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チャングム

チャングムとはご存知、韓流ドラマ「チャングムの誓い」の主人公の名。
一世を風靡しましたね~。
小生、幾人もの人達からこのドラマの面白さを伝えられ、観るよう薦められました。
しかしどういうわけでしょうか、主人公が可憐な乙女で、かつその主人公が意地悪されたり、イジメにあったりする設定が馴染まないのです。最後、乗り越え、立派になると分かっていてもです。
ですから、2回くらい観まして、もういいや!でパスしました。
DVDが出ても借りる気も起こらず、最近ではネットで無料配信されたらしいのですが、それも素通りでした。
それでも、少しだけ気になっていたのは東洋医学や薬膳などがドラマの背景になっているということです。何せ、朝鮮では最も成功した実在の医女の物語なのですから。

さて、GW前、スタッフが気を利かせたのでしょうか、GW中の読書として、このチャングムの原作本を貸してくれて休暇に入りました。
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(クリックで拡大できます)


(う~む、チャングムか・・どうかなぁ~読むかなぁ、まあ、暇だったら読むかもしれないなぁ)程度の感想です。
文庫本で三冊。手にとってみると、ちゃんと三巻目で完結しているようです。
(あんな長大な物語が大きめの文字を使った文庫本三冊で収まるのか?)
という素朴な疑問が芽生えました。
ハードカバー本なら、少々厚くすれば一冊で収まるはず。
それほど長いものではありませんから、まあ読んでみようか、の軽い気持ちで読み始めたわけです。
すると、驚きましたねぇ。
場面展開の早いこと。それと巧みなストーリー構成力。
原作者はキム・サンホンという人なのですが、作家として並の才能ではないようです。
訳文もこなれていて非常に分かりやすい(米津篤八訳)。

(あれ、自分が観た2回分のシーンがないぞ)
そう、「チャングムの誓い」というドラマはこの「チャングム」という小説に基づいて作られているのですが、ドラマ化にあたり、原作にはないエピソードを付け加えているようなのです。
小生が心配した意地悪シーンも原作ではそれほどネチネチとページを割いているわけではありません。それでいて強烈な印象を残しています。
なるほど!小説としての出来が良いから、ドラマ化したんだなぁ、ということがあらためて分かった次第。
あっと言う間に読み終わりました。
面白いですねぇ。あらためてチャングム!
実にタメになります。こういう仕事をしていると特にそうです。
よく背景にある東洋医学を調べて書いているなぁ、ですよ。
物語自体の面白さもさることながら(だから一気に読んだのですが)、東洋医学が軸になって進むところは圧巻です。
具体的な処方はどうでもいいのですが、その思想というか、考え方をチャングムが一人で体現しているかのようです。
一人の心根の優しい女の成功物語として読んでも、東洋医学思想の源泉として読んでも、また朝鮮医学の歴史モノとして読んでも、面白いことには変りがありません。
それぞれが感じとれば良いわけです。

その面白さを全部伝えることなど出来るわけがありませんから、例によって、どうでもよいような面白いことを、解説付きでご紹介したいと思います。

三巻目に出てくる「相思病」という病。
これ面白いですね。
次回「相思病」について書きます。

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温泉の効能

前のブログ(椎間板という題)で少し温泉について書きました。
なにせ、小生の施術家としての本格的なキャリアは温泉から始まっていますからね。
温泉足揉みを日本で最初に始めたのはおそらく小生であろうと、秘かに自負もしていたりして。

言ってみれば温泉足揉みの発祥の地は旭岳温泉「湧駒荘」でもあるわけです。前のブログでも述べたかと思います。
Photo
(クリックで拡大)
因みに「ゆこまそう」ではなく「ゆこまんそう」と読みます。

大正の初期に当時の素封家、小西氏が初めてここに温泉場を開いたのがキッカケでした。
そう、旭岳温泉のもともとのルーツは「湧駒荘」であって、その名は現在も引き継がれているのです。
しかし、経営者&オーナーもすっかり変わり、小生が足揉みをやっていた頃の人達でさえ、誰もいないのは寂しい限りです(何度か転売されています)。

建て直す前の旧館(小生がやっていた頃の)正面の写真をネットで探したのですが、さすがにありませんでした(本館の後部にまだ宿泊施設は残っているらしいのですが)
ネットに公開されている写真で当時を思い出させるのは、湯船の縁にある木材がそのまま使われていることです。写真では分かりづらいとは思いますが、拡大して見てみてください。
Photo_2 (クリックで拡大)

「檜」であったか、「キハダ」であったか・・・いずれにせよ相当に年季が入っていて、往時を偲ばせるのに充分な貫禄がありますね。

さて、この湧駒荘、小生が入っていた頃は、老朽化した建物、設備等で気が引けたのか、泉質の割には割安な宿賃だったような気がします。
確か、一泊二食付で6千円くらいだったかな(安いよね)
ですから、まさに湯治のお客も多くてですね、GW中などはずっ~と連泊する方もたくさんいました。
1990年のGWは小生もずっと施術でここに入っていました。
宿泊者も温泉に入る他、することがないですから、連日、施術に訪れるわけです。
すっかり顔馴染みになったものです。
ですから、温泉の効能というのはある期間入り続けて初めて真の威力を発揮する!ということを肌で知っているわけですよ。

湧駒荘の温泉の凄いところは、源泉をそのまま使用しているということでしょうか。
温めもしないし、水で薄めもしません。ホントにそのままです。
ずっと源泉を流しっぱなしにして、浴槽を洗うときだけ、止めます。
それでもこんこんと湧いてくるのです。掘らなくとも、勝手に湧いてくるのですから。
本当の意味での自然の恵みですよ。
(少なくとも小生が施術をしていた頃はそうでしたね)
ですから、所謂「通」な人たちが口コミで来るようなところでした。

温泉の効能を語るとき、当然、その泉質によって吟味されます。
成分を分析して、これこれの成分だからこれこれの症状によく効くとか。
単に経験だけではなく、科学の目が入ったところに、温泉ブームの下地が作られたような気がします。
それはそれで良いと思います。(あ~この湯は神経痛に効くんだな)と思って入れば心理的な効果もあるに違いありません。

ただ、長くこういう場所で施術していると、どうもそれだけではないような気がして仕方ありませんでした。
なんと言いますか、“場”のエネルギーみたいなものでしょうか。エネルギースポットと言えばニューエイジっぽい語感ですけど・・
小生、生まれて初めて“気”というものがあるのかもしれないなぁ、と思ったのも湧駒荘で湯治客相手に施術をしたのがキッカケだったような気がします。

後に東洋医学を学んだときに温泉の深い意味が分かりました。
本当の温泉は火山活動のつまり「火」の性質によって暖められます。そのお湯は「水」ですから、「火」と「水」、正反対の性質を持つものです。まさに陰陽一体なのです。また、温泉はもともと地下水脈ですから、それが浄化され、飲用に耐えるのは「土」の性質が関与しております。さらに、浴槽を「木」で作り、岩風呂を備えれば「金」の性質も一体化できます。
ここに「木」「火」「土」「金」「水」という五行の“エネルギー場”が完成するわけです。
湧駒荘はこの全てを満たしておりました。
木で作った浴槽と岩風呂もありましたし、飲用に耐えるほどの浄化度です。マグマだけで温められ、水道水で温度を下げることもしません。完全無欠のエネルギースポットであったわけです。
何故、旭岳温泉が秘湯と呼ばれてきたのか・・・それが分かったのは随分後のことでした。

その“エネルギー場”に身体が馴染み始めるのに最低3日はかかるな、と思ったのも湯治客の反応やら、お話やらの中で体験的に分かってきたものだったわけです。
数多くの「通」がいましたからね。

勿論、小生も施術の日は必ず温泉に入っていました。仕事の終わりに最後温泉に入って疲れを癒す(なんという贅沢な環境!)。しかも無料で。
(そういえば食事も無料でした。温泉宿の賄い食事は美味いんですよ~お客に出す料理より美味いかもしれません)

ただ、若いときでしたので、身体の故障も不都合も全然なくて、全くの健康体でしたから、温泉に入ろうが入るまいが、元気なんですよ。
それでも、気が満ちていくのが何となく分かるようになってきました。
今なら分かりまくりでしょうね。

しかし、考えてもみてください。
湯治で連日温泉療法です。それに加えて連日、施術を受けるわけです。
それが一週間、続くわけですよ。1990年のGWは一週間連続でやりましたもの。
これでクライアントが元気にならないわけがないじゃないですか!

印象に残っているのはある無口な初老の男性でした。
ホントに無口でして、最初は何にも喋らないわけです。
施術後も何にも喋らない。気に入ったのか気に入らないのか、こっちとしては全然分からないですよね。それでも連日予約しますので、まあ、来てくれる以上は何か感じるものはあるのだろうとは思っておりました。
やがてポツポツと身上話を喋るようになってきたのですが、その方、会社を興して随分、成功されたようなのです。
それにしては元気がないというか、覇気がないわけです。湯治に来るくらいだから、体調が良くないんだろうなぁ、くらいのそんな軽い気持ちでした(当時は問診表を書いてもらうという知恵がなかったんです)
4日も経ったときでしょうか、衝撃的な告白を聞きました。
実はこの方、癌で余命3ヶ月。もはや末期で、現代医学では手の施しようがない状態だとのこと。驚いたこと。驚いたこと。そんな方を施術するなんて初めてのことです。
驚かないほうがおかしいでしょう。
医学的な知識もほとんどないですしね。どう対処していいか分からないわけですよ。
絶句です(ホント若いですよね、当時の小生)。
確か肺がんです。肺がんでこんな高地の酸素の薄いところで大丈夫なのかな、と思った記憶がありますもの。そして肺がんというのは末期でもあまり痩せない、ということもこのとき知ったような気がします。
道理で、覇気がないし、顔色もすぐれない感じがしてたわけだ。
変に納得してしまったのですが、そんな素人に毛が生えた程度の小生にでさえ、この方の変化はハッキリ分かりましたよ。
なんというか、語彙が少ないのはこういうときに困りますね。
ありきたりの言葉で言えば、“元気”になっていくわけです。
ドンドン元気になっていくのです。
宿を去る最終日などは、ジョークを飛ばし、大笑いさせられたのを覚えています。
(あ~、本来、この人はこういう人なんだろうな)と思ったものです。

さて、ここで肺がんが治り、奇跡的な生還を果たした、という報告があったという話なら、グッとくる物語になるでしょう。
現実は違います。実はどうなったか、分からないのです。
事情により小生は、ほどなく温泉足揉みから足を洗いました(シャレじゃないですよ)。
ですからこのケースの結末をお伝えすることができません。
HPのどこにも書いてない所以でもあります。

しかし、小生の初めてのケースであるということと、あの尋常ならざる回復力が非常に強い印象となって、心に焼き付いているわけです。

その他、多くのことを湧駒荘で学びました。
湯治というものの本質。そして、施術との相乗効果。
それを直接的に今に生かせていないのは小生の力不足以外の何物でもないのですが、いつかこの体験が役立つときも来るだろうと思っております。
また、温泉で施術している同業者にもある種エールを送る意味でこの記事を書きました。
自信を持って施術をされたら良いだろうと・・・
仮に経営者が、人使いが荒く「困ったちゃん」なやつでも、現場で学ぶことは数多くあります。施術家として血となり肉となるよう貪欲に吸収して頂ければと思います。

※ドイツ発祥のクナイプ療法というのがあります。
 なんのことはない、日本で言えば「湯治」のことです。
 大自然の中で悠然と温泉につかり、身体を芯から癒す。洋の東西を問わず、普遍的な  方法論ではあるでしょう。あるエネルギースポットに身を置いたとき、自然治癒力が猛然と働きだします。そのエネルギースポットを簡単に探すのに、定評ある温泉を見つければ良いわけですから、火山国、日本ならではの便利さでしょう。世界中探したってこんな国はありません。地震が多いのは困ったものですが、その代わり温泉という恵みを天が与えたような、そんな気がしてなりません。そして、それを利用しないのであれば、日本人として受ける恵みを半分放棄したも同然です。

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デジタル加工

 面白いというか、衝撃的な写真をネットニュースで見かけました。
 ご存知キャメロン・ディアス。
 まずは二つの写真、じっくりとご覧あれ。
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(それぞれワンクリックで拡大できますよ)

修正後と修正前の違い、驚いちゃった。
日本でもアイドルの写真修正の是非は問題になりましたが、ハリウッドでは常識みたい。
美容整形だけじゃなかったのね~。
しかしこんなにも簡単に加工ができるわけですから、お見合い写真の意味合いなんか、現代では全然変わってきますよね。

昔のアナログ写真のときでさえ、お見合い写真は5割ほど割り引いて見なきゃ、なんて言われていました。
現在の技術なら、10割引きで考えなきゃいけない?
つまり、本人じゃないと思ったほうが良いってことさ。

これ、どの程度のソフトがあれば出来るのでしょうか。
技術の進歩を考えると、それほど高額で高度なソフトじゃない気もするけど。

ここでちょっとした疑惑があるんだ、この写真について。
ホントは修正前と修正後が逆じゃないかって。
つまり、キレイな方のキャメロンが普通で、わざと修正してシワシワにしたのが加工品・・?
キャメロンは主役を張れば、ん千万ドルのギャラを貰うプロ中のプロでしょ。
そういう人が無防備にこんな写真を撮らせるかな・・?
不意打ちで撮られたって言ってもカメラ目線ですし。
だから、誰かがイタズラして、わざと変な写真に作り変えたとかさ。
デジタル加工は美しくもできるわけだから、同じように醜くもできますわね。
うがちすぎかもしれませんけど、あり得る話です。
事の真相を知るには生身のキャメロンに会わなければいけません。
それで、亜美之介もGW中、ちょっとLAまで行ってきますわ。
アポはすでに取れています。
本人とメシでも食いながらよく観察してきます。

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椎間板

Spine 大人になるまで生きてきて椎間板を知らない御仁はいないと思います。
簡単に言えば、椎骨と椎骨をつなぐクッションの役目を担うもの。
このお陰で我々はある程度、身体の自由が利くことになります。
この椎間板はコラーゲン質の所謂、軟骨で出来ていて、骨より柔らかいものです。
柔らかいから椎間板ヘルニアのような障害が起きるのだろうと思いがちですが、ある意味外れています。
強度自体でいえば、椎骨の耐圧は400キロ~500キロですが、椎間板は600キロもの耐圧力を持っているのです。
ですから、全身打撲で脊椎骨折があっても椎間板は無事、なんていうこともあり得るわけです。
これは柔らかいが故に強いとも言えるわけで、人体というのは上手く出来ているものですね。
こんな性能の良い椎間板なのですが、一つ弱点を持っています。
それは老化しやすいということ。骨よりもはるかに老化しやすいのです。
コラーゲンですからね。お肌を考えればよく分かりますでしょ。
お肌にもコラーゲンが含まれていて、それがある意味、ハリを持たせているのですが、ある年齢になりますと、どんな若作りのヒトでもタレてきます。
美容整形のリフトアップでもすれば別でしょうが、普通は大差なくタレてくるものです。
だから、肌に気を使い、コラーゲン入りやらヒアルロン酸やらエラスチンやら入りの化粧品で手入れをするのですね。ちゃんと手入れしますと、それなりに老化を遅らせることはできます。
ところが、椎間板の老化を防ぐ手入れというのは難しいものです。
そもそも目に見えないわけで、自分の椎間板がどうなっているのか、分かりませんしね。
老化が進むと椎間板の中心にある髄核というゼリー状のものが、減って弱くなった外殻を突き破ってくる場合があって、これを椎間板ヘルニアというわけ。

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「椎間板減るにゃ~」というネコ語はあながち間違いではないのですcat

椎間板というのは血管が通っているわけではありませんので、栄養補給の手段は限られています。リンパ液が浸透して滋養しているのですが、筋肉が硬くなって、それを邪魔することになります。筋肉の硬化は老化により起きますから、結局、加速がついて椎間板が潰れていくわけです。
椎間板がいつ頃から老化するかというと、想像より早い時期ですよ。もう20代前半から始まります。

日頃から運動などで若い筋肉を維持していくのが望ましいのですが、それを実行しているヒトは小生を含めて多くはありません。
「脊椎狭窄症」や「椎間板減るにゃ~」の予備軍は相当な数に登ると思います。
運動嫌いのヒトは定期的に筋群を緩めてもらうより他ないでしょうね。

なっちまったヒトはどうするか?
現在、椎間板は一度磨り減ると、もう元には戻らないと言われています。
難しい言葉でいうと「不可逆的」であると。
しかし、それを鵜呑みにする必要はないと思います。
発症自体が高齢であることが多いので、復元力が働きづらく、そういう結論になることは分かりますが、かつて動脈硬化(アテローム状)も不可逆的といわれていました。しかし今では学説が変わっていますからね。
充分な環境があれば復元するものと思いますよ。
あんまり高齢だと難しいですけど。
50代くらいまでなら充分可能性があります。

あとライフスタイルね~。これが問題なんだ。
「椎間板減るにゃ~」で腰痛を起こしているヒトは、折角、施術しても普通に仕事をしたりと、無理していますわね。
そもそも、西洋医学で入院制度があるのは、「こんなの、普通に生活してて治るわけないじゃん。もう入院しなよ」という意味でしょ。
我々の最大の弱点は入院制度がないということなんです。
そこで、前に旭岳温泉で日本初の温泉足揉みをやったとき、考えました。

(写真は小生が施術していた頃の旧館ではありません。建て直してしまいました。旧館は昭和3年建築のオール木造という凄いものでしてね。文化財並みでしたよ。湧駒荘と言って小生の発祥の地みたいなものかな。クリックすれば拡大できます)
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たまたまそこは湯治温泉でしてね。
施術とセットで売り出したらどうかって。
毎日好きなときに温泉に入って、毎日必ず一回は施術するわけよ。
10日もそんな生活をすれば相当に復元力は働きますわ。
温泉との相乗効果って高いものがありますからね~。

観光で2泊とかそんなんじゃダメよ、全然。
湯治は最低でも10日はほしいところ。
それがダメだったら、妥協して一週間。それ以下は湯治にならない。
温泉に身体が馴染むまで三日かかりますからね。
それからですから、身体が変わっていくのは。
でも、これダメなんです。法律の壁があって。
温泉自体の効能は謳えますが、例えば「腰痛改善湯治(施術付)」なんていうのは商品化できないわけ。
まあ、小生も週2日しか入っていませんでしたから、そのうち知恵を絞るのも嫌になって、立ち消えになりました。
湯治との相乗効果というのは凄い威力なんですけどね。
腰痛に限らず、なんだって効きますよ。
温泉に行ってきたという話はよく聞きますけど、10日ほど湯治に行ってきましたっていう話はあまり聞きませんよね。現代は忙しい世の中なんですねぇ。
日本にはこんな凄い療法があるのに・・・
それに施術を組み合わせてごらんなさいや。
史上最強の自然療法ですよ。
え?なに?湯治の途中で元気になり過ぎて・・大酒飲んで身体壊すって?
ふ~む、傾聴に値する意見だな。bottle

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明生館(メイセイカン)

明生館をミョウショウカンと読む人はザラにいますし、中にはアキオカンと読む人さえいます(知り合いに明生さんという人がいるのでしょう)。
小生の名前まで明生さんだと思っていた人までいますもの。

名前を決めるときは結構考えました。当然ですよね、屋号ですから。
基本的には何でも良かったのですが、一つ思ったのは、濁音が入らない名前がいいなぁと。
フラットな音は言いやすいではないですか。
小生の本名は姓と名でそれぞれ一つずつ濁音が入りまして、なんかいいづらいわけです。
屋号は濁音なしでいこう!とそれだけは決めていました。
あとカタカナ系はガラではないな、とも、ひらかな系は可愛すぎるし、とも思っておりました。
すると漢字系ということになって、何か良い名前はないものかと・・・と。
2時間は悩んでいたでしょうか。(たった2時間!)

すると、天啓の如く閃いたのです。
「生を明らかに見る館」、つまり明生館。
おおっ!漢方的には深い意味があるぞ!
そんな深い意味でなくとも、「明るく生きる館」とでも言えば説明しやすいし。
まあ、こんなノリ。
「~療術院」とか「~施術院」「~堂」にしなかったのは前述のように濁音が入るからでした。そうするとあとは「~館」くらいしかないですものね。

明生館は別表記すると「目胃背肝」と書きます。
ご存知でしたでしょうか?
おそらく古くから知り合いだった方でも初耳に違いありません。
何故なら、今、考え付いたからです。

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太陽神経叢

正式な解剖学用語では「腹腔神経叢」と言います。
簡単にいうとお腹にある「脳」のこと。
反射区療法が専門の施術家ならお馴染みの名前でしょう。

この神経叢は交感神経節ですので、ストレスによって最大に緊張します。
交感緊張は当然ながら、内臓の活動を低下させます。
過剰なストレスが内臓の働きを悪くするのはこのことに原因があるわけですね。
内臓の調子が悪いと、体壁反射と言って、背中の筋群を強張らせますから、このことにより血流、リンパ循環、神経伝達が阻害されて、さらにドツボにハマっていくことになるわけです。
こんな悪循環を繰り返していると、たちまち身体が疲弊してしまい、病気になって死んでしまいます。

そこで、昔、知恵者がおりましてね。
6日も働いたら、一日は休息しようと。
限度は6日じゃないかな、と。
人々を働かせる権力者にとっては都合が悪いので、神様の命令だ!くらいの権威付けをしなきゃいけません。
こうして安息日が決められたわけですが、人類にとっては大変有益でした。
また過酷な環境で生きていますと、身体全体がオーバーワークに陥ります。
そこでせめて、内臓を休ませる期間を作らなきゃいけない、というわけでラマダン(断食)の習慣が出来ました。
ついでにアルコールは脱水作用が強いので、砂漠の民にとっては致命的な事態になりかねませんから、いっそ禁酒にしちまえ!でアルコールご法度の制度も出来ました。

宗教の戒律というのはある種、生きていくための知恵だったんですね。
現代に生きる我々にとっても示唆深い内容を秘めているのです。
週休2日の時代ではありますが、本当の意味で安息日を過ごしている人々はどれくらいいるでしょうか。
休肝日を作らない酒飲みのこの多さはどうでしょう。

教条的になる必要はありませんが、フト、太陽神経叢の負担を思いやり、生活を振り返る必要があるのかもしれません。

な~んて、スゴイ真面目なことを書いてしまった。
なんでかというと、昨日からどうもお腹の調子がよろしくないのですよ。
背中もビンビンに張ってきてますしね(ちょうど太陽神経叢の裏あたり)。
やっぱ夜食に日清ヤキソバ(大判)を三袋も食っちゃいかんよなぁ。
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(写真はワンクリックで拡大できますよ)

教訓垂れる前に自分で自分の始末をつけろ!てかっ。
言行不一致の原則を持っている亜美之介でした。

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副腎

副腎は福神漬けとは違います。
その証拠に、副腎皮質ホルモンとは言っても、福神漬けホルモンとは言わないではないですか。
さらにカレーに福神漬けがなくとも食べられますが、副腎のない人体は考えられません。
ことほど左様に副腎と福神漬けは違うのですが、それでも理解できない人のために、副腎の講義を一席ぶちましょう。

副腎は本来由来の違う内分泌器官が一つに合体したものです。
現在は「副腎皮質」と「副腎髄質」とに分けられていることはご存知でしょう。
昔、別々に存在していた名残なのです。
皮質が恋心を抱いたのか、髄質が一目惚れしたのかは定かではないのですが、いつのまにか恋仲になり、遂に同棲し始めました。
すると、意外に便利なことがわかりました。
別個の違うホルモンを出す個性を持つ二人だったのですが、本質的には同じ目的を共有することに気づき、協力しあって家庭を築くことに成功したのです。
気づいて築いたのですから傷つくことはありません。
そう!二人はソウルメイトだったわけです。
(マッチー、結婚おめでとうね)

二人の共通の目的は人類をストレスから守るということでした。
つまりこうです。
ストレスを受けます。すると細胞が疲弊します。これはバカにできない。60兆個もの細胞が被害を受けて、最悪の場合、多臓器不全で死んでしまいます。
そこで、皮質はこの疲弊した細胞を癒すためにステロイド系のホルモンを分泌します。
しかし、癒し系はゆっくりジワジワと効いてくるわけで、即効性がありません。全細胞を癒すのに3時間もかかってしまうのです。
では、この3時間の間、無防備でストレスに晒されていなければいけないのか?
そう、ここで髄質がその空白を埋めるべく、頑張るわけです。
髄質はアドレナリン系のホルモンを分泌するのですが、これは鼓舞系、励まし系のホルモンです。癒し系のホルモンとは違い、即効性があります。
タダチに心拍を増加させ、かつ酸素取り込み量を増やし、血管を収縮させて末端まで栄養と酸素を送り込みます。これで癒されるまでの間、防御するわけです。
鼓舞し、励まし、そして後に癒す。なんという麗しい連携プレーであることか。
お互いに足りない部分を補い合うというまさに夫婦の鑑です。
因みに鼓舞系の髄質は旦那さんで、癒し系の皮質は奥さんです。
かつて副腎に性別をつけた施術家がいたでしょうか。
副腎の反射区を施術する際には是非、このことを考えてください。
ご主人に対するものなのか、奥さんに対するものなのか。
考えなしの行動はあらぬ疑念を抱かせ夫婦仲を悪くさせるかもしれませんので。

このストレスの多い現代社会。我々はこの夫婦の健気な無私の奉仕によってかろうじて生き延びているのです。
二人が恋に落ちたことを神に感謝せねばなりません。
いつまでも仲良く働いてくれることを祈るばかりです。

因みにステロイド系の薬剤を摂取すると、皮質奥さんは、旦那が愛人を作ったと勘違いしてしまい、協力しなくなります。家庭がメチャメチャになりもはや修復不能までいくことだってあります。副腎の崩壊。これは怖い。そこまでいかなくとも様々な軋轢を呼んで、様々な影響が出てしまいます。
たまの浮気はいいのでしょうが(えっダメ?)、奥さんに絶対バレない程度に止めおくべきです。長期連用はもはや浮気ではなく、不倫のレベルですから、どこかで手を切るべきでしょうね。安保教授がステロイドからの離脱を薦めているのは道徳的にも正しいのです。

以上の一文をマッチーの結婚記念に捧げます。
どうか副腎夫婦のようにいつまでも仲良く元気にそしてお幸せに!

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つぶの塩辛

Tubunosiokara_3 北海道は古平の特産品です。
つぶ貝はご存知でしょうか。
東京方面ではあまり見かけませんね。
道産子にはお馴染みの貝なんですけど。
そうですね、味はサザエに似ているかもしれません。

このつぶ貝を貝殻ごと醤油味の汁で煮込んでもいいですし、貝ごと焼いても美味しいんです。歯ごたえがありましてね。
ただ、一部、脂のキツイ部位があって、ここは避けねばなりません。
小生、一度、調子に乗って脂のキツイ部分まで食べまくり、当たってしまったのでしょうか、グルグルと目が回り、学校を休んだことがあります。
そういういやしいことをしない限り、安全で美味しく頂ける貝なんです。

道産子にとって、つぶ貝はお馴染みでも、さすがに塩辛は知らない人は多いと思いますよ。
道産子でさえ、そうなんですから、ましてやそれ以外のところでは全く知られていないでしょう。

このつぶの塩辛というのは、小生が言うのもなんですがめちゃくちゃ美味しいですよ。
これだけで、ご飯を何杯でも食べられるくらいです。
そんなことしたらアッという間になくなりますけど。

もう何年も食べてないなぁ。
あまり有名にならないのは、生産量が限られていて、それほど市場に出回らないからです。
北海道土産でもそんなもの貰ったことがないでしょ。
ただ、今はネットの時代ですから、調べたら、楽天に出店していましたね。
10年前は400円くらいだったんですが、今は倍以上します。
国産モノは少ないですからね。これでも良心的だと思います。
あんまり有名にすると、もっと跳ね上がってしまいますので、固定ファンは宣伝しないのでしょう。
「逸品」という言葉にふさわしい食物ですが、他人には教えたくないものでもありますわ。
特別に亜美之介読者にはお教えしましょう。
グルメな方、注文して食してみてください。

Photo_3 http://www.rakuten.co.jp/shungoyomi/108807/115231/

写真はクリックで拡大できますよ

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首の施術

首だけを対象とする整体の流派があると紹介したのはこのブログでのことだったような。
これはスペシフィック・カイロと呼ばれる、カイロプラクティックの一形態。
この影響を受けて、日本でも民間療法的な流派が幾つかあるようです。

全ての病の原因が首にある!というのはさすがに同意しかねますが、肯ける部分は多いものです。
「この親にしてこの子あり」という諺を借りるなら「この首にしてこの症状あり」と感じること度々。首は触知しやすい部位でもありますからね。触って、明らかな変位を感じるわけですよ。

若い人は知らないでしょうが、首の外傷、特にムチ打ち系は一種の国民病みたいな時期がありました。
モータリゼーションが急速に発達した昭和40年代。この頃、車の安全性はあまり考えられておらず、シートベルト着用の義務はおろか、ヘッドレストさえなかったんですよ。
(エアバックなんて想像もできない時代)
で、どうなるかというと、ちょっとした追突でも首がやられちゃうわけ。
ムチ打ちをやった経験のある方は分かるでしょうが、後に尾を引きますね。
レントゲンで確認できない程度の障害でもそうなるわけ。
そうすると、保険金目当ての詐病じゃないか、と疑われる。
冗談じゃない!このつらさは分からんだろ!
となって、感情的なシコリを残すトラブルの元になったものです。
(今もありますけど)
そうこうしているうちに、新たな事実が分かってきました。
ムチ打ち既往症に関わらず、日本人というのはある一定の確率で首に異常が認めらるということがです。
そうなると、益々、ムチ打ち症との因果関係が掴みづらくなります。
損害保険の支払い担当者は頭を抱えることになるのですが、それは関係ない話ですので省略します。
ここで大事なのはムチ打ちのお陰で随分とレントゲンが撮られ、その蓄積の結果、首の変位は極めて一般的に見られる現象であるということが分かったということです。
ある年齢になると、変位していないのが珍しいくらいだということも分かりました。
そのことも勘案して、これくらいなら「異常なし」、または「許容範囲」という感じで診断されるようになったわけです。

このことは重大な問題を提起しております。
ある人にとってはなんともない変位が、ある人には酷い症状をもたらす。
同じような歪みでもヒトによって感受性が違いますから、症状を呈するかどうか、個人差があるわけですね。首自体の症状ではなく、若しかしたら、身体の違う部位に出ている可能性も出てきます。
医者はこういう因果関係を認めませんが、我々自然療法家は議論の余地がないほどごく当然のこととして受け止めております。施術家なら同意して頂けるものと思います。
早くからこのことに気づき、首の問題を処理すれば、様々な病気が治るということを発見したのがスペシフィック・カイロ(SCと略します)なのでしょう。

まあ、SCは首の中でもさらに一番、二番(環椎、軸椎)に特化しておりますけど。
構造医学でもトップストーンに当たる三番、四番頚椎の変位はそれを支える上部頚椎と下部頚椎に原因を求めております。でも、どちらかというと下部頚椎に重点を置いているかな。
考え方というのは色々あるものです。
どれも一理あるのですが、これが唯一絶対の考え方だ、と言われると、どん引き状態になってしまうのは小生だけでしょうか。
首の重要性は認めつつも、また、そこの施術が治癒の成否を分けることを認めるにしても、やはり、他にもやり方があるし、他にも原因がある、と考えます。
だからこそ、様々なことをやるのですが、明らかな首の変位が認められれば、症状如何に関わらずファースト・チョイスになることは間違いありません。

では首の施術ということになるのですが、これも様々な考え方があって、一体どうやれば正解だぁあ?と呻きたくなってしまうでしょう。
実は正解はありません。余程の無茶をしない限り、不正解もありません。
好きにやって!どうでもいいから!説明するはめんどっちぃんだよ!

と書くと、二度とこのブログを読んでくれなくなるでしょうから、参考までに書きます。
小生好みのやり方です。
まず横向きで、オーソドックスに首をほぐします。頚椎の変位だの言ったって、筋筋膜上の歪みを持たないわけがありませんね。必ず反映されているものです。コリコリになっていたり、妙に虚脱しているところがあったり。これをなるべくフラットにすべくほぐすわけですよ。
技法はどうでも宜しいのですが、好みは単純推圧。単純推圧は効果が持続しますので、良いですね(揉み返しも来づらいですし)。コリの強いところはスパイラル系の揉みを入れたりもしますが、主ではありません。
ときどき、コテコテにコッているヒトがいるのですが、こういう人はほぐすだけで相当な時間がかかって往生します(通称こてっちゃんと言います)。
あと、前にも書きましたが最近はスカルプ系を入れることが多いかな。さらに効果の持続力が違ってきますからね。時間がかかってもやります。
肩甲骨の際もやりますよ。僧帽筋は一枚で首とつながっていますし、肩甲挙筋は肩甲骨上部に停止していますしね。ここまでくれば、ついでに脊柱起立筋だって、胸椎くらいまではやらないと勿体ないのでやります。
これを左右やるわけですが、そこまでやれば、普通のリラクゼーションサロンではパーフェクト!ザッツオーライ!なんですけど、メイセイカンは違います。

さらに仰向けでネックセラピー一式。
ネックセラピー一式をやってようやく頚椎の歪みが触知できるようになるヒトもいるのです。歪みが沈み過ぎて表面に出て来ないという“恥ずかしがり屋”さんです。
“恥ずかしがり屋”さんは大変ですよ。
大概トップストーン(三番、四番)が、右か左にズレていることが触知されますねぇ。
どっちが多いかなぁ。女性は右が多いかな。
(さて・・こりゃ難儀だなぁ、こんなにズレてんじゃなぁ、放っておくわけにもいくまいて・・あらら、ヒトの心配も知らず、気持ちよさそうに寝てるなぁ・・)
と小生の心の呟きをテレパシーで聞いた読者もいるに違いありません。

ここは様々なアプローチをとることになります。
変位した椎骨にはAKA的アプローチをとるこもありますし、構造医学の考え方で下部頚椎を一生懸命緩めることもありますし、全くのオリジナル技法で臨む場合もあります。
複合的なアプローチをとるにせよ、もうこれ以上はこの時点では無理だと思われるくらいにチャレンジするのですが、状況がうまくチェンジする場合もありますし、ジャッキー・チェンになる場合もあります。ヒトによって違うので、完全矯正は保証しかねます。

如何でしょう。簡単にかつ、とても分かりづらく説明しました。
どんなに上手く説明しても、手技を言葉で説明しきれるものではありません。
そのうち動画でもアップしようかとも考えていますが、デジカムが替わりまして、操作、取り込みを一から学ばねばなりません。
やる気が出るまで待ってください。

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スバルの軽四輪自動車

このブログの趣旨とは全く違う趣旨です。
ですから、当ブログの愛読者は読み飛ばしてしまう可能性もあるでしょうけど、どうしても書いておきたいものですから、迷ったのですが、書くことにしました。

さて、スバルの軽四輪。
これはですね~。全然、売れていません。
ダイハツとスズキの首位争いの中で埋没してしまい、販売台数からして採算が取れないほどです。
事実、ナント!ニュースでは軽四輪事業から撤退し、ダイハツのOEM供給を受けるようなことが書いてありました!
これを見たとき、な、な、な、なんということだ!遂に来るべきものがきたか!!と実に残念無念でした。
小生が残念なのですから、当事者はどれほど残念でしょうね。
世に勝ち組と負け組みがいるなら、軽四輪に関してスバルは負け組みになってしまったのです。
小生、親類縁者にスバル関係者がいるわけでもなく、利害関係があるものでもありません。
ただ、個人的にファンだったのですよ。
魅力はなんと言っても技術力でしてね。
軽なのに早くから四気筒エンジンを搭載して、あのシャリシャリしたエンジン音がたまらなく好きでした。
そして丈夫。他のメーカーが10万キロを超えるともうヘタってくるのに、スバルは軽のクセして、そこから調子がよくなるくらいなのですから。
そもそもエンジンの作りが違うのです。
さすがに元航空機メーカーです。
CVTという燃費が抜群に良いオートマを最初に開発したのもスバルでしたしね。
(今は皆真似してますけど)
軽を買うならスバル以外を買うやつはバカだくらの勢いで好きでした。
小生も分野が違うとはいえ、技術者です。ですから、こういう技術力の高いところは何がなんでも成功してほしかったのですが、結果は出てしまいました。

こう考えると、技術力が高くとも無条件に成功できるとは限らないという見本を見せてくれたような気がします。
車はそこそこ性能があればデザインですしね。また販売網の充実というのも大きな要素です。商品企画力、マーケティング、その他モロモロ、要するに資本力ですか。
金にあるやつには適わない、という典型かな。

あ~しかし、「いつかはクラウン」などという言葉がありますが、小生は「いつかはスバルの軽四輪」という実にささやかな夢があったのですが、その夢は早々に破れてしまいました。今は東京ですから車は要らないのですが、田舎に引っ込んだときスバルの軽四論を乗り回すのが夢でしたのに・・どうしてくれる?
人生の目的の半分は失ったのも同然です。(んなバカな)

そういえばビデオでベータとVHSの規格争いのとき、ベータのほうがサイズや画質で勝っていましたが録画時間が若干長いという理由でVHS方式が勝ちました。
本当は現パナソニックが支持したせいなのですが。
今回、ブルーレイとHD DVDの規格争うにも決着がつきました。勿論、ブルーレイに軍配。でも、コスト、耐久力ではHD DVDの方が優位でした。なにせ現行DVDからすんなり移管できるのですから。それでも、ブルーレイが買ったのは用意周到な包囲網を作っていったからに他なりません。ソニーはベータの恨みを晴らした格好です。
冷静に考えると、消費者は損しますよ。ブルーレイは溝幅がせまく、安い再生機では幾ばくも持たないでしょう。4~5000円の再生機では4ヶ月が限度です。
そのときに文句をいっても始まりません。バカ消費者は自分で自分の首を絞めるんだ。
特に高級機器を買えない、低所得者は踏んだりけったりでしょう。
勿論、メーカーはそんな安い再生機は邪魔になるだけですから、まあ儲かることになる。

スバルの軽四輪だって、そんな長持ちするエンジンを積んでいたんじゃ、他のメーカーの邪魔になるわけで、企業の論理から言えば、良かった良かったということになる。
すべて消費者のためにというのが現代の風潮ですが、資本の論理に押されて良いものが淘汰されているという現実もある、ということを肝に銘じなければね。

ダイハツのOEMを受けたスバルの軽などなんの魅力もありません。
それだったらダイハツを買ったほうがいいじゃないですか。
明生館の施術が英国式に変わったようなものです。それだったら英国式に行きますわね。

返す返す、スバルの軽は残念です。
小生に2000億ほどあれば、軽四輪部門を丸ごと買ってやるのに・・・
残念ながら、資金がほんの少し足りません。
あと1999億9990万円ほど足りないのです。惜しい!

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“たまご”さんの質問(への回答)

“たまご”さんから質問を兼ねたコメントを頂きました。
コメント返し欄は字数制限があるため、本文で回答させて頂きます。
質問の内容についてはコメント欄を参照してください。

東洋医学の肝(キモ)というのは、全体性にあると思っています。
身体のあらゆる部分は常に全体と一体であるばかりではなく、心とも密接にリンクして、それを切り離して考えることはできないと。
「心身一如」若しくは「身心一如」とも言うことはご存知の通りかと思います。
またその体系を為す思想が、科学ではなく陰陽思想という哲学であるため、形而上的な考え方の入る余地もあるわけです。
所謂、「科学」的なエビデンスは東洋医学ではその発生過程を考えると、求めること自体、無理があって、その実効性は現実の治癒という結果によってのみ、判断されることになります。
したがって、若し効いたという結果があるなら、それに対しての理由付として、科学的証拠を提示することなどできません。

実はこのことが多様な考え方を生み出すのです。
「丹田に神様を思い浮かべ施術する」「押してもらいたいと思うところを想像して施術する」云々はその施術家特有の考え方であって、それもありだと思います。
間違いだとは思いませんが、唯一正しい東洋医学的な考え方だとも思いません。
実績ある施術家なら「その実績の背景にある考え方はこうである」と表明するのは自由です。解釈の入る余地は西洋医学に比べてかなり許容範囲が広いものと申せましょう。
ただし、若しある考え方が唯一絶対正しいと主張するならば、それはもはや、東洋医学ではなく、宗教です。
自分の教義に従え、と主張することに等しくなってしまいますから、教祖になってしまうわけです。
これは考え方に自由度が認められている東洋医学の長所を殺してしまうことにもなりかねない、と個人的には思うのです。

東洋医学に限らず、何らかの行為を為す場合、人というのは必ずイメージを思い浮かべます。アスリート達がイメージトレーニングを取り入れて練習に励む姿は珍しいことではなくなりました。
手技もまたイメージが重要です。
これは東洋医学の経絡に限ったことではありません。
例えば、筋肉解剖を徹底的に学んだ施術家が、それこそ徹底すれば、被服の上からでも、その筋肉の有り様がありありとイメージされてくるはずです。
経絡をやるなら、その走行がやはりありありとイメージできるくらい徹底しなければなりません。
そのイメージ力というのは日常経験の思い浮かべる程度のものではなく、それこそ、現実に目の前に存在することを実感できるほどものです。
これはどちらかというと非日常的体験に近いものですから、それに到達した者は何か特別な力が備わったと勘違いしやすいものですが、徹底すれば誰でも身につくものです。

優秀な外科医は難手術の前、充分にイメージトレーニングをするそうです。仮に本番で不測の事態が起きたとしても、瞬時に対応できるとも言います。
またオステのフルフォード博士は触っただけで生命エネルギーの流れを感知することが出来るのは有名な話です。
手技法としては東洋的な手技の対極にあるカイロプラクティックにおいてさえ、達人は骨の亜脱臼をレントゲンよりも正確に触知し得るとのこと。
(でなければ単なる“鳴らし屋”でしょう)
これらはイメージの極限にある一つの到達点ではあるでしょう。
ですから、何も東洋医学だけが到達する境地ではなく、あらゆる方法論において、徹底すれば身につく、所謂「精神性の極み」になるわけですが、特別なものでもなく、その道を究めれば必然的に備わるものと言えるでしょう(ですから、人格とも霊性とも全く無関係です)
その手段として、「丹田に観音様をイメージして」でもいいのでしょうが、個人個人の個性というものがありますので、そのようなイメージが出来る人もいれば、違うイメージのほうが得意な人もいるはずです。
(無神論者なら神様、仏様のイメージはしづらいと思いますしね)
具体的にイメージする内容は実は瑣末な事柄であると思うのです。
施術者が何を習ってきたか、どのような思想信条を持つかによって、具体的に思い描くイメージが異なるのは当然です。
東洋医学は陰陽思想の臭みがあるにせよ、本質的に無宗教的ですから、万人が入りやすいものではあるとは思いますが、さらに臭みを抜くのであれば、オステ理論から入ってもいいでしょうし、カイロ理論から入ってもいいでしょう。
要は最後、具体的なイメージ力がものをいうことは間違いありません。
それをことさら、「精神性」だと強調し、主導者と同じイメージを強制するのは如何なものか、と個人的には思います。しかし、表現の自由が認められた国ですから、文句をいう筋合いのものではありません。

確かに、具体的なイメージが出来てくると、治癒効果が違ってくるものです。
それは施術の自信というところからも来ているのでしょうが、ある種の感応というものが働くような気がします。
自分の一つ一つの操作がビシバシと決まっていく感じがすることもあり、ほとんどが逸れてしまうような気がしたり、相手によって違うのですが、イメージがハマる、ハマらない、という主観が、相手もそう感じる客観性へと通じていくわけです。これが「精神性」への入り口です。何度も言いますが、特別なことではありません。
やっていくと必ずそうなります。最初は自己満足の世界で足踏みするでしょうが、やがて主観と客観の一致率が高くなってきます。
ですから、研究熱心でベテランの施術家なら誰でも感じていることなのです。
(流派が違う施術家でも尊敬できる人はたくさんいます)

個人的な意見ですが、生半可な精神世界にカブレタ施術家は好きではありません。
(それを言う前に技術を磨けよ、と言いたくなります)
or
(物質世界に生きているんだから、もう少し形而下のことも勉強しろよ)
かといって、「気」の概念や「生命エネルギー」の概念を認めない施術家も困ったものです。
(もう少し不可知なものに対する畏敬の念というか、謙虚さを持てよ)

これは個人的な好き嫌いを言っているのであって、善悪を言っているのではありません。
(善悪が判断できる、と言えるほど傲慢ではありません)

要するにバランス感覚なのですが、これは施術家個人の問題です。個人が考えていくより他ありません。

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さて、今日は三水会

毎月第三水曜日に行うので三水会。
第二金曜日なら、二金会。
第一木曜なら、一木会。

一番分かりやすい名前ですわね。
(しかも日程を忘れずに済む)
今、日本にどれくらいこのような名の会合があるのでしょうか。
こういう名前の会合は月に一回行うことが前提になっています。
これが月二回だと、二三水会とか一四火会とかになっちゃって、語呂が悪い。

曜日に関わらず、日にちするとどうでしょうか。
毎月五日に開けば五日会。
中々良いかもしれないですね。
ただ、曜日が関係ないとなると、スケジュールの都合が難しいものです。
日曜日と月曜日じゃ、格段の違いがありますもの。
ここはやはり、曜日を一定にして、日にちのズレには目をつぶるしかないでしょう。

こうしてみるとヒトは曜日で動く習性と日にちで動く習性があるのが分かります。
前者は休日単位で、後者は締め切り単位、みたいなものかな。

現在の暦では曜日と日にちが常に一致する、ということはありません。
一致するのは2月と3月くらいですか。
ところがマヤの暦を使うと常に一致します。
一ヶ月を28日して、一年を13ヶ月にするわけ。
これで364日になりますでしょ。
あと一日は年に一回だけ「何もない日」つまり、「曜日も日にちもない日」を作るわけね。
これを一年の最初-最後にもってくるか、中間に持ってくるか、は決め事にすれば解決。
うるう年も決め事にすれば、大方で変化はありません。
これだと合理的だと思いますけどね。
人間の生理というのは基本的に月の運行に従いますから、バイオリズム基準が分かって、事故も減るし、病気も減ります。社会的損失が少なくなることはいうまでもないことです。
太陰暦の長所は生理基準に従って作られていますので、自然で無理がないということ。
短所は季節がズレてくるということ。だから太陽暦にしたわけですが、前記の案だと、そういうこもなく、両方の長所が得られます。
マヤ人はなんと合理的なことを考えたのでしょう。

当たり前だと考えられていることが、実は全然合理的じゃない、という典型が現在の暦なんですねぇ。

曜日と日にちが一致しないなんて、メチャクチャな話です。
生理基準に関係なく、月日が過ぎ去っていくというのも、オカシナ話ですしね。

三水会が来る度にマヤ歴のことを考えてしまうのでした。

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茶飲み話

漢方の真髄は体系だった学問書よりも、清談の中にこそある、と誰かの言を引用して書いていたのは大塚敬節先生だったような。

漢方を含め東洋医学は確かに学問というより“術”の色彩が濃いものです。
手技などはまさしくそうで「施術」というくらいですからね。
“術”は体系というよりコツというか五体で感じるセンスというか、頭での理解を超える部分が大方を占めています。
当然、体験の中で培った何かが、やはり体験の中で培った師の何気ない言葉にビビッと反応する瞬間があるような気がします。
論理的に納得するというのではなく、(なるほど!なるほどそうか!)と膝を打つ場面。
これには当然、弟子も相当な修練を積んでいるということが前提になるのですが、それにしても、改まった講義ではなく、茶飲み話の中で真髄が語られ、悟りにも似た理解を得たきたという連綿たる歴史が漢方にはあることを知ったのは有益でした。
こうして漢方が発達し続いてきたというのは、現在のマスプロ教育と対極をなすものであることは間違いないでしょう。

それ以来、小生は茶飲み話風な中に自分の経験を交えながら、真髄とまでは言えないまでも、その時点で到達した考えや、アイデアを語るようになったのは言うまでもありません。
たとえ聞く者がその時点では全く理解できないだろうと思ってもです。
続けていけばいつか分かるだろうと。本質的に小生は楽観論者なのです。

しかし、時代は悠長に茶飲み話などしている暇などなくなりました。
それぞれ仕事を抱え、やることが山ほど。てっとり早く、役に経つ方法を教えねばなりません。手っ取り早くと言っても、その場にそのようなクライアントがいなくては教えられないこともたくさんあります。また、その背景を理解して頂かなければ、意味が全く分からない事柄もあります。
ここにジレンマがあるわけです。

かつて、他の整体学校に通っている生徒さんが来院されたことがあります。
その学校の様子を聞くと、正直驚いたこと、驚いたこと。
2年くらいの履修期間だったような。
毎日行く義務はないのですが、当然、毎日行っても良いようでした。
行って何をするのか、というと、改まった講義はなし、ということは実技主体です。
この実技をたまたま来た同期生、あるいは先輩とやりあうわけですね。講師は要所要所教えるようです。それがずっと続くわけ。
とりわけ面白いと思ったのは昼ごはん。これは来た者全員、学校で作り、食するのだそうです。合宿制に似てなくもないのですが、泊まるところは各自別です。
相撲部屋でちゃんこ鍋を皆でつつくようなそんなイメージでしょうか。
(食費はスクール持ち!)
しかし、解剖、生理の改まった講義もないようですし、そもそもこんな形態の整体スクールがあっていいものでしょうか。全く理解できませんでした。
授業料も国家資格を取る指圧学校にやや近いくらいです。
まあ、なんだってそんな学校に入ったものかなぁ、というのが正直な感想でした。
しかし、考えてみれば案外こういう形態の学校も良いのかもしれません。お金と時間に余
裕がある方は。
これだけ接する機会があれば経験豊富な講師の話をそれこそ茶飲み話(食事でもいいのですが)に聞くこともあるでしょう。将来の不安やどうやって開業するのかをジックリ相談する機会もあるでしょう。最初はカッコつけていてもこれだけ長くいて、しかも同じ釜の飯を食っていれば、やがて本音も出るでしょう。モチベーションが上がるか下がるかはその人次第ですが、卒業するころには相当な自信が芽生えている人が多いに違いありません。
システマティックなカリキュラムもまた合理的で良いとは思いますが、ある種の人たちにとってはこういうのも一つのやり方なんだなぁ、と思いました。
勿論、誰もがこういう形態に合うとは思いませんけどね。

またある人の主催しているスクールは主宰者が大手の講師だった方のようです。その授業は格好いいようですが、実践で食っていくことが難しいと本人はずっと思っていたようです。
そこで開業しても食べていける卒業生を育てるべく思い切って自身、独立してスクールを立ち上げたわけですが、写真を見る限り、増永先生のやり方によく似ていたのは微苦笑でした。でもまあ、そこそこ生徒が集まってきているらしい。カリキュラムもかなり他所とはかなり違うシステムです。

この両方の例を見ていると、何かこう昔の漢方的な徒弟制度に似ていなくもありません。
教える者のジレンマが手に取るように分かる小生としては、あながち時代遅れと退けることなど出来ないものです。或いは時代は(少なくともこの業界は)大手のシステム化されたカリキュラムに飽きてきているのかもしれません。

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足首の施術

もう一つの動画。
最初にアップしたのが「足首拘束のリリース」ですが、ちょっと題名が悪かったかもしれません。関連動画として「人妻拘束」などというちょっと違う系の動画が紹介されているではないですか!
拘束という言葉に反応して、小生の動画を開いた人達がかなりいたようなフシがあります。世に拘束マニアという人達が存在するかもしれないということを初めて知った次第。
超(ド)S級の人達であることは間違いないでしょうけど、そういう人達が小生の動画を観て、何を思ったのか、是非、知りたいところではありますねぇ。

勿論、小生がいう拘束は組織拘束、エネルギーブロックの意味なのですが、一般にはあまり馴染みがないので仕方ないのかも知れません。どうしても誘拐系を思い浮かべるのでしょうね。日本語は難しい。特に整体で使う用語は一般語とは違う意味で使われることが多いものです。業界にどっぷり浸かっているせいか、「違う系」までは思いが至りませんでした。不快に思われた方、ゴメンナサイ。

さて、この足首の拘束というのは基本的に何を表しているのか?
解剖学的な具体名でいうなら、距腿関節と距骨下関節に他なりません。
付帯する様々な靭帯群、そして筋群も勿論含まります。
足首の動きが制限されているというのは、この部位の制限をいうわけです。

実は普通のリフレクソロジーであっても、この部分の制限をある程度取ることができます。
足裏が柔らかくなったとか、足首の動きが良くなったとか、リフレクソロジストなら施術の結果としてのフィードバックをそこに求めること度々のはず。これはとりもなおさず、距腿関節、距骨下関節の不都合を除去した結果として得られる感触なのです。
リフレクソロジーにはリフレクソロジー特有の機序が働くのでしょうが、期せずして、拘束除去の効果もある、ということです。

小生がこのことを意識しだしたのは、自身が左足首の違和感を感じたあたりでしょうか。
フルフォードの三関節原理と相まって、足首のカルマは意外に多いことが分かるようになってきました。中年まで生きてきて足首を捻ったとか、捻挫したとか、そういう経験が皆無のヒトはあまりいません。しかし、症状が出づらいところでもあります。
むしろ、膝や股関節、腰の部位に転位しているケースが圧倒的に多いのですが、元を質せば、足首の拘束である、というケースがバカにできないくらい多いのです。
(当然、逆バージョンもあるでしょうけど)

施術キャリアの中で一時期、膝痛のクライアントがやたらに多かった時期がありました。
割と素直な時期でもありましたから、反射区理論の基づいて一生懸命施術していたことは言うまでもありません。
当然、それなりに効果があって喜ばれていたものです。
しかし、あまりにも多く続くと、持ち前の好奇心(悪く言えば、天の邪鬼的性格)が次第に首をもたげてきました。
(この治癒機序は反射じゃないんじゃないか?)
検証するために施術家としてはあるまじき行為を行ったのです。
膝痛のクライアントに対して、あえて膝の反射区を抜かして施術する、というようなことをです。クライアントは実験材料ではありません。施術家はベストを尽くすのが正しい態度なのですが、検証するという誘惑には勝てませんでね。
結論を言えば、膝の反射区を入れようが、抜かそうが、治療効果には全く関係ないということでした。
では何か働いているのか?
経絡機序か?
(大いに考えられます)
単に循環が良くなっただけか?
(これも考えられます)
その当時は未だ、三関節原理などは思いもよらない時期でしたので、まあ、施術という行為は一つの理論では説明しきれない複合効果が働くのだろうなぁ、というところで打ち止め。そして前述のように、自身の左足首の違和感とフルフォード理論に出会ったわけですが、これは後年のことです。

リフレ施術の大方をやれば、拘束除去の働きをすることも分かってきましたが、折角、足の施術をするのですから、そのプロセスにおいて、拘束除去をメインにおいた施術があってもいいのではないか?と思ったわけ。
試行錯誤を繰り返しているうちに、現在の方法になりました。
勿論、動画で紹介しているものが全部ではありません。
特にチャプター7(距腿関節、距骨下関節)のアプローチはもう少し合理的な方法があります(ちょっと難しいですけど)。
また膝の動きと密接にリンクしておりますから、膝の制限を解除しなくては、片手落ちになることでしょう(これは動画には全く含まれておりません)。

時間制限がありますから、気がついてみれば、リフレクソロジーとは似ても似つかぬ方法論になってしまいました。
しかし、ベースにはリフレ手技があることは間違いありません。
これなくして、現在の手技はないわけで、基礎としての手技はリフレに全て含まれているような気がします。
あまり考えるのが好きではないヒトは、教えられたとおり、リフレ手技を行えば良いと思いますが、拘束状態が酷いクライアントには不十分だと思います。
取り入れれば、違う可能性も見えてきて楽しいかもしれません。

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仙骨施術

小生の動画に仙骨無痛ショック療法と題したものがあります。
うつ伏せで2種類、横向きで2種類、計4回の試技をアップしました。
ここだけの話(と言っても動画を見る人はほとんどこのブログを読むでしょうから意味のないことですが)、実はあの4回の試技で成功しているのは1回だけです。
まあ、見た目分かんないから良いだろうとそのままアップしました。
難しいんですよ、あれ。特に年取ってくるとね、どうも早業系はタイミングを取るのに苦労します。運動神経が鈍るのでしょうね。
あと失敗すると、それまでの色んな施術が無効になるほど影響力があります。
アップしておいて無責任ですけど、挑戦しないほうが良いかも。
じゃあ、仙骨のアプローチはどうすればいいのか?ということなんですけど、構造医学的アプローチは力がいるし、AKAのアプローチは腰痛に限定されるし、オステのアプローチはクライアントから不信がられるし、中々良い方法がありません。
仙骨は施術者泣かせの部位でもあります。
結局、仙骨はあまりイジラナイほうが良いということになって、「触らぬ神に祟りなし」を決め込むか・・・
しかし、今そこにある仙骨ですからね。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」に従うか・・・

実は仙骨というのは、生きているときに限り、最大で2ミリほど動きます。
(0.2ミリという説もありますが、生きている人間の仙骨の動きを正確に測る術はありません。死んで一日もたてば全く動かなくなりますので、即死したヒトをその場で解剖しない限り正確な解答は得られないでしょう)
人為的に動かすにはゆっくりと上から圧を加えます。すると、その分、2ミリ沈むのです。
これで終われば単なる仙骨押圧になるのですが、そうではなく、充分に沈めた後、ファッと離すのです。漸増漸減が押圧の基本なのですが、ここではその原則を破ります。
その離す際に逆ショックが加わり、無痛で目覚めさせるには充分な衝撃となるわけです。
衝撃の来る方向が全く逆になりますが、これもありなんです。
正方向の衝撃圧よりも難しくないですし、失敗も少ないものです。
ただし、衝撃が少し弱いので何度かやる必要はあるでしょう。

安全にこういう方法を取るか、リスクを犯してでも果敢に挑戦するか・・・それとも放っておくか・・・思案のしどころ。

時は江戸時代。
「先生・・・どうなんでしょ・・・娘は治りましょうか?」
「ふ~む、オハナはな、薦骨の証と申して、湯液の功はもはや見込めぬじゃ」
「せん・・こつ・・のしょう・・?」
「そうじゃ、薦骨じゃ、骨盤の要のな」
「先生はせん・こつ?をやらないので?」
「分野が違うて。揉み医者で良い医者がおればいいのだがな」
「先生、なんとかその良い揉み医者というのを紹介してくだせぇまし」
「そうじゃな、この近くじゃと越前屋嘉平が良いかの」
「えちぜんや・・・かへい・・そりゃまた悪徳あきんどっぽい名前で・・」
「この際、名など関係なかろう・・どうしても嫌なら明生屋網乃助という者もおる」
「語呂が悪いような・・」
「これこれ、この一大事にそんなこと気にしてどうする。あい分かった。少々、遠いが遊船屋辰五郎も良いと思うが、どうじゃ?」
「船遊びが好きそうな旦那ですね、こりゃ気が合いそうだ、一つそれくだせいまし」
「全くあきれた奴だ、菓子じゃないんだから、一つくだせいまし、はなかろう」
「ヘ、へぃ・・面目ねぇ・・」

というような会話がどっかで交わされていたはずです。
少なくとも江戸時代から、仙骨は重要視されていました。因みに仙骨は昔、「薦骨」と表記しておりました。「神に供える骨」という意味です。推薦の薦ですから、なんとなく理解できるのではないでしょうか。

英語表記でもセイクラム(sacrum)ですから、神聖な意味を持たせていたのは洋の東西を問わず、共通する認識だったというのが分かります。
それにしても不思議な骨です。
かつてリフレクソロジーを主体に施術していたとき、他の反射区に対して仙骨の反射区の地位が低いのを疑問に感じていました。
通り一遍というか・・・
これじゃ自然療法の名が廃るとばかりに、反射区の位置を再検証して、施術の仕方を変えました。反射区を離れた現在のスタイルでも仙骨の反射区に相当する部位は行っております。反射を通した間接刺激であっても影響を与えられるのではないか、という経験則に基づくものです。

夏になると、仙骨の一部が見えるほど、腰の浅いジーンズと丈の短いシャツを着る女性が増えてきます。
例え、純粋な医学的興味であったとしても、シゲシゲ見つめていると、危ない人と誤解されるかもしれませんから、気をつけましょう。

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スカルプ施術

どうしてまぁ、こんなに頭皮が固く、つっぱっている人が多いのでしょうか。
毎日のシャンプー&リンスのせいという人もいますし、毛染め剤の成せる業という人もいます。
はたまた、食品添加物の摂り過ぎという人もいます。
いずれも当たっているとは思いますが、確かなエビデンスはありません。
一つ言えることは頭皮の固い人に健康な人はいないということですね。
まあ、小生のところに来る人は健康じゃないから来るわけで、統計に偏りが出てしまいますけど。

「肩こりは頭から取る」とは某按摩師の名言ですが、現代は益々この言葉が重い意味を持ってきているような気がしないでもないような気がします。
(凄い!2重否定に推定肯定文だ、こういうのを駄文と言います)

クラニアルに加えてスカルプ系を取り入れてから結構経つのですが、確かに頭皮を緩めると、僧帽筋を初めとする首、肩の筋肉は緩みます。
ただね、これ、物凄く個人差があるんですよ。
(おっっおぉぉお~!スッゲェー!緩んだよ、オイオイ、すげくない?)
というときもあれば
(ふむふむ・・フムフム・・踏む踏む・・ダメだこりゃ、緩まねぇ・・)
というときもあります。
万人に共通するルールなどありませんから、当たり前と言えば当たり前なのですが、ハッキリ違いが出るところがスカルプの面白いところかも知れません。

どちらにしても、ほぐれた感じを長持ちさせたり、瞑眩を防いだりすることは共通しますから、フル施術の中では欠かせないアイテムではないかな、と時間を気にしつつもやることにしております。まあ、施術自体も楽ですし。

小生のスカルプは少々変わっておりまして、悪く言えば「正統派ではない」良く言えば「オリジナリティ溢れる」という形容詞がつくでしょう。
押圧から始めます。
耳の後ろ(耳介筋)から上項ライン~後頭部全般~側頭部~コメカミ~冠状縫合~頭頂部。
要するに全体です。これを充分に押圧して圧を浸透させます。
(横向きというのも多分変則的でしょう)
いくら頭皮といえども、その下には薄いですが頭筋群がありますし、経絡機序を考えた場合はやはり、単純推圧に如くは無し、ですから。
そのあとはそっくりなぞるようにしてややスパイラル系の揉み方で頭皮、頭筋を動かしていきます。途中、何度か頭皮を引っ張ってみて、緩んだかどうかを確かめます。
(まあまあ、こんなもんだろう)という判断で終了。先に緩めた(つもり)の肩の筋肉がさらに緩んでいるかどうか最後確かめます。そして前述の心の中の呻きになるわけです。
(ダメだこりゃ!)と思ってもこれ以上できる奴がいるならやってみろ!くらいの自信がありますから、それはそれで終了。
あと変わったところと言えば、鼓膜のストレッチが入るところかな。案外、気持ちの良いものでね。外耳から中耳の血流が良くなります。
そうそう顎関節に問題があると思ったら咬筋にアプローチすることもあります。

これをクラニアルに代用できるかと言えば、否でございましてね。
まるで作用機序が違うのです。
ですから、これに加えてクラニアルもやるのでございます。
まあ、小生のフル施術はなんだったってこんなに丁寧なんだろ。
スピード時代からは、はなはだ逆行している感がなきにしもあらず。

でもね、昔は一日中やっていたんですよ、手技法というのは。
一日中というのは大げさですけど、少なくとも4~5時間。
波長が合うまでやってたんだから、しかも毎日のように。
それでこそ、治るんだよね。
施術者と受療者がシンクロするまでは時間がかかるわけ。
でも、現代は商売ですから、そんなに時間はかけられない。
時間をかけると疲れるんじゃないか、と思いますでしょうが、そうじゃないんです。
時間をかけると、その分、力を使わない施術になるのですよ。
百メートル全力疾走するのと1キロをゆっくりジョギングするのとどっちが疲れるか?
自明の理でしょう。
生体に不自然な操作を加えなくても済むので、受療者も疲れないわけ。
唯一の欠点は商売効率が悪いということ。
一回3万円も取れるなら別ですけど、それは無理ですし。
なんというかその微妙なところのフル施術(T150)なんだな。

半分引退したら、一日お一人様限定でね。ノンビリ、ゆっくり、ジックリと施術して、贅沢しないで食べていければ良いくらいの心境でやりたいと思っているのですが、どうも小生らの世代、年金は当てに出来ないようですし、死ぬまであくせくしなきゃいけないようですね。

あらっ、話が逸れてしまいました。
まあ、本気モードで考えれば、やること一杯ありますね。
按腹はしなきゃいけないし、首も充分にやらなきゃいけないし、スカルプもクラニアルも、足の施術だって重要だし・・・
結局、施術というのは現代ではプライオリティの問題となるわけです。
どこを重点とするか、というより、どこを省略できるかを考えなきゃいけないわけ。
物事には消去法を使うしかない場合もあって、どんな理屈をつけようとそれが現実。
できればスカルプ系、クラニアル系は省略してほしくないのですが・・・ヒトによって違うけどさ。

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按腹Ⅱ

                     003按腹は安福と音が同じでとても縁起が良い。(因みにアンプクと発音します)
そのせいか知りませんが、最初の系統だった文献は江戸時代に太田晋斎という人が著した「按腹図解」というもの。按腹で安福!という願いが込めれらていたような気がしないでもないです。

 この太田晋斎という人、日頃、賤技と卑しんでいた按摩を見直す機会がありました。ありがちなストーリーですが、この人自身が病気になってしまったんですね。
あらゆる医者にかかり、あらゆる方法を試してみたのですが、一向に治る気配がありません。
そこで藁をもすがる思いでもあったのか、按腹を継続して行ったところ、あ~ら、不思議、完治してしまった。
 すでに江戸時代は近代按摩の時代に入っていましてね。所謂、曲技曲手と呼ばれる技巧の限りを尽くした手の動きをするものに変形しておりました。
 これを晋斎は治病には何の役にも立たないと退けたのです。
そこで有名な「女子供でもできる単純推圧にかえれ」という名言が生まれるわけです。
実際、彼が行ったのは単純推圧が中心で、その啓蒙書ということで按腹図解が作られました。
 単純推圧にかえれ、というぐらいですから、かつての古方按摩は単純推圧中心であったということが分かる貴重な文献でもあります。
 手技法の中ではすでに用いられなくなった単純推圧ですが、漢方家は診断のために普通にお腹を単純推圧して処方の手がかりにしておりました。それを手技そのものの技法として復活させた功績はやはり大田晋斎に拠る所が大きいと思います。

 これが後々大きな影響を与えましてね。按摩といえば、按腹、別名「腹とり」などとも言われ、簡便な治病法として広まることになりました。
 しかし、時代は大きく動くことになります。維新の混乱や医制の改革などで埋没していくわけです。漢方医そのものまで廃止されたわけですから、按腹を行う医者など存在し得るはずもなく、細々と民間療法の中で生き残っていきました。

 先に玉井天碧について述べておりますが、指圧という言葉を最初に造語しただけではなく、彼ほど、その体系の中で按腹を重視した治療家は他にいないのだとか。
 当時の手技療法家で、直接間接を問わず、玉井天碧の影響を受けなかった者はいないとも言われておりますから、按腹再復活の立役者だったのかもしれません。

 昔は家で一人でも病人が出るとその家の没落を意味するほど、経済的負担が大きいものでした。ですから、民間療法は何も物好きがするのではなく、切実なニーズとして求められていたのです。現在、我々は国民皆保険制度の中で、最先端医療を誰でも受けられる立場にあります。こうした現代人からは分かりづらいものですが、家庭で行われる民間療法は今とは比較にならないほど、重要な地位を占めていたわけです。
 しかししかし、これも時代の流れで、按摩などの手技法が治病効果を期待するものではないという考え方もごく普通に受けとめられ、そのニーズは変化していったわけです。
 所謂、ストレス解消、肩こり改善くらいの認識です。
 病気を手技で治すなどという考え自体がマニアックになった結果、結局、曲技曲手の昔に逆戻り。按腹など業者の間では見向きもされないという現代の状況になり、今に至っているのです。業者のせいばかりではなく、一般の人のニーズも関係するわけですから、時代の変化としか言いようのないものです。
 しかし時代はさらに変化しつつあります。医療保険の破綻は早晩来ますし、事実、保険金負担は増え、格差社会と相まって国民保険にさえ入れない人が物凄い勢いで増えています。アメリカの悲劇が今日本で起こりつつあるのですから、恐ろしい時代に入ったものです。

 病院外来に来る患者さんの9割は病院に来る必要がない人たちと言われています。
 この9割の人のために本当に医療が必要な人達が犠牲になっているという現実は将来の日本を暗示していて暗澹たる気分にさせてくれます。

 そこで思うわけ。
 もう一度、按腹習慣を復活させれば、医療費削減は勿論、健康寿命も延びて、健全な皆保険制度が担保されるのではないかな、と。
 現在の長命化は健康寿命とは対極にあるものだと思いますよ。70歳で倒れて87歳まで生きたとしても、17年間寝たきりであれば、どうでしょうか?
 統計上は87歳まで生きたと処理されますが、こ