(一)
経絡が精神に反応するものなら、反射区はもっとスピリチュアルな存在でしょうね。
なにせ、全息胚(ホログラフィック)原理によってしか説明できないものなんですから。
そんなあやふやなものなんか信用できるか!という態度もありですが、人体は未だ謎だらけ、そういうこともあるかもしれない、と肯定するのもありでしょう。
経絡と反射区を考えたとき、最初私は経絡の方に曖昧さを感じ、反射区の方がずっと身近で、実感的でした。
ところが経験を積むうち、経絡のほうがはるかに実感的で、反射区はどんどん遠のいていったのです。実感が湧きづらくなってきましたね。
そのうち反射区などというのは、壮大な架空物語じゃないのかぁ、と思い始めました。
なぜなら、作用機序は増永師が全身12経を発表して以来、すべて経絡で説明できるんですもの。
じゃ診断は?と問われれば、これまた足裏にある経絡が微妙に反射区と重複する部分があって、解釈の仕方によっては十分に経絡で説明可能です。
ところが最近、またちょっと考えが変わってきて、あると信じている人にはあるし、ないと思っている人にはないんだろうな、と、まったくもって非科学的な結論に達しています。
いつだったか、反射区は術者がアクセスするものであって、コンタクトするものじゃないって書いたことがあります。
振り返ってみると、この表現は的を得ていると思います。
つまり、出逢い頭に接触(コンタクト)するもんじゃないってこと。術者の意志によって繋がる(アクセス)ものなんだ、と。
経絡も幾分そのような傾向がありますが、無心にやれば誰でも経絡を作動させることが出来るという意味で、ちょっと違います。
反射区は無心にやってもアクセス出来ないんですね。人工的な意志が要る。
どっちが優れているとかいう問題じゃないんです。
単純にそういう違いがあるっていうこと。
実務的にどっちが使えるか、というと、こればかりは術者の好みですからね。
私は経絡機序のほうが自然に入っていけて、かつ没入していけるので好きですが、反射区のほうがイメージが湧くって言う人も多いでしょうし。
実は、反射区機序を使っているつもりでも、バックでは経絡機序が働いているものなんです。そんなこと言ったら、神経反射も血流、リンパ流の促進も同時に行われているのは周知の事実でしょう。
したがって、どの原理が働いて実効果を挙げているのか、特定できるものではありません。必要なことは術者の確かな実感だと思います。それが反射区であっても経絡であっても構わないと思うわけです。
一番避けなければならないのは、施術しました、作業を終えました、お客様が喜びました、お終い・・・・
手応えというのは術者自ら感じるものであって、他人の評価ではありません。反射区を基にするのであれば、それにアクセスしたという確かな実感が必要でしょう。
独りよがりで、思い込みが激しく、勘違いしやすい人間なら勝手に悟ったと思うのでしょうが、私の経験からいうと、この業界にいる人は一般的な人よりも内省的な傾向があります。ですから、施術がよく分からなくて悩むことのほうが多いでしょうね。それも必要なプロセスだと思います。たいして分かっていないのに独善的になるよりはるかに良い。
この仕事は思考のバランス感覚を試されるようなもんです。
(二)
足裏には心包経がドンと来ていて、経絡的にはこれが足裏の施術を行う意義の一つとなります。
心包経は大動脈、冠状動脈等の中枢循環を表し、「足は第2の心臓」と呼ばれる根拠ともなるものです(もちろん、増永経絡での話ですよ)
この走行位置は流儀によって多少の違いはありますが、ほぼ腎臓~尿管~膀胱のラインとなると思いますね(ヘディ・マザフレ系、つまり中国式の一部ではちょっと違うけど)
最近ボクは、足裏を触ってもらうだけで癒されます。ツボに入らなくても全然構いません。
触ってもらうだけで、トローリ蕩けるチーズみたいなもんで、身体が溶解しそう・・・油断すると速攻で爆睡しかねません。
(なるほど~、冠状動脈反応・・・心包経が反応しておるんだなぁ~)と実感しますね。
こんなこと滅多になかったんです。身体の反応というのは時期や年齢や既往歴によって変わってくるものだとしみじみ思います。
あらてめて足揉みのファンになっている昨今ですよ。
特にハートアタック系の既往歴を持つ人には足揉みは良いですね。
複数の卒業生の証言によると、身内の方の延命にさえ効果があったということですから、心包経が足裏のほぼ中央に陣取って走行しているのはドンピシャ正解に違いありません。(それにしても増永師はどうしてそこに心包経が走行していると分かったのでしょう?天才にとっては当たり前でも凡人にとっては不思議で不思議で仕方がない)
さて、足裏が心臓を助け、末梢循環のみならず、中枢循環にさえ働きかけることは今や周知の事実となりました。
また陰陽関係にある小腸経が、微妙に小腸の反射区と重なり、心臓に効果があるのが、経絡なのか、反射区なのか、益々判断を難しくしているわけです。
たまたま心臓を例に出していますが、肺の反射区と肺経ラインとは完全に重なりますし、甲状腺と肝経とも重なります。胆のうと胆経。子宮と脾経。卵巣と膀胱経。これらもかぶるわけです。
そんなことから、ボク自身もそのアイデンティに悩む時期があったわけです。
一施術家のアインデンティ・クライシス・・・思春期なら、グレてやる!と甘えることも出来ますが、大人がグレても自分が損するだけですから、悩んだだけで済みました。
結局、前述の結論に落ち着くわけです。
全息胚は「部分は全体」という思想ですから、理論上、いかなる部分においても全体にアクセスできます。
極端な話、指を触って子宮にアクセスすることだって出来る得る原理なのです。
我々が腎臓の反射区だと認識しているゾーンで脳にアクセスすることだって理論上可能です。
初心者は「そんなバカな・・」と思うかもしれせんが、反射区理論を支えている全息胚原理そのものがそういう理屈なんですから、しょうがない。
これを知っているリフレ者が意外に少ないのは、多分教えられていなせいでしょう。
教えるほうも面倒くさいのかもしれません。
術者がそう思い込むことによってアクセスできるのが、反射区の正体ですから、余計な知識は邪魔なのかもしれませんし。
いずれにせよ、反射区というのは術者の思念を媒介として繋がるものだ、と理解して間違いはないでしょう。
ときどき、足揉みを専業としている人で、恐ろしく治療実績を挙げる人がいます。
~~の観音様とか、~~の神様とか形容されている人が知る限り日本に複数いるはず。
やっていることは大した変わらないのですが、こういう人たちはアクセスする体質なんでしょうね。霊媒体質に似ているのかもしれないなぁ、と思います。
(身体壊さなきゃ良いけど)
反射区の正体がなんとなく分かりかけてきたところで、具体例にいきましょう。
(三)
最近の流行は腎臓の反射区ではなく、副腎の反射区から操作するらしいのです。
昔、昔、四半世紀ほど昔、心臓の悪い人に限って、そのような揉み方をしなさい!と習った記憶があります。
ところが今は何でもとにかく、副腎からと揉めと・・・・(へぇ~そうなんだ)
昔は素直でしたが、今はそれなりに齢を重ねておりますから、なんで?どうして?なんの意味があんの?へぇっ?じゃ証拠は?などと嫌われまくる反論をしないと気が済みません。
揉む順番というのは、手技を覚える便宜上のものです。
一通り覚えた後は自分の揉みやすいように改変するのも有り!ですし、なぜか、このクライアントさんにはここから揉みたい!という直感を優先させてもよろしいのです。
むしろ、手技は直感が大事ですから、日頃から鍛えておくという意味でも、固定しないほうが良いのではないかと思いますよ。
大勢の施術者がいるサロンで働く人は、人と違ったことをするとマズイかもしれんませんが、まあ、そこは限度を超えないように微妙にやったらよろしい。
さて、逆に私が「なぜ副腎を最初に揉む?」と問われたらどう答えるでしょうか?
もちろん「別にそんなこと言ってないけど・・・」という答えはなしとして。
副腎には様々な働きがあり、それぞれに甲乙はつけ難いもの。
その中でも、ストレス対抗作用は見逃せない働きの一つですね。
細胞賦活作用とも言いまして、簡単に言えば、全身の細胞を元気にさせる働きです。
皮質系(ステロイド系)のホルモンなのですが、このホルモンの特徴は働き始めるまでタイムラグがあるということ。
放出されて3時間くらい経たないと全身に巡らないのです。
現代はストレス社会・・・過度のストレスを受けないで生活できる人は幸運と言わねばなりません。受け止める個人の性格によっても違いますが、ストレスを受け過ぎて、副腎を酷使し、全身の細胞を疲弊させまくっている人々が世の中にどれくらいいるでしょうか?
過半を超えるような気がします。
であるならば、副腎の働き過ぎを癒し、また癒すことによって働きが回復するならば、ひいては全身の細胞が元気を取り戻すではないですか。
これぞ予防医学と言わずしてなんという!
施術に一時間かかるとすれば、術後、2時間くらいで効いてくるはず。
まあ、3時間も2時間もタイムラグであることには変わりはなく、これじゃ最初に揉む意義はあんまりないな・・・とお思いのあなた!ごもっともな意見です。
この説は引っ込めましょう。
ということで速攻で効いてくる髄質系(アドレナリン)のホルモン作用を期待しての話ということになりますね。
たしかにこのホルモンは強心作用があって、それ故、心臓に持病のある人には副腎から揉む、という理由づけがなされたものです。
でも心臓に持病などない人には緊急性はありませんね。
ということは、やっぱりすべての人に対して副腎から揉むというのは勇み足のような気もします。
この説を擁護するのは無理があるかもしれません。
こういうときは、困ったときの東洋医学!
古来より副腎の反射区は「湧泉」という名で親しまれた名穴の一つ。
命の泉がコンコンと湧き出る、という意味です!
足裏を揉む以上、この湧泉にごあいさつせずしては、スジが通らんでしょ。
なにせ2000年前から番を張っている老舗の組。これをないがしろにちゃ、この業界で生きていくには多少の不都合は覚悟しいや!って余計わけが分かんなくなってきました。
結局、腎臓を最初に揉むという理屈より万人向けの説明はしづらいですね。
どっから揉んだって良いと思いますけど・・・ね。ことさら、うちの流儀では云々カンヌンと主張するようなことではないと思います。
(四)
副甲状腺
この副甲状腺反射区の存在意義が分かりません。
かつて副甲状腺腫瘍という珍しい病にかかったクライアントさんの足を診たことがありますが、ごく普通でしたね。
しかし、副甲状腺そのものの存在とその機能について知り得たのは一重に反射区に出会ったおかげですから、なんとか意義づけてたいと念願しつつ25年・・・未だ果たし得ないのはまことに遺憾。
せめても罪滅ぼしに、副甲状腺賛歌でも歌いましょう。
♪あなたの萌える手で~わたしを刺激して~♪
副甲状腺はその名前の如く、甲状腺の副長官でありそうですが、まったく別の組織です。なぜそれなのに、なぜ、副甲状腺という名なのか!
それは甲状腺とほとんど同居しているが如くにへばりついているからです。
しかしそんなことで副という冠をつけられるのなら、ボクの隣の人の名前は沢田さんというのですが、君は新参者か~、じゃ副沢田という名前で呼ぶからね、いいね!と町内会長に言われたようなもんじゃないですか。
それじゃあまりにも気の毒なので、ついに正式名称を与られることになりまして、新名は上皮小体!(じょうひしょうたい)
うわっつらのちびっこい物体!(これもなんだかなぁ~)
副沢田が気に入らんのなら、そうだな、君は濃い顔して、足が短いから、今日から「濃顔短足」だと町内会長に言われたようなもんですよ。
ホント気の毒な器官です。
しかし、やっていることは重要な仕事なんです。カルシウムの血中濃度を一定にするホルモンを放出しているのですからね。
しかも、内分泌器官としては稀なインディー系で、間脳、脳下垂体の支配を受けていません。つまり独自の判断で仕事しているわけ。その身分が個人として完全に保証されている検察官とか、麻薬取締官のような存在です。
もし副甲状腺が仕事しなくなったらどうなるか?
カルシウム濃度が生命を維持できるなくなるまで低下したとしても、補充する方法がなく、全身痙攣の果て、死に至るでしょう。
実際、甲状腺除去者がそうした死に目にあってはじめてこの副甲状腺の存在が分かったわけでして、多くの犠牲の下、世に出た存在です。
反射区の位置は流派によって若干異なるものの、第一MP関節-外反母趾で大きく変形するところ-あたりが標準でしょう。
つまり外反母趾者は皆、この反射区異常を招いていて、カルシウム代謝に異常を来たしている可能性があるということになりますが、経験上、そうでもない。
(外反母趾は別の意味で骨格に影響を与えてしまいますけどね)
副甲状腺の反射区は益々謎です。
やっぱりリフレのような自然療法は機能系で診たほうが良いのだと思います。
臓器と反射区を一対一で結びつけると、結構矛盾が出てきます。その矛盾の最たるものが副甲状腺ではないかな、と。
機能系で診ると、甲状腺と同じように「肝」かもしれません。機能不全で痙攣が起きるというところから。
肌肉を司る「脾」、これは走行上も近いので一つの候補でしょうな。
腎も骨を司るので候補ですが、間脳、脳下垂体の支配を受けていないというところで、ちょっとイメージが違います。腎の支配はどちらかというと骨髄ですし。
やっぱ肝脾あたりでしょう。
肝脾だと、施術上、副甲状腺の反射区の位置に近いところを刺激することになって、大きな矛盾点が出ません。
副甲状腺という反射区は肝という機能と脾という機能の中で考えていくしかないと思います。