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名医と並医とヤブ

上工、十に九を
 中工、八を
  下工、六を全うす。

難経(なんぎょう)という鍼灸の古典に出てくる一節です。

意味は
名医は10人の患者のうち9人までを治すことができる。
並みの医者なら8人であり、ヤブ医者は6人である。

治癒率でいうと名医は90%。並医は80%、ヤブ医者なら60%ということになりますね。

深読みすると色んな意味が汲み取れて面白いものです。

まず名医の十に九・・は当然でしょうか。
どんな名医でも百%の治癒率なんてことはあり得ません。
患者のうちの10%くらいはいかに適切な治療をしても治し得ないでしょう。
これは常識として分かります。

次の一節(中工、八を
並みの医者に8割の改善率を与えていますね。

名医と治癒率では10%しか変わりません。
名医と並医の実力の差が、10%しか違わないなんてあり得ないにも関わらず。
名医とは天賦の才と文字通り並外れた努力によってようやく達成できるレベルであって、それが故に「名医」なわけです。

疑問に思いませんか?

実はこのこと自体が東洋医学の特長をよく表しているものなのです。

鍼術の方法論というのは経絡、或いは経穴を探り、いかにその人(患者)にとって適切なツボを選ぶことができるか、ということですよね。

名医は正確に正解のツボを選ぶことができるわけです。

並医は正確かつ適切なツボの選定という観点からいうと、おそらく名医の半分にも満たないでしょう。

それでも、8割の改善率になる・・・
このことで何を言いたいのか?ということを行間から読まねばなりません。

人の身体には自然治癒力というものが備わっています。
この場合は、外的刺激を治癒のキッカケ、もしくはパワーに転換する力のことです。
もともと身体に備わっている「能力」と呼んだほうが良いかもしれません。

ですから、ツボを半分しか当てられない並医でも、患者の身体のほうが勝手に治癒パワーに変換してくれて、治病に至るというわけです。

8割の患者を治せるであれば、多大な労力をかけて、ほとんど自分の全人生を捧げてまで研鑽して「名医」になり、わずか10%ほどの治癒率を向上させなくとも良いのではないか・・・という疑問が湧いてきませんか。

患者というのは統計的に処理された数値ではありません。
その人にとってはたった一つしかない、かけがえのない「命」を持った存在です。
その「命」を十人のうち一人でも余計に救える技量というのは「命」が何物にも代え難い貴重なものであれば、何物にも代え難い尊い行為になるのは当然のことですよね。

ですから、すべからく医者を目指す者は「名医」を目指すべきであって、結果として才なく名医足り得なくとも、その努力をした者に天は8割の改善を与えるように取り計らっているわけだと・・・このように解釈せねばなりません。

中工の意味の解釈になるのですが、順当に考えれば小生が文中に表現してきた「並の医者」という意味になります。しかし、相当な訓練をし、情熱を持っていなければ8割方の患者の治癒力を引っ張り出すことなど不可能でしょう。

名医を目指し、本当に一生懸命努力してきた・・・が・・才一歩及ばず・・・というのが中工の真の姿ではないかな、と思うわけです。
実力に相当の差があるにもかかわらず、治癒率が一割しか違わないのはまさに天の計らいだと思いますよ。

さて下工。
これをヤブ医者と訳しました。
ツボがほとんど当たらない医者。そもそも医者をやることが間違っている医者。
向いてない奴、というニュアンスになりますよね。

これにおいてさえ、十のうち六を全うする、わけですよ。
これこそ、先に述べてある刺激転換能力のお陰としか言いようがありません。

鍼術は素人がやると危険ですから、下工といえども、その扱いくらいは知っていなければなりません。
しかし、これを手技法(徒手療法)と考えればどうでしょうか?

6割はちょっとオーバーな表現かと思いますが、まあ半分近くは改善していくことでしょう。
つまり、さほど習熟していなくとも、それなりに実績は出せるということです。

手技は安全ですし、癒し効果もあるので、鍼ほど取り扱いに注意しなくても良いわけです。ですから、継続して勉強していく動機を持ちづらいんですね。

だからある意味、手技業界は下工だらけっていうか、下工の集まりみたいな・・集団下工だ・・

改善率が全体で半分もあれば、口の上手い人なら、充分にやっていけるわけですし。
また面白いことに、ホントに治す能力はないのに「上手な施術者」というのが存在し得るのが手技の世界なのですよ。

鍼や漢方は上手=治癒率になりますけど、手技は別の要素が含まりますから。
即ち、「癒し」です。

癒しという分野では手技に優るものはないでしょう。
しかし、治病においても本来、鍼灸や漢方薬に決して劣るものではありません。

癒し効果という持ち味を生かしつつ、真の実力を発揮させれば、手技は集団下工どころか、上工に匹敵する集まりになれるはずだと、ず~と思ってきました。

それにはやはり継続した勉強が必要ですから、三水会を開催し続けているわけです。

三水会は当然、上工を目指す集団です。
そこを目指しつつ、結果、中工に終わっても良いのです。
その努力をした者に天は八割を保証しているのですから。
下工だけにはならないでおきましょう。

※十のうち九、八、六という具体的数字は正確なガチ数値ではありません。
古典のシンボリックな表現の一つです。ましてや歪みが深く潜行している現代においてはこの数値より全体に下がることは言うまでもありません。

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