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名人芸

どの世界にも名人と言われる人たちがいるものです。
将棋などはそのものズバリ「名人」という位がありますものね。

そのほか、落語の世界でも一般的に使いますし、あとは職人系で多く使われるのではないでしょうか。

手技施術の世界でも、古くから名人と言われる人達がいました。
但し、漢方や鍼灸とは違って文献の中に名前が残っているわけではありません。
多くは無名の名人達(矛盾した言い方ですが)の施術が口伝のようにして伝わっています。

その名残みたいなものがたまに小説などに出てきて興味深く読んだりもします。

最近では司馬遼太郎の「巧名が辻」でしたか、山之内一豊の側女が彼の身体を按摩したときにツボ勘が良いと誉められるシーンがありました。素人とは思えないと。
しっかりズンと響くというような意味のことも書いてありましたっけ。

按摩が江戸時代にマッサージ化する前は指圧が按摩だったわけですが、これら按摩の名人芸というのは、手の動かし方や技法的なものではなくて、あくまでもツボの底、芯に響いてくるような受ける側の体感によって評価していたようです。

もともとテンション民族である日本人は、昔から頑固なコリを持つ者が多かったのでしょう。よく響かせてそして効くということが名人の名人たる所以ではあったようです。

誰から習ったかというと、おそらく習わなかったのだと思います。
天性でできる者だけが名人だった、というところでしょうか。

ですから、古方按摩の名人芸を再現するには、そのノウハウなど残っていませんから、現代では難しいでしょうね。

ただし、ヒントはありますね。響きというヒントが。
響き=刺激によって関連快痛を伴う様。現代風に言えばこんな言い方にもなるでしょうか。

多少の手がかりから、現代風にアレンジして表現すると、俄然現実味を帯びてきます。
これは西洋ではトリガーポイントとも言うわけですし。

そう考えると、古方按摩の名人芸を再現するのはそれほどの難問でもなくなります。
証にもよりますが、響きが起きやすいスジというのは現在では大体解っていますから、そこを注意深くやれば良い、ということになりますわね。

あと、やり方も問題にはなるでしょう。
同じ部位を同じ強さで同じ角度で施術されても、どうしたわけか、感じ方が違うこと度々ですから。

これは中々説明できないものかもしれません。
親和力が働くかどうか、ということになるのですが、施術者自身の気持ちの問題も絡んできて、マニュアル化できない類のものです。
要するに「あわてず、あせらず、ゆっくりやれ!」ということではあるのですけど。

「急いては事を仕損ずる」-今では滅多に聞くことがなくなった諺です。
それどころか、スピード感を持たねば生き残れない時代だとか盛んにマスコミ等に流されていますわね。まあ、確かに経営はそうなのかもしれませんが、少なくとも癒し技術の分野ではスピード感を持ちすぎると急(せ)くことにもなりかねません。

名人芸というのはある種の余裕から生まれてくるのかもしれません。

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