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温泉の効能

前に温泉について少し書いたことがあります。
なにせ、小生の施術家としての本格的なキャリアは温泉から始まっていますからね。
温泉足揉みを日本で最初に始めたのはおそらく小生であろうと、秘かに自負もしていたりして。

言ってみれば温泉足揉みの発祥の地は旭岳温泉「湧駒荘」でもあるわけです。
Photo
(クリックで拡大)
因みに「ゆこまそう」ではなく「ゆこまんそう」と読みます。

大正の初期に当時の素封家、小西氏が初めてここに温泉場を開いたのがキッカケでした。

そう、旭岳温泉のもともとのルーツは「湧駒荘」であって、その名は現在も引き継がれているのです。

しかし、経営者&オーナーもすっかり変わり、小生が足揉みをやっていた頃の人達でさえ、誰もいないのは寂しい限りです(何度か転売されています)。

建て直す前の旧館(小生がやっていた頃の)正面の写真をネットで探したのですが、さすがにありませんでした(本館の後部にまだ宿泊施設は残っているらしいのですが)

ネットに公開されている写真で当時を思い出させるのは、湯船の縁にある木材がそのまま使われていることです。写真では分かりづらいとは思いますが、拡大して見てみてください。
Photo_2 (クリックで拡大)

「檜」であったか、「キハダ」であったか・・・いずれにせよ相当に年季が入っていて、往時を偲ばせるのに充分な貫禄がありますね。

さて、この湧駒荘、小生が入っていた頃は、老朽化した建物、設備等で気が引けたのか、泉質の割には割安な宿賃だったような気がします。
確か、一泊二食付で6千円くらいだったかな。

ですから、まさに湯治のお客も多くてですね、GW中などはずっ~と連泊する方もたくさんいました。

1990年のGWは小生もずっと施術でここに入っていました。
宿泊者も温泉に入る他、することがないですから、連日、施術に訪れるわけです。
すっかり顔馴染みになったものです。

ですから、温泉の効能というのはある期間入り続けて初めて真の威力を発揮する!ということを肌で知っているわけですよ。

湧駒荘の温泉の凄いところは、源泉をそのまま使用しているということでしょうか。
温めもしないし、水で薄めもしません。ホントにそのままです。
ずっと源泉を流しっぱなしにして、浴槽を洗うときだけ、止めます。

それでもこんこんと湧いてくるのです。掘らなくとも、勝手に湧いてくるのですから。
本当の意味での自然の恵みですよ。
(少なくとも小生が施術をしていた頃はそうでしたね)
ですから、所謂「通」な人たちが口コミで来るようなところでした。

温泉の効能を語るとき、当然、その泉質によって吟味されます。
成分を分析して、これこれの成分だからこれこれの症状によく効くとか。
単に経験だけではなく、科学の目が入ったところに、温泉ブームの下地が作られたような気がします。

それはそれで良いと思います。(あ~この湯は神経痛に効くんだな)と思って入れば心理的な効果もあるに違いありません。

ただ、長くこういう場所で施術していると、どうもそれだけではないような気がして仕方ありませんでした。

なんと言いますか、“場”のエネルギーみたいなものでしょうか。エネルギースポットと言えばニューエイジっぽい語感ですけど・・・・

小生、生まれて初めて“気”というものがあるのかもしれないなぁ、と思ったのも湧駒荘で湯治客相手に施術をしたのがキッカケだったような気がします。

後に東洋医学を学んだときに温泉の深い意味が分かりました。
本当の温泉は火山活動のつまり「火」の性質によって暖められます。そのお湯は「水」ですから、「火」と「水」、正反対の性質を持つものです。まさに陰陽一体なのです。

また、温泉はもともと地下水脈ですから、それが浄化され、飲用に耐えるのは「土」の性質が関与しております。さらに、浴槽を「木」で作り、岩風呂を備えれば「金」の性質も一体化できます。

ここに「木」「火」「土」「金」「水」という五行の“エネルギー場”が完成するわけです。
湧駒荘はこの全てを満たしておりました。

木で作った浴槽と岩風呂もありましたし、飲用に耐えるほどの浄化度です。マグマだけで温められ、水道水で温度を下げることもしません。完全無欠のエネルギースポットであったわけです。

何故、旭岳温泉が秘湯と呼ばれてきたのか・・・それが分かったのは随分後のことでした。

その“エネルギー場”に身体が馴染み始めるのに最低3日はかかるな、と思ったのも湯治客の反応やら、お話やらの中で体験的に分かってきたものだったわけです。
数多くの「通」がいましたからね。

勿論、小生も施術の日は必ず温泉に入っていました。仕事の終わりに最後温泉に入って疲れを癒す(なんという贅沢な環境!)。しかも無料で。
(そういえば食事も無料でした。温泉宿の賄い食事は美味いんですよ~お客に出す料理より美味いかもしれません)

ただ、若いときでしたので、身体の故障も不都合も全然なくて、全くの健康体でしたから、温泉に入ろうが入るまいが、元気なんですよ。

それでも、気が満ちていくのが何となく分かるようになってきました。
今なら分かりまくりでしょうね。

しかし、考えてもみてください。
湯治で連日温泉療法です。それに加えて連日、施術を受けるわけです。
それが一週間、続くわけですよ。1990年のGWは一週間連続でやりましたもの。
これでクライアントが元気にならないわけがないじゃないですか!

印象に残っているのはある無口な初老の男性でした。
ホントに無口でして、最初は何にも喋らないわけです。

施術後も何にも喋らない。気に入ったのか気に入らないのか、こっちとしては全然分からないですよね。それでも連日予約しますので、まあ、来てくれる以上は何か感じるものはあるのだろうとは思っておりました。

やがてポツポツと身上話を喋るようになってきたのですが、その方、会社を興して随分、成功されたようなのです。

それにしては元気がないというか、覇気がないわけです。湯治に来るくらいだから、体調が良くないんだろうなぁ、くらいのそんな軽い気持ちでした(当時は問診表を書いてもらうという知恵がなかったんです)

4日も経ったときでしょうか、衝撃的な告白を聞きました。
実はこの方、癌で余命3ヶ月。もはや末期で、現代医学では手の施しようがない状態だとのこと。驚いたこと。驚いたこと。そんな方を施術するなんて初めてのことです。

驚かないほうがおかしいでしょう。
医学的な知識もほとんどないですしね。どう対処していいか分からないわけですよ。
絶句です(ホント若いですよね、当時の小生)。

確か肺がんです。肺がんでこんな高地の酸素の薄いところで大丈夫なのかな、と思った記憶がありますもの。そして肺がんというのは末期でもあまり痩せない、ということもこのとき知ったような気がします。

道理で、覇気がないし、顔色もすぐれない感じがしてたわけだ。
変に納得してしまったのですが、そんな素人に毛が生えた程度の小生にでさえ、この方の変化はハッキリ分かりましたよ。

なんというか、語彙が少ないのはこういうときに困りますね。
ありきたりの言葉で言えば、“元気”になっていくわけです。
ドンドン元気になっていくのです。
宿を去る最終日などは、ジョークを飛ばし、大笑いさせられたのを覚えています。
(あ~、本来、この人はこういう人なんだろうな)と思ったものです。

さて、ここで肺がんが治り、奇跡的な生還を果たした、という報告があったという話なら、グッとくる物語になるでしょう。
現実は違います。実はどうなったか、分からないのです。

事情により小生は、ほどなく温泉足揉みから足を洗いました(シャレじゃないですよ)。
ですからこのケースの結末をお伝えすることができません。
HPのどこにも書いてない所以でもあります。

しかし、小生の初めてのケースであるということと、あの尋常ならざる回復力が非常に強い印象となって、心に焼き付いているわけです。

その他、多くのことを湧駒荘で学びました。
湯治というものの本質。そして、施術との相乗効果。

それを直接的に今に生かせていないのは小生の力不足以外の何物でもないのですが、いつかこの体験が役立つときも来るだろうと思っております。

また、温泉で施術している同業者にもある種エールを送る意味でこの記事を書きました。
自信を持って施術をされたら良いだろうと・・・

仮に経営者が、人使いが荒く「困ったちゃん」なやつでも、現場で学ぶことは数多くあります。施術家として血となり肉となるよう貪欲に吸収して頂ければと思います。

※ドイツ発祥のクナイプ療法というのがあります。なんのことはない、日本で言えば「湯治」のことです。大自然の中で悠然と温泉につかり、身体を芯から癒す。洋の東西を問わず、普遍的な方法論ではあるでしょう。あるエネルギースポットに身を置いたとき、自然治癒力が猛然と働きだします。そのエネルギースポットを簡単に探すのに、定評ある温泉を見つければ良いわけですから、火山国、日本ならではの便利さでしょう。世界中探したってこんな国はありません。地震が多いのは困ったものですが、その代わり温泉という恵みを天が与えたような、そんな気がしてなりません。そして、それを利用しないのであれば、日本人として受ける恵みを半分放棄したも同然です。

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