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目の疲れから考えること

最近、パソコンのやりすぎと、老化現象で目がショボショボすることが多くなってきました。

あるときなどは、突然、目が痛みだし、涙が出て止まらなくなったこともあります。それでも、パソコンの前から離れられないのですから、一種の中毒ですかね。

さて、目は五臓六腑の窓とも言われ、様々な内臓と繋がりあるとしています。古くから言われているものに、目を全息胚に診立て、おおよその診断をしようとするものもあります。

例えば、

角膜虹彩を「肝」
瞳孔を「腎」
それ以外の黒目を「心」
白目を「肺」
上下瞼を「脾」

これで五臓ですが、陰陽関係にある腑は自動的にくっついてくるものですから、少なくとも五臓五腑のおおよその歪みの見当はつけられでしょう。
(小生は眼診はしませんけど)

目は生活上、欠かすことの出来ない重要な器官ですが、生命維持という観点だけからいうと、最初に犠牲にされやすいところかもしれません。

なにせ目は単位重量あたりの酸素消費量が最も多く、脳や肝臓や腎臓さえ上回っています。ですから、生体はこれらの臓器に不都合があって、より多くの血流量が必要な場合、目に回す分を少なくしてしまうわけです。

このことを考えると、目の問題を内臓の問題と考えた古人の考えはもっともなことだと思います。肝腎要というが如く、目の問題を考えるとき、肝と腎を重要視したのは古典の教えるところ。ですから、目を酷使していくと最終的には肝、腎の問題となりますよ!という意味もあるのです。

「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」と諫めたのは電気がなかった時代、ろうそくの灯りだけで、爪を切ると目を傷め、ひいては肝腎の病に至る=親より先に死ぬ=親の死に目に会えない-ことがあるから、そんなことしちゃイカンのですよ、という意味です。

♪母さんが夜なべして手袋編んでくれた♪
 
一度は聞いたことがある歌ですが、夜なべして、手袋など編んでいたら、それこそ、爪を切るどころの騒ぎじゃないくらいに目を酷使します。
 
昔は今と違って、女性のほうが男性より短命でした。
むべなるかな・・・と思います。

目を酷使して内臓に至るパターンもあれば、内臓の問題から目に問題が出てくるパターンもあるのは当然です。
 
肝腎の機能が衰えることによって、目が悪くなってくる・・・つまり表裏一体です。ここに悪循環という問題が提起されまして、歳を取るにつれ、目を酷使する読書から離れていくのはごく自然なことなのです。
(つまり、老眼は生体の知恵でもありますな)

しかし!小生のように中高年から中途半端なブロガーになってしまうと、別にそれで稼いでいるわけでもないのに、パソコンの前でただひたすら文字を打ち込むことになってしまって、実に困ったものです。
 
じゃ、そんなことやらなけれないいじゃん!という話になるのですが、全国3000万の亜美之介ファンが心待ちにしているブログを止めるわけにはいきません。

どこかに妥協点はないものか、と模索しているのですが、口述するだけで、スラスラと文章が出来上がるシステムが一般化するまで待たねばならないようです。

魚の目から考えること

 魚の目は治りますか?という質問もまた困る質問の一つです。
 施術者よりもクライアントからの質問のほうが多いかもしれません。

 同じところを刺激され続けると、当然、皮膚は防御反応により硬くなって、角質化していきます。
 さらに、刺激を受け続けると、部分的にタコになってしまうでしょう。

 魚の目はタコ状態になったところで、陥没し、真皮以下へ入り込んでしまうわけで、前提に刺激を受け続ける部位だという環境がありますから、歩く度に痛い思いをする厄介なものです。
 タコや角質、そして魚の目が出来やすいところは大体共通していて、その大半が肺経、大腸経、胃経、三焦経、肝経、胆経につながる経穴上に現れるものが多いと言えるでしょうね。(古典経絡ではありませんけど)

 末端部は経絡の反応部位として本来、非常にデリケートです。ですから、これまた背景に内臓の歪みがあると、魚の目みたいなものが出来やすくなるわけです。

 もうすでに、出来てしまった場合、魚の目を刺激するのは得策ではありません。
 火に油を注ぐようなものです。
 ですから、足の施術で解決することはできません。お灸など刺激の種類が違うものなら、直接的に据えて、これを治すということは可能なようですが、先ほど申しましたように、足裏はデリケートなので、熱刺激は皮膚がんになる可能性もないわけではないのです。
 壮数(ドーゼ)などの問題がありますから、かなり熟達した灸師でないと安心して任せられないでしょう。

 安全に治していくには体質改善していくより他なくなりますね。手技において体質改善するには経絡的歪みを診て、それを正すわけですから、全身的な処置が必要な所以です。

 さて、これらのことを説明するとなると、とても難しい話になってしまいます。また理解してくれたところで、訴の解消に至るまでは時間がかかります。

 普段の足の環境にも配慮しなければなりません。クライアントとの協力関係がなければ、とても覚つくものではないわけです。

 それやこれやがあって、こういう質問にはとても困ってしまうのです。
 結論をいうと、治らないことはないけれど、治るまでは時間がかかるが宜しいか?と
逆質問をしなければならなくなります。

 どれくらいの期間で?という質問にはこれはなんともお答しようがありません。
足 の環境を含め、どういうライフスタイルなのか、四六時中見張っているわけではありませんからね。その人の歪みの深さやら、ライフスタイルやら、様々な問題が関与してきます。

 だからこういう質問が飛んでくると、(ふう~、さても困ったものだなぁ)とため息が出てしまうわけです。ただ、一つだけ良いことは、魚の目が出来た部位から、どの内臓(経絡)がその人にとっての弱点なのか簡単に類推することが出来るということです。

 それが分かれば、下肢も上肢も腹証も背中も重点にすべきところが決定されるので、施術の効率化ができますし、そういう反応が出ているかどうか、という施術者にとっての知的好奇心が刺激されます。ですから、魚の目が出来ているクライアントが嫌だというわけではありません。

 結局、水虫の記事と同じ結論になるのですが、背景に隠された目に見えない歪みを感知し得るかどうかが、この仕事の面白さになるわけです。
 それを直接手で触って確認していくことが出来るのが手技の大きな特徴と申せましょう。
 医学的興味もなく(東洋医学、西洋医学、ホリスティック医学を問わず)、人の身体に触るのは単なる肉体労働にしか過ぎません。

 かつて按摩、指圧が畳の上の土方仕事などと揶揄されたのは、肉体労働の側面しか見ていないからです。カイロでもオステでも、まあ経絡でもリフレでも良いのですが、その体系の中で反応系統を確かめ、ある確信を得らると、肉体的な疲れなどさしたるものではありません。

 そこまで知的好奇心が続くかどうか・・・・或いは自分を訓練していけるかどうか、これがこの仕事の重要な要素の一つでしょうね。

茶師と漢方医

茶師(ちゃし)

小生、日本茶が好きなくせして、茶師という存在を知りませんでした。言ってみれば、日本茶のブレンダーのようなものでしょうか。

やはり日本茶は奥が深いようで、各産地や、気候などの条件で、同じお茶葉なのに、そのテイストは微妙に(かなり)異なるらしい。
(産地によって異なるのは当然として、同じ産地で同じ畑でも茶葉を積む日の天候によって、まるで違うものになる)

そこで茶師と呼ばれるプロフェッショナルは、各茶葉の良い面を引き出すべくブレンドします。日本茶だけにブレンドという言葉は使わず「合組」というらしいのですが。
この「合組」は才能と経験が必要なので、素人がやるのは絶対無理なようです。

単品ずつ試飲すると普通のお茶でしかないのに「合組」すると、魔法でもかけたように美味いお茶になるのですから、やりがいのある仕事ではあるでしょう。

さて、これらは茂木健一郎氏が司会をやっているNHK番組「プロフッショナル」で観たことなのですが、その茶師が非常に印象に残ることを言っていました。

「お茶はマジマジと正面から見ると、かえって分からなくなる。まず、遠目でチラッと見て、その雰囲気とか印象を感じることから始める」(要旨)と。

これを聞いたとき、小生はビックリ仰天しました。寝そべって観ていたのですが、思わず、身を乗り出し、正座して聞き入りましたよ。

何故かというと、実は日本漢方史上、超有名な漢方医がこれと全く同じことを言っているのです。勿論、漢方医ですから、対象はお茶じゃなく、患者なのですが。

その漢方医は病人の様子を遠目でちらりと見やり、全体の印象を元に診断すれば大きな間違いをしなくて済むと述べております。

望診の極意をさらりと述べているわけですが、これがどれほどの修行とどれほどの知識を有しなければできないことか、小生はよく分かります。いきなりそれをやろうとしても絶対に出来ません。この言を知ったのは約12、3年前のことですが、以来、遠目でちらりと見るようにはしているのですが、これが中々分かるものではないのです。

その茶師(前田文男さんというらしい)は父親から「お前はお茶が見えてない!」とキツク叱られ、仕入れ担当から外されたそうです。負けじ魂の強い人だったのでしょう、それ以来、来る日も来る日もお茶を見続け、触り続け、飲み続けたそうです。しかし、一年経っても、二年経っても、さっぱりお茶が見えないわけだ。

5年経ったとき、フトしたことで「あっ、このお茶は不細工だけど何かが違う」と思ったらしい。触ってみると重みがある。そして、その不細工な形をしたお茶を合組したところ、イメージどおりのお茶になったらしいのです。

おそらく、言葉や文章では表現不能の悟り方だと思います。
どん底の5年間だったと述懐しておりましたが、この体験なくして、日本有数の茶師になることなどできなかったでしょう。

かの増永師も「経絡は見ようとすればするほど見えなくなる、待つことが大切だ」と述べております。漢方や手技の極意は実にお茶の世界にも当てはまって、大いに感動いたしました。

このようにチラッと遠目でみて分かるということに対して、茂木健一郎氏は脳科学の立場からコメントしておりました。

曰く「正面からマジマジと観察すると意識が働いてしまう。意識の中には様々な知識があって、知識が互いに邪魔しあい、混乱し、正解にたどり着かない。ところが、遠目でチラッと見るということは無意識で見ることになる。無意識の中では、余計な知識が働かず、頭の中にある正しい知識がスーッと浮かび上がってくるものだ」(要旨)

膨大な知識の中から正解を一つ選び出すのには、意識が邪魔するというのは面白いものです。かといって、何の知識もないのに、瞑想さえしていれば、無意識が働き正解を導き出すというものではありません。知識はやはり必要なのですが、これを引っ張り出す心の有り様が名人の名人たる理由なのでしょう。

修行の段階というのはまず知識を蓄えることです。
そして経験を積み、さらに心の有り様を鍛錬していきます。
それには膨大な年月がかかるでしょう。
片手間でやっても身につくものではないのです。

昔の漢方医はこう述べています。
「もし心が多端にわたるときは術の精妙に至りがたいから、よく多端を省いて、一筋に心をこめ、これを思い、これを求めるときは、豁然と感得するのであって、そのときは、手の舞い、足の踏むところを知らないほどの喜びがある」

まさに茶師(前田文男氏)は5年間、この漢方医が述べたとおりの修行をして、豁然と感得したに違いありません。そして、お茶に対する望診を会得したわけだ。

小生等の仕事には考えさせられる内容の良い番組でした。

※漢方医=和田東郭。吉益東洞の門下で俊英の誉高く、後に一派を起こした有名な医者。一般には知られていませんが、漢方の世界で知らぬ人はおりますまい。

合組(ごうくみ)

合組-日本茶におけるブレンドのことだとは述べたとおりです。
大和言葉でいえば「組み合わせ」という普通の言葉なのですが、この「組み合わせ」の妙というのが面白いものです。

漢方の方剤はまさに各生薬の「組み合わせ」の妙を利用したものですし、鍼灸もまた、取穴の「組み合わせ」の妙です。

料理の世界でも、企業が開発する新商品でも、「組み合わせ」という言葉自体がキーワードになっておりますね。

ことほど左様に「組み合わせ」というのは重要な概念です。
組み合わせることによって、まるで違う性質になるのは化学の世界、素材や材料を扱う世界では当たり前のことです。

人間とは、自然界にあるものを如何に組み合わせるか、という命題に挑戦してきた生き物なのかもしれません。

手技の世界でも、純化した一つの技法よりも、性質の違う技法を組み合わせることによって、その効果が倍加することは度々経験するところです。
(相殺してしまうこともありますど・・・トホホ・・・まあ、それはこの際、横に置いておきましょう)

例えば、押圧のみで対応しても運動法のみで対応しても、その効果は限定的なのに、それを上手く組み合わせることが出来たとき、想像以上の効果を発揮します。

結局、同じ学校で、同じような技法を習っても、クライアントの体質、症状の違いによって技の組み合わせを変えていく必要がありますから、治し上手な人とそうじゃない人の差が出てきます。

技の精度は当然のこととして、それと同等以上に「組み合わせ」が重要になる所以です。
これはまさに「証」の概念に通じていきますので、日々の研究心が大切なことは言うまでもありません。

※合組を「ごうくみ」と発音するのは典型的な重箱読み(音訓併用)で違和感があるかもしれません。しかし、これは日本で作られた成句のため、この読み方で良いのだそうです。

粘菌と経絡

粘菌は不思議な生き物で、動物と植物の両方の特性を併せ持ちます。
異能の博物学者 南方熊楠博士が研究していたことでも有名です。

最近、この粘菌、迷路を最短ルートで探し当てる能力があることが分かって、ちょっとした話題になっております。イグノーベル賞を取った研究ですから、ご存知の方も多いことでしょう。

経絡の本体が原形質のゾル化、ゲル化による連続的情報伝達ではないか?と増永師が提唱されてから40年以上が経っているわけですが、この粘菌の動きを見ているとまさにこれは経絡そのものの動きではないか、と思う次第。

本来、粘菌は明るいところを極端に嫌い、真っ暗なところでしか、その活動力は高まりません。しかし、技術の進歩というのは大したもので、暗闇でも昼間のように明るく映し出されるカメラが開発されました。

小生が見たのはNHK教育番組なのですが、それを見たとき、粘菌が脈動しながら迷路を探っている様子がはっきり見てとれ大いに感動しました。

かの増永師は「経絡の動きは全体に脈動する感じではないか」と述べております。
細胞間情報伝達、そして脈動。

この経絡仮説に単細胞である粘菌がピタリとその着想に一致するのは仮説の正しさを裏付けているもので、増永師がご存命であれば「わが意を得たり!}と喜ばれるに違いありません。

百聞は一見に如かず、という言葉があるように、視覚的に細胞が脈動する様を目撃することは、頭で分かっていても強烈なインパクトがあります。

高度な機能分化が行われている高等生物においては、経絡は分肉の間を走行す、と言われているように、そのルートは狭められておりますが、単細胞生物においてはその存在自体が経絡そのものと言って良いでしょう。

しかし、頭脳も神経もないのに何故、細胞の原形質の動きのみで迷路の最短ルートを探り当てることが出来るのか?
研究者は「知性」とは何かを考える良い機会になるのでは、と言っております。

「何か」(何かとしか言いようがない)が導き、「気」(気としか言いようがない)を向けさせるわけですが、現在、その「何か」も分かっていませんし、「気」もまた公式には認められていません。現象的にはあると証明されておりますから、まあ、現時点ではこれはこれで良しとしなければいけないでしょう。

脈動といえば、頭蓋で取れるCRI(クラニアル・リズミック・インパルス)が最初に思いつくのですが、実はこれ、注意深く観察すれば全身あらゆるところで見出されるとする説もあります。

勿論、脈拍とも呼吸とも違うリズムなのですが、自分の身体でも時々、その脈動を感じることがあります。身体全体が膨張し収縮する感じです。
これはCRIの一種か、まあ、ぶっちゃけ気のせいか、くらいの感じでおりましたが、その粘菌のVTRを見て以来、自身の経絡の脈動であると確信できましたね。
(あまりにも粘菌の脈動と似ている・・・オレは粘菌かっ!)

神経系、脈管系などの高度機能を陰で支え、助けているのはやはり経絡なのだなぁ、と。

枯れた植物には原形質流動が起きないように、死んだ人間にも経絡運動(脈動)は起き得ません。

高度機能が完全停止すると死亡を宣告されることになるのですが、その前に経絡運動の部分的停止があるのでしょう。

これを古人は「未病」とも言い、普通に「病」とも言ったわけです。
さらに古人はそれを脈拍から探るべく脈診なるものを発見し、どの経絡に運行不順があるのかを確定しようとしました。

現在は手首で取りますが原型は足で取りました。(正確には足とソケイ部と首)
経絡が一種の脈動運動であるならば、高度機能である心臓の拍動と何らかの相関関係があるはずです。
当然、呼吸運動とも相関性があるはずで、古典はこれを脈拍数と呼吸数の四倍関係としています。

古典が経絡の流れを単に「脈」と呼んだのは、それがまさに脈動するものだからで、決して心臓の拍動と混同したわけではありません。

宇宙の真理はおそらく、脈動でもあり、胎動でもあり、波動でもあることでしょう。
人体を小宇宙に見立てた古代中国人は、生命力とは脈動であって、もっとも原始的な脈を経絡の脈であるとしたのは、彼等の中ではなんらオカシナことでもなく、むしろ必然だったに違いありません。

ふくらはぎの悩み

先日テレビを観ていると、韓国の整形事情ということで、ふくらはぎが太いと悩む女性のために、細くする美容整形の術式が紹介されておりました。

テレビですから、専門的なことはあまり触れておりませんでしたが、なんでも、ふくらはぎの筋肉を作動させる神経を切断する手術らしい(腓腹筋だと大変だからヒラメ筋だと思うんだけど)

膝の部分で神経を切っちゃうと、以下の筋肉が使われないですから、やがて衰え、細くなるという理屈です。
そして、実際細くなるらしい。

しかし・・・・そこまでやりますか・・・・

歳を取ったらどうするんでしょうね。
ただでさえ、足腰にガタがくるというのに・・・
人為的に神経を切断して筋肉を廃用させるわけでしょ。
推して知るべし、ですね。

信じられないことをやるものです。
まあ、韓国での話ですから、日本では行われていないと思いますが。

あと日本でも行われている美容手術に前頭骨形成術というのがあります。顔のホリを深くするため、頭皮を一回剥いで、前頭骨をセメントで盛り上げ、固めるという手術です。

相対的に目の部分が引っ込んで見えますから、ホリが深くなる、ということになるのですが、これも・・・なんだか凄い話ですよね。

クラニアル的な観点でいえば、頭蓋の動きをブロックさせる原因にもなるわけですよ。
病気でもないのにこんなことしていいのだろうか?と思います。

しかし、女性の美に対するあくなき探究心というか、追及心というか、凄いものがありますね。

大昔のヨーロッパではナス科の植物から採るベラドンナという猛毒がありました。
この毒、少量使うと、瞳孔が開き、目がキラキラと美しく見えるらしい。
そこで、当時の貴婦人達は好んで使ったといいます。
量を間違うと死んじゃうんですよ。
文字通り命がけの美容術だ。

話題を戻します。

足裏は第二と心臓と言われておりますが、実際にはふくらはぎが第二の心臓です。
(本来の心臓が動脈ポンプなら、ふくらはぎは静脈ポンプかな)
しかもリンパ心臓を持たない人間はリンパ心臓の代役も果たしていることになるわけです。ことほど左様に、ふくらはぎの役割は大きい。

りっぱなふくらはぎを持っているからと言って、何を恥じることがあるのでしょう。
ホントの心臓の負担を軽減してくれる大事な器官とさえ言えるわけです。

まあ、浮腫んで太いのはなんとかせんとイカンのですが、筋量の問題で太いのは、「アタシ、健康よ!嫁にするなら、ア・タ・シ・・・やわな女、嫁にもらうと後で苦労するわよ~」くらいの勢いで見せびらかすことが必要です。

すると、リッパなふくらはぎに圧倒されてオフォー殺到という時代がすぐやってくるに違いありません。

こないかもしれませんけど・・・・

※後日談・・・・
この記事を書いた時点では、腓腹筋なら大変なことになるのでヒラメ筋ではないか、と予想しました。しかし、この記事を書いて、1年半・・・。この手術を受けた女性達の間に膝を伸ばして踵が着けない、という後遺症が続出らしいのです。このような症状が出るということは、膝と足関節にまたがる二関節筋であるはず。つまりナント!腓腹筋の神経を切断したものと思われます。まさに信じられません。医者ならそうなることは分かるでしょうに。
因みにこうした後遺症のため、この手術が現在廃れているそうですが、かわりにボトックス注射で腓腹筋を人工的に麻痺させ、
細くさせるのが流行っているとのこと・・・やれやれ

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