小生、足の施術から入ったのは正解だったなぁ、といつも思うわけ。
骨格の歪みや自律神経の乱れは足元の歪みが原因であることが多いと今更ながら思いますね。
ヒトには適応力があって、多少の歪みなど屁でもない(下品で失礼)ほど応力吸収能力があるのですけど、人生50年の頃はその機能だけで一生を過ごせたものが、寿命が伸びるにつれ、問題が表面化してきます。
人類史上、平均寿命が80年もあったなんてことはないわけで、今でも、貧困国は30代とか40代で生涯を終えます。
足関節と膝関節と股関節の補正関係を述べたのはフルフォード博士をして嚆矢とするのですけど、これは強力な理論だなぁ、と臨床を重ねるたびに思うわけです。
足の施術=リフレという図式が成り立つ昨今ですが、リフレというのは反射区理論を用いますね。面白いのはこの反射区理論を否定する施術家がいるということ。
曰く、反射区というのは、確かに人体の投影図ではあるけれど、それは鏡に映った虚像に過ぎず、鏡に映ったものを何とかしようとして鏡自体を磨いたところでなんら本体には影響を与えないだろう、と。
これも一つの見識ではあります。
小生もそもそも反射区機序とは何だ?という素朴な疑問から、足証九大原理というものを考え出したわけで、圧痛点=治療点になるとは限らない、という有名な平田博士の理論にも影響を受けています。むしろ、その圧痛を消すのに全然違う部位の施術によって行うのがベストである、というのは経絡理論の骨子でもあるわけですし。
いずれにせよ、人体の投影図という考え方は神経解剖学的には是認されるはずもなく、東洋医学的に言えば全息胚理論になるわけです。しかし、東洋医学はこの全息胚理論を診断には用いましたが、やはり治療点としては用いてないわけです。
用い始めたのは最近ですね。耳針療法を人民解放軍の従軍医が考え出したのがおそらく最初のものではないかな、と。効くからという理由ではなく、行軍中に簡便だからという理由にしか過ぎません。だから、ちゃんとした鍼灸院で、耳針療法を行うところはないはず。
あるとすれば飢点穴(耳にありますけど)への刺激で食欲を抑えるというダイエット療法の一環でしょう。
このように全息胚理論というのはそのものの歴史が古い割には治療点としての歴史は浅いわけです。(脈診なんてのはまさしく全息胚理論なんですよ)
でも実際は分からないんです。その機序が働くかもしれません。何故、検証できないかというと、施術することによって、違う機序も働いてしまうからです。
体液循環が良くなりますしね。神経反射も起きます(ただしランダムなもの)し、経絡反応も起きます。
(詳しくは足証九大原理を参照して頂ければと思います)
このようにして全息胚機序だけを働かせるというのは不可能なわけです。
ようするに実効性があれば(実際ある)、どのような機序が働いていてもいいじゃないか、という妥協的産物なわけです、臨床家にとっては・・・(理論家にとっては問題でしょうが)
全息胚理論が治療点として有効か有効じゃないかの是非はこの際置いておいて、足には末梢神経が集合していることは間違いありませんね。
遠心性神経と求心性神経の交差点みたいなもの。しかも渋滞を起こしかけています。
これは直立歩行するという不安定な体勢で活動する人間の宿命みたいなものでしてね。
絶えず、フィードバック(求心性)と制御(遠心性)が行われていて、そうしなければ、バランスを崩して歩けなくなります。
もし、足の固有受容器の侵害があれば、それを代償しようとして、膝で補正します。膝の補正力を超えると、股関節・・・股関節はとんでもなく大事で股関節の歪みはタダチに仙腸関節の微妙な狂いを生じさせます。仙腸関節の狂いは仙骨自体を変形させ、代償させるわけですが、これも一重に直立歩行し活動するという人間の宿命を最優先させる結果です。
なぜなら、野生動物をみれば分かりますが、活動できなくなくなると、それは個体の死を意味するからです。過酷な自然の中で生きているわけですから、捕食活動ができないばかりか、逆に天敵に捕食されてしまいます。いずれにしても極めて短期間で死ぬことにはなりますね。
人間もまたかつては立派な野生動物であったわけで、何よりも動いて活動することがトッププライオリティになるのです。
ですから、仙骨の歪みが生じて、エネルギーバランスが崩れ、または骨格自体が歪み、そのことが原因でどこかのリンパ流がブロックされて内臓に障害が出ようともプライオリティで言えば、低い順位でしかないわけです。
極端にいうと、歩けなくなるという機能障害よりも癌にかかるほうを選ぶように設計されているのが人体の基本的構造なのですよ。
しかも2足歩行を選んだわけですから他の動物よりもはるかに不安定で歩行機能障害に陥りやすいわけ。だから、人生50年のうちには問題化しなくても、寿命が伸びるにつれ、歩行を維持しようと代償作用が働き、ある人は内臓問題、ある人は内分泌、ある人は整形外科疾患などが多発してくるわけです。勿論、老化という素因もあるのでしょうけど、その背景には足の機能の代償として隠れてもっていたものが表面化したということです。
結局、先に首を傷めようと、腰を傷めようと、その結果として起きるバランスの崩れが歩行の障害を生むようにしたくないので、その部分で懸命に止めようとしているわけです。
(足の歪みは検出されますよ、ほぼ百パーセント。しかし歩行機能障害まで至ってはいません)
首や腰だけを下手にいじると歩行問題に現れるので、治療をはねつける頑固な症例も出てくる所以です。そう!この問題が施術家を悩ませる問題でしてね。とにかくトッププライオリティは歩行である!という概念が挿入されていませんと、治療の堂々巡りになってしまいます。首なら首の施術でもいいのですが、それは足の歪みとの兼ね合いで微妙に調整していかないと、首の施術をはねつけるのです。だから首と足の施術をする、腰と足の施術をする、頭と足の施術をする・・・こういう施術の仕方は適応進化論的にも発生学的にも基本構造的にも理に適っているわけです。
極論になりますけど、足元に注目しない療法は、それが如何に優れた理論を持つ自然療法であったとしても、対症療法にしか過ぎないと思うわけ。
対症療法であっても命を救う場合も多々ありますから、決してバカにしているわけではないですよ。だからこそ小生も、全身整体を行うわけですから。
足の施術家は誇りを持ってやっているのでしょうけど、客観的には泥臭い施術ではありますね。派手さもありませんし。
「おまえ・・・なにが悲しくてヒトの足なんか揉むんだ?・・・」
リフレクソロジストになった娘にある父親が言った言葉だそうです。
我々はごく普通に人様の足を揉みますわね。そこには悲しさなんてありませんし、むしろ、喜びを持ってやっているわけなのですが、中にはこの父親のように、複雑な心境を持つ人もいるくらいです。
足揉み慰安婦や慰安夫じゃ悲しいかもしれませんが、述べてきたように明確な目的意識を持ち、それが最良の選択であると確信して行えば世界で一番有意義な仕事に従事していることになると思うのです。(足を揉んでいてもビル・ゲイツにはなれませんけどね)
三関節原理の一部として足首拘束のリリースという動画をアップしておりますが、見てお分かりのとおり泥臭い施術です(G線上のアリアで多少緩和されているかな)。
真に有益なものは泥臭いものですよ。
ただ、やはり体力の消耗は防がなきゃいけない。この仕事はともあれ長く現役を続けることですからね。施術家にとって経験知というのは重要なファクターではありますから。
そこで編み出した(亜美出した)のが逆Tゾーン反射療法というもの。
ここを抑えておけば、足裏の筋筋膜、腱、腱膜、靭帯の固有受容器の障害はほぼカヴァーできるなぁ、と。(当然、主要な経絡反応も得られます)
あと虫様筋反射も結構重要なのですが、これらは特殊な器具で代用できます。
明日は四十ムニャムニャの誕生日です。
段々と体力を使わない方向へ行っていますわね。
若いうちは気づかなかったのですが、体力と集中力は確かに年齢とともに落ちていきますよ。そのかわり、良くしたもので経験知が蓄積されてきます。
こうしてバランスが取れるのでしょうね。
「疲れきるまでエネルギーを使うわけにはいかないのだよ」とはフルフォード博士が晩年に近い頃、漏らした言葉だそうです。
同じ効力があればエネルギーを温存するに如くはないわけで、それだからこそ、90歳を超えて施術も出来たのでしょう。
四十半ばでパーカッションハンマーを使い出し、体力と時間を節約したそうですが、小生は四十ムニャムニャにして真剣に考えだしました。
教えた生徒さんが少しでも長く現役を続けられるように(できれば生涯)、せにゃならんなぁ、と自分の誕生日を前にシミジミ感じる今日この頃。
だからと言って、棒を使って施術するなんざ、原始人に大腿骨を与えたようなもので、さほど体力の節約にはなりません。(プロとしてカッコ悪ぃし)
パーカッションもいいのですが、足の施術の特徴である反射機序がイマイチ働きづらいですわね。ブロックは取れるでしょうけど・・・
検証に少し時間はかかりますけど、三水会あたりには発表できるかなぁ、と。
それはどうでもいいや。メンバーは分かることですし。
今回の趣旨はお誕生日記念ブログということで、もう一度、足の意義について今まで語ったことがなかったことを述べてみました。
もう一度復習しましょう。
人の身体というのは歩けなくなるということを選択しない、という基本的特性があるということです。ここから、全ての代償的歪みが発生し、病に至ることが多いのです。
膝が痛くて、股関節が痛くて、腰が痛くて歩けなくなる人もいるぞ!という反論もあるでしょうが、これにはちゃんとした理由があります。
心理的なものもあるのですが、それを除くと、怪我や出生外傷の後遺症である可能性が高い。若しくは不自然な使い過ぎ。腰は心理的なもののウエイトが高いのですが、三関節痛は絶対に怪我や出生時に問題があるはず。これは百%の確率で言えますよ。
三関節は一体ですから、足首を捻った経験があるだけでも、膝にきますし、膝を打った経験があるだけでも、股関節にきたり、腰にきたり・・・これはもう臨床上、ごく当たり前に見られる現象です。
前世で膝を打ちぬかれた兵士であった過去を持っているとか(これは冗談にしても)。
あとはある種のシグナルで出る場合もありますよ。放っておくといつのまにか治ってるというパターンに多いものです。
ある日、膝が痛み、放っておいたら、気にならなくなった、なんてね。
(おめぇ、最近、運動不足ちゃうの?)と膝が訴えるわけ。(あっ、小生のことだ・・・)
(慣れないヨガなんか急にやるなよな!)と股関節が訴えるとか。
これに耳を貸さないと慢性化します。
いずれにしても歩行障害=個体の死、という厳しい自然界の掟とともに生き抜いてきた人類なのです。その時期からさほど年月が経っていません(せいぜい数万年でしょう)。
基本構造が劇的に変化しているはずはないにも関わらず、足の機能を弱める環境自体は劇的に変化しております。それでいて、寿命が延びているわけですから、病態が複雑化していくのは、仕方がありません。一種のプロセスです。人類が精神体だけの存在に進化するまでは足の重要性は続きます。
追記
足首のリリースを行う場合はBGMとしてG線上のアリアをおかけください。
だって、味噌も醤油もお酒もバッハを聴かせながら発酵させると、良いものになるのですから(実際、商品として売っているぞ)。
足首だって拘束から解放されないとは言えないような気がしないでもないではないですか!
しかし、気をつけて頂きたいのは脳ミソまで発酵して、ナベアツが三の倍数をいうときの顔になってしまいかねません。これはとてもまずい事態です。
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