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施術上の響き

施術上の響きの概念はもともと故増永静人師が詳しく論考したのが始まりではないかなと思います。

鍼の世界では随分と前から言われているようですが、専門ではありませんので言及できません。

少なくとも手技法において響きの概念を一般に広めたのは増永師をもって嚆矢としなければならないのではないかと思う次第です。

実はリフレクソロジーにおいての響きの表現は、私が最初に使いました。

小生の論文を見て、勤めていたリフレクソロジー学院のオーナーが採用したものでした。
他校との差別化を図るものであったのでしょう。それがそのままキャッチコピーにもなり宣伝文句としてはかなり有効であったようです。

なぜなら、響きに魅力を感じて来校される方も多数いらっしゃったからです。
資料請求数だけなら、当時の最大手校を上回ったことさえあります。

しかし、時代は流れ、響きという言葉は一般化し、当時の最大手校でさえ、文中に使うようになりました。また、整体分野のおいても使うところはあとを絶たず、もはや差別化どころか、非差別語化さえしているのが現状でしょう。

しかし、リフレクソロジーにおいても整体においても響きの概念の重要性を失っているわけではありません。

むしろ、一般化し宣伝文句として訴求効果がなくなっているときにこそ、響きの意味を探るのは意義のあることではないかと思うのです。

かつて某リフレクソロジー学院で中間管理職の悲哀を一身に浴びていたとき、部下が説明会に来た入学希望者に対して体験施術を行いました。部下が曰くには「響きを体験したくて来たのに、感じられませんでした。ですから帰ります!って、帰ってしまいました」と。

当時の手技法そのものが、響きを感じさせるのに不十分なものでありましたが、実はもう一つ原因があります。

それは何かというと、個人の感受性の問題があるのです。
もともと響きとは体性神経で感じるものとは全く別のものなのです。

響きというのは言葉にしか過ぎません。ですから、響きを感じるその人の感性がどう捉えるのか、それは人それぞれなのです。或いは、響きというものをどのようにイメージしているのかにもよります。

足を押されて頭のテッペンにまで響けば誰でも「響き」であると感じるでしょう。しかし、そういう人は稀です。そうでなくとも響きというのは必ずあるものなのですが、これを言葉で説明するのはかなり難しい作業です。

まず、施術者の指の存在を感じない、というのが最初の条件になるでしょう。加圧力のみ感じ、それが茫漠な或いは曖昧な圧力が足裏から(リフレの場合)広がるような感じとでも言ったら良いのでしょうか。

勿論、身体のそこここにパルスのような疼きにも似た感覚を覚える方もいるでしょう。何度も言いますがそのように明瞭に感じるものだけを響きとは言わないのです。何処とは特定できないものですが、奥に感じる何かなのです。

ちょうど内臓の調子が悪いとき、ここだ!とは特定できないものですが、明らかに不全感を感じるようなものと似ているかも知れません。

高次神経系ではなくもっと原始的な自律神経的な感じ方だと言えるでしょう。
説明不能に近いのですが、この場合は経絡機序が働いていて、その経絡機序は細胞間伝達の所謂、液性伝導に近いのですから仕方ありません。

これを感知するにはその人の身体の状態や、感受性が絡んできて、こういうのを響きというのだよ、とは例を挙げて説明できないのです。

そのような一群の人々もいますので、腕神経叢などがある前頚部の付け根を押して物理的に神経的に有無を言わさず、正中神経などに響かせる技法も発達してきました。

しかし、それでも感じない人もいます。そういう人は健康体と言ってもいいのですが、そういう人に感じ取れ、と言っても無理な話ではあるでしょう。

もう一つの響きの感覚は施術者との一体感があるということです。
響きという言葉自体にこの意味が含まれないので、誤解するところではありますが、本来、響きというのは施術者と被術者があって成り立つものです。

そこには当然、心の交流があるのが望ましいわけです。さらに心を超えた生命的な交流が起きたとき、必然的に一体感が生まれるのです。そして(ああ、癒されているなぁ、これで自分は治っていくかもしれない・・)とクライアントが思ったとしましょう。実はそのことこそ、生命的な響きであり、物理的な響きとは次元を異にする本来の命の響きになるわけです。

自己と他者によって行われる施術というものは、一方だけでは成り立ちません。
両者によって共鳴しあう、まさに響きあう関係性を得たときに本当の意味の響きが生まれます。

勿論、信頼関係なくして起こり得ないものでもありますし、施術者の心構えもまた影響を与えるでしょう。或いはクライアントの精神状態も関係するに違いありません。

試技はこういう関係性のもとに行うものではありませんので、中々理解してもらえないので難儀するところです。

時々、施術中に滂沱する一群の人々がいます。様々な重荷を背負って生きてきて、心がいっぱいいっぱいになっているのかもしれません。

それが施術によって癒され、感情が解放されるとこういう現象が起きるのでしょう。
特別な何かを小生が持っているわけでもないのですから、人はときとして、人の手のぬくもりを感じ、そしてそれで癒されるに違いないのです。

また逆に自分自身にこらえようのない感情がいきなり噴出することもあります。
どこから沸き起こってくるものなのか、さっぱり分からないのですが、施術中に泣いてしまうこともあるわけです。プロとしては失格なのかもしれませんが、この激した感情をコントロールするのに四苦八苦することがあって、困ってしまいます。

こうした経験を積むうちに本当に共感し、響きあうということがあるのだなぁ、と思うのでした。

いずれにせよ、響きとはこうした現象を含めて言うわけで、肉体的に直截的に感じるものだけを言うのではないと理解して頂きたいと思い拙文を供した次第です。

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