« 頭蓋縫合早期癒合症 | トップページ | ムチ打ち »

リフレクソロジーにおける補瀉

 リフレクソロジーにおける補瀉。
 (この場合のリフレクソロジーは広義の意味で使っています、足もみ全般のことを指すと思ってください)

 すべてのリフレはリラクゼーションでしかないでしょう。

 なぜなら、補瀉の技術がないからです。
 仮にあったとしても、フリクションを強めにする!圧を強めにする!というような刺激の加減でしか行われていません。

 リラクゼーションで何が悪い!と反論されれば、一言もないのですが。
 別に悪くはありません。
 他人の生活の糧にケチをつける権利など誰もありませんからね。

 ただ、私が言いたいのは現代病のほとんどは足から始まっているということ。つまり、運動不足ですよ。かわりに頭であれこれ考えて・・・これではコリ症にならない方がおかしいですし、冷えにもむくみにもなるでしょう。根本的な問題を辿っていけば結局、足からの問題です。

 本能的にそれを理解できる人達がいて、多くの支持を集めました。それが、かつての空前の足もみブームだったわけです。

 しかし、人の好みというのは様々で、あるいはニーズも様々です。痛いのは嫌だという人もいますし、気持ち良く癒されたいと思う人も多くいました。

 そんな中でリラクゼーション化していくわけです。もちろんケチはつけませんけれども、本来の足もみが持つ実力を過小評価される原因ともなりました。

 どのみち、強い圧であろうが、弱い圧であろうが、強弱で補瀉を考えているうちはリラクゼーションです。
 補瀉とは強弱を超える概念ですから。

 そこでボクは純粋な瀉法を技法群の中に加え、これをコンビネーション化することを思いつきました(いつの頃かわかりませんけど)。

 その一つが「足首拘束のリリース」でして、出来は良くないですが、映像として発表してあります。

 あれをやられると、程よく気持ち良いものですが、純粋瀉法です。
 刺激を強めて瀉法化するのはかなり痛いものですが、運動法を交えて行うと適度に心地よいものです。無理なく瀉することができるからに他なりません。

 足そのものを補瀉の対象とする施術を行いますと、段々と反射区から離れていきます。私が後年、反射区をほとんど使わなくなったのは、そういう理由もありますかね。

 気持ち良いかどうかは、施術の目的ではありませんが、効果が同じなら、そりゃ気持ち良いほうがいいに決まってます。
 反射区を基に瀉法を行いますと、かなり痛い部分が出てきます。それが快感だというクライアントもいますけど、個人的には嫌ですね。

 経絡的なアプローチと関節の整列を基にした方法論から補瀉を考えていったほうが、全体のコンビネーションを整合させるというのが経験則として分かりましたね。

 ボクの足の施術を受けると、かなり変わった印象を持つ方が多く、強めが好きな人も弱めが好きな人も、強さを変えているわけではないのに、それなりに満足を得ることが多いものです。これは補瀉を行っているからに他なりません。

 刺激の強さを変えることなく、ほとんどのクライアントに対応出来る方法論は施術家の見果てぬ夢でした。
 少なくとも足の施術に関してはナニゲに実現しているわけでして、これは歴史に残る偉業なはずですが、たぶん忘れ去られるでしょう。
 クライアントの問題じゃなく、施術者が理解できないせいです。

 理解できないほど難しいことを言っているわけではないんですけどねぇ。
 要はやる気と好奇心の問題です。

足に関しては施術すべき部位が限定されるので、補瀉の技術をコンビネーション化した施術映像として作れるかなぁ、と思っていますが・・・・

 これが出来れば業界的には画期的なんですが、リフレのDVDを作ってて思いましたよ。こういうのって大変だなと。あれだって8ヶ月かかっていますからねぇ。
もうそんな根性ない・・・やっぱり。

« 頭蓋縫合早期癒合症 | トップページ | ムチ打ち »

リフレクソロジー系記事」カテゴリの記事