(一)
野口みずきさんがハムスト筋断裂によって五輪参加を断念したそうな。
本人の悔しさはいかばかりか。
ニュースでの情報しか知りえませんが、施術家業の小生としては少々、気になることが報道されていました。
野口さんは身長の低さをカバーするため、ストライド走法という独特な走り方をするそう。歩幅が自分の身長分(150センチ)もあって、これはマラソンの世界では異例だとか。
まあ、その是非については小生、走りのプロじゃありませんので論評する資格はありません。ところが、以下のような解釈がなされていたのが気になったのです。
「野口は腕を振るときに左にくらべ右腕を大きく振る癖がある。この右腕の振りが大きいので、それをカバーするため、左足に負担がかかったものだろう」
そこまで分かっているのなら、何故、コーチ陣はそれを矯正しなかったのでしょう。
現代マラソンはスピードが要求されるため、肉体的限界スレスレなほど過酷な競技になっています。矯正しなければ、いかに鍛え上げられていても破綻するのは目に見えているではないですか。
こんなことは素人の小生でさえ、分かりますのに。
解釈どおりだとすれば、そういう感想になります。
しかし、解釈そのものが逆のような気もします。
右腕の振りが大きいから、左足に負担が来たのではなく、左足になんらかの異常があって、それをカバーするために右腕の振りでバランスをとっていたと。
普通、応力転位は足から来ますので、こちらの解釈のほうがより整体的ではあります。
この場合の異常とは病的な異常ではなく、若干の歪みのことです。
おそらく、日常生活では故障などしない程度のものでしょう。しかし、述べたように、肉体的限界に挑むアスリートは違います。過酷なトレーニングで歪みの臨界点に達してしまうに違いありません。
ハムスト筋にきたということは左膝が若干、外か内に曲がっていたものと思われます。
(膝を屈曲させる筋群のため)
多分のその原因は足首でしょう(もしくは立方骨かもしれません)
診てないので断言できませんが、可能性としては高いような気がしますね。
他に考えられるとすれば、仙骨、骨盤から股関節へきて脚長差があったか(左足が短い)。
まあ、足からきて、右腕の振りのシグナルへ・・・という可能性が高いことだけは確かです。
こういう類のことは正統派トレーナーからは異端視されます。
筋解剖的な知識だけでは限界があるにも関わらず・・・
フルフォード博士が言う「三関節原理」は厳として存在しますのに。
その応力転位が筋筋膜系への負担となって現れるなど、初歩の初歩の考え方です。
五十肩の原因は対角線上の股関節の問題である、とは構造医学の考え方ですが、別に構造医学を持ち出すまでもなく、下半身の歪みの応力は必ず、上半身へと移行します。
それが走るという行為の中で、腕の振りに現れたっておかしくはないわけです。
コーチ陣は専門家じゃないので、分からないかもしれません。
しかし、トレーナーならこのことを知っておくべきでしょう。
大枚で雇われているのですから。
好くなくともボランティアではないはず。
どうしてくれる!一人の有能なアスリートを潰してしまったではないですか!
誰に怒りをブツケテいいか分かんないので、とりあえずトレーナーに怒りをぶつけてみました。
もし、以前よりそれを指摘して注意を促していたのであればゴメンナサイ。
(二)
「偉そうなことを言いやがって!」
じゃ、お前がトレーナーだったら今回の件は防げたのか?!
という反論はあるでしょう。
事が起きてからなんだかんだと論評するのは、まあ誰でも言えるわけだ。
さてさて、この設問に対しては当然、小生なりに考えます。
ホントにトレーナーだったら、選手をつききりで管理することでメシを食っているわけですから、そりゃ、真剣に臨むでしょう。
まず、走り方は今素人同然の小生が見ても右腕の振りが大きいのが分かります。
(これは誰でも気付きますよ)
そうすると、当然、左足に負担がかかっているのが分かりますから、左足のケアーを中心にすると思います。
ただ、毎日のようにトレーニングに励むので、歪みそのものを治すことはできないでしょうね。
しかし、その臨界点に達するのだけは避けるべく管理するのは可能でしょう。
肉体的臨界点というのは竹がしなってしなりつくして、さいごポキッと折れてしまうのに似ていますから、その一点を超えないないようにすれば良いわけです。
それくらいはケアできますよ。方法はいくらでもある。
その方法論を選ぶのは個人的な特性が大きく関係しますから、本人に聞きながら相談して決めます。また、自覚症状も出ているはずですので、その症状にもよく注意を払います。
過度なストレッチはトレーニングの中で行われているはず、ケアーの中では行わないでしょうね。まあ、ストレッチに限らず、過激な矯正技はしないに違いありません。
肉体をイジメ抜いているわけですからね。
イジメ抜いた肉体をいかに緩和するか、という方向性になろうかと思います。
足裏は当然やります。
アスリートにとっては命みたなものです。特にマラソンランナーは足底内在筋にかかる負担は半端じゃないでしょう。内在筋の変位は足骨、特に立方骨を危ない状態にさせます。
いずれにしてしても、足は脚も含め全部やります。
殿部からハムストへの整復は当然のこととして、腸腰筋も欠かせないでしょう。
短距離走者ほどではないにしても、ランナーの特性として、この筋筋膜系の疲労はピークに達するに違いありません。
またこの筋疲労は腎臓と膀胱の位置をズラしてしまいます。
(まさに今回は腎経と膀胱経に出たわけですが)
ということは腹証も必要ということになるでしょう。
アスリートに按腹?なんてお思いでしょうが、トンデモナイ!
整形外科的疾患ばかりに目が行きますが、基本的にスポーツ外傷は激突でもない限り、過激な運動による内臓的位置異常によって起きることシバシバで、ここに目を向けないから治らないんですね。
これは経絡的な発想ですが、オステオパシーでも内臓マニピュレーションという高度な技法が考え出され、外傷治療に威力を発揮しているわけで、なにも古臭い迷信的な方法論ではありません。
按腹は臨界点を超えないようにする優れた方法だと思います。
というわけで、無事、大会に出場させ、完走させるのは可能ですよ。
そう!小生なら今回の事件は起こさせなかったな。
しかし、そもそも、五輪の直前に高地トレーニングをする必要があったのかな?
オーバーワークっていう言葉を知らないはずはないのですが・・・・
(三)
臨界点を超えてしまうことはなにもアスリートだけじゃなくて一般の人にも起こり得るわけです。
普通は過激に肉体を酷使するわけでもありませんから、かなりのスパンがあるでしょうけどね。それでも、加齢や、いくつかの疲労要素が重なったり、強いストレスなどで臨界を超え、酷い症状に悩まされることになります。
この臨界点を超えないうちに来院して頂ければ、非常にありがたいのですが、実際問題、ケアーのために来られるという方は少数派で、症状が出てから来るというパターンが多いのではないでしょうか。
原子炉でも臨界点を超えればもはや制御不能ということにもなるのですが、人間の場合はフェイル・セーフ機能が何重にもあって、サドンデスするのは稀です(現在は増えているらしいのですが)
むしろ、自己修復システムと病のせめぎあいの中で慢性化していくことのほうが多いものです。
自己修復能力の味方としての我々の立場があるわけですが、放っておけば確実に病勢に負けるという戦況悪化の中で、味方の軍勢を投入しても、現状維持しかできなくてもどかしい思いをする局面もあります。
或いはほとんど勝ち戦の中で、味方することによって、一気にケリをつけられることもあって、こういう場合は感謝もされ、自尊心も満たされ、やってて良かったということにもなります。
(有頂天になる施術者もいるでしょうけど)
人の身体には無数の局面があります。
古代ローマ史を読むと、繁栄の中に没落の種が蒔かれたという趣旨のことが書かれています。繁栄と破滅は表裏一体、道(タオ)で言えば陰陽なのでしょうが、当然、人間の身体にもあてはまり、元気であるが故に無理をして、歪みを蓄積させて破滅へ向かっている局面もあると思います。
一つの病を持っているが故に節制の勤め、結果として人より長生きした、ということもあるので無病息災ではなく、一病息災という言葉も生まれたのでしょう。
何が幸いするか分からないのが人生ですが、少なくとも肉体的には臨界に達する前に何らかのシグナルがあるはずですから、それを敏感に感じ取る感性というものが必要だと思いますね。
感じ取る感性さえあれば、一病息災である必要もなく、適切な処置が出来るはずです。その適切な処置の選択肢の一つとしてリフレパシーを選んでくれればなぁ、と。
まあ、そういう思いもあってやっているわけです。
了