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粘菌と経絡

粘菌は不思議な生き物で、動物と植物の両方の特性を併せ持ちます。
異能の博物学者 南方熊楠博士が研究していたことでも有名です。

最近、この粘菌、迷路を最短ルートで探し当てる能力があることが分かって、ちょっとした話題になっております。イグノーベル賞を取った研究ですから、ご存知の方も多いことでしょう。

経絡の本体が原形質のゾル化、ゲル化による連続的情報伝達ではないか?と増永師が提唱されてから40年以上が経っているわけですが、この粘菌の動きを見ているとまさにこれは経絡そのものの動きではないか、と思う次第。

本来、粘菌は明るいところを極端に嫌い、真っ暗なところでしか、その活動力は高まりません。しかし、技術の進歩というのは大したもので、暗闇でも昼間のように明るく映し出されるカメラが開発されました。

小生が見たのはNHK教育番組なのですが、それを見たとき、粘菌が脈動しながら迷路を探っている様子がはっきり見てとれ大いに感動しました。

かの増永師は「経絡の動きは全体に脈動する感じではないか」と述べております。
細胞間情報伝達、そして脈動。

この経絡仮説に単細胞である粘菌がピタリとその着想に一致するのは仮説の正しさを裏付けているもので、増永師がご存命であれば「わが意を得たり!}と喜ばれるに違いありません。

百聞は一見に如かず、という言葉があるように、視覚的に細胞が脈動する様を目撃することは、頭で分かっていても強烈なインパクトがあります。

高度な機能分化が行われている高等生物においては、経絡は分肉の間を走行す、と言われているように、そのルートは狭められておりますが、単細胞生物においてはその存在自体が経絡そのものと言って良いでしょう。

しかし、頭脳も神経もないのに何故、細胞の原形質の動きのみで迷路の最短ルートを探り当てることが出来るのか?
研究者は「知性」とは何かを考える良い機会になるのでは、と言っております。

「何か」(何かとしか言いようがない)が導き、「気」(気としか言いようがない)を向けさせるわけですが、現在、その「何か」も分かっていませんし、「気」もまた公式には認められていません。現象的にはあると証明されておりますから、まあ、現時点ではこれはこれで良しとしなければいけないでしょう。

脈動といえば、頭蓋で取れるCRI(クラニアル・リズミック・インパルス)が最初に思いつくのですが、実はこれ、注意深く観察すれば全身あらゆるところで見出されるとする説もあります。

勿論、脈拍とも呼吸とも違うリズムなのですが、自分の身体でも時々、その脈動を感じることがあります。身体全体が膨張し収縮する感じです。
これはCRIの一種か、まあ、ぶっちゃけ気のせいか、くらいの感じでおりましたが、その粘菌のVTRを見て以来、自身の経絡の脈動であると確信できましたね。
(あまりにも粘菌の脈動と似ている・・・オレは粘菌かっ!)

神経系、脈管系などの高度機能を陰で支え、助けているのはやはり経絡なのだなぁ、と。

枯れた植物には原形質流動が起きないように、死んだ人間にも経絡運動(脈動)は起き得ません。

高度機能が完全停止すると死亡を宣告されることになるのですが、その前に経絡運動の部分的停止があるのでしょう。

これを古人は「未病」とも言い、普通に「病」とも言ったわけです。
さらに古人はそれを脈拍から探るべく脈診なるものを発見し、どの経絡に運行不順があるのかを確定しようとしました。

現在は手首で取りますが原型は足で取りました。(正確には足とソケイ部と首)
経絡が一種の脈動運動であるならば、高度機能である心臓の拍動と何らかの相関関係があるはずです。
当然、呼吸運動とも相関性があるはずで、古典はこれを脈拍数と呼吸数の四倍関係としています。

古典が経絡の流れを単に「脈」と呼んだのは、それがまさに脈動するものだからで、決して心臓の拍動と混同したわけではありません。

宇宙の真理はおそらく、脈動でもあり、胎動でもあり、波動でもあることでしょう。
人体を小宇宙に見立てた古代中国人は、生命力とは脈動であって、もっとも原始的な脈を経絡の脈であるとしたのは、彼等の中ではなんらオカシナことでもなく、むしろ必然だったに違いありません。

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