クラニアル・マニピュレーション系記事

頭蓋療法雑感

 (一)

いつの頃か、左側の冠状縫合上に何とも言えない違和感を感じ始めました。
 これほどではないにしても、ずっと以前からあったような気もしますし・・・まあちょっと定かではありません。

 なにせ私は、覚えているだけで2度、強烈な頭蓋強打に見舞われておるのです。

 一度は8歳頃。至近距離から氷の塊を投げつけられて、鼻に当たりました。(近所の悪ガキの仕業ですけど)
 これは強烈でした。骨は折れ、鼻血が止まりません。しばらく頭が痛かったものですが、よく生きていたものだな、と今になって思いますね。昔はノンビリしてたんですよ。ペアレントもモンスターじゃなかったし。

 おかげで鼻は団子鼻になり、2センチは低くなったでしょうね。
 あの事故がなければ、世界の歴史は変わったいたでしょうに。

 2度目は・・これは誰も責められません。自分で転んだ。
 運の悪いことに転んだ先にスコップがありまして、そのスコップの角に額をぶつけてしまいました。ほとんど受け身をとってませんから、これも強烈でした。今でも額に傷が残り、前頭骨に凹みがあります。

 これも8歳前後でしたね。
 この一連の事故以来、知能は落ちていくし、気力はなくなっていくし・・・性格は悪くなっていくし・・・どもならん奴になっていくわけですよ。
(私の人生のピークは7歳だった・・・って早過ぎ!)

 振り返ってみると、落ち着きがなく、ケガばかりしていた子でしたね。親は大変だったでしょう。

 そんなこともあって、ボクの頭蓋の動きは決して良いほうではありません。
 無意識にそれを感じて、頭蓋療法に惹かれたのかもしれませんしね。

 ともあれ、頭蓋に多寡を問わず問題を持っている人はほとんどといってもよく、それが顕 在化してきたときはもう手遅れということです。

 面白いのですが、頭を触っても押しても、普通の感じでしかなかったものが頭蓋療法をしている最中、その頭皮表面部分にピリピリとした鋭角的な痛みが起きることがあります。

 ピリピリとした痛みですが、むしろ不快感はなく(だからといって気持ち良くてしょうがない、というわけでもなく)、独特のものです。

 比喩的によく「歪みが浮かび上がってくる」という表現を使いますが、この現象以上にこの表現が当てはまるものも珍しいでしょう。

 まさに脳膜や脳そのものの歪みが浮き上がってきて、頭皮部分に反射を起こしているものです。

 これがあると施術そのものに実感が湧きやすく(クライアントも)、施術に拍車がかかりますね。

 そうですね、10人中、最低でも半数にはこの現象が起こります。

 一回、二回でなくなるものではありませんが、施術を続けると徐々にその頻度が少なくなっていきます。(ですから、歪みだということが分かるのですけど)

 この操作法と発見はおそらくボクのオリジナルでしょう。どこの文献にも載っていません。

 このサインがあると,人によっては劇的な効果があったりもします。

 さてさて、話は戻りまして、左側の冠状縫合上の違和感はさらにもう一段歪みが浮いてきてるサインのようです。
 意識上にのぼらないときがほとんどなのですが、ちょっとしたときに感じるんです。
 長年にわたる歪みの集積ですから、完全解消するまで時間がかかるでしょう。

 それを知れば特に不愉快でもないですし、全然我慢出来る程度ですから、その違和感を楽しもうと思っている昨今です。

(二)

 ところで、何回か書いたと思いますが、頭蓋療法に必要不可欠な操作は身体を緩めておくということ。

 特に背筋はどうあっても緩めなければなりません。
 もちろん、首も肩もって・・・なんか普通のマッサージみたいな操作ですね。

 とくに日本人はコリ症が多いので、これら一連の操作を必要とする方がほとんどです。

 結局、脳脊髄液の循環促進が頭蓋療法の目的の一つなわけですから、リンパ交換する背筋の状態、全体のコリの状態はいわずもがなで重要なことになります。

 これをやらずして、頭蓋療法を行っても、その効果はかなり限定的と申せましょう。
 もちろん、その緩めるという操作に決まりはなく、各自自分の得意な方法でやればよろしい。経絡が活性するような方法は尚よろしい。

 身体を緩めました。さて、普通のリラクゼーションはこれで目的を果たしたことになるわけ。しかし、頭蓋療法はここからがスタートです。

 ゴールがスタートなのですから、大変です。
 疲れきってしまっては肝心の頭蓋療法の出来がイマイチなんてことにもなりかねません。
 だからこそ、緩める技術にも習熟して置かねばならないのです。

 また施術家が無理なスケジュールで仕事をしはならない所以でもあります。

 ともあれ、重要であるにせよ、身体を緩めるということはあくまでも手段。目的ではありません。それだけでも十分な価値があるにしてもです。

 手段と目的と履き違えるところにこんにちの手技の衰退があると言えます。
 これだけ手技サロンが増えているのに・・・衰退ではなく隆盛では?と思うかもしれません。

 しかし、いくらサロンが増えてもリラクゼーション目的のところばかりでは決して隆盛とは言い難く、療術としては衰退しているとしか言いようがないではないですか。

 我々の役割は西洋医学では不得意な、もしくは対処に困る症例を対象に手技によってその解決を図ることです。
 もちろん、多くの療法と同じく万能ではありませんが、うまくピタリとハマりますと、驚くほど効果があって、その確かな存在意義を確認できるのです。

 法律上、治療行為はできないにしても、同じ法律が療術行為を認めています。
 この意義を我々は浅く考えてはいけないと思うのです。

つづく・・・

頭蓋縫合早期癒合症

 まあ、なんとも専門的な香りがする病名ですが、手術する手段のなかった昔は実に困った病気の一つでした。

 原因不明で超早期に頭蓋縫合部が癒合してしまうんですね。乳児は一年で倍以上脳の容積が増えるため、それとともに頭蓋の拡大が必要になってきます。普通は癒合していませんから、ノープロブレム。脳の成長とともに頭蓋も大きなって、目出度しということになる。
 ところがこの時期癒合してしまうと、頭蓋の拡大がなされません。脳がどんどん大きくなっていっても器はそのまま・・・その結果、頭蓋内圧が高まり、脳細胞の死滅、即ち、死を招く。

 そこまでいかなくとも、頭蓋の酷い変形、頭蓋のみならず顔面の変形が顕著になり、美容的にもゆゆしき事態となる。

 頭蓋縫合は神の智慧みたいな装置でして、故障して初めてその仕組みの精妙さが分かるというものです。

 無駄なもの、意味のないものってホント、ないものです。
 さてさて、頭蓋縫合は胎児が産道をとおるときと、乳幼児の成長が盛んになるときだけ必要なものであって、成人してからは癒合し強固な一枚骨になる・・というのが医学的な見解です。

 これは頭蓋縫合を不動関節とする見解なのですが、残念ながらその医学は遅れています。
 世界では可動関節とするのが定番になりつつあるわけです。つまり、完全な骨になるわけではないと。関節である以上、その部分は軟骨であり、軟部組織とまでは言えなくとも骨よりはずっと柔らかいものです。

 さて神の智慧たる縫合部が成人して尚、拡張性をもっていることは意味のないことでも無駄なことでもありません。なにせ神様のやることです。

 はっきりしたことは神様に聞かないと分かりませんので、今度聞いておくとして、それまでは仮説を立てるしかありません。

 人間に知能を与えた結果、考えることを覚えました。考えるということは脳に血液を集め、多大なエネルギーを消費します。脳充血が日常的な動物となってしまった人間のことをいたく心配した神様は、「こりゃ、血管をうんと拡張して、放熱しなきゃイカンな」と思ったはずです。ところが、それくらいのことで新たな器官を作るのは少々面倒だったに違いありません。その時、神は二日酔いだったからです。

 そこで、思いあたりました(そうだ、胎児が産道をとおりやすいようにと、生まれてから脳が成長できるようにと頭蓋縫合を作ったんだっけ。これを成人してもある程度拡張できるように微妙に調整しておこう。そうすれば、脳充血の放熱はバッチシだ。いや~おれって神様みたいに頭がいいなぁ)と自己満足したと思います。

 かくして、頭蓋縫合がある限り、脳はオーバーヒートから無縁でいられるはずだったのです。ところがあまりに微妙かつ精妙な調整(これがホントの神業)だったので、後天的なショックなどにより動きがストップすることもありました。そうなると放熱が進まず、加熱するか、逆にエネルギーの抑制をみることにもなったわけで、これがCRIの減弱と呼ばれる歪みです。

 そのうち人間自身が解決するじゃろ、と思ったかどうかは分かりませんが、一部の自然療法家の間では競うように頭蓋を対象とする施術形式が生まれてきたのは確かです。これも実は神の意志かもしれません。

 以上はボクの仮説であって、真実は神に聞くまでわかりません。聞く機会があればぜひブログでご紹介したいと思っています。

 頭蓋縫合早期癒合症というのは完全な病気です。しかも未だ原因のすべてが分かっているものではありません。

 この段階のレベルであれば、命にも関わるため、早急に専門医の判断を仰ぎ、処置すべきであることは言うまでもありません。

 この病気を通して分かることは、明らかな早期癒合でなくても、自覚症状がほとんどなく、癒合されている人が意外に多いのではないか?ということ。

 他人の頭蓋縫合を触り続けて、8年くらい経つでしょうか。未だ未熟とはいえ、年齢による縫合の硬さの違いや、個人差の大きさを自身の手指で感じてきました。

 来る日も来る日も飽きもせず、よくもまあ、縫合を触り続けてきたもんだと我ながら感心しますが、実体験より強いものはありません。
 頭蓋縫合は個人によって閉じ気味の人ありーノ、開き気味の人ありーノで実にバラエティに富んでいます。そしてそれがまた、密接に体調と関係し、病気の問題ともリンクしていることは確信を持って言えます。

 閉じ気味の人は鼻が詰まることが多く、当然ボーッとしてやる気が起きないという傾向性があるように思えます。
 開き気味の人は首のコリが酷く、血液の再還流がなされづらい傾向の人が多いようです。また、日によって開きっぱなしだったり閉じっぱなしだったり、一つの傾向ではない人もいます。

いずれにしても、施術方法はさほど変わるものではなく、ある種の刺激によって柔軟性が回復してきます。(あくまで病気のレベルではないときですよ)

 頭蓋縫合の柔軟性というのは施術上の盲点だと思いますね。
 頭蓋縫合へのアプローチによって鼻がスーッと通ったり、首コリを訴える頻度が少なくなったりするのですから、面白いものです。
 もっともっと頭蓋縫合の重要性に気付き、アプローチする施術家が増えてほしいものだと思う昨今です。

三焦経とクラニアル

三焦経は肩部、頚部の僧帽筋を通り、耳の後ろから側頭部、前頭部に達する重要な経絡の一つです。

特に頭部を考えた場合にはその重要性をより強調しても間違いありません。

さて、三焦経が「実」すると、脳膜の充血を呼ぶという増永師の見解は、その走行から考えても、僧帽筋が脳への血流ポンプであるという構造医学の考え方から言ってもスジが通っているような気がします。

クラニアル手技の目的の一つは脳膜の歪みを除去する、ということでもありますから、東洋と西洋の融合よろしく、クラニアル施術の前段階として、三焦経重点で施術を行うになんら問題はないと考えますし、むしろやるべきでしょう。

証で若し、「三焦実」が出たなら、それはとりもなおさずクラニアルの証でもある可能性が高いもので、特に「肩こり族・三焦派」はその可能性がもっと高まります。

「肩こり族・三焦派」は肩部-僧帽筋に強いコリを持つ一群の人々ですから、その絶対数はかなり多いと判断でき、それ故、クラニアル手技適応者が多いとも言えるわけです。

下腿部の三焦経が硬く、パンパンに張っている一群の人々もまた、脳膜の充血を惹起せしめている場合が多いのは臨床上、経験すること度々。故にこれらの人々もまたクラニアル適応だと考えられます。

三焦経を中心に経絡を補瀉し、クラニアル手技を行うと、スヤスヤと寝入ってしまう人が多いのは、まさに充血が散り、安寧な気分になるからでしょう。

単に気持ちよくて眠たくなるのとは質的な違いがあるわけです。

フェイス

 25年ほど前、初めてフット・リフレクソロジーというものを知ったとき、何が感動したって、身体の情報は足裏に出る!ということでした。
 難しい言葉でいうと「全息胚」原理というのですが、簡単に言うと「反射原理」(正確な言い方ではないのですが)。

 あれ以来、様々な足裏を診てきましたが、なるほど~、確かに足裏というのは個性があって、同じものは一つもないんだなぁ、という感想を抱きつつコンニチまでやってきました。

 足の裏をシミジミ眺める職業というのは、まず他にはないでしょう。
 顔と同じように、それぞれ個性があって、それなりの年輪が刻まれているものです。

 男の哀愁は背中に出るとかも申しますが、老若男女問わず、足裏に哀愁が漂います。
少なくとも疲労の蓄積、酷使状態は分かりますわね。老廃物のたまり具合、足底内在筋のコリの状態、趾関節の癒着・・・・・普段目に付かないところだけに、注意深く見るなどということはないでしょう。

これ対してフェイスはいつも人前に晒しています。
「あなた顔色悪いんじゃない?」
or
「どうしたの?元気ない顔して」
or
「なにか良いことでもあったの?」

 身体の状態から精神状態まで、観察の鋭い人なら素人でも分かります。ですから、もっとも感情面も含め身体の状態が出やすいところがフェイスと言えるでしょう。

 だからと言って、フェイシャル・リフレなどと聞くと、(何でもリフレにすりゃいいっちゅうもんじゃないだろ!)とその商魂に怒りを覚えることもありますけれども。
 フェイシャル・リフレは如何なものとは思いますが、フェイスを治療点として考えるのは賛成です。何せ、ここはクラニアルですからね。
 しかも、人間にとって欠くことのできない栄養&水分補給や酸素の吸入は口と鼻が一番最初に働くところですし、視覚や聴覚や嗅覚を使った情報収集もまたフェイシャル部分に最初のアンテナがあります。

 人間ってある程度年齢がいきますと、ハンサムであるとか美人であるとかはあんまり関係がなくなるような気がします。悪相か良相の違いくらいにしか感じませんねぇ。それは精神状態を含め全身状態を映し出す鏡だからなんでしょう。

 鏡をいくら磨いても本体まで綺麗になるわけじゃないと理屈をこねる施術家もいますが、ある一面の真理をついています。ただ治療原理は何も全息胚原理だけじゃないわけですから、治療点にならないということにはなりません。
噛み合わせの不都合が諸悪の根源と唱える治療家もいるくらいですから。
(個人的にはそうこともあるけど全部がそうだとは言えないと思います)

 経験則ですが、足裏のコリを取って、顔のコリを取るだけで、快調になる方もいるわけですから、表裏一体関係にあるんだろうなぁ、と。
 表裏、陰陽関係にあるのであれば、フット&フェイシャルっていうか、足をやれば顔もやって、顔をやれば足もやるべきじゃないかと・・・最近の実感です。

呼吸とクラニアル

 鼻で呼吸をしますと、当然ながら、その呼吸に合わせ、鼻腔が広がり、また元に戻るという一種の膨張と収縮が行われます。これは自分で頬骨を軽く押さえ、少し深めの鼻呼吸をすれば誰でも感じることができるでしょう。口呼吸と鼻呼吸の両方をやってみるとより違いが分かると思います。

 つまりクラニアルは鼻呼吸によっても若干ではありますが、動いているわけです。
 そして顔面骨にそれが著しく現れます。

 口呼吸の弊害は様々な観点から語られますが、クラニアルの観点から語られることは少ないと思います。そうです。口呼吸はクラニアルの動きを促進しないのです。

 それが習慣となって、長い間積み重なっていくと、脳脊髄液循環が悪くなるのは当然として、直接的には顔面部の体液循環(リンパ流、血流)の悪さに繋がっていき、老けた顔になりやすいのは容易に想像できるでしょう。
 口呼吸は健康上よろしくないのは当然として、美容にも影響を与えてしまいます。
(美容と健康は表裏一体ですから当然ですが)

 さて、クラニアルはこの呼吸のリズムによっても動くわけで、しかもCRIより容易に検出しやすいものと申せましょう。

 そうすると、クラニアルの動きは呼吸とCRIとが混在していることになります。より検出しやすいのが呼吸のリズムですから、それをCRIだと誤解する向きもありますが、呼吸とは全く違う動きなのです。しかし、そうは言っても、いきなりCRIを捉えることはできません。何かとっかかりみたいなものが必要です。

 呼吸のリズムとCRIは整数倍関係にありますから、そこには最小公倍数というものが存在して、必ず、呼吸とCRIが一致する瞬間があります。この時に動き幅が増幅されて、大きな動きとして捉えることが可能です。

 それをとっかかりとして、感じ取るのが実はコツなのです。最初はどう考えても呼吸のリズムとしか思えないものが、やがて明らかに呼吸とは違うリズムで行われている動きを感じ取ることが出来るようになってきます。
かなりゆっくりな人もいますし、呼吸よりちょっと遅いくらいの人もいます。

 この動きが足の裏でも取れるのは、CRIが頭蓋だけの動きではなく、背骨全体の伸展と屈曲を伴うからに他なりません。
 つまり、我々の身体は黙っていても伸び縮みしているわけです。
 (意識できないほどに微細ではありますが)

 いずれにしても呼吸数と心拍数が違うと言っても決して無関係でないのと同じように、呼吸とCRIも無関係ではありません。整数倍の一致点があって、そこを捉えることから始めると、検出する訓練としてはやりやすいのではないかと思う次第です。

※頭蓋のことをクラニアルと表記しましたが、正確な言い方ではありません。名詞として使うならクラニウムが正解です。が、馴染みのある言葉をあえて使いました。
因みにクレニオという言い方がありますが、これはDr.アプレジャーの造語で商標権が存在します。不用意に使っている流派もありますが、感心しません。

5グラムタッチ

 現在主流のクラニアル・マニュピレーション(頭蓋療法)における圧の加減のことです。
 施術者によっては5グラムでも強い!3グラムタッチだ!と主張する人もいます。

 いずれにしても1円玉で3枚~5枚くらいの重みしか加わらないのですから、極めて弱い刺激量と申せましょう。

 普通に考えれば、そんな程度の刺激量で効くのかしらん?と思われるのではないでしょうか。ところがさにあらず!頭に関してだけは、この刺激量がもっとも効くのです。

 試しに、強めの圧でブレグマを押さえ続けてみてください。
 10秒くらいの持続圧でもう圧迫感を感じ、不快感が生じてしまいますから。
 ところが5グラム程度の圧ですと、逆に不思議なリリース感を覚えます。
 敏感な方なら、首や肩まで緩んできて、それが背骨に伝わり、場合によっては仙骨にまで達することを感ずることさえあります。

 どうしてこのようなことが起きるのか?
 
 ブレグマにしても、他の部位にしても頭蓋療法のオーソドックススタイルは非常に長い持続圧が前提になります。この時、強い刺激ですと、敏感な頭はシツコイと感じてしまい、刺激を防御しようとします。ここに緊張が生まれ、不快な圧迫感のみを感じてしまう原因となるわけです。

 では持続圧を使わず、リズミックな短スパンでの押圧ではどうか?
 確かに、これは一般にいう指圧の要領ですから、気持ちが良いかもしれません。
 しかし、圧は表層で留まってしまい、皮膚、筋筋膜には影響を与えることができますが、  縫合部や脳膜、さらに脳、さらに脊髄への浸透が得られません。内部へ浸透させるには弱い刺激でなければならない、という一見すると物理法則に逆らっているかのようですが、生理現象を加味するとこのようにならざるを得ないのです。

 5グラムタッチは力が要らないため、簡単そうに思えます。
 しかし、弱い圧ほど安定させるのは難しく、気持ちや身体に力が入っていると、指先が微 妙に震えてしまいます。
 この微妙な震えがありますと、被術者は安定感を得られず、ほとんど効き目がありません。ピタリと5グラムで圧を安定させることが出来るにはそれ相応の訓練が必要な所以です。また、CRIを感じるための必須条件でもあります。
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頭部施術における経絡説

経絡説で頭部に三焦経が走行しているとしているのは大きな意味があります。

三焦経は膜の働きを表すものですから、ズバリ脳膜の問題を表現しているのでしょう。
肩のラインから首に来て、頭頂骨と側頭骨との縫合部を横切り、冠状縫合を横断します。

胆経もまた重要な頭部の位置を走行しております。そもそも胆経は関節を支配する経絡です。縫合部もまた不動関節(実際は動く)ですから、この関節の問題を表しているに違いありません。

胆経異常は関節が硬くなり、動きが悪くなることが多いわけですから、縫合関節そのものの動きを良くする効果があるのです。

膀胱経は自律神経と深い関わりがあって、その走行は、ほぼ仙骨をカバーし、背骨の際を通り、後頭骨即ち脳幹を統べていきます。

仙骨と後頭骨が連動する動きがあるとするオステ系、カイロ系の理論は膀胱経の走行からも正しいものと判断できます。

脾経はコメカミに到達しているわけですが、咀嚼(消化器系)とクラニアルの深い関係性を暗示しているかのようです。勿論、この部分はプテリオンと言って、クラニアルでは非常に重要な地位を占めるわけです。

督脈はいうに及ばず。
ラムダを通り、矢状縫合、そしてブレグマを通っていきます。

「肩こりは頭で取る」という理屈は筋筋膜理論でも説明できますが、経絡説ならもっと簡単です。少なくとも、膀胱経、胆経、三焦経異常から来る肩こりはそのままコル部位と繋がっていますから、頭で取りやすいわけです。

ヘッドマッサージが一部の人の間で人気なのは、不完全とはいえ、頭部経絡から、首肩のこりを取る、即ち爽快感があるからに違いありません。頭部の経絡が渋滞気味ですと、何をやっても抜けた感がないので、さもありなん、とは思いますね。

ある方にクラニアル手技を行っていたところ、「わぁっ!」と叫びました。
いい感じ!と思っていた矢先でしたから、何事か!夢でも見たんかいな!とこちらも驚いてしまいました。しかし、その方「身体がスッと楽になったのでビックリしました」と呟くように言ったのです。

クラニアル手技は5グラムタッチですから、実に微妙なものです。
全身の気血の流れを良くしたあと、最後の最後で経絡が繋がった瞬間です。

現代社会はストレス社会、即ち、頭でっかち社会でもあります。
頭部施術は経絡説を基にするにしても、クラニアル理論を用いるにしても、益々重要性が増していくことでしょう。

足ゆびと頭蓋骨

頭蓋-仙骨療法の中に異端ともいうべき考え方があります。
足趾と頭蓋骨のそれぞれの骨が対応していると。

これは経絡原理ではないですねぇ。
強いて言えば、全息胚原理に近いのではないでしょうか。

かといってリフレクソロジーのように秩序だった配当がなされているわけでもありませんから、経験則的な部分がかなり含まるのでしょう。

オステでは異端の考え方ですが、小生、人様の足ばかりを診てきた経験から述べさせて頂きますと、かなり当たっているような気がします。

例えば小趾が蝶形骨と対応しているとしていますが、これはピッタシという感じ。

現代人は小趾の関節が癒着しやすいライフスタイルを持っています。(靴生活)
場合によってはPIP関節、DIP関節まで癒着し全く伸びない趾の方もいらっしゃいます。

ところが同じように屈曲し、見かけ上は癒着しているように見えても施術者が伸ばしてみると癒着がなく、スンナリと伸びる場合もあるわけ。

ここにライフスタイルだけの問題じゃない何かがあって、探求の余地が出てきます。
一応、小趾は膀胱経に配当されますので、それらに関連する内臓的問題、或いは経絡そのものの問題も考えられるのですが、それ以外に考えるとすれば蝶形骨になるのかなぁ、と。

蝶形骨というのは後頭骨と共に屈曲と伸展の自律的リズムを刻む骨です。
ある意味、後頭骨と連動して閉じたり開いたりしているのですが、この異常は結構多くて、それにより様々な愁訴を生み出しております。

足を良く診て、全身そして頭蓋を診る施術者だけが分かる、関係性といいましょうか、直感的な判断が働くとでもいいましょうか、うまく説明できませんけど、(はは~、なるほどねぇ)という類の理解になるのです。

これはどうしようもないものです。理論的な説明ができないのですから。
理論的な説明が出来ないが故に異端なのでしょうが、そんなこと言ったら、ほとんどの自然療法が異端になってしまいます。
ここは経験者の言うことを信じて貰うより他ありません。

しかし、謎なのはこれを最初に発見した人は一体どういうことで分かったのでしょうか?
足も頭も診るオステオパスであることは間違いないでしょうけど。
世間は広い、エライ人がたくさんいるものです。

その他、母趾と後頭骨二趾と篩骨三趾と頬骨・・・などなど。
二趾と三趾は実感が湧きませんが、母趾と後頭骨は(なるほど、確かになぁ)と思ったものです。

足趾重点ということになると、柴田式足心道の専売特許みたいなものですが、柴田式は頭蓋骨との関係を全く考慮に入れていません。
経絡とはまた違う別の機序を探るのも一興ではありますね。
(勿論、経絡機序も働きますよ。同一操作が別々の機序を同時に働かせることはお馴染みの現象ですから)

まあ、これは文章で述べては、あまりにも煩雑ですし、また本格的な探求には相当な時間がかかりますから、あくまで参考のレベルで留めおくのが賢明かと思います。

歯は大事

動物の寿命というのは歯の寿命とほぼ等しいものです。
勿論、入れ替わり立ち代り歯が生えてくる動物もいますが、そういうのは例外に致しまして。

人間の場合はご存知のとおり、永久歯が生えてからは、もう二度と生えることはありません。したがって、この永久歯がダメになれば、自前の歯がなくなることになり、食べ物を食べるのにも苦労することになるわけです。

しかし、歯科学の進歩というのは有難いものです。
ブリッチをかけたり、入れ歯を作ったり、最近ではインプラントという方法まであって、歯の機能を補う方法が発達してきました。
小生も、何箇所かブリッチをかけて、その恩恵に浴している一人です。

ところが、所謂、歯槽膿漏、歯周病が進みますと、歯がグラグラになって、処置をするにも対処できなくなるわけです。

そして、最終的には総入れ歯ということになるのですが、そうなれば不全感を感じるらしいですし、その途中経過でも、硬いものが噛めず、食べ物の歯ごたえを味わうことができません。

グルメなら致命的な悩みになるでしょう。

歯臓器説を唱えたのは日本の歯医者さんだったと思いますが、確かに歯が役に立たなくなると、(歯は臓器だなぁ)とシミジミ実感するわけです。

胃を全摘するとか、腎臓や脾臓を摘出するとなると、相当な覚悟とそれなりの理由が必要ですが、歯を抜くということに関しての深刻さはそれに比べ、あまりないのではないでしょうか。

しかし、歯がリッパな臓器の一つとして考えれば、歯を抜くという行為は内臓摘出に匹敵するような問題だと思うわけ。

食べるものが制限されるだけじゃなく、滑舌が悪くなりますし、顎の骨が痩せて老人顔に早くからなりますし、何よりも頭蓋縫合が微妙に狂ってきます。

頭蓋に問題が起これば、これはもう何が起きても不思議ではありませんから、様々な病気の遠因になっているのかもしれません。

三水会のときにYさんが、ある選手が足の故障に耐え切れず、途中棄権をした件に関して一言述べておりました(オリンピックの話ですよ)

「歯列矯正のせいだと思うけど・・・」
ふ~む、言われてみれば、その選手は歯列矯正をしていたような・・・・

記憶を辿っていくと、そういえば、そういえば、総入れ歯!(オヤジギャグで失礼)
なるほど、そうだ!歯列矯正のせいだ!と思いましたねぇ。

普通、応力転位は足から上へ行くことが多いのですが、顎関節の問題から下へ影響を及ぼすことも少なくありません。

誤解しないで頂きたいのは「歯列矯正」が悪いと言っているのではありません。
一般人が日常生活を送る分に、大きな問題となることはあまりないでしょう。
(小さな問題は結構あるかもしれませんが)

しかし、アスリートの場合は限界まで肉体を酷使します。
微妙なバランスが崩れ、もともと持っていた歪みが増幅した可能性は大いにあり得ることです。

我々の考え方では、現役のアスリートが歯列矯正するなど、狂気の沙汰としか思えないのですが、まだまだクラニアル系の考え方が認知されているとは言えないのが現状です。

先日、久しぶりのクライアントさんが来て、懐かしかったのですが、その後、その人に起こったことを聞いてビックリ仰天しました。

ホワイトニングという歯を白くする処置があるのだそうです。
その方はそれをされたらしい。
すると、どうも歯に微細な割れがあったようで、ホワイトニングで使う漂白剤が歯茎の中に入ってしましって、炎症が起きたとのこと。

そしてそれが何ヶ月も続き、今現在もそのことで苦しんでいるのだそう。
訴訟問題になるかもしれない、とおっしゃっておりました。

その話をやはり三水会のメンバーのIさんにしたところ、歯を漂白して白くする技術はアメリカ発祥のものらしいのですが、最初にその処置を受けた一群の人々は現在、歯がボロボロになり大変なことになっているとの情報を頂きました。

歯は専門じゃありませんが、クライアントさんの話を聞いておりましたから、さもありなん!だなぁ、と思いましたね。

美しくなるのはある種の代償が必要なようです。

まあ、小生は審美歯科とは縁がありませんが、歯自体の問題が深刻化しております。
何事も遅すぎることはない、と言いますから、ここ一ヶ月、丹念なブラッシングを心がけでおります。やはり調子が良いようです。
(しまったなぁ、こんなんだったら、もっと若い頃からこういう習慣をつけておけばよかった)と思うのですが、いつもこんな調子です。

来世はキット、まなびを生かせるのじゃないかと、期待するしかありません。

静止点誘導

クラニアルの動きを捕捉するのに、物理派とエネルギー派とがいます。
前者の代表はアプレジャーで後者の代表はフルフォードでしょう。

物理派というのは、脳脊髄液の循環が脳膜の膨張と収縮を生み出し、それが頭蓋を通じて物理的に感じられるというもので、エネルギー派はある種の生命エネルギーのインパルスをダイレクトに手に感じるというものです。

物理的な動きを捉えるのではなく、エネルギー波を捉えるという意味において、エネルギー派のほうが、よりスピリチュアルな感じがしないでもありません。

しかし、物理派においても、その動きは極めて微細なものですから、それを感知するには、これもまた無意識にスピリチュアルな感受性を使っているのかも知れず、その境界線はどこかで重複しているような気もするわけです。

脳脊髄液の物理的な動きがリズミックインパルスの正体であるとする物理派はその主張において独特な理論を展開します。

これが表題の静止点誘導という概念です。
基本的にどんな人でも頭蓋の動きはあるのですが(余程閉じている人以外は)、治療が成ったという目安として、リズミックインパルスが止まる時点を重要視するのです。

言ってみれば意図的に脳脊髄液の循環を止めるわけですね。
そうすると、リズミックインパルスが止まる瞬間を捉えなければいけません。

このとき、何かが身体の中で起き、良い機転につながると主張します。
「何かが起きる」と言われても何が起きる?反問したくなるような表現ですが、おそらくは“再構築”なのでしょう。“リセット”と言い替えても良いかもしれません。

いずれにしても脳脊髄液の循環という物理的な現象を基礎とする理論は、静止点に導くということを眼目とするわけです。

この静止点というのものは、確かに存在します。
力強く、しっかり動いていると感じていたものが突然止まるというようなことが実際あるわけで、そういう経験をしている術者も多いのではないでしょうか。

しかし、静止点に達するにはかなり長い間、タッチしていなければならず、根気が必要です。しかも、これは純粋な治療技術ですから、ただタッチされいる状態が15分も続くとクライアントとしては途中で目覚め、「何をやっているのかしら?」と感じてしまうことでしょう。

要するにクライアントをして考えさせてしまうような施術は、それだけで脳の働きを活発にし、副交感から交感へスイッチされてしまいかねません。

この辺は事前によく説明することでほぼ解決できると思いますが、問題は施術者の集中力が続くかどうか、ということです。

力は全く使わない施術ですが、多大な集中力を要する技法です。
集中力というのは肉体、精神のエネルギーが充実していませんと、中々持続できないものです。

ためしに、15分間同じところを押え続け、全く集中力が切れないかどうかやってみれば分かります。素人では絶対に無理です。たった15分でも無理なのです。
(多分、他のことを考えてしまうでしょう)

施術家は当然、プロですからそれを訓練によって克服しますが、よく鍛えられた施術家であっても、体調の波というのは誰にでもあるものですから、持続出来るときと出来ないときがあります。

単純な技ほど難しいというのは小生の持論ですが、単に頭蓋にタッチするだけという単純といえばこれほど単純な技法はもう他にありようがないわけです。

単純推圧でさえ、圧を加えるわけですから、頭蓋にタッチし続けるというのは如何に単純で如何に難しいかが分かって頂けるものと思います。

人というのは動きがあればその動きに集中できますから、ついつい手を動かしたくなりますわね。それが所謂マッサージ的な動きでもあり、アジャスト的な動きでもあります。

動きがある技法というのは難しそうに見えますが、実は単なる技術ですから、習得さえすれば難しくないのです。

スラスト系であっても、一見難しそうに見えますが、実はやるだけなら少しの訓練で出来るようになります。(中途半端に出来てしまうから事故が多かったのですが)

施術家を志す人でやはりこういう動きのある派手な技法を好む一群の人々がいますが、それはそれで否定するものではありません。

しかし、忘れて頂きたくないのは、動きのない、決して派手ではない技法にこそ、汲めども尽きぬ難しさと奥深さがあるということです。

小生思うに、静止点の発見は手技療法史上、「頭蓋は動く」という発見に匹敵するほどのものだと思います。

しかし、感受性とともにその技法は難しいのです(集中力の持続が難しい)。
何事も一朝一夕では成し遂げられません。

使い続け、磨いていくより他ないのです。
それが楽しくなるまで
(楽しいと集中力は持続するわけですから)

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