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がんもどき

最近、機会があって、昔話題になった「患者よ、がんと闘うな」(近藤誠著)を再読しました。何度も読んではいたのですが、ジックリもう一度読んでみようと思う出来事があったわけです。

この本が最初に出版されたのは1996年ですからもう随分前の話ですね。しかし、社会現象にもなったくらいですので、記憶にある方もいらっしゃるでしょう。

知らない方のためにザッと説明しますね。

この本の骨子は近藤仮説、通称「がんもどき理論」と言われているものです。
近藤氏は放射線科の医師として、ガン患者を無数に診てきた経験と各種の統計データとを照らし合わせた結果として、この理論が作られたのですが、これがかなり独創的で、既存のガン関係の権威者及び、製薬会社にとってはトンデモ本となってしまいました。

権威者や製薬会社にとってトンデモ本でも、一般人は真実が知りたい、真実だけが大事、です。そういった意味で大方の予想を覆し、ベストセラーになったわけでして、その当時、別に自身ガンでもなく、身内にガンがいるわけでもないのに、早速買い込み、夢中になって読んだ記憶があります。

近藤医師のいう「がんもどき」というのは生検でガンと判定されても、その内容が違う場合がある、ということに尽きます。

ガンはもともと転移を内包するガンと転移しないガンがあるという仮説を立てたのです。
遺伝子レベルで検査しないと、転移するガンなのか、転移しないガンなのか分からないので、病理医は度々、というか、かなりの頻度で誤診しているというわけです。
(顕微鏡で見ても絶対に分からないものだと・・)

もちろん当時も現在もどのような遺伝子構造であれば転移し、或いは転移しないか、は解明されていませんので、仮説でしかありません。

しかし仮説というのは、単に思いついただけで立てられるものではありません。その仮説の信憑性を高めるべく、様々な統計を用い、それを証明しようとします。

その論理的でかつ緻密な仮説展開は当時、頭デッカチの小生にはピッタリでした。感心することシキリでしたねぇ。

もともと遺伝子的に転移しないような構造をしているガンは、どんなに顔つきがガンと同じでも、もはやガンと呼べるものではなく、「がんもどき」としか言いようがないというところから、がんもどき理論と呼ばれているわけです。

若し転移内包ガンだとすれば、早期発見時点ですでに転移は始まっており、治療は無駄に終わり、若し「がんもどき」であれば、転移しないのですから、早期発見しなければいけない理由はなくなります。

これを様々なデータを使って説明していくわけですが、これに対する説得力ある反論はないのが現状です。
 
当時からこんにちにかけて、ガンの一番の退治法は早期発見だ、というガン関連医師、業者、行政の主張を根底から覆す理論ですね。

有力な反論が出来ないのであれば無視するのが一番良いに決まっています。近藤医師は行政を含め全てのガン関係者を敵に回したわけで、黙っていれば慶応大学で出世し今頃教授になっていたものを・・・とちょっと同情しますが、そのことに一番悩んだのは本人のようです。
 
これを発表すれば、出世の道は絶たれるだろう、と。しかし、自分が言わなきゃ誰も言わないという使命感から書くに至ったものなのでしょうね。

世に言うガン本の中でも、「ガンはこれで治る!」みたいなホントの意味でのトンデモ本じゃなく、ある意味救いがない論と捉えることもできます。患者や家族は一縷の望みをどこかに持つものです。

医師の薦めに従って、抗がん剤も使うでしょうし、手術もするでしょうし、多量の被爆も受けるでしょう。そうしたことも転移内包ガンであれば、意味がなく、というかQOLの著しい低下を招き、尊厳ある死に至らないケースがあるかもしれません。
 
しかし「がんもどき」であれば、臓器を切り取った分だけ、抗がん剤で正常細胞を傷つけた分だけ、大損してしまうことになるわけです。

どちらにせよ、ガンに対するアプローチが根本的に間違っていることになる、ということは一体なんだったの?と患者側も認める気にはならないでしょうね。

近藤医師の怒りの矛先は抗がん剤と手術にも向けられます。専門である放射線療法も今のやり方は非常に危ないと警告します。
(一部のガンは例外です。悪性リンパ腫や小児白血病などは抗がん剤適応と述べています)

じゃ、どうすれば良いわけ?ということになるのでした。ガンか「がんもどき」を峻別する方法はないわけですから、患者自ら人体実験するしかなくなります。結果として、転移内包ガンであれば、実にアンラッキーだったと・・・・あらゆる治療法は功を奏さないものだったに違いないと自身を慰めるより仕方ありません。
(しかし後悔は残るでしょう。若しあのとき手術、抗がん剤、放射線の道を選択していれば・・・と)

結果として転移しない「がんもどき」であれば、実にラッキーだったと・・・選択は間違ってなかった、といってどっかの時点で腫瘍を切り取るか、放射線で縮小させるか。

運を天に任せサイコロを振るようなものです。こういう選択を迫られるのですから、「がんもどき理論」は一般に浸透しなかったと言えるのだと思うわけです。
命は一つしかないので、多数派の意見を取り入れるに如くはありませんよね。

小生、この理論を知って20年近く経ちますが、その間、様々なガンの方を見聞きしてきました。

近藤仮説が真なり、と判定する資格はありませんが、この理論を取り入れると、ガンに対する疑問がかなりスッキリとクリアーになるのは小生の頭が狂っているという理由以外では多分に真理に近いという理由が当てはまるのではないかと・・・

本当のところを知るには遺伝子工学のさらなる発展を待つしかないのですが、小生が生きているうちは無理でしょう。

おそらく皆さんも。

ダイエット

身体の調子があまり良くなく、食欲がなくなってきたのを機にダイエットした方がいらっしゃいます。合計5キロ。
 
5キロといえばまあまあ。見た感じで細くなったことがすぐに分かります。

体重がトータルで何キロ痩せたか?ということに目が行きますが、それだけだと非常に問題があるようです。

痩せる部分は大まかに二つあって、一つは筋肉、一つは脂肪。
痩せたいのは脂肪であることは言うまでもないでしょう。

さて、その方、脂肪と筋肉の痩せた割合を測ったところ、どうだったか?
脂肪の部分1500グラム、筋肉が3500グラム、計5000グラム、つまり5キロ。

5キロ痩せてもその70%は筋肉であったわけです。

それでどうなるか?というと、リバウンドがきますわね。
このリバウンドがきて体重が元に戻ったとき、述べた割合で戻るかというと決してそうではありません。
 
筋肉は使わないと発達しませんから、当然ながら脂肪の部分が多くなって元に戻るわけです。
 
つまりは、「体重が元に戻りました」しかしそれは決して前と同じではない・・・と。脂肪が余計について元に戻るわけです。

昔から単純に食事の量を減らしてダイエットするのはよろしくない、と言われていますが、そういうことなんですね(必須ミネラル等の摂取の問題もあります)。

そのようなダイエットを繰り返していくと、筋肉がドンドン脂肪に置き換わって、外見上、メタボじゃないのにメタボになるというわけです。ダイエットは適度な運動が必要な所以です。

しかし運動と言っても身体があちこち故障してくると、そうそう増やすことが出来ません。中高年以降の正しいダイエットが難しくなる理由かもしれません。

もう一つはすでに筋肉量が減っているため、脂肪の燃焼をサポート出来ず、体重が落とせないという現象にも遭遇して、もはや諦めてしまうということにもなりかねないわけです。

逆に食事量を減らさず、運動でダイエットしますと、筋肉と脂肪では単位当たりの重量が筋肉のほうが重いため、さっぱり体重が減らないという現象もあり得ます。

脂肪が減って筋肉がついてくるある時点では逆に重くなることさえあります。

そういうこともあると思ってメゲズに運動に励むと良いのですが、述べたようにもはや過激な運動が出来ない身体になった年代の人は気長に取り組むより他ありません。

パターン認識

以下の文章が今、話題のコピペ。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

読めますか?
ひらかなばかりなので、読みづらいと言えば、読みづらい。しかし、その点を除けばさほど違和感なく読めます。これ読書量が多い人ほど違和感なく読むことができるわけ。
注意してみれば文中にもあるように、文字の順番がメチャクチャにも関わらず。

人間の脳は、文字を一個一個読んでいるわけではなく、一塊でパターン認識しているわけです。だから、自分の書いた文章の誤字、脱字を発見するのは難しいのですね。

漢字も読めるけど書けない人が多いのは、読む際細かい部分まで認識せず、パターン認識しているわけです。別に悪いことじゃありません。このパターン認識力がないと、本一冊読むのに膨大な時間がかかってしまいますから。

慣れてくるとセンテンスごとパターン認識しますので、読むのが早くなるのですが、同じ作家のものはある種の文体の癖がありますから、ある作家にハマリ、その作家の作品ばかりよんでいると(別の作品でも)、余計、早く読めるようになります。

前述した文例とその現象についてネット上では不思議体験として盛り上がっているようですが、不思議でもなんでもなく、昔から言われていたことです。

翻って施術で考えれば、細かい部分では人の身体は無限の違いがあるようにも思えますが、経験するうちにパターン認識できるようになります。

実はこれが「証」というもので、「証」とは一種のパターン認識だと喝破したのは増永師をして嚆矢とするのではないかと思います。

受験英語でも長文読解で苦労した方も多いと思いますが、ある程度、単語や熟語を覚え、長い文章の英語を読んでいきますと、ある日ある時、突然パターン認識できるようになって、スラスラ読めるようになります。
 
同じような現象です。
そこまで、地味に単語を覚え、熟語を覚え、さらに文法を覚えていくことができるかどうか?それができるかどうかの違い。人間の能力の一つですからたいしたことじゃない(努力という意味ではたいしたことなんですけど)。

単語を何故覚えるか、熟語を何故覚えるか、文法を何故覚えるか。
覚えるために覚えるのじゃくて、このパターン認識を会得するためのものです。

施術における技法もまた、最終的にはパターン認識するためのツールとしての役割があるということを忘れてはいけません。

腹証あれこれ・・・

 腹証を題材にして開催した三水会はもう一年も前になりますか・・・早いものです。

 前にも書いたと思いますが(或いはHPか)、小生に腹証の意義を再認識させた人は増永師の他にあと二人ほどいます。
 たくさんの記事があって、全部読んでいない人のために、もう一度簡単に書いてみましょうか。

 一人は出光興産の創業者(出光左七氏)。90歳を超えて尚、陣頭指揮を執っていたというもはや伝説上の経営者ですね。この方、幼少の頃より身体が弱く、20歳まで生きられないだろうと言われておりました。様々な病気に罹り、医者の予言が当たりそうな青年期を過ごしたそうです。
 そんな中での青年期、誰かから「腹を押す」と、これ以上の健康法はない、ということを聞いて、実践したそうです。

 すると様々な症状や病気が治っていって、一見腹とは何の関係もないような病気も治ったらしい(例えば歯槽膿漏とか)。それ以来、不調があれば腹揉み、小さな病気でも大きな病気でも腹揉みで全部治してきたそうです「あれはどんな病気でも治せるんだよ」と述懐しておりました(城山三郎との対談で)

 それを読んだとき、すでに増永師を通じて腹証のことは知っておりましたから、(なるほど、施術家じゃないけど、腹証の生きた実践者がここにいたんだなぁ、腹証ってやっぱ凄いんだなぁ)と再認識したわけです。

 90歳を超える天寿を全うしたのですから、大往生ですね。そして一代で築き上げた事業も現在後継者によって継続されています。
 出光の社員は腹証に感謝しなきゃいかんな-(小生、取引の関係で共同石油と縁が深かったのですが、出光石油にはそういう意味でシンパシーを感じているのです)

 もう一人は北里大学東洋医学研究所、初代所長の大塚敬節先生。
 この先生も文才があって書いたものを読むと、分かりやすくとても面白いのです。
「目が悪くても、足が悪くても、漢方では腹を診るんですよ、そこに原因があるんです」
と、目が悪いと言っている患者が怪訝そうに思っているのを察知して、優しく説明する件は人柄が滲み出ていて、名医だったんだなぁ、としみじみ思えます。

「中国においては滅んで伝わらず、日本人が日本人独特の感性によって作り上げてきた腹証は世界に誇る独特の診断法である」
 この一文に接したとき、小生日本人ですから、日本の先人達が並みの苦労じゃない苦労をしながら作り上げてきた腹証を無視することなど、絶対出来ない、と強く思った次第。

 漢方では腹を診ずして、診断が出来ないほど処方と腹証は密接です。
 逆にいうと腹を診ないで処方された漢方薬はかなりあてずっぽうで「証」が合わない可能性が高いわけだ。症状を聞いて、処方するのはまあ、医師でなくとも出来ます(薬剤師でも)

 腹部の施術だけ行って、処方しないのは手技の分野ですから我々も出来る。

 ところが、これが組み合わさったとき(つまり腹証によって診断し、処方すると)、医師できゃ出来ないというのが現行法での解釈です。
 しかし、医師の資格を得るのに腹証など必要ありませんから、これに通じている医師は極めて少ない、とまあ、こんな感じの状況なのです。
 だから、北里大学の東洋医学科などは予約しても三ヶ月も待たされる、ということになるわけ。

 せめて、手技において腹証を取り入れ、病気の根っこの部分に触れないとご先祖様に申し訳ないな、と、そんな風に勝手に解釈したわけです。

 よもや、出光の創業者も大塚先生も、一人の若き施術家(当時)がそんな勝手な解釈をして施術に取り入れるなどとは思ってもいなかったでしょう。

 優れた人の影響力というのは持続し、波及していくものですね。

 そんなこんなで、あれこれ・・・です。

 因みに腹部のリフレというのも最近あるらしい。
 人の商売にはケチはつけませんが、せめて、増永先生の著作や大塚先生の著作くらい読んでからにせい!と言いたくなるのは単なる僻みなのかな。

 全息胚(反射区)は理論的には身体のどこでもあり得るものですから、腹部をリフレの対象にしても構わないのですが、それにしても安直過ぎる。っていうか浅い。

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