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理屈

 漢方史上、今に名を残す江戸時代の学医「香川修庵」(かがわしゅうあん)。

 この人は大変に頭の良い人で、古今の文献に精通し、自在に引用できる能力があったらしい。(論文多数)

 漢方は専門外ですから読んだことはないのですが、現代まで名前が残っているということ自体、優れた論述家だったことを表してしていますね。

 ところがこの修庵先生、患者さんを相手にするのは苦手だったらしく、「香川の療治下手」は当時、京の七不思議の一つに挙げられていたそうな。
 これをもって「学医、匙がまわらぬ」(学問としての医学を修めても実際の治療は下手くそ)の代表格になっています。

 漢方の世界では「医は意なり」(経験と勘によって臨機応変に対応すること)と言われており、必ずしも、学問としての医学に精通すれば良いというものではありません。
(これは西洋医学でも同じでしょうね)

 ところがこれを楯にとって、さっぱり勉強しない漢方医が続出したそうな。
 その風潮を見かねて「意は学より生ず」と警鐘を鳴らした漢方医もいるわけですよ。

 漢方の世界でさえ、そうなのですから、手技なんぞ勉強する人などいるわけがなくて、結局、慰安的なものに衰退していくわけです。

 また、勘の良い人は、ホントに勉強しなくても、ツボ処を捉えるのが上手くて、こればかりは天性のものだろうな、と思うこと度々です。

 しかし、本能で捉えるツボ処はそれで良いかも知れませんが、技法も高度になってくると、本能的にできる人はいません。相当に訓練しなきゃいけない。

 そのとき、理屈(原理)を理解していないと、上達が実に遅い。私の経験でも、いくらビデオを観て、いくら練習してもさっぱり出来ない技法がありました。

 ところが、原理そのものをもう一度再学習すると、何故、出来ないか?ということが明瞭に分かるのです。(だから突然できるようになる)
 頚椎スラストを例にとると、結局、「屈曲」「側屈」「回旋」(頚椎の場合)の三つのパラメータの按配によって決まります。この三つの要素によってしか力の限局化が図れないわけで、これを理解していないと、行き当たりばったりになってしまって、もはや技とは呼べないシロモノになってしまいます。
 三つの要素のどの部分を強めるかによって、色んなバリエーションが出てきて、術者の個性みたいなものが出てきます。さらに椎骨の可動性の違いを理解すると上部頚椎と中部頚椎と下部頚椎では三要素の強調部分が違ってくるということが分かるわけ。

 そういう経験から理屈もやっぱり大事だということが分かるわけです。
 理屈が勝ち過ぎてもイケナイけれども、軽視しても修得が遅い(若しくは出来ない)。

 結局はバランスの問題になって、なんともありふれた結論になってしまうのですが、「意は学より生ず」とは一言で言い表す実にウマイ表現だと思います。

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