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証整体

もともと小生の屋号枕詞は足心整体だったのですが、なかなか気にっておりました。

足心という言葉自体は江戸中期に活躍した禅僧白隠が最初に述べた概念(言葉)で、味わいのある文脈の中で使われております。

本来、昔からある言葉で、一般化されているものは商標権の対象にはならないのですが、一般化されている言葉とは言えない、と判断したのか、それとも知らなかっただけなのか、特許庁はこれを商標権の対象にしてしまいました。

あとあとのトラブルを避けるべく、足証整体に変更したわけですが、もう変更後の名前の期間のほうが長く、愛着も出てきましたね。

考えて名付けたのですが、当初考えている以上に面白い内容を表しております。
「証」は一種のカテゴリーという意味ですから(病態の)、足、または脚からきている身体の不都合は一括して、足証と呼べるわけです。

頭からきているのは頭証、首からきているのは頚証、仙骨なら仙証とも呼べるのですが、聞きなれないわりにはリッパに意味は為しているのです。

もし、足心のままなら、頭心、頚心、仙心ということになって、造語としてはあり得るでしょうが、漢方的には意味の為さない言葉になってしまいます。

ですから、証という言葉を使ったのは正解でした。
それがそのまま、カテゴリーを表しますから、頭証というべき人もたくさんいますし、頚証という人も、仙証という人もそれぞれたくさんいます。

極端な話、もしその人が腸腰筋の不都合で愁訴に至っているのなら、「腸腰筋の証」と診断してもなんら間違いではないのです。

また、身体は連動し大きなネットワークですので、どこかに不都合があれば、その影響はどこにでも及びます。

ですから、同じ人が頭の施術で良くなることも、足の施術で良くなることもあって、全然不思議ではありません。

アプローチをどこから始めるか、ということに過ぎなくなるのですが、それを足から始めるという意味において、まずは足証として診るという態度を表している枕詞なのでした。

施術家としての出発点が、足揉みであったという小生の特異な経歴がそうさせているのですが、これは類例があまりないでしょうね。

リフレはそれ自体が完結した療法ですから、他の施術を加える場合はまさに加えるだけであって、そこに連動性を見出すことはありません。

しかし、証として足を診るならば、カテゴリー1、カテゴリー2、カテゴリー3という風に原因になっているところを弁別することができるわけです。
弁別するだけではなく、そのまま足元から正すということも出来るわけですから、一石二鳥です。

小生が思う証(カテゴリー)は

1、 三関節+仙骨(仙腸関節含む)
2、頭蓋
3、各筋筋膜


と考えています。もっと細かく分類することもできますが、まずは大雑把な掴みが必要でしょう。

勿論、これらは連動しますから複数のカテゴリーに入る人もたくさんいるわけです。
そのうち、もっとも重症、あるいはそもそも原因であるところへ施術時間を割くのは当然です。

ここに背骨が入ってないのは不服かと思いますが、背骨は常に脳脊髄液のリンパ交換行う部位として緩めねばならないところですし、椎骨が24個もあって、かなり個別的な分類になってしまうのと、脊椎に歪みがあっても筋筋膜処理によって、痛みがなくなるという事実を総合的に考えれば、最初のカテゴリーから外しても良いだろうということにしました。

小生はカイロプラクターではないわけですし。

ということで、名称自体がカテゴリー選択を意味することになったわけですが、あとはそれに対応する技法があれば良いことになります。

技法についてはまた別の機会に論じたいと思います。

静止点誘導

クラニアルの動きを捕捉するのに、物理派とエネルギー派とがいます。
前者の代表はアプレジャーで後者の代表はフルフォードでしょう。

物理派というのは、脳脊髄液の循環が脳膜の膨張と収縮を生み出し、それが頭蓋を通じて物理的に感じられるというもので、エネルギー派はある種の生命エネルギーのインパルスをダイレクトに手に感じるというものです。

物理的な動きを捉えるのではなく、エネルギー波を捉えるという意味において、エネルギー派のほうが、よりスピリチュアルな感じがしないでもありません。

しかし、物理派においても、その動きは極めて微細なものですから、それを感知するには、これもまた無意識にスピリチュアルな感受性を使っているのかも知れず、その境界線はどこかで重複しているような気もするわけです。

脳脊髄液の物理的な動きがリズミックインパルスの正体であるとする物理派はその主張において独特な理論を展開します。

これが表題の静止点誘導という概念です。
基本的にどんな人でも頭蓋の動きはあるのですが(余程閉じている人以外は)、治療が成ったという目安として、リズミックインパルスが止まる時点を重要視するのです。

言ってみれば意図的に脳脊髄液の循環を止めるわけですね。
そうすると、リズミックインパルスが止まる瞬間を捉えなければいけません。

このとき、何かが身体の中で起き、良い機転につながると主張します。
「何かが起きる」と言われても何が起きる?反問したくなるような表現ですが、おそらくは“再構築”なのでしょう。“リセット”と言い替えても良いかもしれません。

いずれにしても脳脊髄液の循環という物理的な現象を基礎とする理論は、静止点に導くということを眼目とするわけです。

この静止点というのものは、確かに存在します。
力強く、しっかり動いていると感じていたものが突然止まるというようなことが実際あるわけで、そういう経験をしている術者も多いのではないでしょうか。

しかし、静止点に達するにはかなり長い間、タッチしていなければならず、根気が必要です。しかも、これは純粋な治療技術ですから、ただタッチされいる状態が15分も続くとクライアントとしては途中で目覚め、「何をやっているのかしら?」と感じてしまうことでしょう。

要するにクライアントをして考えさせてしまうような施術は、それだけで脳の働きを活発にし、副交感から交感へスイッチされてしまいかねません。

この辺は事前によく説明することでほぼ解決できると思いますが、問題は施術者の集中力が続くかどうか、ということです。

力は全く使わない施術ですが、多大な集中力を要する技法です。
集中力というのは肉体、精神のエネルギーが充実していませんと、中々持続できないものです。

ためしに、15分間同じところを押え続け、全く集中力が切れないかどうかやってみれば分かります。素人では絶対に無理です。たった15分でも無理なのです。
(多分、他のことを考えてしまうでしょう)

施術家は当然、プロですからそれを訓練によって克服しますが、よく鍛えられた施術家であっても、体調の波というのは誰にでもあるものですから、持続出来るときと出来ないときがあります。

単純な技ほど難しいというのは小生の持論ですが、単に頭蓋にタッチするだけという単純といえばこれほど単純な技法はもう他にありようがないわけです。

単純推圧でさえ、圧を加えるわけですから、頭蓋にタッチし続けるというのは如何に単純で如何に難しいかが分かって頂けるものと思います。

人というのは動きがあればその動きに集中できますから、ついつい手を動かしたくなりますわね。それが所謂マッサージ的な動きでもあり、アジャスト的な動きでもあります。

動きがある技法というのは難しそうに見えますが、実は単なる技術ですから、習得さえすれば難しくないのです。

スラスト系であっても、一見難しそうに見えますが、実はやるだけなら少しの訓練で出来るようになります。(中途半端に出来てしまうから事故が多かったのですが)

施術家を志す人でやはりこういう動きのある派手な技法を好む一群の人々がいますが、それはそれで否定するものではありません。

しかし、忘れて頂きたくないのは、動きのない、決して派手ではない技法にこそ、汲めども尽きぬ難しさと奥深さがあるということです。

小生思うに、静止点の発見は手技療法史上、「頭蓋は動く」という発見に匹敵するほどのものだと思います。

しかし、感受性とともにその技法は難しいのです(集中力の持続が難しい)。
何事も一朝一夕では成し遂げられません。

使い続け、磨いていくより他ないのです。
それが楽しくなるまで
(楽しいと集中力は持続するわけですから)

不動関節

Photo頭蓋縫合関節が不動関節であるというのは医学的常識で、日本の解剖学の本にも書いてあります。

ところが、幾多の研究者の研究によって、頭蓋縫合は明らかに可動し、開存している、という結論が出ているわけです。

イタリアあたりの解剖書では可動関節であると明記されているそうな。
保守的な日本の医学界で、可動関節に変更されるのはいつのことになるやら・・・

まあ、小生は解剖学者でも医師でもありませんので、日本の解剖書にどう書いてあろうと、頭蓋は動くという前提で施術しても、村八分にされることはありません。

縫合が可動関節という前提に立つと、違った風景が突如として目の前に現れます。

普通の関節は(例えば肘とか膝とか肩とか)、動きが悪いと、自覚的にも他覚的にも感ずることができます。

ところが、頭蓋縫合はどんなに動くと言っても最大で250ミクロン。控え目の研究者はその10分の1しか動かないとも言います。

この程度では動きが悪いなどと自覚することも出来ませんし、他覚することも困難になります。そこでCRI(リズミック・インパルス)を検出するために、大泉門(ブレグマ)あたりで指を静止させ、ず~っとただひたすら感じる手法を取るわけですね。

経験を積むと、確かに呼吸のリズムとも心拍とも違うリズムを感じてくるのですが、なにせクラニアルの技法そのものは静止系が多い。しかも軽いタッチで。これは何を意味するかというと時間がかかる、ということです。
(Dr.アプレジャーは5時間かけてやったなんて話もあるわけで)

全身的なアプローチをする施術家はやることがたくさんありますね。
時間に限りがあるというものです。

そこで全く違うアプローチを取ることを考えました。
頭蓋縫合が可動関節であれば、そこにサブラクレーションという概念の入る余地が入ります。正確ではありませんが亜脱臼と訳されます(この訳し方には異義があるのですが、話が逸れていきそうですから、不服ながら亜脱臼にしましょう)
これを探せば良い。そしてこの亜脱臼は大概の人で触知し得るものだと結論づけました。

頭蓋は大陸移動に似ています。
胎児のときは完全に23枚の骨に別れ、骨と骨の間には膜があります。
そして新生児から幼児、そして青年期にかけて頭蓋のそれぞれの骨が接近していき、ついには縫合部を形成するに至ります。

このとき、接近が強すぎると、ちょうどインド大陸がユーラシア大陸と接近しぶつかったときに生じたヒマラヤ山脈のような状態を呈します。

凸もあるなら、凹もあります。つまりイビツにくっついてしまうわけです。
これは少しの訓練で誰でも触知し得るものです。

クラニアル施術者なら、経験していると思いますが、やけにブレグマを探しやすい人、逆に探しづらい人。同じ冠状縫合上でもある地点でははっきりとした段差があるのに、ある地点では縫合そのものを触知するのに苦労する場合とか。

縫合ドレナージュをかけていけば、余計なものが取れてかなり触知しやすい状態にすることができますが、それでも、縫合を感じるのに部位によって随分と違いがあるものですし、個人差がとてつもなく大きいものです。

さて、問題は技法です。クラニアル系手技というのはスカルプ系とは違って、脳膜、さらにその奥、つまり脳そのものに働きかける技法です。

表層部に対するスカルブ系が割りと力強い手技を用いるの対して、クラニアル系は深層部へ働きかけるにも関わらず、軽いタッチを用いるのは人体の不思議さを表していて興味の尽きないところですが、先人の経験知を信じましょう。

だから軽いタッチでやることは譲れない一点です。
頭蓋縫合部の凸凹を完全に取り去ることは軽いタッチであろうが、力ずくであろうが無理です。

要するに機能障害の除去、つまり非線形機序が働けば良いのですから、凸凹は施術部位の基準にはなりますが、それをフラットにする必要はありません。
(線形機序と非線形機序についてはリフレパシー随想カテゴリーでアップしてあります)

見つけ出したヒマラヤ山脈なりグランドキャニオンなりに対して、時計と反対回りにドレナージュし続けます(あくまでも軽いタッチで)。それを次々と追っていくわけです。

これをやりますと、クラニアル手技が何故、非観血脳手術と言われているのか実感できますよ。気持ち良いにも関わらず強力です。

こんな軽いタッチなので安全だと思うかもしれませんが、トンデモナイ。
ある意味、スラストより危険かもしれません。

だから、これは良いことを聞いた、と真似しないでください。責任は取れません。
あくまで基本、つまりオーソドックス・クラニアルを身に付けていないと危ない技法です。
その代わり、時間短縮の上、効果が高い。

明らかに閉存から開存への移行が施術後のクライアントの様子からも伺え、効果の高い技法かと思います。

陰陽

東洋医学は陰陽思想が基になっているのはご存知のとおりです。

病気のなるのはこの陰陽のバランスが崩れるからだ、としております。

身体の正面は陰、背中側は陽。
腰痛者に対して按腹を行うのは、腰(陽)に対してお腹(陰)のアンバランスを是正するという意味合いがあります。

これをそのまま言うとまるでオカルトのようなので、腹圧を調整し・・・というちょっと医学の臭いをさせた言い方になるわけです。

そうすると、噛みつく人たちもいて、「腹圧とは何だ!証明してみろ!」という話になる。
くだらない幻想など抱くな!猛烈な批判を加える人もいます。

しかし、腹圧云々は便宜上の言葉であって、ホントのところは先に述べたように、陰陽のバランスを取ろうとしているわけです。

陽は物理的で目に見える形ですが、陰はそれを支え、目に見えない、それこそ陰(かげ)の存在です。構造的な身体の仕組みが陽なら、心(こころ)が陰に相当するでしょう。

按腹はある意味、感情解放テクニックであって、心(こころ)-陰に働きかけるものと言えるのです。少しでも東洋医学に触れた者なら、それを理解することができるのですが、論語読みの論語知らず、で一応の知識を知ってはいても、敷衍できない人たちの批判としか言いようがありません。

身体を左右に分けると、左半身が陽で右半身が陰であることは、常識で知っていると思います。

左側だけに症状が出やすい人や右側だけに症状が出やすい人、など経験されている施術家も多いのではないでしょうか。

本来、代償的な歪みが発生し、左側だけ、とか右側だけというのは陽の世界ではあり得ません。にも関わらず、左半身だけ、右半身だけという症例が多いというのは何を意味するのでしょうか。

西洋的手技法では身体の部位によって左右、左右と症状が出るよ、と教えているのです。
この法則に当てはまる人もいるのですが、全く当てはまらず、左だけ、右だけに症状が出ている人も多いことは実践家ならご承知くださるはず。

陽のエネルギーが減衰しているか、克ち過ぎているか、或いは陰でそれが起きているのか・・・いずれにしても、どちらかの減衰、過剰は相対的な減少を招くわけですから、全体としてのエネルギー不足に陥りやすいことは確かで、その時に初めて同じ身体で左右の症状が出てくるのだと思うのです。

人はどちらかにアンバランスを持つものですが、それが許容の範囲であるかどうかが、発症するかどうかにつながります。

足脈で時々あるのは左右の脈の違いです。足脈は手首の脈とは違い、左右の足で取れる脈の盛衰を六臓六腑に分けて考えまいせん。同じ臓腑の脈と捉えるので、脈象の違いはそのまま、左半身と右半身のエネルギー差と捉えることができます。

そこで明らかな脈象の違いがあれば、左半身(陽)と右半身(陰)のアンバランスをキャッチしていることになるわけです。

施術後、脈が均等になればそれは一応の施術の成功でしょうし(陰陽のアンバランス解消)、未だ、それが変わらなければ、的確な部位の選定を誤ったか?という反省にもなります。

手首の脈は高度で相当な経験がなければでき得るものではありませんが、足脈は東洋医学発祥時に存在した、極めて原始的かつシンプルな捉え方です。それは陰陽のアンバランスによって病気が起きるという原東洋医学の残滓とも言えるわけで、手技で活用するのは、生薬や鍼灸を用い複雑化していった前の姿として合理的ではあるでしょう。

東洋系の考え方を取り入れる手技法家は、まずもって足脈をとり、大雑把に陰陽のアンバランスを掴みとることが肝要かと思います。

足の関節

足(脛骨、腓骨を含まない)の骨は全部で26個。
自動的に×2=52個(両足)ということになります。

身体の骨は成人でかつ正常者かつ耳小骨と種子骨を除けば200個ですから、足首以下の骨だけで実に四分の一以上の比率になります。

この比率は多いですね。

足が如何に微細なコントロールを必要としているか、という傍証にもなるのですが、骨の数で喜んでいてはいけません。

当然、付随する「関節」というものがあります。
それは骨の数だけあるわけですから、この比率もまた四分の一に達するはずです。
これだけの骨と関節が最下層にあって、いつも重力のイジメにあっているわけですから、只事ではありませんね。

リフレクソロジーも優れた療法だとは思いますが、上級者はバカの一つ覚えみたいに反射区、反射区と言ってないで(習い始めの方は仕方ないですよ、そこから始めるのですから)、筋筋膜、腱、靭帯のみならず、骨と関節にも目を向けねばなりません。

特に関節の固有受容器の機能障害は大きな問題になる可能性を秘めています。
有害反射弓を形成して全身に悪影響を及ぼすことになるのですが、それをアチラの言葉でいえばエネルギーブロック、サブラクレーションとなるわけですね。

ついでですから、足の関節を列挙しておきましょうか。
趾先からいきます。(片足)

IP関節(母趾)×1
DIP関節(母趾以外)×4
PIP関節(母趾以外)×4
MP関節×5
足根中足関節×5
横足根関節×2
距骨下関節×1
距腿関節×1

その他、名前のついていない骨の継ぎ目が7箇所あります
(あらら、それを入れると骨の数より多くなりました)

第一MP関節は外反母趾のときに大きく曲がる関節ですから、この歪みは、足底療法家ならよく目にするでしょう。
それ以外の関節はどうでしょうか。まあ、よく分からないというのが正直なところでしょうね。
しかし、カイロ・ガンステッド法の創案者であるDr.Gonsteadが言うように、大きな歪みではなく、もっとも目立たない小さな歪みに着目せよ!ですよ。(物理的な歪みではなく神経の流れが問題なのだ!という信念があったらしい)

だから、脈を取ったり、硬さを調べたり、アーチの形成を診たり、趾の曲がり具合を診たりと中々忙しいわけです、実際の施術は。

反射区というものに基づいて施術をしても、筋筋膜、腱、靭帯に基づいて施術しても、結局、関節構造体に影響を与えております。(関節単体で存在していませんので)

様々な機序が働く中で、関節にも影響を与え、期せずして有害反射弓を除去していることも多々あるでしょう。

若し、関節を狙い撃ちできれば、他の機序プラスでオニニカナボーになるに違いありません。

経験からいうと、足根中足関節は臭いますねぇ。プンプンだ。
4番と5番の足根中足関節を潤滑したとき、タダチに頭痛が止まったことがありますも。
勿論、前から提唱しているように距骨下関節も重要です。

足の関節構造体から発せられる有害反射弓が身体に悪影響を与えている例というのは思いの他多いのです。

足下を掘れ!と言ったのは新渡戸稲造だったか、クラーク博士だったか・・・
まず足元を固めよ!のフレーズは無数の偉人達が言っています。
違う意味ですが、リフレパシー整体のキャッチもまた「まず、足元を見つめよ」なのでした。

足心の腱、靭帯

長趾屈筋腱長腓骨筋腱後脛骨筋腱、そして足底靭帯足心に位置する腱、靭帯です。

それぞれの筋肉は足首を底屈させたり内反させたり外反させたりと足関節を動かすのに大活躍する筋群です。それらの関連腱が足心一箇所に重複しながら位置しているというのは決して偶然ではなく、それであるが故に足心というのでしょう。

一連の足底腱膜、足底筋群に加え、これらの腱群もまた足心を通るわけですが、これほどの重複は他の身体の部位に比べ、ほとんど例外的でさえあります。

したがって足心は単なるツボではなく、三関節原理に応答しやすいZONEとも言え、また、膝蓋腱反射でお馴染みのように、腱は反射が起きやすいことを考えても反射機序が働きやすいわけです。

湧泉~足心~失眠をとおる一ラインが足底療法において如何に重要か、お分かりになるでしょう。

これらの解剖学的筋筋膜群、腱膜、腱群、靭帯を無視しては足底療法家の名が廃るというものです。

足底方形筋

短趾屈筋のさらに下層に「足底方形筋」という筋肉があります。

働きは短趾屈筋とほぼ同じ。二趾~五趾の屈曲を担当します。
(厳密には多少の違いはあるのですが、ホントの解剖学をやるつもりはないので、ほぼ同じと考えて頂ければよいかと思います)

さて、この足底方形筋・・・だいたい腰方形筋にしても方形という名前がつくと、結構、隠れ急所みたいなところがありましてね。

おおおっ!そこ!そこだ!という阿是穴の巣窟。
まあ、急所だけに痛いという人もいますけど。

スポーツをかなり熱心にやった経験がある人たちは、短趾屈筋に留まらず、この足底方形筋までいっちゃっている人が多いものです。

しかし、深層筋であるが故に普通は届きません。
欧米系での施術では無理ですし、台湾系の施術でも、ここに届く前に短趾屈筋や長趾屈筋腱を傷めてしまいます(強いフリクションであるが故に)。

しかし足の施術のベテランを任ずるなら、この筋を素通りしちゃいけません。

結局、単純推圧安定系で圧を浸透させるしか手立てがないのですが・・・・
なかなか難しい技法ですが、この筋に到達すれば良いご褒美もあります。

「いやはやセンセ・・・こんな気持ちよい施術は初めて受けました・・・」
などとアメフト(バレーボールでも何でもいいのですが)経験者がのたまわってくれる。
のたまわなくとも、感じで大体分かります。

こういう場合は足底方形筋に固有スパズムが発生して、機能を損ねていると思って間違いないのです。

ただ、深層筋の機能障害を除去すると、瞑眩反応が起きやすい。
足底方形筋の場合は押されているときは気持ち良いのですが、足だけで終わらせると、首に違和感を感じたり、肩甲骨、場合によっては腰にモヤモヤした感じを受ける場合もありますし、頭蓋に来る人もいますね。

放っておいても抜けることは抜けるのですが、不快な症状ですから、足の施術後、整体で取るに如くはありません。

瞑眩率はどれくらいでしょうか、15%~くらいでしょうか。
長く足底療法家をやっていて、そんな例に出くわしたことがない、という方。
多分、届いてないか、クライアントが遠慮して言わないか、どちらかですね。

いずれにしても、足底療法の場合はこの足底方形筋までしっかり届かせることが肝要。
それは良いことを聞いた!とばかりにウンウン唸りながら力んで押しても届きません。

第一、自分の身体を傷める。
あくまで身体の力を抜き、軽く深く入れることです。

短趾屈筋(たんしくっきん)

趾を屈曲させる足裏にある短めの筋肉。但し、母趾以外の四趾を屈曲させます。

足底腱膜のすぐ下にある第一層目の筋です。

よく、土踏まずが盛り上がっているような足裏を見ることがありますが、大概はこの筋肉の発達によるものでしょう。

柔道家は畳に吸い付くような蛸のような足を持っていると有利だと言われています。
趾が屈曲して畳に食い込むかのような状態を指して言うのでしょう。確かに、柔道家はこの短趾屈筋が発達し、偏平足に見えることが多いものです。

足の機能を高めるためにタオルギャザー・トレーニングをするわけですが、この短趾屈筋を鍛えるのに一役かっていることになりまね。

ほぼ中央部に短趾屈筋のメイン塊があるので、足心穴失眠穴がある部位でもあります。

足底腱膜とともにこの筋肉の障害も多くて足底腱膜炎と誤診する場合もあるそうです。

実際、足裏が痛いという症例を持っている方が足裏を揉んで貰おうなどとは考えませんので、リフレクソロジストには馴染みの薄い症候でしょうが、足のトラブルの中では決してバカにはできないものです。

重要穴があることを考えると、この筋筋膜の固有受容器の異常は全身に影響を与えると思って間違いありません。(趾の屈曲問題だけじゃないということです)

痛いという自覚症状があれば気づくのでしょうが、特に痛みもなく、それでいて、受容器の侵害があるという状態があるから問題なのです。
(全部の筋筋膜、関節に言えることなんですが、足裏は常に体重を受け止めてバランスを取らないといけない宿命をもっているので他より影響が出やすいのです)

足心から失眠にかけて押圧すると、やけに気持ち良いのですけど・・・と言う方がいます。短趾屈筋がコッている方ですね。

コリというのは固有受容器の異常を表すもっとも一般的症状ですから、この比率はもしかしたら、肩こり者のそれを超えるほど多い割合かもしれません。

足裏のコリが肩コリを超えるほど多いなんて、誰も指摘しなかったことですが、小生のように足裏も全身もする施術者が少ないことからきているのでしょう(しかも足裏安定圧系は非常に少ない)。

いずれにしてもこの短趾屈筋をよく解してあげれば、よく眠れるとか、身体全体が緩んで気持ち良いとか言ってくれる部位ですから、足底療法家には重要な筋筋膜なのです。

※さきほども酷い肩こり者の施術をしたばかりですが、その方、あまりにもコリ過ぎて、首、肩を揉んでもらうと貧血で倒れてしまうと仰ってました。

首、肩の筋群を緩めて脳へいく血液が減少するわけがありませんから、揉むことによってかえって防御的に筋収縮が起きたものなのでしょう。

当然、小生は足から緩めていくので、そんなことは起きないですから心配しないでと短趾屈筋群を入念に押圧しました。

足の施術のあと、身体が緩んで気持ち良いと言い、そのあとの全身での施術を終えても当然ながら、貧血様の症状は起きません。

上手い下手の施術に関わらず、いきなりの首、いきなりの肩の施術に向かない一群の人々がいるのです。

足底腱膜

Photo Photo         
 (それぞれワンクリック拡大可)

 足底腱膜の歪みは肋骨の歪みを招く・・・ということを唱えている人がいる-ということを知ったのはいつの頃だったでしょうか。世の中には変わったことを考える人がいるもんだなぁ、と思ったものです。


そして、足底異端者は小生だけじゃないんだなぁ、と。

小生はこういう意表を突くようなことを言われると弱い。結構、感動します。

当然反射理論でも全息胚理論でも説明できないのですが、経絡の三焦経関連では説明できるかもしれません。

肋間膜と足底腱膜は同じ膜つながりで三焦経と縁が深い。
まあ、でも少々、こじつけっぽいかな。

その是非については検証できませんが、足底腱膜の重要性だけはご存知のとおり是非もないわけです。

足のトラブルでも足底腱膜炎が多いですし。

安全無害なものが民間療法として認められている、という根拠を盾にとって、リフレクソロジーによって足底腱膜炎を起こさせる例が多いとし、リフレそのものを規制すべきだ、という論陣を張った御仁がいます。

実際、非常に強いフリクション系を多用する台湾系リフレではこのような例が後を絶たず、小生の知り合いでも、施術後、足底腱膜炎を起こし、三日ほど歩けなくなった人もいるくらいでした。

もし足底腱膜の歪みが肋骨の歪みを招くなら、腱膜炎にとどまらず、胸郭の狂いを生み出し、胸部リンパ流を阻害しますわね。何年も経ってから現れる症状ですから、因果関係を証明するのは難しいのですが、肺炎とか肺がんとか、乳腺系疾患とかに罹ったとしたら、それは足底腱膜を傷めるような施術が原因だったということにもなりかねません。

ヒポクラテスの聖訓第一「まず傷つけることなかれ」に反するとんでもない行為と言わざるを得ません。ましてや自然療法で・・・・。

肋骨に限定された関連障害が起きるかどうかは述べたとおり、なんとも評価する手段を持たないのですが、少なくとも小生の経験では、足底腱膜反射は足首と膝、そして自律神経に影響を与えるようです。

特に自律神経系への影響は、ゆっくり系の施術を行う施術家にとってお馴染みのものではないでしょうか。

欧米系のリフレクソロジーが深くツボに入れることがないのに、効くことがあるのは、ほとんどの場合、この足底腱膜反射が起きているものじゃないかな、と思うわけ。
(足底腱膜は表層部にありますからね)

欧米、特に米国は訴訟社会ですから、過激なことをやって訴訟を起こされたらたまったもんじゃありません。強いフリクションを多用する台湾系リフレが広まらない要因の一つではありましょう。
日本でも台湾系といえど柔らかくなってきてますものね。

そういえば、米国ではカイロプラクティック大学が激減しているのだそうな。
これも訴訟問題からの波及でしょう。

賠償金を払うために賠償責任保険に入らないといけない。これがまた高い。医師賠責でさえ高いのですから、カイロプラクティックを担保する賠償保険が高いのは当たり前です。

そうすると、治療費を高くせざるを得ませんね。あんまり高い費用だと来る人がいなくなります。当然ながら、やっていけなくなりますから、なり手が少なくなる→養成機関の減少ということになるわけ。

別にカイロを否定しているわけじゃないんですよ。
カイロはカイロで精緻な手技体系を持っています。熟達すれば強力な治療手段になりえると思いますけど。

明生館塾も三水会のメンバーの紹介で、希望すれば卒業生は施術者賠償保険に入れることになったのですが、まず、事故は起きないでしょう。足底腱膜を強く擦るということもしませんし、整体でスラスト系の技法もやりませんしね。

面白いな、と思ったのは、この施術者賠償保険、カイロプラクティックと鍼灸は除外されているということです。保険会社は事故の統計をとってリスクの高低を計ります。それを料率に反映させますが、もはや、料率をアップさせてもペイしないという判断なのでしょう。ましてや、明生館塾で入れる保険は保険料が一ヵ月千円にも満たないわけですから、除外するのは当然です。

話が逸れてしまいました。まんざら逸れてもいないのですけど。つまり、足底腱膜炎を起こさせるような施術が流行ったころは、お客様も訴訟までは考えない時代でした。だから、表面化しなかったという事実があります。今そんな施術をしていたら、結構表面化するでしょう。そうすると、保険会社はリフレ除外規定を作るかもしれませんね。
幸いにして、そんな無茶な施術をする足底療法家は少なくなりました。

ともあれ、足底腱膜が常に歪んでいる状態というのがあります。一つはご存知、外反母趾。身体力学的に言っても、膝を傷め、股関節を傷め、腰を傷め、というのは理解できるでしょう。

これに腱膜異常反射という要因が加わると、問題が二重になります。
もし、肋骨に影響を与えるのなら、肺、気管支の疾病を増悪させますね。もとに乳腺系の問題がある人はそこにいくでしょうし。

もう一つの足底腱膜の異常はこれもご存知、偏平足
偏平足といっても、卓球の愛ちゃんのように筋肉が発達して偏平足に見える場合もありますから、こういうのは除外します。

真性偏平足は結局、靭帯が弱っているという意味では外反母趾と同じ病態とも言えます。

昔の話ですが、空前にして絶後のような酷い外反母趾でかつ、ケタ違いな偏平足というクライアントさんを診たことがあります。

この二つを同時に持っているのですから、一瞬、たじろぎましたね。足を診るのが商売の足の施術家がたじろぐくらいですから、それがどれくらいなものか想像できるのではないかと思います。

この方、満身創痍という状態ではありましたが、特に酷いのは喘息と膝痛でした。
こういう症例もありましたので、足底腱膜→肋骨という作用機序を「世迷言を申すな!」と一蹴する気にはならんのです。

やっぱ足からきているなぁ

(一)

小生、足の施術から入ったのは正解だったなぁ、といつも思います。

骨格の歪みや自律神経の乱れは足元の歪みが原因であることが多いと今更ながら思いますね。

ヒトには適応力があって、多少の歪みなど屁でもない(下品で失礼)ほど応力吸収能力があるのですけど、人生50年の頃はその機能だけで一生を過ごせたものが、寿命が伸びるにつれ、問題が表面化してきます。

人類史上、平均寿命が80年もあったなんてことはないわけで、今でも、貧困国は30代とか40代で生涯を終えます。

足関節と膝関節と股関節の補正関係を述べたのはフルフォード博士をして嚆矢とするのですけど、これは強力な理論だなぁ、と臨床を重ねるたびに思うわけです。

足の施術=リフレという図式が成り立つ昨今ですが、リフレというのは反射区理論を用いますね。面白いのはこの反射区理論を否定する施術家がいるということ。

曰く、反射区というのは、確かに人体の投影図ではあるけれど、それは鏡に映った虚像に過ぎず、鏡に映ったものを何とかしようとして鏡自体を磨いたところでなんら本体には影響を与えないだろう、と。

これも一つの見識ではあります。
小生もそもそも反射区機序とは何だ?という素朴な疑問から、足証九大原理というものを考え出したわけで、圧痛点=治療点になるとは限らない、という有名な平田博士の理論にも影響を受けています。

むしろ、その圧痛を消すのに全然違う部位の施術によって行うのがベストである、というのは経絡理論の骨子でもあるわけですし。

いずれにせよ、人体の投影図という考え方は神経解剖学的には是認されるはずもなく、東洋医学的に言えば全息胚理論になるわけです。

しかし、東洋医学はこの全息胚理論を診断には用いましたが、やはり治療点としては用いてないわけです。

用い始めたのは最近ですね。耳針療法を人民解放軍の従軍医が考え出したのがおそらく最初のものではないかな、と。

効くからという理由ではなく、行軍中に簡便だからという理由にしか過ぎません。だから、ちゃんとした鍼灸院で、耳針療法を行うところはないはず。

あるとすれば飢点穴(耳にありますけど)への刺激で食欲を抑えるというダイエット療法の一環でしょう。

このように全息胚理論というのはそのものの歴史が古い割には治療点としての歴史は浅いわけです。(脈診なんてのはまさしく全息胚理論なんですよ)

でも実際は分からないんです。その機序が働くかもしれません。何故、検証できないかというと、施術することによって、違う機序も働いてしまうからです。

体液循環が良くなりますしね。自律神経反射も起きますし、経絡反応も起きます。
(詳しくは足証九大原理を参照して頂ければと思います)
このようにして全息胚機序だけを働かせるというのは不可能なわけです。

ようするに実効性があれば(実際ある)、どのような機序が働いていてもいいじゃないか、という妥協的産物なわけです、臨床家にとっては・・・(理論家にとっては問題でしょうが)

全息胚理論が治療点として有効か有効じゃないかの是非はこの際置いておいても、足に末梢神経が集中していることは間違いありません。

遠心性神経と求心性神経の交差点みたいなもの。しかも渋滞を起こしかけています。
これは直立歩行するという不安定な体勢で活動する人間の宿命みたいなものでしてね。

絶えず、フィードバック(求心性)と制御(遠心性)が行われていて、そうしなければ、バランスを崩して歩けなくなります。

もし、足の固有受容器の侵害があれば、それを代償しようとして、膝で補正します。膝の補正力を超えると、股関節・・・股関節はとんでもなく大事で股関節の歪みはタダチに仙腸関節の微妙な狂いを生じさせます。仙腸関節の狂いは仙骨自体を変形させ、代償させるわけですが、これも一重に直立歩行し活動するという人間の宿命を最優先させる結果です

なぜなら、野生動物をみれば分かりますが、活動できなくなくなると、それは個体の死を意味します。過酷な自然の中で生きているわけですから、捕食活動ができないばかりか、逆に天敵に捕食されてしまいます。いずれにしても極めて短期間で死ぬことにはなるでしょう。

人間もまたかつては立派な野生動物であったわけで、何よりも動いて活動することがトッププライオリティになるのです。

ですから、仙骨の歪みが生じて、エネルギーバランスが崩れ、または骨格自体が歪み、そのことが原因でどこかのリンパ流がブロックされて内臓に障害が出ようともプライオリティで言えば、低い順位でしかないわけです。

極端にいうと、歩けなくなるという機能障害よりも癌にかかるほうを選ぶように設計されているのが人体の基本的構造なのですよ。

しかも2足歩行を選んだわけですから他の動物よりもはるかに不安定で歩行機能障害に陥りやすいわけ。だから、人生50年のうちには問題化しなくても、寿命が伸びるにつれ、歩行を維持しようと代償作用が働き、ある人は内臓問題、ある人は内分泌、ある人は整形外科疾患などが多発してくるわけです。

勿論、老化という素因もあるのでしょうけど、その背景には足の機能の代償として隠れてもっていたものが表面化したということです。

結局、先に首を傷めようと、腰を傷めようと、その結果として起きるバランスの崩れが歩行の障害を生むようにしたくないので、その部分で懸命に止めようとしているわけです。
(足の歪みは検出されますよ、ほぼ百パーセント。しかし歩行機能障害まで至ってはいません)

首や腰だけを下手にいじると歩行問題に現れるので、治療をはねつける頑固な症例も出てくる所以です。そう!この問題が施術家を悩ませる問題でしてね。とにかくトッププライオリティは歩行である!という概念が挿入されていませんと、治療の堂々巡りになってしまいます。

首なら首の施術でもいいのですが、それは足の歪みとの兼ね合いで微妙に調整していかないと、首の施術をはねつけるのです。だから首と足の施術をする、腰と足の施術をする、頭と足の施術をする・・・こういう施術の仕方は適応進化論的にも発生学的にも基本構造的にも理に適っているわけです。

極論になりますが、足元に注目しない療法は、それが如何に優れた理論を持つ自然療法であったとしても、対症療法にしか過ぎないと思うわけ。

対症療法であっても命を救う場合も多々ありますから、決してバカにしているわけではないですよ。だからこそ小生も、全身整体を行うわけですから。

(二)

足の施術家は誇りを持ってやっているのですが、客観的には泥臭い施術ではありますね。派手さもありませんし。

「おまえ・・・なにが悲しくてヒトの足なんか揉むんだ?・・・」
リフレクソロジストになった娘にある父親が言った言葉だそうです。

我々はごく普通に人様の足を揉みますわね。そこには悲しさなんてありませんし、むしろ、喜びを持ってやっているわけなのですが、中にはこの父親のように、複雑な心境を持つ人もいるくらいです。(実は私の母も言った)

足揉み慰安婦や慰安夫じゃ悲しいかもしれませんが、述べてきたように明確な目的意識を持ち、それが最良の選択であると確信して行えば世界で一番有意義な仕事に従事していることになると思うのです。(足を揉んでいてもビル・ゲイツにはなれませんけどね)

三関節原理の一部として足首拘束のリリースという動画をアップしておりますが、見てお分かりのとおり泥臭い施術です(G線上のアリアで多少緩和されているかな)。
真に有益なものは泥臭いものですよ。

若いうちは気づかなかったのですが、体力と集中力は確かに年齢とともに落ちていきますよ。そのかわり、良くしたもので経験知が蓄積されてきます。
こうしてバランスが取れるのでしょうね。

「疲れきるまでエネルギーを使うわけにはいかないのだよ」とはフルフォード博士が晩年に近い頃、漏らした言葉だそうです。

同じ効力があればエネルギーを温存するに如くはないわけで、それだからこそ、90歳を超えて施術も出来たのでしょう。

泥臭いがゆえに有意義な仕事であって、多くの貢献を人々に為すことができると思うのです。ですから、各自工夫し、疲れない方法で末永く施術に関わって頂きたいと切に思いますね。

もう一度復習しましょう。
人の身体というのは歩けなくなるということを選択しない、という基本的特性があるということです。

ここから、全ての代償的歪みが発生し、病に至ることが多いのです。

膝が痛くて、股関節が痛くて、腰が痛くて歩けなくなる人もいるぞ!という反論もあるでしょうが、これにはちゃんとした理由があります。

心理的なものもあるのですが、それを除くと、怪我や出生外傷の後遺症である可能性が高い。若しくは不自然な使い過ぎ。

腰は心理的なもののウエイトが高いのですが、三関節痛は絶対に怪我や出生時に問題があるはず。これは百%の確率で言えますよ。

三関節は一体ですから、足首を捻った経験があるだけでも、膝にきますし、膝を打った経験があるだけでも、股関節にきたり、腰にきたり・・・これはもう臨床上、ごく当たり前に見られる現象です。

あとはある種のシグナルで出る場合もありますよ。放っておくといつのまにか治ってるというパターンに多いものです。

ある日、膝が痛み、放っておいたら、気にならなくなった、なんてね。
(おめぇ、最近、運動不足ちゃうの?)と膝が訴えるわけ。
(慣れないヨガなんか急にやるなよな!)と股関節が訴えるとか。
これに耳を貸さないと慢性化します。

いずれにしても歩行障害=個体の死、という厳しい自然界の掟とともに生き抜いてきた人類なのです。その時期からさほど年月が経っていません(せいぜい数万年でしょう)。

基本構造が劇的に変化しているはずはないにも関わらず、足の機能を弱める環境自体は劇的に変化しております。それでいて、寿命が延びているわけですから、病態が複雑化していくのは、仕方がありません。一種のプロセスです。人類が精神体だけの存在に進化するまでは足の重要性は続きます。

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