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桂枝(けいし)

先日、遅ればせながら「レッドクリフⅡ」という映画を観ていたら、曹操の陣営で疫病が蔓延するシーンがありました。

漢方史上もっとも有名な医師-華陀(かだ)が曹操に「病の勢いは如何?」と問われ、如何せん桂枝が足りない!と答えておりました。

桂枝は言うまでもなく、シナモンのことです。
最近ではシナモンスティックなるものがあって、それでコーヒーかなんかをステアするのでしょうね。このシナモンスティックはまさに直訳的に桂枝です。

桂枝が生薬として初めて登場するのは「神農本草経」という薬草書なのですが、これは世界最古の薬草書として有名です。丁度、後漢時代の書ですから、華陀がそういったのは、まあ、考証学的にも合っているなぁ、と。

漢方のバイブル-傷寒論という書の一番最初に出てくる方剤が桂枝湯という薬方。
一番最初に出てくるくらいですから、基本中の基本方剤です。
この方剤、現在も使われていて、医師が判断すれば保険適用もありです(少なくと現時点では)。

桂枝湯は非常に単純な配合からなっていてわずか5つの生薬の組み合わせです。
桂枝3~4 芍薬3~4 生姜4 大棗3~4 甘草2

あらら、前に書いた葛根湯によく似た配合ですね。
葛根と麻黄が入れば、葛根湯になるわけで、そこから考えると、葛根湯よりは発汗作用が弱く、汗をかきやすい虚弱な者にも使用することができるものなのでしょう。

ところでこの桂枝が配合されている方剤は基本だけあってとても多くの漢方方剤に入ってます。
先の葛根湯にしてもそうですし、「桂枝~湯」「桂枝~丸」と桂枝が頭にくる薬方名がボクが知っているだけでも7つ8つほど。

桂枝の名前がなくとも、有名どころでは「安中散」「十全大補湯」などにも入っているんじゃなかったかな。

むかし、ミスタードーナッツでシナモン風味のドーナッツを食べたとき(あらっ、なんて美味いんだろ!)と思ったものです。
桂枝の薬効の一つとして、整腸作用もあるらしく、腸の弱い私には身体に合っていたんでしょうか。(身体に合うものって美味しく感じますからねぇ)

それはともかくとして、レッドクリフ(赤壁)の戦いの場所には諸説があるようです。
映画では現在の胡北省のようでしたが、微妙な位置関係ですね。
桂枝の原産地は中国南部からベトナムにかけてですから、思いっきり遠いわけでもないですし、近いわけでもありませんので(当時の交通手段から言って)。

大量に桂枝が必要なほど疫病が蔓延していたんだとすれば、調達するに少し時間がかかったんではないかなと・・・ちょうど設定に合いますね。

基本的には物語ですが、史実でもあります。
随分細かいところに神経を使う脚本だなぁ、と感心しながら観ておりました。

私みたいに桂枝という言葉に反応する観客も想定しているのかもしれません・・・・

コリ

 “仕事”をするときは必ず、筋肉の収縮を伴います。
 こうしてパソコンを打っているときも、施術を行うときも、料理を作るときも、歩くときも、走るときも・・・筋肉の収縮機能がなくなれば、全身不随で寝たきりにならねばなりません。

 ですから、仕事とは筋肉の収縮のことをいうわけです。
 “伸展筋”という言い方がありますが、便宜上の呼び方で腕や足を伸展させるときに“収縮”する筋肉のことです。

 ある筋肉が収縮するとき、拮抗筋は伸展するわけですが、これは力を抜いているという状態であるだけで、意思によって伸展させているわけではありません。

 効率の良い身体の使い方というのは、収縮すべき筋肉以外の筋肉を如何に収縮させないか、ということになり、これを「脱力」というわけです。
 逆に「力が入り過ぎ」という状態は拮抗筋まで収縮させようとしている状態に他なりません。

 これはスポーツ経験者ならよくわかる身体特性でしょう。
 重心の移動がスムーズで、かつ拮抗筋に力が入らないようにできれば、まあそれなりに身体動作の巧者となれるわけで、俗に言う運動神経の良いヤツだと評されます。

 さて、筋肉の収縮は意思によって行われのですが、先に「気持ち」が動き、後、神経伝達として指令されます。仕事を終えたらなら、収縮命令が解除され、元に戻ります。
 ところが、神経指令の解除がなされているにも関わらず「気」だけが残っている状態というのがあり、これがコリの本体、若しくは正体であると・・・
 無意識のうちに仕事を残しているわけですね。

 つまりコリというのは「気の残り」(きののコリ)、「残り」の「こり」から来た言葉で、後に凝りという漢字が当てられました。最初にこの言葉を使ったのは夏目漱石だと言われております。

 ですから施術者がコリを取る態度というのは、「揉み解す」のでもなければ「押し潰す」というものであってはよろしくないのです。
(便宜上、揉み解すくらいの言葉は使うけれども)

 意識としては気の残りを“誘導”するというイメージになるでしょう。
 実際、見た目では分からないのですが、施術者自身のイメージとしてその感覚を持たねば、物理的に筋肉を傷めてしまうことになりかねません。

 変な言葉ですけど「残った気を誘導し、元に戻す」態度が施術者として正解です。これは施術者の心の有り様の問題ですから、見た目では中々区別がつかないものです。

 私事で恐縮ですが、若い頃(と言っても30歳くらいまで)、足の施術だけで、コリが誘導されて、肩までスッキリしたものです。
 しかし、歳を取るにつれて、足だけでは中々誘導されず、肩を揉んでもらいたい気持ちがよく分かるようになりました。
 そのあたりくらいから、施術者として肩くらいは解してやろうと、そういう気持ちになるのは必然ですわね。

 最初は物理的な筋肉しか頭になかったですから、力を入れるか入れないかだけの加減。はっきり言って下手くそ検定があったら100点取れるくらいでした。
 今はお上手検定90点くらい(100点にならないのは、これはしょうがないでしょ、要所の判断を間違えるときもありますから)。

 下手くそ検定100点とお上手検定90点では実に190点も差があるわけで、この差は一重に「誘導」という概念があるかどうかにかかっています。
 昔とやってることは大して変わってるようには思えないのですが、「誘導」という概念から施術を組み立てていくと、効果はまるで違います。
 余計な力は入らないですし。

 ところが今でも気張って、肩こりを取ってやろぞとやる気満々でやってしまいますと、昔の下手くそ時代に逆戻り。
 中々気持ちのコントロールというのは難しいものです。

 強烈なスジ揉みや激しい強圧に慣らされた方も来られます。
 こういう方は中々誘導できません。
 組織が癒着してるんじゃないかな、と思うくらい頑固なコリでお手上げの場合もあります。

 どんなに頑固なコリでも上記のような経験を持っていなければ割りとスンナリ誘導できますから、如何に人工的な強圧、スジ揉みが身体を変にさせているかということが分かるのです。
 これだけは業者に猛省を促したいと思いますね。

 またコリをなくしてもすぐにコル方もいます。
 隠れた病気がないのであれば、日常生活で力を抜けないタイプ、つまりまさに気を残すタイプの人です。
 リラックスを心がけるか、前後不覚で眠り込んでしまうくらい激しい運動をするしかないのですが、前者は三つ子の魂なんとやらで難しく、後者は年齢のため不可能となっていることが多いものです。
 結局、定期的な人の手によるメンテナンスが必要になるわけ。

肩こりに総称されるコリ族は大雑把にいうと四つのタイプに分類されます。
首コリ族-天柱派
肩コリ族-肩井派
背コリ族-膏盲派
上記複合派

 分かりやすくツボの名前を使いましたが、そのツボ近辺が一番よく効くという意味の派閥です。(族がいたり派閥があったり、政治家みたいな世界ですけど)

 複合派が圧倒的に多いのは当然として、必ずしも自覚症状と一致するわけではありません。
 あくまで目安の一つなのですが、重要ポイントであることは間違いないでしょう。
 ただし、このツボ近辺をただ押せば誘導できるというものではありません。それなりに誘導する処置が必要なので、技術的な慣れが必要です。
(やっぱ気持ちだけじゃなく技術も必要なのですが、高度な技術というわけでもありませんから、イメージが優先されますね)

 施術は事業仕分けじゃありませんので、鋭く指摘したり、追及するものではないのです。
 あくまで、誘導し、元の鞘の収まってもらうのが本義です。かといってヤワな施術じゃ芯にこたえませんから、微妙なコツというものがあるわけです。

 個々の技術は難しいものじゃないのに、トータルでは難しいことになってしまうのは施術の世界だけじゃなくあらゆる分野において言えるのかもしれません。

漢方薬が保険適用外?

今話題の事業仕分け。

様々なメディアで色んな報道が為されていますね。

さて、この事業仕分けのやり玉に上がったのが漢方薬。
保険を適用させる意味があるのか?という必殺仕分け人の判断があって、これから議論することとなりました。

もともと漢方薬が保険適用になったのは、昭和40年代じゃなかったでしょうか。伝説の医師会会長 武見太郎氏が強力に行政にねじ込んだからだと言われています。功罪相半ばするといわれているこの会長さんですが、豪腕であったことは確かです。

一説によると、内科医院の7割から8割が漢方の処方を行っているとも言われており、医師会からの反発は必至でしょう。
また、ツムラや、小太郎、カネボウなどの漢方エキス剤のメーカーさんは存亡の危機になりますから、全力でロビー活動するでしょうね。
ツムラなどは「それをやられたらウチは倒産する!」とまで言っています。
対して、歓迎なのはドラッグストアーです。
医家向けと成分が変わらないのに、保険が利かないばかりに、高いものになっちゃってるっわけですから、モシ保険適用がなくなったら営業力では数段上のドラッグストアーに商機が訪れます。大歓迎!!というところでしょうな。漢方専門薬局も大歓迎!

一つの政策の変化が多様に影響するわけで、今更ながらに政治の重要さが分かります。

などと訳知り顔で述べるような立場じゃないのですが、実は消費者にも大きな影響があります。
漢方製剤を作っているメーカーさんは、医家向けによって、大量に生産することができます。大量に作ることができれば当然、コストが下がり、市販薬として店頭に並ぶ漢方薬もまた安くなる・・・・。

モシここで保険適用がなくなれば需要は激減します。最初は在庫一掃セールで安くなるでしょうが、長期的にみれば、生産コストが上がり、価格が上がることになります。

そして、買う人が少なくなり、漢方薬という一つのカテゴリーが衰退していくことだって考えられるわけです。

多分、相当に衰退しますね。
漢方は商品としてだけでなく、その診断方法に特徴があるわけで、その方法に精通しようとする人が少なくなるではないですか。
勿論、薬剤師も登録販売者も漢方薬を売ることが出来ますが、医師法によって身体に触って診断-つまり証を決定することが禁じられているわけですよ。

唯一医師だけが漢方に精通する可能性を持っていたものが、保険適用じゃないとなると、果たして何人の医師がこれを勉強しようとするでしょうか。膨大なエネルギーを使ってですよ。
今でさえ、正規の漢方診断ができる医師が少ないというのに、もっと少なくなります。

もう一つの可能性は逆に漢方診断の研究がより一層高まるというもの。
逆説的ですが、庶民には無保険の医薬は無理でしょうが、富裕層にはいくらお金がかかっても健康になれればOKという人たちもいます。

逆に言えば、あくまで漢方を標榜する医院は完全自由診療の世界になるわけだ。
歯科でお馴染みの自由診療は天井知らずの世界でもあります。
(歯に2000万円もかけたなんて人は富裕層にはザラにいるわけですよ)

そんなんで、お金になるんであれば真剣に漢方を研鑽する医師が増えるかもしれません。

庶民には手が出ませんが、結果的には質の高い漢方医が増え、その恩恵にあづかる層も出てくるかな~と。
逆張り戦略で、漢方専門を目指す医師が増えちゃったりもするかなぁ、とか。

どっちに転ぶか分かんないのですが、庶民にとって漢方は身近なものじゃなくなることだけは確かですね。

そもそもまだ本決まりじゃないので、あれこれ気を回す必要もないのですが、そういうことが仕分けの対象になったということ自体が驚きです。

医療も財政的にみれば大変な予算がかかっていて、もうアップアップ状態です。
少しでも減らしたいというのが当局の本音です。しかし、生命と安全を守るのは国の義務でもありますからね。アカラサマに予算減をするわけには行かず、そうしたところ(漢方)から切り込んでくるんだなぁ、とシミジミ思いました。

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