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組み合わせの妙

(一)

日常、我々が読み、書き、喋る「言葉」をつなげると文章になります。
その文章を紡いでいくと一つの論述にもなり、物語にもなるわけで、血湧き肉踊る小説にも人生観を変えるほどの論文さえも誕生するわけです。

結局、如何に複雑な物語であろうと、複雑な思考であろうと、平凡な「言葉」というものの組み合わせによって成り立っていることが分かるのではないでしょうか。

音楽だって同じでしょう。
どんな名曲であっても還元すれば一つ一つの音符が組み合わさっているに過ぎません。

整体も同じなのです。
平凡な技の組み合わせが実は大変に効果のある整体になったりもするわけで、逆に組み合わせによっては全然効かない整体になったりもします。

平凡であっても、一つ一つの技の精度を上げ、どう組み合わせるかが大事なのであって、個々の技法についての評価はできません。

増永師の基本施術体系を観ていると、「指圧」とはいうものの、単に押圧だけで構成されているわけではありません。ある時は経絡伸展(ストレッチ)、ある時は他律的運動法が適度に配置されております。

中には難易度の高い技術もありますが、それのみで施術を行っているわけではないのです。

技法は手段であり、目的ではない、と何度も述べておりますが、手段を豊富にしておくことも勿論重要です。

しかし、もっと重要なことは覚えた技をどう組み合わせていくか、ということではないだろうかと思うのです。

自分の方向性に悩む施術家のたまごさん達が多くいると聞きます。
悩みなきところに大成はありませんから、それ自体は大いに結構だと思います。
しかし、同じところで悩んでいても仕方ありません。

ある時点からその悩む方向性が変わっていかねばならないのです。
最終的には「組み合わせ」を如何にするか、ということになるのですが、それはとりもなおさず、個々の文章の出来を気にしている段階から全体の物語の出来を気にするのに似て、進化と言えば進化であり進歩といえば進歩でしょう。

仮に基本パターンが決まっていたとしても、その中で個々の愁訴によって、施術の構成が変わってくるはずです。

そのためには愁訴に至る原因の推測を為さねばなりません。
その推測が施術中に変わってくるかもしれませんが、まあそれでも良いのです。そのときに対応を変えていってもなんら不都合はないのです。

機に臨み変に応ず-臨機応変という言葉はこういうときのためにあるのですから。

(二)

よく平易な言葉で語るのが演説の名手である、と聞きます。
平易な単語で言いたいことを書くことができれば名文家とも言われます。

また漢方家も200種類を超える薬方を駆使し、処方するのはまだ名医の域に達しておらず、本当の名医と言われる人たちはどこでも手に入る平凡な30数種類の薬方で対応することができる、とも言われております。

まあ、漢方薬は専門外ですから、事の真偽は分かりません。

整体については専門ですので、断言できますが、最終的には30種類の技もあればほとんど対応できるものと思います。

たまにスタッフK女史に施術をすることがありますが、よく彼女から言われるのは「また、施術の仕方が変わりましたね、なんか複雑になってるみたい」というようなことです。

確かに系統の違う技法が入ってくることもあるでしょうが、大半は違います。
単に基本形を応用しているに過ぎません。ある基本技とある基本技を組み合わせて使うことが“新しい技”に感じるのでしょう。

組み合わせは増えていますが、技法自体はむしろ減少傾向にあるのです。
一番技が多かった時期は10年以上前でしょうか。

マッサージ的テクニックだけでも何十種類もありました。
これを使い分けていたのですから、今考えれば本質を掴んでいなかった証拠です。

多彩な技を使い分けると世にいうゴットハンド、カリスマとか言われるのでしょうが、それは全く意味のない言葉であって、そんな暇があったら、押圧一つの真髄でも掴むほうが余程意義のあることです。

小生に師匠がいれば一喝されて早い時期に気がついたのでしょうが、独学は非効率的です。気がつくまで物凄い年月がかかってしまいました。

経験を積むにつれて、技法は単純化し、純化していきますが、その代わり「組み合わせの妙」というものに気がついてきます。

(なるほど、ここにアプローチしたいときは、あの技法をちょっと変形すれば良いのか・・・とか、あれとこれを組み合わせると良いに違いない・・とか)

教えられたものじゃなく、自分の頭を使って考えたものというのは忘れづらいものです。
技法を“自分化”する一番の早道でしょうね。

ただ、基本形はやはり教わらなくてはいけない。
写真で見ても、ビデオで観てもコツが分からないですし、間違ったやり方になってしまいます。これも自分自身で気がつくまでおそろしく時間がかかるものです。

特に写真はダメです。動きが連続していませんので、見当違いの技法になってしまいます。

まだビデオ系のように動きがあるほうが掴みやすいとは思います。が、生に勝るものはないでしょう。

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