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頭蓋療法雑感

 (一)

いつの頃か、左側の冠状縫合上に何とも言えない違和感を感じ始めました。
 これほどではないにしても、ずっと以前からあったような気もしますし・・・まあちょっと定かではありません。

 なにせ私は、覚えているだけで2度、強烈な頭蓋強打に見舞われておるのです。

 一度は8歳頃。至近距離から氷の塊を投げつけられて、鼻に当たりました。(近所の悪ガキの仕業ですけど)
 これは強烈でした。骨は折れ、鼻血が止まりません。しばらく頭が痛かったものですが、よく生きていたものだな、と今になって思いますね。昔はノンビリしてたんですよ。ペアレントもモンスターじゃなかったし。

 おかげで鼻は団子鼻になり、2センチは低くなったでしょうね。
 あの事故がなければ、世界の歴史は変わったいたでしょうに。

 2度目は・・これは誰も責められません。自分で転んだ。
 運の悪いことに転んだ先にスコップがありまして、そのスコップの角に額をぶつけてしまいました。ほとんど受け身をとってませんから、これも強烈でした。今でも額に傷が残り、前頭骨に凹みがあります。

 これも8歳前後でしたね。
 この一連の事故以来、知能は落ちていくし、気力はなくなっていくし・・・性格は悪くなっていくし・・・どもならん奴になっていくわけですよ。
(私の人生のピークは7歳だった・・・って早過ぎ!)

 振り返ってみると、落ち着きがなく、ケガばかりしていた子でしたね。親は大変だったでしょう。

 そんなこともあって、ボクの頭蓋の動きは決して良いほうではありません。
 無意識にそれを感じて、頭蓋療法に惹かれたのかもしれませんしね。

 ともあれ、頭蓋に多寡を問わず問題を持っている人はほとんどといってもよく、それが顕 在化してきたときはもう手遅れということです。

 面白いのですが、頭を触っても押しても、普通の感じでしかなかったものが頭蓋療法をしている最中、その頭皮表面部分にピリピリとした鋭角的な痛みが起きることがあります。

 ピリピリとした痛みですが、むしろ不快感はなく(だからといって気持ち良くてしょうがない、というわけでもなく)、独特のものです。

 比喩的によく「歪みが浮かび上がってくる」という表現を使いますが、この現象以上にこの表現が当てはまるものも珍しいでしょう。

 まさに脳膜や脳そのものの歪みが浮き上がってきて、頭皮部分に反射を起こしているものです。

 これがあると施術そのものに実感が湧きやすく(クライアントも)、施術に拍車がかかりますね。

 そうですね、10人中、最低でも半数にはこの現象が起こります。

 一回、二回でなくなるものではありませんが、施術を続けると徐々にその頻度が少なくなっていきます。(ですから、歪みだということが分かるのですけど)

 この操作法と発見はおそらくボクのオリジナルでしょう。どこの文献にも載っていません。

 このサインがあると,人によっては劇的な効果があったりもします。

 さてさて、話は戻りまして、左側の冠状縫合上の違和感はさらにもう一段歪みが浮いてきてるサインのようです。
 意識上にのぼらないときがほとんどなのですが、ちょっとしたときに感じるんです。
 長年にわたる歪みの集積ですから、完全解消するまで時間がかかるでしょう。

 それを知れば特に不愉快でもないですし、全然我慢出来る程度ですから、その違和感を楽しもうと思っている昨今です。

(二)

 ところで、何回か書いたと思いますが、頭蓋療法に必要不可欠な操作は身体を緩めておくということ。

 特に背筋はどうあっても緩めなければなりません。
 もちろん、首も肩もって・・・なんか普通のマッサージみたいな操作ですね。

 とくに日本人はコリ症が多いので、これら一連の操作を必要とする方がほとんどです。

 結局、脳脊髄液の循環促進が頭蓋療法の目的の一つなわけですから、リンパ交換する背筋の状態、全体のコリの状態はいわずもがなで重要なことになります。

 これをやらずして、頭蓋療法を行っても、その効果はかなり限定的と申せましょう。
 もちろん、その緩めるという操作に決まりはなく、各自自分の得意な方法でやればよろしい。経絡が活性するような方法は尚よろしい。

 身体を緩めました。さて、普通のリラクゼーションはこれで目的を果たしたことになるわけ。しかし、頭蓋療法はここからがスタートです。

 ゴールがスタートなのですから、大変です。
 疲れきってしまっては肝心の頭蓋療法の出来がイマイチなんてことにもなりかねません。
 だからこそ、緩める技術にも習熟して置かねばならないのです。

 また施術家が無理なスケジュールで仕事をしはならない所以でもあります。

 ともあれ、重要であるにせよ、身体を緩めるということはあくまでも手段。目的ではありません。それだけでも十分な価値があるにしてもです。

 手段と目的と履き違えるところにこんにちの手技の衰退があると言えます。
 これだけ手技サロンが増えているのに・・・衰退ではなく隆盛では?と思うかもしれません。

 しかし、いくらサロンが増えてもリラクゼーション目的のところばかりでは決して隆盛とは言い難く、療術としては衰退しているとしか言いようがないではないですか。

 我々の役割は西洋医学では不得意な、もしくは対処に困る症例を対象に手技によってその解決を図ることです。
 もちろん、多くの療法と同じく万能ではありませんが、うまくピタリとハマりますと、驚くほど効果があって、その確かな存在意義を確認できるのです。

 法律上、治療行為はできないにしても、同じ法律が療術行為を認めています。
 この意義を我々は浅く考えてはいけないと思うのです。

つづく・・・

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