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再び瀉法

 (一)

 瀉法がどうしても必要になるのは、関節の変位をなんとしたいというニーズがあるからに他なりません。

 肩関節の前方変位などはよく見られますし、脊椎陥没変位などもポピュラーです。

 気が付きづらいところでは、股関節の問題もそうです。

 私はカイロプラクターのように変位の方向を幾通りにも分類し、それに対応する技法を行うわけではありません。しかし変位の矯正が必要であろうと思われるクライアントさんは、ざっと粗い計算で、6割くらいになりましょうか。

 スジの歪みやら硬結やらをフラットにしていく中で、自然な形で矯正されればそれに越したことはないと思います。

 しかし、プロである以上、人為的にやらねばならないこともあるわけです。

 矯正術というと、バキバキ、ボキボキのイメージが強いと思いますが、必ずしもそうではありません。
 関節を他律的に動かしていく中で、コツンと矯正されることが多いものです。
 (もちろん、関節に関わるスジの歪みを取ってあげるということが前提にはなりますが)

 足の矯正などはまさにそうで、充分に足底や足首周りのスジを緩めて、くるくる足首を回すだけで、あ~ら不思議、入ちゃった!なんてことが起きるわけです。

 膝関節、股関節、肩関節なども同じ要領で簡単に矯正されることがあって、瀉法とはこういうことをいうんだなと・・・思います。

 増永師の功績を称えるとき、経絡思想を手技に当てはめ、精緻な理論と証体系を作り上げたことに異論はないと思います。一代でこれを成し遂げたのは驚嘆に値します。

 しかし、見逃しがちな功績として、柔道整復の技法を応用したオリジナル矯正術を駆使し治療に当たっていたとではないでしょうか。

 その無理のなさとコンビネーションの巧みさに舌を巻く思いをするのですが、この点について言及されている人を寡聞にして知りません。

 赫々たる治療実績の相当部分を占めるのは瀉法とのコンビネーションにあると、密かに睨んでいたのですが、臨床経験が豊富になるにつれ、間違いではないと確信に近いものを感じる昨今です。

(二)

 コンビネーションというのは実に大事です。

 後頭骨の際(上頚部)への押圧は、コリ性の人には非常に気持ち良さを与えられます。 しかし歪みを持つ人に対しては、イマイチ改善感がありません。(後頭骨滑動不全とか)

 そこで、それらの操作をやった後、頭を抱えて微妙に環椎-後頭骨関節を動かしますと、それこそコツンと入った感じで矯正されたりします。

 そうなると、効果が倍加しますね。

 押圧だけではイマイチ、動かす操作だけでもイマイチ・・・
 コンビネーションさせることによってはじめて、治療といえる技術になる・・・
 逆にいうと、押圧単体、関節を動かす操作単体、それ自体は何の変哲もない平凡な技で、この平凡な技が組み合わされた-つまりコンビネーションされた結果としての技は実に非凡な働きをすることになるわけでして、決して侮ることはできません。

 平凡の中にこそ非凡があるわけです。

 ボクは無料でこのブログを書いているのですが、無料だからと言って真理などないなんて考える人はいないでしょう。
 高いカネを出して買った本がほとんど役に立たないクソ本であることもある・・・
 見栄が良く見世物的に素晴らしい技であっても、的確にコンビネーション化された平凡な技よりはるかに劣ることだってあるわけ。

 ストレッチなどは害になるだけで、効果などない・・・押圧などは一時しのぎに過ぎない・・・こう主張する施術家が少なからず存在します。中には傾聴に値する理論で武装している者もいますが、基本的に東洋的世界観に縁遠い人達です。なんの変哲もない、そこら辺の草木を組み合わせることによって、証さえ合えば抜群の効果を発揮する漢方薬を作り上げてきた世界観をご存知ない。

 組み合わせの妙というのはいかなる場合も適用することができる一つの真理です。
 この組み合わせを発見することが、人類に課せられた使命であると思いますのに、一面的な見方だけで切って捨てるのは如何なものかと、他人事ながら心配になってしまいます。

 施術家はプロである以上、素人が逆立ちしても真似ができない高度な瀉法を身につけることは悪いことではありません(むしろ、素人に毛が生えた程度でプロを名乗っているよりも好感が持てるくらいでね)

 しかし、もっと大事なことはありふれた技であっても、それをコンビネーション化して自らの血肉とすることでしょう。

 関節を動かすという瀉法は、押圧という補とコンビされてはじめて威力が増し、逆の側面から考えると、押圧を生かせるのは関節への瀉法があるからに他ならないのです。

 これが補瀉の心です。

 ですから、押圧しかない施術、揉みしかない施術はダメだとは言いませんが、少なくとも医療的施術とは言えません。

(三)

 なぜ、日本において補瀉のコンビネーションが廃れたのでしょうか。

 一つは按摩の慰安化であることは間違いないでしょう。

 ではなぜ慰安化していったか・・・
 盲目の人の生活の手段として、半ば強制的に従事させらたのが原因かもしれません。

 私もずっとそう思ってきましたし、またそれもある意味間違いないことだと思います。

 しかし、そうとばかりは言えないのではないか?という体験をしたのです。

 それは温泉での施術機会でした。施術をしていて非常に違和感がある・・・なぜだろう?

 すぐに思い当たりましたね。
(あっそうか・・・クライアントが浴衣なんだ・・・瀉法が出来ん・・・・)

 そうか・・・浴衣じゃ瀉法が出来んではないか!

 日本の伝統的衣服は着物です。しかも昔はブリーフのような下着はありませんでした。

 これでは思い切って四肢を動かしたりはできませんね。そこへもってきて、施術者が盲目ですから、余計に瀉法が難しい。

 押しと揉みでしか、補瀉が出来ないわけですから、独特な施術に変化していくのは当然でしょう。

 特に押し一本で瀉を行うはキツイ・・・・親指が破壊されます・・・かなりのベテランに聞いても指が痛いと言います。

 自分の施術というものを冷静に分析できる機会を得たことは有意義でした。
(なるほど~押しと揉みだけで施術しろと言われても、今ではほとんど不可能に近いんだなぁ)と。

 要するにコンビネーション化しているわけですから、一方を奪われると施術が成り立たないわけです。何気なくやっているとさほど意識できないものですが、環境が固定されると、  俄然、その不便さと有用性が分かるものです。
 そしてこれら一連の施術のおかげで五十肩は悪化するし、不全感とストレスに苛まれることになったわけです。

 そこでの施術しか知らない施術者はそれが当たり前ですから、何の疑問も感じず、黙々と施術をしているのです。健気だなぁ~とは思うのですが・・・気の毒に・・とも思いますね。

 一生、医療的な施術とは無縁で生きるのだろうな・・・リラクセーション・ボディ・ケアとはよく言ったものだなぁ・・・(もちろん、それが悪いわけではありません)

(四)

 瀉法の花形は矯正であり、また骨が鳴る矯正音であるかもしれません。

 関節を鳴らす意味は、この正体が関節液のキャビテーションという現象であるとことが分かってからというもの、重視されることはなくなりました。

 むしろ、組織に対する損傷リスクを考えれば、これらを封印したほうが良かろうと・・・

 この考え方には一理あります。安全であることがまず第一に要請されることですからね。

 しかし、オステオパスにしてもカイロプラクターにしても、この論に組みする人達は少数派です。
 なぜなら、彼らは手技を治療手段と考えているからです。治療である以上、多寡に関わらずリスクはつきもののであり、そのリスクをコントロールすることこそ、ドクターの役目であろう、と。(あちらではドクター資格です)

 キャビテーションという現象はかなりの衝撃波を生むことになるけれども、強い衝撃派であるからこそ、長年に渡る組織の癒着を破壊できるものであり、重要な治療手段の一つになり得るのだ・・・云々。

 確かに、頑固な癒着したようなコリが一発寛解することをなんども経験していますから、この言い分もよ~く分かります。

 ただ日本においては法律での規制がありません。

 例えばカナダでは、頚椎の急激な回旋を伴なう矯正はカイロプラクターの特権事項の一つとして法律上明記されているわけ。
 日本では通達という形で、これを好ましくない技法として挙げていますが、通達は法律ではありませんので強制力がないのです。

 充分な訓練をし、そのリスクをキチンとコントロールできる見識をもった施術者なのかどうか・・・だれも保証してくれない・・ということは玉石混交で、未熟な術者も多く存在し、そして多くの事故が起きる・・・そんな図式なんです、日本では。

 そんなんじゃダメだ!てんで、なんとか法制化しようと運動するわけですが、こういう問題っていうのは利害関係が錯綜しまして、話がまとまらない。結局、現状のまま行くしかないんでしょうね。

 私自身の見解はどうかというと、瀉法を使う以上はこういう技を身につけておいた方が良いとは思います。しかし、未熟な状態で技をかけると述べたように思わね事故にもつながる・・・結局、結論が出ないじゃないか!というお叱りがあるのは承知ですが、法制の問題も絡みますので、一施術者がどうのこうの言える問題じゃありません。

 ただ、盛大な骨鳴音をさせなきゃ、最強瀉法ができないかというとそうじゃない。

 曲がる(曲げやすい)方向に関節を曲げておいて、軽く運動域を超えるようにソフトなアジャストをかけ、そして間髪をおかず、曲げづらい方向に曲げます。この方法は非常に安全で、関節を移動させている最中にコツンと矯正音が鳴ったりします。鳴らそうと思って鳴らしているのではなく、自然な形ですから、受療者に負担が掛からない矯正(瀉法)となります。

 私もこの方法は、純粋スラストがちょっと危ないなと思われるクライアントにやっておりまして、大変重宝している次第。
 前にも書きましたが、このように、増永師の技は瀉法に特徴があります。普通の指圧師なら絶対にやらない、っていうかやれない技法がたくさんあるんです。
 これが埋もれていくのは惜しい・・・あまりにも惜しい話だと思いますね。

 首もさることながら、ボクなどは足揉み出身ですから、足の矯正を行います。
 おそらく、足の矯正臨床数では日本有数でしょう。

 見ただけでどこの骨が歪んでいるか、どこをどうすれば良いのか、瞬間的に分かります。骨格全般に渡る歪みの診方はカイロプラクターやオステオパスに一歩譲るものの足に関してだけはヒケをとるものではありません。

 実は足の関節群への矯正は増永師のやり方が威力を発揮するのですね。
 応用問題として解釈すれば簡単にできます。
 普通、足首は内反方向に曲げやすい・・・だから、内反方向へ曲げておいて、わずかに可動域を超えさせ、次の瞬間外反させます。これをなんどか繰り返すと歪みの甚だしい人は矯正音とともに矯正されるのです。

 関節というのは周辺組織が柔らかくなって、かつ関節が動く中で、元の位置に戻っていくという性質があるんです。
(そうじゃなかったら、世の中の人は皆、関節のハズれた人ばかりになるよ)
 それをちょっとだけ人為的にすると、今言ったような技法になるわけです。

(五)

 神経の性質として、圧迫には強いが、引き伸ばし(牽引)には弱い、というのがあります。

 カエルを解剖し神経をむき出してにしてクリップで挟みます。それでも、神経伝達は支障なく行われるのに対し、これを伸ばしますと、たちどころに伝達が弱まる・・・

 神経伝達というのはどのように行われるかという基本的なことを知っていれば、当然の結論になるわけで、わざわざ実験など要らないくらいです。

 このようなことから、整形外科などで行われる、持続的牽引治療に対し懐疑的な見方があるわけでして、自然療法の立場からも論議の的となっているのでございますね。

 私も持続的に牽引し続けるのはどうかな?と思います。
 神経伝達が減弱することによって、愁訴が減少するのだとしたら、危険な治療なのではないでしょうか。

 しかしながら、機器を使った持続的な牽引ではなく、手技による適時間の牽引は非常に効果がある場合があります。

 スラスト的に行う場合もありますし、数秒保持する場合もありますが、いずれも人間の感覚で行われるため、危険性が少ないものだと言えます。

 生体組織というのは、モノとは違い復元力を持っていますから、一見逆操作のように見えて、理に適っていることが多いのです。

 例えば胃下垂の操作は下垂している方向に押し下げます。そして一気に離す。
 下垂している方向に下げるというのは、モノの性質からすれば逆行しているかのようですが、生体の場合はそうではありません。

 と同じように、伸ばすと縮むという性質を利用して、瞬間牽引をかけ、組織を最大弛緩させたり、逆にある種の緊張感を持たせたりするのは、生体の特徴から言って理に適っているわけです。もちろん、何ごともやり過ぎは良くないのですが、それはすべての技について言えることで、手の感覚はその限度を自然に察知するのです。
 しかし、功名心などの不純な動機が混じりますと、限度を超え、事故に至るのは過去多くの事例からも明らかで、施術家たるもの、常に自戒せねばならない事柄の一つではありますね。

 受療者を仰向けに寝かせ、足を押さえ身体を固定させて、首を一気に引っこ抜くようにスラスト牽引を行いますと、カイロ理論やオステ理論には全くはてはまることがないにも関わらず、治病に大きな影響を与えることがあります。

 これらのことを増永師は一種のショック療法ではないか?と提起しましたが、治癒力発動に繋がっていることは確かです。(実証タイプにだけ通用する技法ですが)
 この方法は危険が伴ないますので、無闇に取り入れる必要はないでしょうが、時として大きな効果が見込めるので、全く無視するというのも如何なものかと思っておりました。

 この方法の欠点は身体が動いてしまうと効かないため、何らかの方法で固定させる必要があるということです

 (助手を使うなり、設備を整えるなりで)。

 固定させているが故に効くのですが、逃げ場がないため、術者に相当な熟練が要求されると同時に、そうでなければ危険であるとも言えるのです。

 これはある種のジレンマです。安全を期せば(身体を固定しないと)効かないし、効かそうと思えば、リスクが伴ないます。基本的に瀉法とはそういう性質のものですが、それが著しく出るのがこの技法の特徴かもしれません。

 何かウマイ方法はないものかと、ここ数年くらい考えていました。おそらく潜在意識で考え続けていたのでしょう。
 あるとき、百均屋さんに行って買い物をしていたら、滑り止めシートというものが売っていました・・・なんだ?これは?

 文字通り滑り止めシートで、それ以上の説明は不要なのですが、ピンと来たわけです。
これを施術ベッドに敷いたらどうか?
 百円ですから、迷う金額ではありません。早速、2枚ほど買いまして、ベッドに敷いたわけです。その上からバスタオルを敷くと、これがズレなくて、中々按配が良いのです。

 そうしておいて、人を仰向けに寝かせ、牽引してみると、絶妙に固定され、かつ絶妙に力が逃げます。安全性と効力とを同時に手に入れた瞬間です。
 こんな些細なことで・・・こういう些細なことをノウハウというのでしょうね。

 頭の中だけで施術のことばかり考えても、一向に解決せず、滅多に行かない百円ショップで解決したのですから、面白いものです。

 後に、このシートはDIYなどでフリーサイズのものも売っていて、ポピュラーなものだということを知りました。(なんと世間知らずな!)

 世に応用のネタは付きまじ・・・・
 自らの工夫によって難題を解決することは施術の世界に限らず、楽しいことです。
 時々、現場や本の世界から飛び出して、市場に触れ、自然に触れ、様々な刺激を受けることも重要なことなんですね。あらためて思いました。

そういう意味では全く違う環境に身を置く・・・つまり旅行も大事なのかもしれません。

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