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指をポキポキ鳴らす癖

指をポキポキ鳴らす癖のある人は結構多いものです。指だけに限らず、首や腰まで鳴らす癖をもっている人さえおりますが、皆さんの回りにもいらっしゃるのではないでしょうか。或いは自分自身かも。

造船工学でいうところのキャビテーション・エロージョンという現象によって、関節や関節の包む膜などが肥厚し、動きづらくなると言われております。
 
要は衝撃波によって関節及び関節周辺組織がダメージされるので、やめたほうが良いよ、というアドバイスが一般的であるわけです。

自分で鳴らすというのはこれはもう癖で、際限なくやってしまうことになるので、このアドバイスはおそらく正解でしょう。

ではどれくらいの頻度でどれくらいの年月鳴らし続けると、どの程度の関節ダメージがあるのか?
 
実はこの研究はほとんどなくて、確かなところが分からないのが実状です。
こんなのは統計を取るのは至難の技ですから、当然といえば当然でしょうな。

個人差があるということを前提に、ある人がその癖を持っていて、鳴らし続けた結果のレントゲン写真を見たことがありますので、コメントしたいと思います。
(あくまで個人差があるということを忘れないでください)

その方60歳の男性。
20歳のときから、つまり40年間、左手の小指を鳴らし続けていました。
一日の頻度は数十回。(本人数えてないので大体それくらいという印象しかない)
 
仮に20回とすれば、20回×365日×40年=292000回
約30万回だ。
 
小指は見事に変形し肥厚著しく、可動制限が甚だしいものになりました。
レントゲン写真でも素人が診て、分かるくらいの変形があるわけ。

ただ、おや!と思うのは小指以外にも薬指を鳴らす癖があったらしいのですが、こちらは一日数回の頻度だったらしい。薬指の変形は全くなし。自覚症状もなし、レントゲン所見も異常なし。

この人の関節(指)耐性は一日数十回で40年間では異常が起こるけれども、一日数回なら40年鳴らしても異常が起きないということになります。これが全部の人に当てはまるわけではないですし、他の要因もあるかもしれません。
しかし意外に関節耐性はあるものだなぁ、と逆に感心しましたね。

何度も言いますが、個人差がありますから、これをもって一日数回程度なら鳴らしていても大丈夫だ、と判断しないでほしいのですよ。
 
癖というのは際限がなくなりますから、やっぱり自分で鳴らす癖は止めたほうが良いという一般論に与する立場は変わりません。

関節を鳴らすのは専門家に任せた方が無難です。
(指を鳴らす専門家なんていないか・・・・・・)

専門用語

専門用語は結構、厄介で面倒くさい。

前にも書きましたが、頭蓋骨は一般には「ズガイコツ」で良いわけですが、専門用語では
「トウガイコツ」。一般の人にトウガイコツというと(このセンセ、漢字の読み方知らないんじゃないかしら?)などと思われるかもしれません。

リンパ腺は「リンパ節」ですし、副甲状腺は「上皮小体」、さらに副腎は「腎上体」。リンパ腺を除いて、医者でも副甲状腺や副腎というわけですから、ここら辺はあまり気にしなくても良いでしょう。

さらに厄介なのは「反射」という言葉。
医学的に反射というのはちゃんと定義されているもので、脳を介在させない神経反応のことを言うわけです。脳に到達して、脳から指令が行くことを「反応」というのですが、こうなるとリフレクソロジストは混乱のドツボにハマります。

リフレクソロジーは反射療法と訳されるわけですから、反射区とか反射帯とか反射域とか呼ぶことになるわけです。

すると「大脳の反射区」というのは、ちょっと変ですね。
脳に到達しているわけですから、「大脳の反応区」と言わねばなんないのかぁ、とか。
その他、小脳の反応区、脳幹の反応区・・・・
ありゃりゃ・・・痛みとか、ある種の刺激を感じるのは脳が感じているわけですから、それが治癒機序になる場合は他の部位でもやはり「反応区」と呼ぶのが正解なのかぁ??

まあ、あんまり深く考えないほうがよろしいかもしれません。
習慣的にそう呼ぶ、と・・・割り切ったほうが良さそうです。

治療家なら、反射というよりも反応と呼ぶにふさわしい治癒機序が働いているとしか思えない場面に遭遇します。安心感、信頼感だけで愁訴の消失をみたりするときは、まさに大脳反応なわけです。

一流の治療家はこの反射と反応を上手く使い分けているもので、施術は全人格的なものであるというのは、そういう理由があるんですね。
 
どんな凄い技術を習ったとしても、こればかりは教えられるものではありません。
せいぜい、そういうものであるということを伝えるのが精一杯でしょう。

そんなことを思いますと、施術はシンクロナイズドスイミング(フィギュアスケートでも良いのですが)に似てるなぁ、と思ったりもします。

技術点と芸術点の総合点で競われるわけでしょ。芸術点が高くても技術が平凡なら、メダルは取れませんわ。その逆も同じです。
まあ、バランスですな。

どんな分野にも通じるのかも知れませんね。

痰飲湿邪

痰飲湿邪=(たんいんしつじゃ)と読みます。中医学の独特の病態、というか概念。字を眺めていると、なんとなく意味が分かってくるのですから、漢字というのは便利ですね。

そう!水分代謝が悪くなって、滞留し、それが好ましくない症状を現出させている状態のことです。中国の漢方医(中医)が日本に来て驚くのは、中国人とは比較にならないくらい日本人はこの体質を持っている人が多いことだと言います。気候風土、食生活から来る国民的体質と言っても良いかもしれません。

身近な感覚でいうと浮腫み体質もこの範疇に入るでしょう。実際、施術をやっていますと、日本人に多いというのは本当のことだな、と痛感します。

施術の中間で休憩を取るのですが、その時にお手洗いに行きます。
さらに施術が全部終わった後でもお手洗いに行く方が大半です。
都合、2回行くというのが標準的なパターンですが、全体の割合でいうと8割は超えるのではないでしょうか。

余計な水分が排出されるという意味でデトックスになるわけですから、決してその現象そのものは悪いことではありません。しかし、そういうタイプが多いということは、とりもなおさず痰飲湿邪の体質を持っているということをはからずも証明することになって、様々な愁訴の原因になっている、もしくはなるであろうことを示しているわけです。

水分補給は非常に重要なことではありますが、それを吸収し順当な“流れ”に乗せることが出来る体質のほうがもっと重要です。

なぜなら、水分の滞留は体内の水分自体の劣化を招き、人によってはボウフラが湧いてしまうからです。
 
ボウフラは冗談にしても、老廃物も一緒に排出されず、全身老廃物の塊みたいな人になることは間違いありません。

自分が痰飲湿邪であるかどうかは、簡単に分かります。
述べたように施術中、施術後のトイレの回数が2回を超えるかどうか。
 
夏場は汗が出ますから、もう一つの基準、施術後、ウエスト回りが減少しているどうかでも分かります。
 
人によってはベルトの穴二つ分くらいウエストが締まるのですが、これは脂肪が燃えたからではありません。腹部の浮腫みが取れたからに他ならないのです。

足の浮腫みや顔の浮腫みは気付きやすいのですが、腹部の浮腫みはほとんど自覚がありません。こういったことも理解しながら、施術を受けると、楽しみが増えるのではないでしょうか。

スパズム

スパズム・・・クッキー先生のブログにも登場しました。我々の間では「筋スパズム」などという言い方をして、頻繁にお目にかかる言葉です。

英語のスペルではspasm。汎用的な意味でひきつけ、痙攣、発作などと訳されます。ギリシャ語起源のラテン語由来の英単語だそうです。クッキー先生も書いています通り、汎用語としてはともかく、医学的な意味で統一された定義はありません。

小生、学者じゃありませんから、ある時は筋拘縮、ある時は神経伝達の阻害原因たる組織拘束、もっとくだけてコリみたいなもの。東洋医学的には実のコリ、場合によっては虚のコリ。などという風に理解しております。

このような理解でも実務上の問題はないので、特にこれを取り上げ授業を行ったことはありません。要はなんらかのブロックがあって、それが何らかの不都合を呼んでいるそこにある病変部ということじゃないでしょうか。関連痛を惹起させたり、可動制限を生じさせたりする軟部組織の不正常さを高等な言葉で表すと、このような表現方法を採ることになるのではないかと・・・

「肩甲挙筋に筋スパズムが発生して、肩甲骨の挙上が制限され、同時に筋膜を通じて頚部への関連痛を引き起こしているようです・・・」と述べるのと、「肩の筋肉がコッて肩が挙げづらいのですね、首の痛みも肩のコリから来ているようですよ」と述べるとでは、どちらがカッコいいかというと、自己満足的になら前者でしょう。

しかしクライアントはおそらくチンプンカンプンに違いありません。術者が説明する際は後者で行うのが普通です。
 
フルフォード博士は決して専門用語を使って説明することはなかったといいます。
これを持って知識不足というのは大きな間違いで、難しい概念を易しく述べるのは相当に深い知識が要求されます。

しかし、整体を勉強したばかりならいざ知らず、10年も経験してそのような概念及び事実がある、ということを単に知らないということもあり得ますから、話は面倒くさいわけです。

症状のあるところを揉めば良くなる!ばかりに何でもかんでも揉み潰す技法を行っていたのはれっきとした指圧・按摩・マッサージ師達であったわけです。
 
ましていわんや民間資格たる整体業に至っては、身体的におそろしいことをやって平然としていた歴史があります。
(今もあるかも知れません)

術者の信念が治療効果を左右する、というのは一つの真理ではあります。
なんの根拠もなく信念を持てる人は別の意味でアブナイ人ですから、これは別として、普通、信念を持つに至る知識と経験があるはず。
 
そういう意味で、様々な考え方や概念、或いは事実を学ぶのは大変有意義なことだと思いますね。
 
すると、言葉は違ってもある共通項を見出すことがあります。
 
共通項を見出せば、自信を深めることにつながり、よそ様の体系にケチをつけることもありません(余程理に適っていない場合は別ですけど)。

よく西洋手技法系の初心者達の議論を聞いていると、内輪だけで通用する専門用語が飛び交います。たまにその意味を聞く質問者がいると、そんなことも知らないのか、氏ね!という生意気な若僧がいるのですが、身体の不都合を表すのに、その分野では特異的な表現を用いて概念の共有を図っていることに気付いてないわけです。

同じことを別な体系では別な特異的な表現を用いることだってあるわけです。
私は細胞における原形質流動がゾル化できない状態に陥ったとき「実」と呼び、ゲル化できないでいる状態のとき「虚」と呼ぶ東洋的表現のほうがはるかに筋筋膜の不都合を表現するのに豊かなものだと思っています。豊かだとは思っていますが、この概念を説明するには煩雑過ぎますから、単に拘束と言い、ブロックというわけで、モノを知らないからで はありません。
 
この上、筋スパズムまで持ち出すと、またまた煩雑になり、どう違うの?という答えに窮する質問が出てくるに決まっていますから、あえて酒て、(もとい)避けているのです。

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