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ストレートネック

 ストレートネックが増えています。

 レントゲンを撮るまでもなく、診て触ってすぐに分かります。

 なんでこうなるのか、構造的な代償作用としていくらでも説明できますが、それを説明したところで、現にある愁訴の問題は解決しません。

 歪みというのは面白いもので、それを矯正しようとすると、抵抗力が働き、中々矯正されませんね。(施術家なら経験があると思いますが)

 そこで、西洋手技ではその抵抗力を上回るスピードで対処しようとしました。
 所謂、スラストテクニックです。
 スラストテクニックは悪意を持って語られることが多いのですが、充分に熟練し、かつ「実」の症状であれば有効性が高いものです。

 しかし、一種のオタクみたいなところがあって、アンドルー・ワイル博士などは「手技を道楽で弄んでいる二流の医師」という印象があったそうです(フルフォード博士と出会う前まで)。

 一方、東洋的な方法論では、矯正する方向ではなく、歪んでいる方向に曲げると、むしろ歪みはその醜い姿を反省し、自らを正す、という考え方があります。
(西洋手技でもそういう技法はありますが)
 全てに当てはまるものじゃないことは当然として、これを臨床上経験すること度々。

 人間は機械じゃありません。生理的な反応というものがあります。
一見、逆のような操作は、まだ解明されていないかもしれない生理的な反応を利用したものなのでしょう。
(増永師の頚椎矯正法や橋本博士の操体法などに端的に見られる技法です)

 ストレートネックも無理やり湾曲をつけようとする方向での操作よりも、むしろ、一瞬、引っ張ったほうが湾曲が出ること度々(引っ張り続けるとダメなのは言うまでもありません)。
スラストにちょっと近いテクニックですが、有効だと思います。
(加減が難しいので、真似しないでください)

 こういう仕事をしていると、人体の不思議展を見学するよりも一層、その不思議感は強くなります。生きている人間相手ですからね、その多様な生理的反応には驚かされますよ。
(他の施術家達も同じでしょう) 

※ストレートネックの大半は胸鎖乳突筋という筋肉にトリガーポイントが形成され、短縮し緊張状態に長く置かれているために起きるものです。ですから、胸鎖乳突筋のトリガー処理が不可欠であることはいうまでもありません。

脛骨後方滑動不全

 距腿関節(足首)が自由に動くのは、脛骨と距骨の間に潤滑油(滑液)があって、しかも歩くたびに脛骨が後方に滑走するからに他なりません。なんらかの原因でこの動きが阻害されますと、スムーズな関節の動きが確保できず、歩くたびに痛みが出たり、足首に異常感は感じずとも、膝に障害が出たり、股関節の症状に表れたりします。
(腰痛にいく人もいます。これぞ三関節原理)

 どういうわけかこういう状態になっている人が多く、小生もその一人です。
 小生の場合は左足で床が抜けるくらい踏み込む癖があったという卓球の古傷です。
(現代卓球はそういう癖を選手寿命を短くするとして矯正するようですが)
 その他、野球、サッカー、バレーボール、空手、バスケなどの経験者も脛骨後方滑動不全が多いですね。

 10代の頃の酷使が50歳近くになって出るのですから、普通は因果関係が掴めず、己の不運さを呪うばかりになってしまいますが、原因というのは意外なところに潜んでいるという典型ですね。

 3回目の大江戸散歩巡りを敢行した際に足首の異変を感じ、放っておいたら、二日後、突然この症状が出てしまいました。授業中でしたから、ゆっくり足を揉むという時間もなく、かと言って、放っておくには痛すぎです。何せ、歩けないのですから。こりゃ困った!

 そこで、応急処置として、スタッフKに距腿関節と距骨下関節へのスラストを教え、休憩時間にやってもらいました。初めての割には中々上手くいったようで、痛みは引き、歩けるようになったのは幸いでしたが、根底には、運動不足のくせして急に散歩し出した、という迂闊さがあったものでしょう。

 人間50歳にもなれば、運動も慎重に、という教訓を学んだわけですが、気持ちだけは昔のままなのですから、困ったものです。

 「年寄りの冷水」などという格言もあるようですが、小生、断じて年寄りじゃないぞ!とは思っても身体は正直なようです。

※因みにこの症状は股関節操作によっても治すことができます。具体的には股関節筋である小殿筋、中臀筋を強圧し緩めるのです。経絡機序も働くのかも知れませんが、ほぼ根治できるから不思議です。

鬼手仏心

鬼手仏心(きしゅぶっしん)。

さる高名な外科医の座右の銘として有名になった言葉です。

 外科医は麻酔をかけるとはいえ、生身の身体をメスで切り裂きます。行為だけを見ると、鬼か悪魔のようですね。しかし、そこには『なんとしても患者の命を救うんだ!なんとしても社会復帰させるんだ!という言わば、仏のような慈悲の心があるはず。

 手自体は鬼のような行為をしてはいても、心は仏のような慈悲に満ちていなければならない!という外科医の自戒を込めた言葉として小生は理解しております。

 最初に足揉みが流行った頃、この言葉が転用されてよく使われておりました。当時の足揉みはとにかく痛いわけですから、施術者は鬼のように見える。しかし、早く治してあげたい、という仏心から発しているならば、それが許されるのだ、と。

 足揉みに限らず、日本の手技一般にも同じような時期がありました。「指圧は痛いが効く」という風評からやがて「痛い程効く」「痛くなきゃ効かない・・・・」と段々拡大解釈されていきました。この拡大解釈に貢献した言葉がこの「鬼手仏心」。

 増永先生は職員同士が施術をしあう臨床研究という時間の中で、自分の身体で痛い思いをさせてみて「いくらなんでも痛いのには限度というものがあるということが分かるでしょう」と職員を諭したと言います。
「痛いが効く」のではなく「痛くても効く」のだから「痛くなくても効く」のは当然なのだ、という内心の思いがあったらしく、先生自身の施術は余程過敏でなければ痛くなかったと言います。

 しかし、心地よいレベルの施術で効果を生むためには技術が要ります。痛くさせて効果を生むのは素人でも出来ます。心地よさを与えるだけなら素人でも出来ます。

 この効果と心地よさ両方を与えることが出来て初めて「技術」と呼べるわけで、当時の足揉みはとても「技術」などと呼べるものではなく、「鬼手仏心」を隠れ蓑にした素人集団ではありました。中には痛がっている様子をみて喜んでいる施術者もいたわけですから、これでは「鬼手鬼心」です。

 当時、小生も素人の一人ですから、鬼手仏心とばかりに生理的に痛い施術をガンガンやっておりました。

 しかし本質的にサドっ気があるわけではなく、疑問を感じていくわけですが、ここら辺はブログにも何度か書いているので省略します。
 言ってみれば、技術に目覚めた、というところでしょうか。

 ともあれ、一つの格言はいかようにも都合の良いように解釈することができます。「鬼手仏心」は外科医にこそ必要な言葉だと思いますが、手技法においては誤解させる格言ともなりかねません。

スジ揉み

昨日のクライアントさんには考えさせられました。

明生館オープン間もなくなからご贔屓頂いている方です。

でも中高年のオアシスと言われている明生館のクライアントとしては若いんですよ、整体初体験がウチでしたからねぇ。

当時を思い出します。可愛い姪が初めて整体院に行くにあたって、変なところだったら大変!とばかりに、先に伯母さんが偵察にやってきました。その伯母さん、今でも来院していますけど。
(スタッフKも可愛い姪がいるようで、気持ちがよく分かる、と共感しておりましたっけ)

ともあれ、仕事が相当に忙しい様子。
その仕事がまたグラフィック、デザイン系でパソコンを使いまくり、目を酷使しまくり状態です。目が極端に悪いので、コンタクトをしているうちに、ドライアイになってしまって、もはやコンタクト装着もできないそうです。(メガネのお姉さんになってしまいました)

当院オープン以来、時々、耐えられなくなってくると、来院するという不定期リピーターなのですが、最近は忙しく過ぎて、中々お見えになれませんでした。しかし、肩こりはいかんともし難く、仕事に影響が出てしまうくらい。

会社のすぐ近くの整体屋さんで、30分程肩を解してもらって仕事に復帰するというパターンを繰り返していました。身体をダマシダマシ使っていると・・・・そんな生活だったそうです。

ところが、そこの整体屋さんはスジ揉みをするらしく、肩周辺は我慢できるにしても、首スジだけはどうにも我慢できない不快感があるそうな。
 
そこで、首だけはパス(首を揉まないでくださいとお願いするとのこと)。
スジ揉みは按摩、マッサージの変法で昔からある技法です。
 
このやり方で満足する人もいるわけですから、現在も続いているわけですし、それを採用するお店もあるわけですが、ある種の人たちには耐え難いものになります。

何を隠そう小生も、スジ揉みをされると揉み返しが酷くて、翌日にはパンパンに腫れ上がってしまいます。

特に首はキツイ!首スジをゴリゴリと音が出るくらい弾くように横に揉むのですから、たまったもんじゃありません。そういう個人的な体質もあって、スジ揉みは絶対にしないのですが、これでないと満足しない人もいるわけですから、人の感性とは様々です。
(慣らされた、というのが真実でしょうけど)

そのクライアントさんは小生の感性に似て、スジ揉みが苦手なのはある意味幸いなのですが、困ったことに肩は解され、肝心の首は手付かず。
 
どうなるか?
首、特に後頭骨の近いところにコリがドンドン溜まっていきます。これではメマイが出ても、吐き気がしても不思議ではありません。
(事実、そういう症状で来院したのですが)

術後、愁訴の消失をみましたが、問題はそれがいつまでもつか・・・・
(まだ若いのでもってくれると思いますが・・・・なにせライフスタイルが・・・・)

このご時勢、仕事を変えるわけにも行かず、このように自分の身体をダマシながら続けている方も多いのでしょうね。
クイックマッサージが流行るわけだ。
 
手っ取り早く解すには「スジ揉み」ということになるのですが、述べたようにかなり弊害があります。

いつも思うことですが、これらスジ揉みをする所謂プロと言われている人達は自分がされて不快に思わないのかな?と。

これはこの業界の七不思議の一つなのです。

※因みにその方、肩は解されてまだ良いほうだと、おっしゃっていましたが、全然です。余計に硬くなっていました。より優先度の高い不快感を感じるという脳の錯覚です。首のコリを強く感じると肩は気にならなくなる。胃が猛烈に痛むとき、肩こりなど感じている暇がないのと同じ現象です。だから全身的アプローチが必要なのですが、一般には中々理解されないところにもどかしさを感じますね。

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