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脱力

ある評論家が日本-キューバ初戦で投げたダルビッシュ選手の投球を見て書いておりました。

「ダルのシーズン中の投球は力の70%くらいしか使わず、しかももっとゆったりとした間合いで投げる。にも関わらず、オリンピックでは力が入いり過ぎ、本来のピッチングとはかけ離れていた・・・要旨」

一流選手でさえ、大舞台で力まずパフォーマンスするのは難しいのですから、普通人がやれば惨憺たる結果になることでしょう。

力まない、脱力する重要性というのはHPでも、このブログでもサンザ書いておりますが、あらためてオリンピックを観ていて思いますねぇ。北島選手なんか、あんなにゆっくり、ゆったり泳いでいるのにダントツで早いわけでしょ。

脱力するというのと気を抜くというのではまるで違います。
気を抜かず、身体の力を抜く。言葉で言えば簡単ですが、実際は難しいものです。

施術も身体動作ですからパフォーマンスであることには変りがありません。

「功名心があれば失敗する」と増永先生の著作のどこかに書いてありましたが、緊張だけではなく、どこかに(良いところを見せてやろう!)という気持ちがあると、知らないうちに力が入って上手く操作できない、結果、良い施術ができない、即ち失敗、ということなんでしょうが、そういうことを知っていても、何度失敗したことか・・・・

2度同じ失敗をすればバカだ、という伝でいけば、小生は救いようのない大バカということになります。自己弁護するわけじゃないですが、それくらい微妙に難しいものです。身体動作というのは・・・

身体の制御とは実は気持ちの制御に他ならず、いかに落ち着き、焦らず、瞬間、瞬間に意識を固定していけるかどうか、という問題に帰着します。

そういう意味では型の反復というのは重要な練習要素ではないかと思いますね。
何故なら、(次に何をやるんだったっけ?)などと考えるようでは、それ自体が雑念だからです。技法自体は無意識にでも出来なければ、気持ちをコントロールするどころの騒ぎじゃありません。

その人の固有の証にあわせどう組み合わせていくか、ということも考えねばならぬのに、技法自体のやり方を考えているようではお話にならないわけです。

だからこそ、基本を何度も何度も反復して、身体に染み込ませるようにして覚えていくことの重要性が分野を問わず、昔から言われ続けてきたのでしょう。

小生も高いレベルではありませんでしたが、一応競技者であったこともありました。
(卓球なのですが・・・ちょっと恥ずかしい)
このときの経験で思ったことは素振りの重要性です。
これは野球でもテニスでも、ゴルフでも同じではないでしょうか。
素振りとはイメージトレーニングでもあり、基本動作を身体に叩き込む小脳訓練でもあります(真面目にやりますと地味ながら実に役立つものです)。

社会に出たとき、もう競技としてやるのは遠慮したい気分でしたから、運動不足解消に硬式テニスを選びました。
昔のテニスは卓球とはまるで違うものですが、元卓球選手のビヨン・ボルグが活躍して以来、打球インパクトが卓球とエラク似てきたのも選んだ理由の一つです。

そこで、小生、コートデビューする前に徹底して素振りを行いました。
フォアハンド&両手バックハンドを合わせてシャドーテニス風に。
(夜中に家の前で行うのですから、近所の人はどう思ったのか、今考えると怖い)

いよいよコートデビューとなったわけですが、最初はラケット面の角度が合わず、ホームラン性の当たりや、ネットに引っ掛ける当たりの連発でしたが、タイミングは完璧にあっていましたので気にせず、角度の調整だけを心がけて10分くらいやりましたでしょうか。
すると、面白いくらい入るようになりました。
何年もやってきた人もよりも上手いわけです。
陰の努力(素振り)の威力以外の何物でもありません。

施術を生業にしたとき、このときの経験から、徹底したイメージトレーニングを行いました。施術は球を打つという動作はありませんから、素振りという概念はありませんが、それでも、誰もいない夜中、誰もいないベッドで、そこにあたかもクライアントがいるようにイメージして、操作していくわけです。

これは第三者が見れば異様な光景でしょうね。
実はこの訓練は今でも行っています。

小生のことを器用だという向きもありますが、決してそんなことはありません。
施術家としては致命的とも言える右手の障害も持っています。
むしろ不器用なほうです(字は下手くそですし、絵は描けませんし、折り紙も上手く折れませんし)

しかし、基本動作を徹底してやれば、それなりのレベルにはいくということを経験で知っています。だから、新しい技法のアイディアが浮かんだとき、夜中にシャドー施術を徹底して行い、身体に覚えこませるわけです。

勿論、イメージと実践ではギャップがあり過ぎることもあります。それはそれで、新たなことが分かったわけですから、微調整してまたシャドー施術に励みます。

こういうこと(微調整)を繰り返し、繰り返し行っていくと、技法を自分化できるわけですが、実はここから本当の修行で、それをどういう証の人にどのように適応させていくか、ということが難問中の難問です。

そして、さらに気持ちのコントロールがあって脱力を心がけなきゃいけないのですから、どのような職業であっても、オリンピックに出ずとも、プロというのは大変なのです。

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