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牽引

神経というのは圧迫には強く、引っ張られるのには弱いという性質があるようです。

例えば、カエルを解剖して、神経に微弱な電気を流します。そうすると、これが神経伝達となって、その神経が支配するところの運動器官が動くということになります(普通は足の運動神経で行います)。

このとき、神経をクリップかなにかで留めて、圧迫するとどうなるか?
案に相違して、問題なく足は動きます。

ところが、この神経を引っ張るとどうなるか?
特にキズを負わせているわけでも、圧迫しているわけでもないのに、カエルの足の動きは弱くなってしまうか、動かなくなるかになってしまうのです。

つまり、神経は引っ張られることで、その伝達能力が減衰するわけです。
これは解剖学を少しでもかじった人なら納得できるでしょう。

何故なら、神経は一本でつながっているわけではなく、途中に幾つもの隙間があって、その微細な隙間から神経伝達物質が放出され、それによって次に連結されている神経が興奮し・・・というメカニズムになっているからです。

引っ張られると、当然、その隙間の間隔が空きすぎて、伝達物質が届きづらくなってしまうわけです。

この事実から、人体を牽引する方法というのは「絶対に良くない」という整体的理屈が生まれ、それをタブー視する流派も出てきます。代表的なものは構造医学でしょう。
しかし、整形外科にいきますと、牽引治療がごく普通に行われますね。

さて、小生の見解はどうかというと、絶対タブー視する考え方は行き過ぎだと思います。
確かに、かなりの負荷で長い時間牽引するのは生体の特徴から言ってよくありません。

患者さんの中には、医師の処方を無視し、勝手に牽引重量を上げて引っ張る人もいると聞きます。これなどはもっての他でしょう。

しかし整体的に行う牽引はほぼ瞬間的なものです。適度な力で行えば、拘束されている関節構造体の不都合が瞬時に解かれ、エネルギーのとおりがよくなることは臨床的には何度も経験することで、これは十回や二十回の例ではありません。

身体には復元力があります。この復元力を超えるような牽引は理屈どおりに害を及ぼすことになるでしょう。

難しいのはこの復元力には個人差があるということです(或いは病態の程度)。そのことを勘案した場合に“触らぬ神に祟りなし”を決め込むというのも一つの手ではありますが、施術技術が進歩しない、という負の面もあります。

小生の経験論でいえば、個人差はあっても害を及ぼす閾値は相当に高く、よほど暴力的な方法か長時間の牽引でない限り問題はないと断言できます。

そもそもどんな方法論でも行き過ぎれば害があるのは当然で、その害だけをピックアップして言えば、あらゆる整体行為は“不可”になってしまうでしょう。

清浄な水でさえ、一升も一気飲みすれば死んでしまう人もいるわけです。だからと言って、水を飲むのは身体に宜しくない、と主張する人などいません。

理屈が通った極論ほど魅力的で人を惹き付けるものはありませんが、様々な作用機序、生体特性を考えた場合、この方法は絶対的禁忌で、この方法は唯一絶対正しいというのは整体という分野ではあり得ないのです(行き過ぎはダメなのは勿論のこととして)。

最近、WEB巡りしていると、自派の正しさを主張するため、他の方法論を否定するところが前にもまして目に付くようになってきました。特に牽引系とストレッチ系に対する風あたりが強いようです。“証”という概念を持ってないが故のことなのですが、“証”を持ち出すまでもなく、簡単に論破することができます。

施術家のたまご達も見ている小生のブログですから、あえて、取り上げてみました。
ゆめゆめ、極論に走らないように・・・・

リフレのルーツ

古代エジプトの医学は現在の水準から考えても、信じられないようなことを成し遂げていたという説があります。

例えば、失われた手足や内臓を再生させたとか、死後まもなくであれば、生き返らすことも出来たとか・・・

これを「そういうこともあるかもしれないなぁ」ととるか、「そんな与太話、信じられるか」ととるかは個人の自由です。

しかし、ミイラ作りから考えてもかなりの解剖的知識はあったであろうと、想像できます。
外科的な水準は考えられている以上に高かったのかもしれません。
(手足の再生が出来たかどうかは別にして)

さて、古代エジプト時代に活躍し、現在まで名前が伝わっている有名な外科医にアンク・マホールという人がいます。今から4340年前に亡くなった人でリフレ系の施術者は一度や二度、この人の名前を聞いたことがあるに違いありません。
なぜなら、この人のお墓に壁画が残されていて、足を揉んでいる姿が描かれているからです。
Photo (クリックで拡大できます)

石の文化というのは凄いものです。5000年近く経っているのに残っているのですから。壁画という形で残されているお陰でその当時、すでに足を揉むという行為があったということが分かります。写真左側の図です。右側は手を揉んでいるのでしょう。
足を揉むとき、施術者が受療者に背を向けているのは面白いですね。

当時、お墓というのはとても重要な意味がありました。
王族ともなれば、金銀財宝を惜しげもなく死者ともに葬ったことは周知の事実ですし、その亡くなった人の生前の業績なども壁画に描いたりしています。

ここで、アンク・マホールのお墓に何故、手足を揉んでいる壁画が描かれているのかを考えてみました。当然、意味のないことは描くはずはありません。

ということは、生前の業績の一つであることは容易に想像できます。
しかし、何故、外科医なのに手足を揉む姿が描かれているのか?謎といえば謎でしょう。

謎を解く鍵は1900年代初頭にあります。
1900年代初頭、ウイリアム・フィッツジェラルドという医師が足につながる反射線という考え方を発表しました。(この人の名前も必ず出てきますわね、リフレのお勉強をした方はご存知でしょう)

もともとこの人は耳鼻科の医師でした。
当時、安全で有効な麻酔というものがまだ開発されていなくて、多少の手術はノー麻酔に近い状態で行われておりました。しかし、耳鼻科の手術はどんな小さな手術でも麻酔なしではとてもつもなく苦痛を伴ってしまいます。

実はDr.フィッツジェラルドは偶然に足を刺激することによって、麻酔様な効果があることを発見したわけです。そこからの発展的研究から反射線図というものを発表したのでした。(反射区チャートは後年、別の人によって発表されました)

さて、ここまで書くとなんとなく分かるのではないでしょうか。
アンク・マホールは外科医です。当然、麻酔が必要です。
何故、手足を揉むことが彼の業績だったのか?
そう、麻酔に利用したのではないか、ということが推測されるのです。
鍼麻酔ならぬ手麻酔です。

その部位が患部から離れた影響が少ない手足であることは理屈から言っても肯けるところです。また、体験から言っても手足の施術はβ-エンドルフィンが出まくっている感じがします。

特に壁画で描かれているように母趾の付け根でそう感じます。
勿論、薬草なども使い、相乗効果で行ったものと思いますが、術前では精神安定剤の役目、術中では麻酔の役目、術後では鎮痛剤の役目を担ったのではないかな、と大胆に仮説を立ててしまいたくなりますね。

当時の外科手術がどんなだったかは、デジカメもビデオもない時代ですので伺い知ることは出来ませんが、想像すると楽しいですね。

助手に患者の手や足を揉ませておいて、おもむろに執刀医がメスを振るうわけだ。
アンク・マホールは麻酔科の元祖だった!
世界史ミステリー。あなたは信じますか?それとも信じませんか?

※後日談
また、体験から言っても手足の施術はβ-エンドルフィンが出まくっている感じがします。
と何気なく書いたところ、他の文献を当たっていたら、麻酔効果のあるツボは手足にしかない、という記述を見つけました。

鍼麻酔を行う場合は必ず手足のツボを用いるのだそうです。
フィッツジェラルドは偶然にせよ、正解を得ていたことになります。
これで益々、亜美之介仮説(アンク・マホール壁画の謎)の信頼性は高くなりました。
だって手足ですもの。そのまんまじゃないですか。

小生、鍼灸師じゃないので、やり方は分かりませんが、かなり高度な方法になるみたいですね。(手術までするとなると、手術中ずっと響きを与えなくちゃいけないらしい。鍼でこれを与え続けるというのは恐ろしく高度な技です)
結局、受ける側の体質的個人差と施療する側の技術差があまりにも激しいため、鍼麻酔は廃れたようです。

いずれにせよ、エンドルフィン効果というのは無視できません。
そもそものリフレのルーツはエンドルフィン効果であったのか!!と今更ながらに気づきました。
足証九大原理じゃなくて、これで十大原理になってしまいました。
この記事を読んだ方は歴史の生き証人です。

磁場

T 太陽は凄いですね。写真はプロミネンスの巨大なもの。太陽フレアー。
太陽の中心核では核融合反応が起きているわけですよね。
水素がヘリウムに変換されているわけだ。
いつも水爆が爆発している状態と言ってもいいのですが、イメージが全然湧きません。

この中心核の爆発は約100万年ほどかかって表面に到達します。
このとき、表面の-なんと言いましょうか、脆弱なところ、よく聞く言葉でいえば黒点の部分で対流させることができず、100万年かかって表面に到達した爆発力が、一気に吹き上げると、写真のようになっちゃうわけだな。

地球にも影響を与えますよ、所謂電波障害として。
爆発の影響、つまり太陽風が地球を直撃すると、そこに住んでいる生物(我々人間も含めて)はたまったもんじゃありません。死滅するか、変異を起こしてしまいます。

ところが良くしたもので、地球には磁場というものがあります。ソックリ大きく包んでいるわけですが、それがこの太陽風(嵐)から守っているバリアというか、シールドというか、そういう役目を担っています。

磁場は北極と南極から形成されますから、この地方では弱いわけだ。
ですからこの地方では太陽風の残滓が見えることになります。それがオーロラ。

地球の磁場は人間でいうと免疫系に相当するのかな、と。
或いは皮膚防御なのかな、と。

地球も結構苦労して、育んだ生物を守っているのだなぁ。地球さん有難う!と言いたくなりますね。この素朴な考えがガイア仮説の原点なのでしょう。

人間も磁場を持っていて、これを強制的にゼロにすると、狂騒状態になるとの実験報告があります。躁鬱状態を繰り返す人はこの磁場の変動が人より大きいのではないかなと思うわけです。

勿論、脳内物質で説明できるようになっていますが、その脳内物質のそもそもの変動が何によって起きるか?ということは謎のままです。

人間の持つ磁場の変動によってホルモン系のかく乱が起きてしまうのではないか、というのが小生の仮説です。

経験から言って、小生も様々な施術をしますし、様々なアプローチをするのですが、究極的には“生命場”の問題ではなかろうか、と思うこと度々でしてね。

もちろん、磁場と生命場はイコールではありません。
地球の磁場の証しがオーロラなら、人間の生命場の証しがオーラでしょう。

だから、色んな流派、流儀の考え方でも治る人は治るのではないのかなと。
極端な話、手をかざすだけで治る場合もあるわけでしょ。

イメージとしては地球と同じで、北極が頭蓋、南極が足、という考え方になるわけです。
頭蓋-仙骨療法は足を無視して、頭=北極、仙骨(尾骨も)=南極、という考え方にも通じるわけですが、確かに中枢部ではそういう考え方でいいのでしょうが、足だって身の内じゃないですか。

足を無視して生命場が形成されているはずがない、と思うわけね。
だから、ある意味、足だけでも相当に身体のコンディションを整えることが出来るんじゃないかな。それがリフレの威力でもあるのではないかな、と。

そうすると、本能的に足の施術家は頭蓋にも目を向けることになりますわね。
逆に何故、足の施術家が頭蓋に興味を持たないのか不思議でしょうがない。

足の施術を長くやっていたら絶対に頭蓋に興味を持つはずなんですけど(初心者は別にして)、これは小生特有の考え方なのでしょうか?

いやいやそんなことはないですよ。
だって、足の施術出身の施術家がクラニアル系を結構受講していますもの。
こういう人達というのは本能的に足をやれば頭蓋も整えないと正しい“生命場”を作ることができないと感じ取っているのでしょう。
(無意識でしょうけど)

最近、地球の磁場も問題になっています。弱まってきているのでは・・・と。

人間の“生命場”も最近弱まってきています。かく乱するような電磁波に囲まれていますからね。携帯、パソコンいうに及ばず・・・

あと都会では満員電車が酷く“場”を傷つけることは経験者なら分かると思います。
人には“場”の制空権みたいなものがあって、親しい人やヒーラーは別にして赤の他人が近づき過ぎると実に疲れます。

初めて東京の満員電車に乗ったとき、仕事する前に疲れきりましたもの。
慣れというものは恐ろしいもので半年もしないうちに、普通に感じるようになってしまいました。しかし、これは相当に“生命場”を乱すでしょうね。

ウツ期に入ると、人と接することができないとか、ましてや電車には絶対乗れないというのはこれ以上の“生命場”の乱れを防いでいるのでしょう。

だからそれは正解です。無理して人と接する必要はない。
だって、健康な状態でも疲れるんですから。

一種のシールドでもあり、鋳型でもある“生命場”というものを整えることが、施術を行う基本原則だろうな、と太陽の写真を見ながらツラツラと黙考する昨今なのでした。
特に現代社会では必要だと思いますね。

眼(まなこ)

(一)

日本の家屋には煙突というものがありませんでした。
明治以降、ようやく普及したようなのですが、それ以前は全くなかったのです。

そんな状況で、火を使うとどうなるでしょうか。
煙が充満しますわね。
煙が目にしみる状態がずっと続くわけですよ。
そういう生活を長く送ると、当然ながら、眼の病気に罹りやすくなります。

ですから、眼病というのは一種の国民病みたいなものだったわけです。
今でいうと白内障、緑内障などなどです。
特に暖をとる必要がある寒い地方では多かったようです。

按摩師が目の不自由な人の職業になっていった歴史は日本特有のものですが、そもそも目が不自由な人ってそんな多かったわけ?という疑問が常にあったのですが、こういう事実があったということを知ると、(なるほどね~)と得心できます。

世界でも有数の「目の悪い国民」だったようですが、現在もまた、違う理由で目が悪い人が多いですね。

視力が0.1出ない人が多いので驚いてしまいます。
前世からの持ち越しかい?とツッコミを入れたくなるほどです。

コンタクトはかなり弊害がありますしね。
レーシックも歴史が浅いだけに受療に踏み切れないという人が多い。
かといって有効な方法もない。

この問題はいつも小生の頭を悩ませますよ。
コンタクト業界からクレームが出ないとも限らないので、あまり言いたくないのですが、コンタクト装着歴が長い人の症状はさらに難治性です。
おそらく角膜に傷がついていて、三焦経にまで類が及んでいるせいでしょう。

腕にある大腸経「曲池」(ホントは胆経が走行していると増永師は指摘しております)が眼病の特効ツボなのですが、単なる近視にはさほど効果がないのも事実です。

しかし、胆が支配経絡の有力スジですから、コメカミ近辺と合わせて、入念に通りを良くする他ないのが現状です。

あと面白いのは腹証-胆、肝反応ゾーンが実していたり、虚していたりするケースも多々あって、『なるほど、確かに腹部は経絡反応ゾーンなんだなぁ』とあらためて思えます。
これに三焦経も入ることがあって、なお、そう思えるわけ。
いずれにしても眼の問題は深刻です。

経絡的にいえば、他の病気を引き起こすこと明白ですから、不便であることに加え、罹患リスクが高まるという問題が内包されております。
ですから、こういう人は他の人よりもメンテナンスに気を使わねばなりません。
コストがかかる身体ですね。

(二)

眼からくる首コリ、肩コリ。
これが問題ですね。

当然、コリは血流を阻害しますから、眼に悪影響を及ぼします。
そうすると、また眼が悪くなってしまいます。そうすると・・・・

これ以上『悪循環』という言葉がピッタリ当てはまる現象はないんじゃないかな、と思えるくらいです。

小生も老眼鏡をかけて半日、本を読みますと、酷い肩コリを起こしてしまいます。
もともと、眼は悪くなく、肩コリもさほど感じないタイプだったのですが、最近は駄目ですね。眼からくる肩コリというのを体感するようになってしまいました。

クライアントに共感できる体験というのはある意味、必要なことかもしれませんが、それにしても、老化が原因ですから一抹の寂しさを感じます。
眼精疲労のよろしくないことだけはしっかりと身に染みて実感しております。

眼の疲れや視力の悪いことが、タダチに眼病に結びつくということはありません。
その人の体質というものがありますからね。

しかし、前述のように、他の病気を呼ぶリスクは高くなります。
西洋医学では眼は眼で完結させてしまいますが、東洋医学では影響力を考えます。
ましてや「眼(まなこ)は五臓六腑の精が宿る」としているところです。
あらゆるところに影響を及ぼしてしまいます。

三焦経に言及しましたが、この三焦経というのは人体の各膜系や体液浸透メカニズム、リンパ流などを表す概念です。

特に女性には重要な概念です。子宮内膜は女性特有の器官ですし、リンパ流は言うに及ばず、首筋のコリも女性特有なものがあります(三焦経は首筋を走行しています)。
ですから、コンタクトを常用し、角膜などが傷つけられますと、問題山積状態になってしまいます。

しかも、コンタクトは女性の装着率が高いでしょ。
ハイヒールと同じように、自らの弱点をさらに弱めているような行為です。
(それでも男性よりも長生きするんですから、たいしたタフさですけど)

メガネのほうが良いと思いますけどね。
夏は汗で大変ですが、角膜を削りとるようなコンタクトよりはいいじゃないですか。

職業柄、どうしてもコンタクトをせざるを得ないという人は、仕方ありません。
装着時間をなるべく短くして、小まめに洗浄していくより他ないです。

コンタクトをして腕をよく使う仕事に就いている人はホントに注意せねばなりません。
(例えば畳職人、刀鍛冶、研ぎ師・・・これは特殊な仕事だ、身近な例でいうとリフレクソロジスト、整体師、エステシャン、パソコンオペレーター・・etc)

腕の陽経側(疲れが出やすいところ)のど真ん中に三焦経が走行しています。
同一経絡の複数ダメージは2乗に比例して、経絡を傷めやすくさせます。
(ダブルだと4倍、トリプルだと9倍)
ですから、小生の問診表には職業欄と視力欄があるわけです。

職業OL、視力0.07なんて書いてあって、メガネをしていなければ真っ先に三焦経を疑いますもの(現在のOL業はパソコン操作なしでは成り立たないですし、視力が0.1以下でメガネをかけずにいられるなんてコンタクトしていなきゃ無理)

大筋で見当がつけば腹証で確認するのは結構楽。

※この原稿はかなり前に書いてあったのですが、書いたあと、コンタクトに関するニュースが報道されました。カラーコンタクトというのでしょうか、オシャレコンタクトとでもいうのでしょうか・・これらは通常の規制外にあったようです。あまりにも健康被害が報告され、遂に一定の規制を設けるとのこと。遅い!!どんな目的であれ、眼に直接触れるコンタクトを野放し状態にしていること自体、オカシナ話です。健康被害が出て当然でしょうね。

リンパ節

(一)

リンパ節は体内に大小合わせると百以上あります。
内臓の出入り口にはほとんとありますし(例外もありますけど)。
体表面においても、ソケイリンパ節はコリコリしている人が多くて分かりやすい。また腋下リンパ節も有名なところではあります。

四肢の継ぎ目のあるソケイリンパ節と腋下リンパ節を誰でも知っているのは、子宮癌や乳癌などで転移を防ぐために大きく切除することがあるからだと思います。

施術家をやっていて、そのような人に出会ったことはない、という人はいないでしょう。
大概は酷いムクミを伴います。特に切除した側の四肢は。

リンパ節を切除すれば、リンパ流がストップするわけですから、当たり前といえば当たり前。そこで、補助的にマッサージなどをしてムクミを少しでも改善するという方法を取ることになるわけですね。

そういう風になってしまえば、ある意味、対症療法的な施術にならざる得ないでしょう。
自然にリンパ管が形成され、ムクミが落ち着いてくるまで待たなきゃいけない。
(勿論、免疫力を高め再発を防ぐという重要な意味もあるのですが)

近年、非常に多くなってきた子宮癌にしても、乳癌にしても、原因を一つに求めることはできません。様々な要因があるのでしょう。体質、遺伝的要素も大きく関与することでしょうし。(精神的ストレスの要素も大きいようです)

あえて、手技法家の立場から言わせていただくと、ソケイリンパ節と腋下リンパ節のブロックが何故こんなにも多いのだろうと、思うこと度々ですから、これらのリンパ流ブロックが関与していない、と断言する勇気はありません。

例えば、フット・マニピュレーションで股関節の歪みを診ると、相当数の方が正常じゃないということがわかります。これが微妙なリンパ流の阻害を生んでいるわけです。

このような状態で足のみをいくら揉んでも、下肢全体の流れが急速に回復するということはありません。反射にも限度がありますから。

ですから、股関節周りのアプローチは必要不可欠ではないかな、と思ったわけで、フット・マニを作りました。

昔読んだ本(題名は忘れました)に、ソケイリンパの流れを改善することが健康への近道!のような趣旨のことが書いてあって、自分の身体の体験からもエラク共感した覚えがあります。

体操やヨガなどをやっていて、(どうも股関節を動かすときにひっかかるなぁ)というような感じも持つ方は間違いなくそこにブロックが生じています。

「ソケイリンパブロックの証」という人は意外に多くて、足を揉んでも膝裏を揉んでも全然流れてこない、という人が股関節周りのブロックを除去した瞬間から流れはじめ、足が温かくなってきたという例も結構あったりもします。

誰でも思いつくところではありますが、意外な盲点なんですね。

腋下リンパ節はさらに盲点です。
ソケイリンパ節が股関節の有り様とリンクしているのと同じで、腋下リンパ節は肩関節の動きに密接にリンクしております。と同じくらい胸骨の動きにも関係していて、中々侮れない部位ではあります。

アプローチも敏感なところだけに気を使います。
ごく自然に全く嫌な感じを与えないでアプローチしていく方法論を見出すのには随分時間がかかったものです。

西洋手技ではせいぜいリンパマッサージ(ドレナージュ)程度で、治療系でやる方法は見たことも聞いたこともないですね。

日本では指圧のある流派がこの近辺に強烈なアプローチをかけてきます。
一度やってもらったことがありますが、何せ、痛い!!!
途中で(止めてくれ!)と何度叫ぼうとしたことか。

「ここら辺が痛いと動脈硬化が進んでいる証拠なんです」と嬉しそうに言っていましたね。
理由は?と問う余裕などないくらい痛いものでした。

仕事柄、腕を使うことが人より多いので、やり終わったあとはすっきりして、両腕に流れが戻ってきた、みたいな爽快感はありました。
が、しかし、痛すぎる。

(ホントに痛かったなぁ、大胸筋なんて丈夫だという判断なのでしょうか、情け容赦なく押してくる。腋の下も痛かったけど、あの大胸筋の痛さは忘れられない。一種のトラウマになってます。小生は実証ですから、まだいいようなものの、虚証体質には無理な施術ですわね)

これに慣れることがかえって怖い。より強い刺激を求めていく指圧ジャンキーの誕生だ。
こんなことしなくても、腋下リンパ流の改善はできるはずだというところから、研究が始まったような気がします。10年くらい前の話です。

頭蓋―仙骨系の問題は残されるにせよ、「流れた!」という感じを引き出すのに、重要な部位ですね、ソケイ、腋禍リンパブロックの除去は。
とりあえず、流れを良くしておかないと、そのあと何をするにも、各種技法の阻害要因になってしまいます。

それが四肢と体幹を繋ぐ、継ぎ目にあるというところが面白い。
頭蓋-仙骨系にしても脊椎系にしても中枢であって、重要であることは誰でも分かりますが、四肢の継ぎ目に目を向けるというのはいかにも東洋的で、全体的な発想です。

クライアントのオーダーに応え(首、肩のこり、腰が重い、足がだるい等等)、一生懸命施術してもある一定の確率で、全身の巡りが回復した!とは思わない一群の人々がいます。

こういう場合は「ソケイ、腋下リンパブロックの証」である可能性が高いので、特に訴えがそこになくとも、施術に加えねばなりません。

婦人科系疾患の予防にもなるわけですから、最初から加えておいても良いでしょうが、施術時間と兼ね合いがあります。

何回かに分けてもいいかと思いますね。10回くらい来られるのなら、3回に一回は是非、施術の中に組み込んで貰いたいものだなぁ、と。

うまくやりますと、ある種の人々には大変な威力があります。

(二)

訂正-腋下リンパ節と書きましたが、「腋窩リンパ節」が正しいことになっています。謹んで訂正させて頂きます。腋の下の窪みという意味なんでしょうが、面倒くさい字だ。

昔は淋巴とも書いたようですが、ラテン語のLymphaの当て字なので現在はカタカナで表記することにもなっています。

またリンパ節のことをリンパ腺と呼ぶ時代もありました。
腺は内分泌器を表すので、これも正しくないということでリンパ節に統一されています。

若し、淋巴線と表記されている書物があったなら、相当に古いものだと思って間違いないでしょう。そういえば、小生がリフレを習いたての頃、反射区の名称がリンパ腺となっていたのを覚えております。さすがに淋巴は使っていませんでしたが。

ところで、ラテン語のLymphaは「透明な水」とか「澄んだ水」という意味だそうです。
古代ローマ人は水道事業に精魂を込めたようです。
道路の整備と水道の整備が所謂ローマ化だったわけで、ローマの支配権を受け入れた他国の人もかなり恩恵を受けたでしょうね。

事実、古代ローマの時代はそれから時代が随分下る中世ヨーロッパに比べても疫病が少なく、清潔な暮らしをしておりました。

水道を引っ張ってきて、キレイな水が溢れた出たとき、「おお!リンパ!リンパだ!」と市民が歓喜の声を上げたシーンを想像すると、現代とはリンパの意味が違うので、変な感じはしますわね。

水道のリンパ流はかなり流れが速いと思いますが、人体のリンパ流は胸管(最大のリンパ管)においてさえ、24時間で2~3ℓくらいの速さです。

如何にゆっくりか分かるのではないでしょうか。
こんな速さですから、簡単に停滞してしまいます。

循環させる唯一の原動力(エネルギー)は筋肉の運動ですから、運動不足に陥ると、たちまちリンパ流の停滞を招きます。

そういうことから、リンパマッサージ(ドレナージュ)という考え方が生まれてきたのですが、それはそれで意味のあることでしょう。しかし、深部リンパ流、及び深部のリンパ節にまでは届きません。

頭頚部はまだ良いにしても、脊柱前、骨盤の中、腹膜間にあるリンパ節は如何ともし難いものです。

腹膜間リンパ節は按腹で対応できます。
骨盤内も深く食い入れるような圧で何とか対応できるでしょう。

しかし、脊柱前となると、お腹側からでは無理です。
背中側から愈穴を利用することになるんでしょう。

その前に運動不足を解消し、節度ある生活をするというのが、基本になるわけで、昔からの原則は普遍的ではありますね。

リンパ球が免疫の主体であることを考えても、リンパ流の停滞、リンパ節のブロックがタダチに免疫力に影響することは間違いありません。
コリをバカにできないのは、このリンパ流を血流以上に簡単に阻害してしまうからです。

まあ、いずれにしても全てのリンパ節に直接的な操作を加えることはできません。
間接的にはそう意図せずとも、影響を与えているわけで、それなりのしっかりした施術であれば、リンパ節だけを狙い撃ちする必要もないのです。

しかし、前述したようにソケイリンパと腋窩リンパについては意識してやったほうが良いですね。「全身の巡り感」に影響しますから。

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