと述べられないものか・・とは考えていたんですよ。
しかし中々機会を得ることが出来ませんでした。

さて、整体師のもとにはまあ!ホントに様々な症状をお持ちの方が来られます。
小生のHP-施術百話をご覧になった方は分かるでしょう。

あれはほんのごく一部でしてね。西洋医学的な分類で言えば、整形外科あり、胃腸科あり、内分泌科あり、神経内科ありの・・・・ほとんどの科を列挙できるくらいです。

以前は医者に行く前に来られる方が多かったのですが、最近は医者に行った方、或いは行っている方のほうが多いようです。

医者に行ってください!と言う手間が省けて、楽と言えば楽なのですが、その分、症例的には難しくなっていますね。

何故、こんなに多くの異なった症例でもたじろぐことなく施術できるかと言えば、簡単な話です。ヒトには自然治癒力、若しくは自己修復システムが備わっているからに他なりません。

即効的に治せるかどうかは別として、緊急を要する(即、命に関わる)症例以外対応できるわけです。

整体師の役目というのは、この自己治癒力をいかに高めるか、という一点に価値が出てくるわけで、その方法論がどのようなものであるか、というのは無視できない問題ではないでしょうか。

整体師は医者ほどステータスも高くないですし、収入も医者レベルになるには余程事業センスがなければ無理でしょう。しかし、対応力は本来、医者よりもあるべきものでもありますし、その概括的知識は医学レベルに留まることなく、実に広範な知識が要求されます。

このような職業において、国家資格でもなく明日からでも看板を掲げてできるというのは日本の法制度の不備かとも思いますが、かなり長い間、この状況は続くでしょうね。

ですから、整体師と一口に言っても玉石混交状態なのです。
熱心に勉強する整体師は並外れた知識と技能を有していますし、そうじゃない整体師は素人と大した違いがありません。これは按摩、マッサージ、指圧師、柔整師にも言えることで、百話の中で五十肩を肩板症候群に移行させたトンデモ接骨院があると述べたのはご承知の通りかと思います。

いずれにせよ、整体師の看板を掲げた以上、あらゆる症例に対応していかねばならない宿命にあるわけです。

さて、カラダというものを大雑把に分けて考えた場合、上半身と下半身、左半身と右半身、四肢と体幹・・などに分けられます。ちょっと専門的な用語になりますが、ボクは「末梢」と「中枢」という分け方をしてみたいと思います。

末梢神経、中枢神経などいう言葉はリッパな専門用語ですが、そこまでは厳密に考えなくても良いのではないかと思っております。

例えば、患部があったして、そこは施術上の中枢であり、そこから離れた部位が末梢というふうに考えてもらえれば良いのです。

自己治癒力を高めるという一点に整体師の価値があるとすれば、患部そのものにアプローチするのではなく、周辺から解きほぐし、循環を良くするという発想は自然なものではないでしょうか。

東洋医学の経絡的発想はまさにこのことを体現している方法論ではないかなと、思うわけ。別に経絡的アプローチでなくとも例えば、フルフォード博士などはまさにこのような方法論を取るわけですし、優れた治療家は技法の相違はあるにせよ、基本的に考え方は同じです。

卑近な例で申し訳ないのですが、痛いほど肩コリがあったとして、そのコリの部分に直接アプローチするならば、クイックマッサージになります。これではまたすぐにコッてしまって、その場しのぎでしかありません(すぐにコルくらいならまだ良いほう、下手すれば揉み返しが起きてしまう)

ところが、足の裏を充分にほぐし、首を緩め、頭のコリを解消し、肩甲骨の動きを良くすれば、それが未体験であれば思わずアンビリーバボー!と叫ぶほどに長持ちします。

つまり、肩こり一つとってみても部分の異常ではなく、全身的症状のシグナルなのでありまして、局所的な症状に対して局所的な処置を加えるのは対症療法でしかないのです。

整体師の役割が自己治癒力を高めるということにあるのでしたら、このような方法論は論外です。どのような症状に対してもです。

サロンに勤めていて本来自分の意図しない時間制限や、やり方を強制されるのは仕方ありませんが、少なくとも開業した場合、このことはよく肝に銘じて置かねばならないでしょう。

戦争なら、まず中枢を叩くというのがセオリーです(大将首を取ったところで勝敗が決します)。しかし、癒しは戦争ではありません。

整体術というのは如何に相手と融和するか、ということが問題なのです。相手の急所、弱点を責めるのはイジメなのであって、整体師の仕事は戦争やイジメと対極にあるものなのです。

相手のカラダと対話しながら、いきなり急所をつかず、むしろ気づいてもらう、という無言のカウンセリングが施術というものです。

対話はもっとも忍耐が必要なものの一つでしょう。ご承知のとおりです。
ボクは個人的には短気なほうですが、施術だけは忍耐力を最大限に発揮するようです。

むしろ、持っている忍耐力を施術で全部使い果たすくらいですから、日常、益々短気になるのかな、と思うくらい。― 余談でした。

以上のことから、小生の体内浄化プログラムという手技は足、まさに末梢中の末梢である足裏から始めます。(ミドルコースの場合はこの限りではありませんが)

これは出身がリフレクソロジストだということもあるのですが、少なくとも足からこの世界に入った整体師であることに後悔はしていません。

後悔どころか、足の可能性について誰よりも詳しくなったという意味で誇りさえ感じております。

さらに上肢を入念に行います。こうして末梢神経、末梢循環を高めておいて体幹へ移っていくわけです。

一見、症状とはなんの関係もないところから始めているようですが、これがクライアントも、施術者さえ気づかないほど、ロングスパンで施術の効果を高めてくれるのです。

そして中枢神経の親玉である脳へのアプローチ、即ちクラニアルマニピュレーションでフィニュッシュ、ということになるわけですが、それぞれがまるで漢方薬における生薬の複合効果のように相乗し、自己治癒力を発動させる原動力となりえるわけです。

しかも、単体で責めるものではありませんので、ほとんどの人が痛くない、むしろ気持ち良さの極地を味わうことになります。

この施術を受ければ癒し系と治療系は究極的に一致するということが実感として分かるはず。気ぜわしい現代という社会の中において、このような方法論は贅沢といえば贅沢なものでしょう。

しかし手技法がかつて「王者の治療法」と呼ばれたことを思い出してみれば、整体師の役割を再考するに充分な言葉ではないでしょうか。

※クイックマッサージを全否定しているものではありません。ある一群の人々には必要とされる場合もあります。また、読んでお分かりのように技法等を云々しているものでもありません。あくまで概括的かつ大雑把に考え方を述べたものです。

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