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磁場

T 太陽は凄いですね。写真はプロミネンスの巨大なもの。太陽フレアー。
太陽の中心核では核融合反応が起きているわけですよね。
水素がヘリウムに変換されているわけだ。
いつも水爆が爆発している状態と言ってもいいのですが、イメージが全然湧きません。

この中心核の爆発は約100万年ほどかかって表面に到達します。
このとき、表面の-なんと言いましょうか、脆弱なところ、よく聞く言葉でいえば黒点の部分で対流させることができず、100万年かかって表面に到達した爆発力が、一気に吹き上げると、写真のようになっちゃうわけだな。

地球にも影響を与えますよ、所謂電波障害として。
爆発の影響、つまり太陽風が地球を直撃すると、そこに住んでいる生物(我々人間も含めて)はたまったもんじゃありません。死滅するか、変異を起こしてしまいます。

ところが良くしたもので、地球には磁場というものがあります。ソックリ大きく包んでいるわけですが、それがこの太陽風(嵐)から守っているバリアというか、シールドというか、そういう役目を担っています。

磁場は北極と南極から形成されますから、この地方では弱いわけだ。
ですからこの地方では太陽風の残滓が見えることになります。それがオーロラ。

地球の磁場は人間でいうと免疫系に相当するのかな、と。
或いは皮膚防御なのかな、と。

地球も結構苦労して、育んだ生物を守っているのだなぁ。地球さん有難う!と言いたくなりますね。この素朴な考えがガイア仮説の原点なのでしょう。

人間も磁場を持っていて、これを強制的にゼロにすると、狂騒状態になるとの実験報告があります。躁鬱状態を繰り返す人はこの磁場の変動が人より大きいのではないかなと思うわけです。

勿論、脳内物質で説明できるようになっていますが、その脳内物質のそもそもの変動が何によって起きるか?ということは謎のままです。

人間の持つ磁場の変動によってホルモン系のかく乱が起きてしまうのではないか、というのが小生の仮説です。

経験から言って、小生も様々な施術をしますし、様々なアプローチをするのですが、究極的には“生命場”の問題ではなかろうか、と思うこと度々でしてね。

もちろん、磁場と生命場はイコールではありません。
地球の磁場の証しがオーロラなら、人間の生命場の証しがオーラでしょう。

だから、色んな流派、流儀の考え方でも治る人は治るのではないのかなと。
極端な話、手をかざすだけで治る場合もあるわけでしょ。

イメージとしては地球と同じで、北極が頭蓋、南極が足、という考え方になるわけです。
頭蓋-仙骨療法は足を無視して、頭=北極、仙骨(尾骨も)=南極、という考え方にも通じるわけですが、確かに中枢部ではそういう考え方でいいのでしょうが、足だって身の内じゃないですか。

足を無視して生命場が形成されているはずがない、と思うわけね。
だから、ある意味、足だけでも相当に身体のコンディションを整えることが出来るんじゃないかな。それがリフレの威力でもあるのではないかな、と。

そうすると、本能的に足の施術家は頭蓋にも目を向けることになりますわね。
逆に何故、足の施術家が頭蓋に興味を持たないのか不思議でしょうがない。

足の施術を長くやっていたら絶対に頭蓋に興味を持つはずなんですけど(初心者は別にして)、これは小生特有の考え方なのでしょうか?

いやいやそんなことはないですよ。
だって、足の施術出身の施術家がクラニアル系を結構受講していますもの。
こういう人達というのは本能的に足をやれば頭蓋も整えないと正しい“生命場”を作ることができないと感じ取っているのでしょう。
(無意識でしょうけど)

最近、地球の磁場も問題になっています。弱まってきているのでは・・・と。

人間の“生命場”も最近弱まってきています。かく乱するような電磁波に囲まれていますからね。携帯、パソコンいうに及ばず・・・

あと都会では満員電車が酷く“場”を傷つけることは経験者なら分かると思います。
人には“場”の制空権みたいなものがあって、親しい人やヒーラーは別にして赤の他人が近づき過ぎると実に疲れます。

初めて東京の満員電車に乗ったとき、仕事する前に疲れきりましたもの。
慣れというものは恐ろしいもので半年もしないうちに、普通に感じるようになってしまいました。しかし、これは相当に“生命場”を乱すでしょうね。

ウツ期に入ると、人と接することができないとか、ましてや電車には絶対乗れないというのはこれ以上の“生命場”の乱れを防いでいるのでしょう。

だからそれは正解です。無理して人と接する必要はない。
だって、健康な状態でも疲れるんですから。

一種のシールドでもあり、鋳型でもある“生命場”というものを整えることが、施術を行う基本原則だろうな、と太陽の写真を見ながらツラツラと黙考する昨今なのでした。
特に現代社会では必要だと思いますね。

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