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小説「チャングム」を読んで

(一)

チャングムとはご存知、韓流ドラマ「チャングムの誓い」の主人公の名。
一世を風靡しましたね~。

小生、幾人もの人達からこのドラマの面白さを伝えられ、観るよう薦められました。
しかしどういうわけでしょうか、主人公が可憐な乙女で、かつその主人公が意地悪されたり、イジメにあったりする設定が馴染まないのです。最後、乗り越え、立派になると分かっていてもです。

ですから、2回くらい観まして、もういいや!でパスしました。
DVDが出ても借りる気も起こらず、最近ではネットで無料配信されたらしいのですが、それも素通りでした。

それでも、少しだけ気になっていたのは東洋医学や薬膳などがドラマの背景になっているということです。何せ、朝鮮では最も成功した実在の医女の物語なのですから。

さて、GW前、スタッフが気を利かせたのでしょうか、GW中の読書として、このチャングムの原作本を貸してくれて休暇に入りました。
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(クリックで拡大できます)

(う~む、チャングムか・・どうかなぁ~読むかなぁ、まあ、暇だったら読むかもしれないなぁ)程度の気持ちでした。

文庫本で三冊。手にとってみると、ちゃんと三巻目で完結しているようです。
(あんな長大な物語が大きめの文字を使った文庫本三冊で収まるのか?)
という素朴な疑問が芽生えました。

ハードカバー本なら、少々厚くすれば一冊で収まるはず。
それほど長いものではありませんから、まあ読んでみようか、の軽い気持ちで読み始めたわけです。

すると、驚きましたねぇ。
場面展開の早いこと。それと巧みなストーリー構成力。

原作者はキム・サンホンという人なのですが、作家として並の才能ではないようです。
訳文もこなれていて非常に分かりやすい(米津篤八訳)。

(あれ、自分が観た2回分のシーンがないぞ)
そう、「チャングムの誓い」というドラマはこの「チャングム」という小説に基づいて作られているのですが、ドラマ化にあたり、原作にはないエピソードを付け加えているようなのです。

小生が心配した意地悪シーンも原作ではそれほどネチネチとページを割いているわけではありません。それでいて強烈な印象を残しています。

なるほど!小説としての出来が良いから、ドラマ化したんだなぁ、ということがあらためて分かった次第。あっと言う間に読み終わりました。

面白いですねぇ。あらためてチャングム!
実にタメになります。こういう仕事をしていると特にそうです。

背景にある東洋医学もよく調べて書いているなぁ、ですよ。
物語自体の面白さもさることながら(だから一気に読んだのですが)、東洋医学が軸になって進むところは圧巻です。

具体的な処方はどうでもいいのですが、その思想というか、考え方をチャングムが一人で体現しているかのようです。

一人の心根の優しい女の成功物語として読んでも、東洋医学思想の源泉として読んでも、また朝鮮医学の歴史モノとして読んでも、面白いことには変りがありません。
それぞれが感じとれば良いわけです。

その面白さを全部伝えることなど出来るわけがありませんから、例によって、どうでもよいような面白いことを、解説付きでご紹介したいと思います。

三巻目に出てくる「相思病」という病。
これは面白く示唆深い。

(二)相思病

ドラマをご覧になっていた方はご存知なのでしょう。
小生、浅学にしてこのような証(相思病)があるとは知りませんでした。

まずは小説のくだりを抜書きします。
ちょっと読んでみてください。

「殿下、恐れながら申し上げます。“思即気結”とは即ち、思いが過ぎれば気が減り固まり、循環が悪くなるという意味です。特に思いが過ぎると消化が悪くなり、食べ物を見ても食欲が湧かず、感覚と感情の全てを一人の人間にのみ、向けることになります。それが酷くなると、目はうつろになり、歩いていてもつまずくことが多くなり、腑抜けのようになってしまうこともあります」

「話を続けてくれ。これまで寡人(私)の胃腸病を正しく見立てた医員や医女はおらず、歯がゆかったのだ。チャングムが来てくれて幸いだ。遠慮なく寡人の気掛かりを解いてくれ」

「分かりました。相思病にもっとも効く治療法は、胸に結ぼれた気を解いてやることです。心と脾の臓に鬱滞している精気を解きほぐし、循環を正常に戻してやるのです。簡便な治療法として、殿下に強い衝撃を与える方法がありますが、これははなはだ不敬であり、正式な処方とは申せませんので、煎薬と黄土銀球丸(おうどぎんきゅうがん)で治療を施せばよろしいでしょう」

「黄土銀球丸?初めて聞く薬剤だが、どんなものだ?」

「黄土、つまり黄色くて細かな、食すこともできる土で小さな丸薬を作り、その上に銀を載せてよく乾かしたものを服用します。相思病に良い効果があります」

さて、背景を言えば、中宗という新国王(後にチャングムを寵愛する人柄の良い王)と謁見した際に一発で国王の病態を見抜いたわけです。それが相思病なのでした。
チャングムが説明している通りです。

国王は愛していた妃を政治的な問題で追放しなければなりませんでした。そのことがいつも頭にあり、チャングムのいう「感覚と感情の全てを一人の人間にのみ、向けることになります」状態が続いていたわけです。

こういう状態というのは愛する者との別れ(生別、死別問わず)があるときに生じやすいものです。

また恋患(こいわずらい)や失恋でも起きるでしょう。
ナント!東洋医学は失恋でも恋わずらいでもそのような状態に陥ったなら、病気と見なすのです。そして治療法があるわけですよ。

あ~小生も若かりし頃、失恋で酷く食欲を失い、腑抜けになったことがあるのですが、そのとき「黄土銀球丸」を知っていればなぁ~。
(日本では売ってないでしょうね。食べられる黄色い土の上に銀を載せるんですよ!)

なるほど相思病とはよく言ったものですね!
相手を思い過ぎる病なのですから。

続いて、下線部に注目してください。
簡便な方法として、殿下に強い衝撃を与える方法・・とあります。

これ以降、小説ではそのことに触れていません。黄土銀球丸以外で簡便な方法があるって言っているわけです。これは知りたいですね。

小生の推測に過ぎませんが、二つの可能性があるのではないか・・・と。
一つはヘンセキと言われる瀉血法。

ヘンセキは滞った悪血を直接メスのようなもので傷つけ、血を出して取り去る方法です。
玉体から血を出だすというのははなはだ不敬な話でもありますので、この表現にも合致します。

もう一つの可能性は、術者が国王の背骨に膝を当て、喝!!と言って気合を入れる方法です(よく武道で失神した者を目覚めさせるのにやるでしょ)
これも玉体に対して行うには不敬な方法です。

さて、どちらが可能性として高いでしょうか?
正しい処方ではない、という表現も出てきます。このことも考慮にいれれば、ヘンセキは中医学の中では柱の一つです。これを不敬であると言えても、正しい処方ではない、と言えるかどうか・・・

また精気の鬱滞のことを主に述べていますので、ここに悪血除去の方法論の入る余地があるかどうかの疑問も残ります。

では喝!!の方はどうか?
心と脾の反応部位はまさに胸椎にありますから、この方法かもしれません。

後でまた例を出しますが、当時、すでに手技や体術は医の中では非常に低い役割しか与えられていません。ですから正式な処方ではないという表現にも合致します。

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ふ~む、どうやら、整体的な方法論を言っているような公算が強いですね。

チャングムの手技法観についても述べられているところがあります。

(三)チャングムの手技法観

第2巻にチャングムの抱いていた手技法についての考えを端的に述べている箇所があります。これも原文を抜書きしましょう。

「・・・しかし妙だな。お前を疑うわけではないが、わしは時々ここの医員を呼んで診てもらっているが、中風だとか言われたことがない。時折首が凝ったと言えば首を揉んでくれて、補薬を処方してくれる程度だ。・・・」

「医術に長けた者でも、それぞれ見立てと処方が違いますから、そんなこともありましょう。ですが、首が凝っても、むやみに揉むことはお勧めできません」

「だが、首を揉めばすっきりするぞ。そのどこがいかんのだ」

「首を揉んですっきりすると、それを繰り返すことになりますが、繰り返していると首の骨を支える筋肉がゆるみ、骨に異常を来す恐れがあります。もしや県令様はうつぶせになって首に指圧をうけましたか?」

「ああ。座って指圧を受けることもあるが、普段はうつぶせだ」

「こちらの医員の悪口を言うわけではありませんが、そのようにして指圧を続ければ大変なことになります。まかり間違えれば、体が動かなくなり、全身が麻痺するかも知れません。指圧は一時の方便に過ぎず、治療が目的ではないのです。首の後ろが凝ったのは、様々な理由で血行が悪くなっているからです。根本から治療すべきです」

「首を揉むのはそんな危険なのか・・・・」

「はい」

「わかった。お前の言うことを聞くから、治療を頼む」

さて、チャングムは官婢の身分に落とされ、地方へ追放されました。ある県令(県知事みたいなものか)との初対面でやはり、その県令の病態(この場合、未病)を見抜くわけです。

県令は自分では健康だと思っていたのですが、チャングムの指摘が心当たりあるらしく、聞く耳を持つに至りました。そして以上のような会話が交わされたのです。

まず「指圧」という言葉を使っています。過去ブログでも述べておりますが「指圧」という言葉は大正時代に作られた純然たる日本における造語です。

原作者は韓国の人なのですが、韓国でも指圧という言葉が一般化しているのか、この言葉を使ってしまっています(或いは誤訳かも)。

チャングムの時代(16世紀)では適当ではありません。その頃でも使われていた言葉としては「按摩」が正しいのではないでしょうか。

それはさておき、この部分を一読すると、読者に誤解を与えかねないのではないか、と思うわけです。

手技はあたかも、一時しのぎで根本的解決にはならない、ということになっております。
それどころか、続ければ害になるとも・・・

実はこのような手技のことを慰安娯楽の手技として、厳しく指摘しているのが増永静人師なのです。やたら、症状を攻めるのはよろしくないと。

首が凝ったら首を揉む、肩が凝ったら肩を揉む、このどこがいけないのか?という開き直った反論に対して、増永師は難しい表現でたしなめているのですが、チャングムの論は分かりやすいものでしょう。

ただ、この説明だけでは手技そのものも否定しているような印象なので、小生が取り上げる動機となりました。

背景を少し考察してみましょう。
チャングムの時代、燕山君というとんでもない悪王がいて、この王は毎夜、酒池肉林、贅沢の限りを尽くしておりました。

なにを思ったか、宮廷内の医女まで宴会に狩り出し、お酌をさせることを思いついたのです。正式な医学を修めた医女にとってはタマッたものではありません。

現代で言えば白衣コスプレのキャバクラ嬢になったようなものです。
脂ぎったスケベオヤジが宴会の中で身体を触らせるのに絶好の機会ではあるでしょうね。

ヘタに医学を修めているのがアダとなります。ツボどころを知っているのですから、首を揉めだの、肩を揉めだの、腰を揉めだの、無理難題を吹っかけてきたでしょう。

できればそんなところへ出席したくないのでしょうが、国王の命令に逆らうわけにはいきません。そもそも酒を飲んで身体の触りっこなどしていてはろくなことにならないのは目に見えています。

こうして、医女たちは医学研鑽の時間も奪われ、次第に格が下がっていったわけです。
ですから、医学を修めた者にとって、手技は賤技にも等しくなります。プライドがズタズタです。

この習慣は燕山君の治世が長かったため、朝鮮全土に広まりました。
手技に対するあからさまな偏見はこうして醸成されてきたものと思われます。
とにかく按摩は医者のすることじゃない・・・と。

そういうところへ、明らかな未病を持った高位の者がそれに気づかず、首が凝るので首を揉んでもらっているという事実を知ったとき、その害を説くのは、心情から察してある意味自然なことかも知れません。

うつ伏せで首を揉むことに対しての警告
やり方によっては確かに危険。
特に施術者が筋強縮で行うと相手の頚筋を傷める可能性がありますね。

そういう意味では異論がありませんが、そうならないように施術するのがプロです。
あくまでも筋トーヌスで不要な力を使わず行うわけです。

ですから部分的には賛同できるもののミソもクソも一緒にされては適いません。

指圧は一時的な方便に過ぎず、治療が目的ではないのです・・
(指圧を手技と読み替えてください)

これには賛同しかねます。
一時的な方便というのは(危険であるという論にもつながりますが)、症状だけを攻めるという前提の上に成り立ちます。本当の手技はそうじゃないわけです。

症状だけを攻めるだけでいいのであれば、苦労しません。フル施術などというメニューも作らないでしょうし、勉強も研究もしなくて良いわけです。

凝りを解して、楽になってもらうことは応分において重要な役目ですが、それだけだと揉みクセや、筋硬化&軟化を生み出してしまいます。そのことは施術家なら当然のこととして理解し、あえて口に出すことでもありません。

できれば、患部や症状から遠い部分の操作によって、訴の解消があればそれに越したことはないのです。増永師の施術法において四肢を重要視する所以です。

また、中枢部(頭、脳)の施術は、基本的に力をこめるということもありません。
一見、症状とはなんの関係もないところへアプローチすること自体が手技の本質なのであって、そのことに注力するから手技法家なのです。

なぜなら、その人のエネルギーブロックを外そうとするわけですから。

そうは言っても、現状はマッサージハウス全盛で、凝っているところがあるから来る、そこを解してくれるから、来院するという厳しい現実があるわけです。

これについて小生は考えがあるものの、それを述べたところで改革になるわけでもなく、単なる憎まれ口になってしまいます。
チャングムが警告している通りになるということだけを付記しておきます。

繰り返していると、首の骨を支える筋肉がゆるみ、骨に異常が出る・・・
症状だけをやたら攻めてそれを繰り返していると、ゆるむ場合と硬化する場合があって、そのいずれもが、骨の異常を招きます。

どのような場合にゆるみ、どのような場合に硬化するのか。
数多くのマッサージジャンキーを見てきていますが、大体は硬化しております。

力任せに揉むと硬化します。また指圧系でもツボを外して押し続けるとこれまた硬化していきます。ツボを捉えて的確に押圧したとしたら、今度はチャングムが言うようにゆるみ過ぎてしまうのです。

共通するものは何かというと、述べたように局部的な施術方法にあります。症状を攻める施術はツボを外してもツボにハメても不都合が出てくるわけです。

押圧や揉みを否定する施術家はおそらくこの現象を見て主張するものと思われます。
硬化している人が多いということは指圧系ではなくマッサージ系の強い施術にかかりすぎたとも言えますし、指圧系なら完全にツボを外している施術にかかり続けたとも言えるわけです。

ゆるみ過ぎている人をめったに見かけないのは、ツボにハマッていない施術が多いのだろうと推測できるのですが、チャングムは「ゆるみ」と断言してしておりますね。

してみると、当時は局部的な対症施術であったにせよ、ツボは捉えていたということが言えるような気がしないでもありません。
(作者は現代の人ですが、書くに当たって資料、文献を参考にしたに違いありませんから、昔人のツボを捉える感覚は現代人のそれを上回っていたいう根拠にもなって、面白いなぁと思った一文です)

いずれにしても、症状だけを攻めては害があるということには賛同できます。
何度も述べていますように、手技法家は症状だけを攻めるものではありません。

それにしてもチャングム、誤解を与えるようなことを言っているのはちょっと憎たらしいのですが、可愛いから許せます。(概ね正論ですし)

え?可愛くないと許せないのかって?
そりゃそうですよ。西川史子みたいな女が出てきて言ってごらんなさいや。
なにを言っても許せません。
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吉永小百合の若かりし頃に似ているような・・・
いずれにせよ、端正で正統派美人ですね。
(クリックで拡大できます)

(四)チャングムはいたか?

何度も言いますが、小生、ドラマは観ていません。
しかし、小説を読む限りにおいてもチャングムの天才ぶりには驚かされます。

あんな小さい頃から、診立てが出来て、生薬一つ一つの薬効についてもスラスラと諳んじることができるのですから驚きです。

実在のモデルはいるにせよ、所詮は小説。作者の想像力の賜物のような気がしないでもありませんでした。

ところが、日本でも漢方の名医の中には早熟の天才ぶりを発揮した人の記録が残っているのです。たとえば・・・

大塚敬節先生といえば、初代北里大学東洋医学研究所の所長をつとめた近代漢方の大御所であったことは関係者なら周知の事実です。

この先生の曾祖母に当たる人がよく言っていたそうです。
「私は八歳で医者をやった」と。幼なかった大塚先生、「そんなの大嘘に決まってる!」と、ハナから信用しません(まあ、当然ですわね)。

ところが、後年、大塚先生が漢方に興味を持ち独自の研究をすることになるわけですが、あながち曾祖母の言は嘘ではなかったのではないかと思うようになります。
そのキッカケはある書物に出会ったことでした。

「尾台榕堂」という幕末に活躍した名医がいます。
この人の残した「方伎雑誌」という書の中に自分の医者としての初陣の様子が書かれているのです。「尾台榕堂」は医家出身です。祖父、父、長兄いずれも漢方医でした。

たまたま、急患が出て往診を頼まれました。ところが折り悪く、それぞれが患者を抱え忙しく、往診することが出来ませんでした。そこで祖父がまだ幼い「榕堂」に言いました。「お前が行って診てくるように」と。
そのくだりを大塚先生が現代語に訳して書き残しているので、そのまま紹介しましょう。

“私が十三歳にとき、病家から往診を乞うてきた~中略~祖父の紫峯翁にお前が往って診てこいと命ぜられた。そこで往診して帰ったところ、祖父が、どうっだったと尋ねるので『傷寒で、頭が割れるように痛み、悪寒、発熱し、喘鳴もあり、身体中が痛み、脈は浮数で力がある』と報告したところ、お前はどの薬方を用いるかと訪ね給うたので『麻黄湯ではいかがでしょう』と伺ったところ、祖父は顔に笑みを浮かべて、よくできたと誉めて頂いたので三貼調合して、これを温服してウンと汗を出すがよいと、使いの者を帰した。翌朝また往診したところ、ウンと汗が出、苦しいところはなくなったという。ただ余熱が少しあるから、小柴胡湯に転じ、まもなく全快した。これが私の初陣である”

一家が医家ということを考えても、現実に患者を診立て、処方する、となると門前の小僧云々・・とは次元がまるで違います。この「榕堂」という名医、紛れもなく十三歳にして医者になったわけです。

このことから類推するに、大塚先生の曾祖母もまた、八歳で医者をやったというのは事実なのかもしれないと思ったそうです。

では、名医と言われている人は皆、そうであるか?というとこれがそうでもありません。
かの天才漢方医、吉益東洞、彼は一説によると、四十歳から医者になったと言われております。当時の平均寿命で考えれば、現在なら60歳くらいで医者になったようなものかもしれません。それでいて、現在の日本漢方にもっとも影響を与えている業績を残しているのですから、むしろこちらのほうが驚くべきことでしょう。

人には早熟型と晩成型があるようですが、漢方界にはその両極端があって、面白いものだなぁ、と思う次第です。

話を戻しましょう。
チャングムは少なくとも、当時の男尊女卑の風潮の中で医界の頂点まで上り詰めた人です。

それが如何に大変なことであったか。現在では想像もできないくらいのものだそうです。
それを可能にし、事実として歴史に残っているわけですから、作者の脚色があるとはいえ、チャングムの能力は抜きん出ていたことに間違いありません。

まさに十三歳で患者を診立て、生薬の効能など童謡を歌うかのような流暢さで説明できたものでしょう。

イ・ヨンエさんばりに美しかったかどうかは別にしても、小説に描かれているチャングムの能力はほぼ事実であったと思う次第。というか、小説の描写さえ上回っていた可能性さえあります。

世に早熟の天才とはいるものですねぇ。

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