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コリ

 “仕事”をするときは必ず、筋肉の収縮を伴います。
 こうしてパソコンを打っているときも、施術を行うときも、料理を作るときも、歩くときも、走るときも・・・筋肉の収縮機能がなくなれば、全身不随で寝たきりにならねばなりません。

 ですから、仕事とは筋肉の収縮のことをいうわけです。
 “伸展筋”という言い方がありますが、便宜上の呼び方で腕や足を伸展させるときに“収縮”する筋肉のことです。

 ある筋肉が収縮するとき、拮抗筋は伸展するわけですが、これは力を抜いているという状態であるだけで、意思によって伸展させているわけではありません。

 効率の良い身体の使い方というのは、収縮すべき筋肉以外の筋肉を如何に収縮させないか、ということになり、これを「脱力」というわけです。
 逆に「力が入り過ぎ」という状態は拮抗筋まで収縮させようとしている状態に他なりません。

 これはスポーツ経験者ならよくわかる身体特性でしょう。
 重心の移動がスムーズで、かつ拮抗筋に力が入らないようにできれば、まあそれなりに身体動作の巧者となれるわけで、俗に言う運動神経の良いヤツだと評されます。

 さて、筋肉の収縮は意思によって行われのですが、先に「気持ち」が動き、後、神経伝達として指令されます。仕事を終えたらなら、収縮命令が解除され、元に戻ります。
 ところが、神経指令の解除がなされているにも関わらず「気」だけが残っている状態というのがあり、これがコリの本体、若しくは正体であると・・・
 無意識のうちに仕事を残しているわけですね。

 つまりコリというのは「気の残り」(きののコリ)、「残り」の「こり」から来た言葉で、後に凝りという漢字が当てられました。最初にこの言葉を使ったのは夏目漱石だと言われております。

 ですから施術者がコリを取る態度というのは、「揉み解す」のでもなければ「押し潰す」というものであってはよろしくないのです。
(便宜上、揉み解すくらいの言葉は使うけれども)

 意識としては気の残りを“誘導”するというイメージになるでしょう。
 実際、見た目では分からないのですが、施術者自身のイメージとしてその感覚を持たねば、物理的に筋肉を傷めてしまうことになりかねません。

 変な言葉ですけど「残った気を誘導し、元に戻す」態度が施術者として正解です。これは施術者の心の有り様の問題ですから、見た目では中々区別がつかないものです。

 私事で恐縮ですが、若い頃(と言っても30歳くらいまで)、足の施術だけで、コリが誘導されて、肩までスッキリしたものです。
 しかし、歳を取るにつれて、足だけでは中々誘導されず、肩を揉んでもらいたい気持ちがよく分かるようになりました。
 そのあたりくらいから、施術者として肩くらいは解してやろうと、そういう気持ちになるのは必然ですわね。

 最初は物理的な筋肉しか頭になかったですから、力を入れるか入れないかだけの加減。はっきり言って下手くそ検定があったら100点取れるくらいでした。
 今はお上手検定90点くらい(100点にならないのは、これはしょうがないでしょ、要所の判断を間違えるときもありますから)。

 下手くそ検定100点とお上手検定90点では実に190点も差があるわけで、この差は一重に「誘導」という概念があるかどうかにかかっています。
 昔とやってることは大して変わってるようには思えないのですが、「誘導」という概念から施術を組み立てていくと、効果はまるで違います。
 余計な力は入らないですし。

 ところが今でも気張って、肩こりを取ってやろぞとやる気満々でやってしまいますと、昔の下手くそ時代に逆戻り。
 中々気持ちのコントロールというのは難しいものです。

 強烈なスジ揉みや激しい強圧に慣らされた方も来られます。
 こういう方は中々誘導できません。
 組織が癒着してるんじゃないかな、と思うくらい頑固なコリでお手上げの場合もあります。

 どんなに頑固なコリでも上記のような経験を持っていなければ割りとスンナリ誘導できますから、如何に人工的な強圧、スジ揉みが身体を変にさせているかということが分かるのです。
 これだけは業者に猛省を促したいと思いますね。

 またコリをなくしてもすぐにコル方もいます。
 隠れた病気がないのであれば、日常生活で力を抜けないタイプ、つまりまさに気を残すタイプの人です。
 リラックスを心がけるか、前後不覚で眠り込んでしまうくらい激しい運動をするしかないのですが、前者は三つ子の魂なんとやらで難しく、後者は年齢のため不可能となっていることが多いものです。
 結局、定期的な人の手によるメンテナンスが必要になるわけ。

肩こりに総称されるコリ族は大雑把にいうと四つのタイプに分類されます。
首コリ族-天柱派
肩コリ族-肩井派
背コリ族-膏盲派
上記複合派

 分かりやすくツボの名前を使いましたが、そのツボ近辺が一番よく効くという意味の派閥です。(族がいたり派閥があったり、政治家みたいな世界ですけど)

 複合派が圧倒的に多いのは当然として、必ずしも自覚症状と一致するわけではありません。
 あくまで目安の一つなのですが、重要ポイントであることは間違いないでしょう。
 ただし、このツボ近辺をただ押せば誘導できるというものではありません。それなりに誘導する処置が必要なので、技術的な慣れが必要です。
(やっぱ気持ちだけじゃなく技術も必要なのですが、高度な技術というわけでもありませんから、イメージが優先されますね)

 施術は事業仕分けじゃありませんので、鋭く指摘したり、追及するものではないのです。
 あくまで、誘導し、元の鞘の収まってもらうのが本義です。かといってヤワな施術じゃ芯にこたえませんから、微妙なコツというものがあるわけです。

 個々の技術は難しいものじゃないのに、トータルでは難しいことになってしまうのは施術の世界だけじゃなくあらゆる分野において言えるのかもしれません。

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