牽引
神経というのは圧迫には強く、引っ張られるのには弱いという性質があるようです。
例えば、カエルを解剖して、神経に微弱な電気を流します。そうすると、これが神経伝達となって、その神経が支配するところの運動器官が動くということになります(普通は足の運動神経で行います)。
このとき、神経をクリップかなにかで留めて、圧迫するとどうなるか?
案に相違して、問題なく足は動きます。
ところが、この神経を引っ張るとどうなるか?
特にキズを負わせているわけでも、圧迫しているわけでもないのに、カエルの足の動きは弱くなってしまうか、動かなくなるかになってしまうのです。
つまり、神経は引っ張られることで、その伝達能力が減衰するわけです。
これは解剖学を少しでもかじった人なら納得できるでしょう。
何故なら、神経は一本でつながっているわけではなく、途中に幾つもの隙間があって、その微細な隙間から神経伝達物質が放出され、それによって次に連結されている神経が興奮し・・・というメカニズムになっているからです。
引っ張られると、当然、その隙間の間隔が空きすぎて、伝達物質が届きづらくなってしまうわけです。
この事実から、人体を牽引する方法というのは「絶対に良くない」という整体的理屈が生まれ、それをタブー視する流派も出てきます。代表的なものは構造医学でしょう。
しかし、整形外科にいきますと、牽引治療がごく普通に行われますね。
さて、小生の見解はどうかというと、絶対タブー視する考え方は行き過ぎだと思います。
確かに、かなりの負荷で長い時間牽引するのは生体の特徴から言ってよくありません。
患者さんの中には、医師の処方を無視し、勝手に牽引重量を上げて引っ張る人もいると聞きます。これなどはもっての他でしょう。
しかし整体的に行う牽引はほぼ瞬間的なものです。適度な力で行えば、拘束されている関節構造体の不都合が瞬時に解かれ、エネルギーのとおりがよくなることは臨床的には何度も経験することで、これは十回や二十回の例ではありません。
身体には復元力があります。この復元力を超えるような牽引は理屈どおりに害を及ぼすことになるでしょう。
難しいのはこの復元力には個人差があるということです(或いは病態の程度)。そのことを勘案した場合に“触らぬ神に祟りなし”を決め込むというのも一つの手ではありますが、施術技術が進歩しない、という負の面もあります。
小生の経験論でいえば、個人差はあっても害を及ぼす閾値は相当に高く、よほど暴力的な方法か長時間の牽引でない限り問題はないと断言できます。
そもそもどんな方法論でも行き過ぎれば害があるのは当然で、その害だけをピックアップして言えば、あらゆる整体行為は“不可”になってしまうでしょう。
清浄な水でさえ、一升も一気飲みすれば死んでしまう人もいるわけです。だからと言って、水を飲むのは身体に宜しくない、と主張する人などいません。
理屈が通った極論ほど魅力的で人を惹き付けるものはありませんが、様々な作用機序、生体特性を考えた場合、この方法は絶対的禁忌で、この方法は唯一絶対正しいというのは整体という分野ではあり得ないのです(行き過ぎはダメなのは勿論のこととして)。
最近、WEB巡りしていると、自派の正しさを主張するため、他の方法論を否定するところが前にもまして目に付くようになってきました。特に牽引系とストレッチ系に対する風あたりが強いようです。“証”という概念を持ってないが故のことなのですが、“証”を持ち出すまでもなく、簡単に論破することができます。
施術家のたまご達も見ている小生のブログですから、あえて、取り上げてみました。
ゆめゆめ、極論に走らないように・・・・
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