つぶやき

欠けているもの

古代帝政ローマ時代、五賢帝の一人と言われた哲人皇帝がいました。

マルクス・アウレリウス。

世界史の教科書には必ず載っているはずの有名人ですから、名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

彼は広大なローマ帝国を治め、帝国維持に心を砕いた政治家という側面と「自省録」という哲学的教訓に満ちた著作を残したことで有名です。

哲人政治家と呼ばれる所以です。

その彼が残した言葉に、
「自分に欠けているものよりも、すでに持っているものに思いを巡らせ」というものがあります。

欠点のない人間などいませんし、全く劣等感を持たない人間などは悟りを得た人か精神異常者のどちらかでしょう。

つまり、自分の欠点に目を向けるな!長所に目を向け、それを伸ばせ!という意味が含まっており、これに類することは多くの傑出した人物が一様に述べているところです。
最初に言った人はこのアウレリウスなのです。

この格言はあらゆる場面で羅針盤となり得る珠玉の名言だと思いますね。

不足を嘆いて、不平の人生を送るか、足るを知って、前向きに生きるか・・・

「自分の欠けているものよりも、すでに持っているものに思いを巡らせ」ていれば、より価値的な人生を送れた数多くの人がいるはず。

ヒトとは必ず、美徳となる長所を持っているものです。

それは優しさかもしれませんし、事業の才かもしれませんし、頭の回転の早さかもしれません。ヒトそれぞれ違うわけですから、羨ましがる必要はないんです。

ただ、どんな才能を持っていようと、たった一つの美徳が欠けていると大成しないというか、有意義な人生を送れないであろう資質があると思います。

この欠点だけはどんな人でも矯正しておいたほうが良いと思うもの・・・

それは「持続する意思の力」

小さなことをコツコツ積み重ねていく才能。
これがないと、どんな才能も生かされないと思いますね。

もし、自分の欠けているものを見渡し、この美徳が欠けているのではないかと思ったときはアウレリウスの格言の例外だと思ったほうが良い・・・

っていうか、持続できる好きなことを見出すことが重要なのかもしれません。

桂枝(けいし)

先日、遅ればせながら「レッドクリフⅡ」という映画を観ていたら、曹操の陣営で疫病が蔓延するシーンがありました。

漢方史上もっとも有名な医師-華陀(かだ)が曹操に「病の勢いは如何?」と問われ、如何せん桂枝が足りない!と答えておりました。

桂枝は言うまでもなく、シナモンのことです。
最近ではシナモンスティックなるものがあって、それでコーヒーかなんかをステアするのでしょうね。このシナモンスティックはまさに直訳的に桂枝です。

桂枝が生薬として初めて登場するのは「神農本草経」という薬草書なのですが、これは世界最古の薬草書として有名です。丁度、後漢時代の書ですから、華陀がそういったのは、まあ、考証学的にも合っているなぁ、と。

漢方のバイブル-傷寒論という書の一番最初に出てくる方剤が桂枝湯という薬方。
一番最初に出てくるくらいですから、基本中の基本方剤です。
この方剤、現在も使われていて、医師が判断すれば保険適用もありです(少なくと現時点では)。

桂枝湯は非常に単純な配合からなっていてわずか5つの生薬の組み合わせです。
桂枝3~4 芍薬3~4 生姜4 大棗3~4 甘草2

あらら、前に書いた葛根湯によく似た配合ですね。
葛根と麻黄が入れば、葛根湯になるわけで、そこから考えると、葛根湯よりは発汗作用が弱く、汗をかきやすい虚弱な者にも使用することができるものなのでしょう。

ところでこの桂枝が配合されている方剤は基本だけあってとても多くの漢方方剤に入ってます。
先の葛根湯にしてもそうですし、「桂枝~湯」「桂枝~丸」と桂枝が頭にくる薬方名がボクが知っているだけでも7つ8つほど。

桂枝の名前がなくとも、有名どころでは「安中散」「十全大補湯」などにも入っているんじゃなかったかな。

むかし、ミスタードーナッツでシナモン風味のドーナッツを食べたとき(あらっ、なんて美味いんだろ!)と思ったものです。
桂枝の薬効の一つとして、整腸作用もあるらしく、腸の弱い私には身体に合っていたんでしょうか。(身体に合うものって美味しく感じますからねぇ)

それはともかくとして、レッドクリフ(赤壁)の戦いの場所には諸説があるようです。
映画では現在の胡北省のようでしたが、微妙な位置関係ですね。
桂枝の原産地は中国南部からベトナムにかけてですから、思いっきり遠いわけでもないですし、近いわけでもありませんので(当時の交通手段から言って)。

大量に桂枝が必要なほど疫病が蔓延していたんだとすれば、調達するに少し時間がかかったんではないかなと・・・ちょうど設定に合いますね。

基本的には物語ですが、史実でもあります。
随分細かいところに神経を使う脚本だなぁ、と感心しながら観ておりました。

私みたいに桂枝という言葉に反応する観客も想定しているのかもしれません・・・・

漢方薬が保険適用外?

今話題の事業仕分け。

様々なメディアで色んな報道が為されていますね。

さて、この事業仕分けのやり玉に上がったのが漢方薬。
保険を適用させる意味があるのか?という必殺仕分け人の判断があって、これから議論することとなりました。

もともと漢方薬が保険適用になったのは、昭和40年代じゃなかったでしょうか。伝説の医師会会長 武見太郎氏が強力に行政にねじ込んだからだと言われています。功罪相半ばするといわれているこの会長さんですが、豪腕であったことは確かです。

一説によると、内科医院の7割から8割が漢方の処方を行っているとも言われており、医師会からの反発は必至でしょう。
また、ツムラや、小太郎、カネボウなどの漢方エキス剤のメーカーさんは存亡の危機になりますから、全力でロビー活動するでしょうね。
ツムラなどは「それをやられたらウチは倒産する!」とまで言っています。
対して、歓迎なのはドラッグストアーです。
医家向けと成分が変わらないのに、保険が利かないばかりに、高いものになっちゃってるっわけですから、モシ保険適用がなくなったら営業力では数段上のドラッグストアーに商機が訪れます。大歓迎!!というところでしょうな。漢方専門薬局も大歓迎!

一つの政策の変化が多様に影響するわけで、今更ながらに政治の重要さが分かります。

などと訳知り顔で述べるような立場じゃないのですが、実は消費者にも大きな影響があります。
漢方製剤を作っているメーカーさんは、医家向けによって、大量に生産することができます。大量に作ることができれば当然、コストが下がり、市販薬として店頭に並ぶ漢方薬もまた安くなる・・・・。

モシここで保険適用がなくなれば需要は激減します。最初は在庫一掃セールで安くなるでしょうが、長期的にみれば、生産コストが上がり、価格が上がることになります。

そして、買う人が少なくなり、漢方薬という一つのカテゴリーが衰退していくことだって考えられるわけです。

多分、相当に衰退しますね。
漢方は商品としてだけでなく、その診断方法に特徴があるわけで、その方法に精通しようとする人が少なくなるではないですか。
勿論、薬剤師も登録販売者も漢方薬を売ることが出来ますが、医師法によって身体に触って診断-つまり証を決定することが禁じられているわけですよ。

唯一医師だけが漢方に精通する可能性を持っていたものが、保険適用じゃないとなると、果たして何人の医師がこれを勉強しようとするでしょうか。膨大なエネルギーを使ってですよ。
今でさえ、正規の漢方診断ができる医師が少ないというのに、もっと少なくなります。

もう一つの可能性は逆に漢方診断の研究がより一層高まるというもの。
逆説的ですが、庶民には無保険の医薬は無理でしょうが、富裕層にはいくらお金がかかっても健康になれればOKという人たちもいます。

逆に言えば、あくまで漢方を標榜する医院は完全自由診療の世界になるわけだ。
歯科でお馴染みの自由診療は天井知らずの世界でもあります。
(歯に2000万円もかけたなんて人は富裕層にはザラにいるわけですよ)

そんなんで、お金になるんであれば真剣に漢方を研鑽する医師が増えるかもしれません。

庶民には手が出ませんが、結果的には質の高い漢方医が増え、その恩恵にあづかる層も出てくるかな~と。
逆張り戦略で、漢方専門を目指す医師が増えちゃったりもするかなぁ、とか。

どっちに転ぶか分かんないのですが、庶民にとって漢方は身近なものじゃなくなることだけは確かですね。

そもそもまだ本決まりじゃないので、あれこれ気を回す必要もないのですが、そういうことが仕分けの対象になったということ自体が驚きです。

医療も財政的にみれば大変な予算がかかっていて、もうアップアップ状態です。
少しでも減らしたいというのが当局の本音です。しかし、生命と安全を守るのは国の義務でもありますからね。アカラサマに予算減をするわけには行かず、そうしたところ(漢方)から切り込んでくるんだなぁ、とシミジミ思いました。

新技術と汎用技術

約7年半に渡って使い続けてきましたCDプレヤーがオシャカになりました。よくもったほうじゃないでしょうか・・・・休日を除いて、朝から晩までかけっ放しですもの。ざっと計算すると、2万時間くらいの耐久力かなぁ。

明生館をオープンする際、いくら静かな環境で施術するのが好きだと言っても、ヒーリング系ミュージックくらいはBGMで流しておかなきゃなぁ、ということでコンパクトCDプレヤーを探したわけですよ。

コンポのような大掛かりなモノはスペースから言っても無理でしたし、何かコンパクトで良いものはないものかと・・・・電気屋さん巡りをした結果、カシオで丁度良い大きさのプレヤーがあったわけです。一も二もなく、これだ!と惚れこんで買い込みました。
値段は2万5千円くらいでしたか・・・・

いくら気に入ってもいてもイカレてしまったんじゃしょうがないですよね。代替を探して購入する必要があったわけです。すると、スタッフKがアマゾンで調べた結果、4000円台からコンパクトプレヤーがあるということでした。現物は見ませんでしたが、4000円くらいのものですからね。即、発注!

いまそれがあるのですが、いや~全然、大丈夫です。余程音楽にうるさい人なら分かるかもしれませんが、普通の人なら、まず違いは分からないでしょう。ましてやBGMで流す程度の音量ですし。

しかし、7年半前は25000円、こんにち、4000円です。ほとんど変わらない性能のものが六分の一以下の値段になっているわけですよ。

新技術が登場したと思ったら、あっという間に汎用技術になります。汎用技術になれば競争に晒されますから、値段がガンガン落ちていく・・・・薄型テレビなんぞはすでに昨年の二分一に下がっているそうな。
 
当然、企業は儲からなくなりますから、また新技術を開発したり、付加価値をつけたりと必死になりますよね。こうして際限のない開発競争になる・・・・こういう系の開発現場の人は大変だ。

我々の業態も技術であることには変わりません(モノという形は残りませんけど)。昔とは比べ物にならないほど情報が入ってくる時代です。昔は高度な技術どと言われたものが、あっという間に汎用化して、差別化できなくなりつつあります。

そうすると結局、立地であり、マーケティングであり、ごく普通の業態と同じようなものになるわけですね。
 
癒し系でやる限り、その原則から逃れられない、っていうか治療系でさえ、過当競争の波に晒されてきている、とまあ、こんな時代に生きていることを認識せねばならんのです。

東京は特別に激戦区ですが、地方にもいずれ波及するでしょう。先日も麻布の高級癒し系サロンがクローズしました。(1年もったかなぁ)
 
でもちゃんと他店が2~3増えていますので、総体としては増えています。個人開業者がそんな中に放り込まれたらタマッタもんじゃありませんわな。資金力、企画力の勝負じゃハナから先が見えてます。

しかし個人は個人で生きる道はありまして、丁度、最先端科学粋を集めた機器の部品を大田区の町工場じゃないと作れないような、そういう技術ですよ。汎用技術になりようながない職人芸ですね。

新技術でなくとも汎用にはなり得ない、という第三の技術もまたあるということです。

専門用語

専門用語は結構、厄介で面倒くさい。

前にも書きましたが、頭蓋骨は一般には「ズガイコツ」で良いわけですが、専門用語では
「トウガイコツ」。一般の人にトウガイコツというと(このセンセ、漢字の読み方知らないんじゃないかしら?)などと思われるかもしれません。

リンパ腺は「リンパ節」ですし、副甲状腺は「上皮小体」、さらに副腎は「腎上体」。リンパ腺を除いて、医者でも副甲状腺や副腎というわけですから、ここら辺はあまり気にしなくても良いでしょう。

さらに厄介なのは「反射」という言葉。
医学的に反射というのはちゃんと定義されているもので、脳を介在させない神経反応のことを言うわけです。脳に到達して、脳から指令が行くことを「反応」というのですが、こうなるとリフレクソロジストは混乱のドツボにハマります。

リフレクソロジーは反射療法と訳されるわけですから、反射区とか反射帯とか反射域とか呼ぶことになるわけです。

すると「大脳の反射区」というのは、ちょっと変ですね。
脳に到達しているわけですから、「大脳の反応区」と言わねばなんないのかぁ、とか。
その他、小脳の反応区、脳幹の反応区・・・・
ありゃりゃ・・・痛みとか、ある種の刺激を感じるのは脳が感じているわけですから、それが治癒機序になる場合は他の部位でもやはり「反応区」と呼ぶのが正解なのかぁ??

まあ、あんまり深く考えないほうがよろしいかもしれません。
習慣的にそう呼ぶ、と・・・割り切ったほうが良さそうです。

治療家なら、反射というよりも反応と呼ぶにふさわしい治癒機序が働いているとしか思えない場面に遭遇します。安心感、信頼感だけで愁訴の消失をみたりするときは、まさに大脳反応なわけです。

一流の治療家はこの反射と反応を上手く使い分けているもので、施術は全人格的なものであるというのは、そういう理由があるんですね。
 
どんな凄い技術を習ったとしても、こればかりは教えられるものではありません。
せいぜい、そういうものであるということを伝えるのが精一杯でしょう。

そんなことを思いますと、施術はシンクロナイズドスイミング(フィギュアスケートでも良いのですが)に似てるなぁ、と思ったりもします。

技術点と芸術点の総合点で競われるわけでしょ。芸術点が高くても技術が平凡なら、メダルは取れませんわ。その逆も同じです。
まあ、バランスですな。

どんな分野にも通じるのかも知れませんね。

スパズム

スパズム・・・クッキー先生のブログにも登場しました。我々の間では「筋スパズム」などという言い方をして、頻繁にお目にかかる言葉です。

英語のスペルではspasm。汎用的な意味でひきつけ、痙攣、発作などと訳されます。ギリシャ語起源のラテン語由来の英単語だそうです。クッキー先生も書いています通り、汎用語としてはともかく、医学的な意味で統一された定義はありません。

小生、学者じゃありませんから、ある時は筋拘縮、ある時は神経伝達の阻害原因たる組織拘束、もっとくだけてコリみたいなもの。東洋医学的には実のコリ、場合によっては虚のコリ。などという風に理解しております。

このような理解でも実務上の問題はないので、特にこれを取り上げ授業を行ったことはありません。要はなんらかのブロックがあって、それが何らかの不都合を呼んでいるそこにある病変部ということじゃないでしょうか。関連痛を惹起させたり、可動制限を生じさせたりする軟部組織の不正常さを高等な言葉で表すと、このような表現方法を採ることになるのではないかと・・・

「肩甲挙筋に筋スパズムが発生して、肩甲骨の挙上が制限され、同時に筋膜を通じて頚部への関連痛を引き起こしているようです・・・」と述べるのと、「肩の筋肉がコッて肩が挙げづらいのですね、首の痛みも肩のコリから来ているようですよ」と述べるとでは、どちらがカッコいいかというと、自己満足的になら前者でしょう。

しかしクライアントはおそらくチンプンカンプンに違いありません。術者が説明する際は後者で行うのが普通です。
 
フルフォード博士は決して専門用語を使って説明することはなかったといいます。
これを持って知識不足というのは大きな間違いで、難しい概念を易しく述べるのは相当に深い知識が要求されます。

しかし、整体を勉強したばかりならいざ知らず、10年も経験してそのような概念及び事実がある、ということを単に知らないということもあり得ますから、話は面倒くさいわけです。

症状のあるところを揉めば良くなる!ばかりに何でもかんでも揉み潰す技法を行っていたのはれっきとした指圧・按摩・マッサージ師達であったわけです。
 
ましていわんや民間資格たる整体業に至っては、身体的におそろしいことをやって平然としていた歴史があります。
(今もあるかも知れません)

術者の信念が治療効果を左右する、というのは一つの真理ではあります。
なんの根拠もなく信念を持てる人は別の意味でアブナイ人ですから、これは別として、普通、信念を持つに至る知識と経験があるはず。
 
そういう意味で、様々な考え方や概念、或いは事実を学ぶのは大変有意義なことだと思いますね。
 
すると、言葉は違ってもある共通項を見出すことがあります。
 
共通項を見出せば、自信を深めることにつながり、よそ様の体系にケチをつけることもありません(余程理に適っていない場合は別ですけど)。

よく西洋手技法系の初心者達の議論を聞いていると、内輪だけで通用する専門用語が飛び交います。たまにその意味を聞く質問者がいると、そんなことも知らないのか、氏ね!という生意気な若僧がいるのですが、身体の不都合を表すのに、その分野では特異的な表現を用いて概念の共有を図っていることに気付いてないわけです。

同じことを別な体系では別な特異的な表現を用いることだってあるわけです。
私は細胞における原形質流動がゾル化できない状態に陥ったとき「実」と呼び、ゲル化できないでいる状態のとき「虚」と呼ぶ東洋的表現のほうがはるかに筋筋膜の不都合を表現するのに豊かなものだと思っています。豊かだとは思っていますが、この概念を説明するには煩雑過ぎますから、単に拘束と言い、ブロックというわけで、モノを知らないからで はありません。
 
この上、筋スパズムまで持ち出すと、またまた煩雑になり、どう違うの?という答えに窮する質問が出てくるに決まっていますから、あえて酒て、(もとい)避けているのです。

パターン認識

以下の文章が今、話題のコピペ。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

読めますか?
ひらかなばかりなので、読みづらいと言えば、読みづらい。しかし、その点を除けばさほど違和感なく読めます。これ読書量が多い人ほど違和感なく読むことができるわけ。
注意してみれば文中にもあるように、文字の順番がメチャクチャにも関わらず。

人間の脳は、文字を一個一個読んでいるわけではなく、一塊でパターン認識しているわけです。だから、自分の書いた文章の誤字、脱字を発見するのは難しいのですね。

漢字も読めるけど書けない人が多いのは、読む際細かい部分まで認識せず、パターン認識しているわけです。別に悪いことじゃありません。このパターン認識力がないと、本一冊読むのに膨大な時間がかかってしまいますから。

慣れてくるとセンテンスごとパターン認識しますので、読むのが早くなるのですが、同じ作家のものはある種の文体の癖がありますから、ある作家にハマリ、その作家の作品ばかりよんでいると(別の作品でも)、余計、早く読めるようになります。

前述した文例とその現象についてネット上では不思議体験として盛り上がっているようですが、不思議でもなんでもなく、昔から言われていたことです。

翻って施術で考えれば、細かい部分では人の身体は無限の違いがあるようにも思えますが、経験するうちにパターン認識できるようになります。

実はこれが「証」というもので、「証」とは一種のパターン認識だと喝破したのは増永師をして嚆矢とするのではないかと思います。

受験英語でも長文読解で苦労した方も多いと思いますが、ある程度、単語や熟語を覚え、長い文章の英語を読んでいきますと、ある日ある時、突然パターン認識できるようになって、スラスラ読めるようになります。
 
同じような現象です。
そこまで、地味に単語を覚え、熟語を覚え、さらに文法を覚えていくことができるかどうか?それができるかどうかの違い。人間の能力の一つですからたいしたことじゃない(努力という意味ではたいしたことなんですけど)。

単語を何故覚えるか、熟語を何故覚えるか、文法を何故覚えるか。
覚えるために覚えるのじゃくて、このパターン認識を会得するためのものです。

施術における技法もまた、最終的にはパターン認識するためのツールとしての役割があるということを忘れてはいけません。

目の疲れから考えること

最近、パソコンのやりすぎと、老化現象で目がショボショボすることが多くなってきました。

あるときなどは、突然、目が痛みだし、涙が出て止まらなくなったこともあります。それでも、パソコンの前から離れられないのですから、一種の中毒ですかね。

さて、目は五臓六腑の窓とも言われ、様々な内臓と繋がりあるとしています。古くから言われているものに、目を全息胚に診立て、おおよその診断をしようとするものもあります。

例えば、

角膜虹彩を「肝」
瞳孔を「腎」
それ以外の黒目を「心」
白目を「肺」
上下瞼を「脾」

これで五臓ですが、陰陽関係にある腑は自動的にくっついてくるものですから、少なくとも五臓五腑のおおよその歪みの見当はつけられでしょう。
(小生は眼診はしませんけど)

目は生活上、欠かすことの出来ない重要な器官ですが、生命維持という観点だけからいうと、最初に犠牲にされやすいところかもしれません。

なにせ目は単位重量あたりの酸素消費量が最も多く、脳や肝臓や腎臓さえ上回っています。ですから、生体はこれらの臓器に不都合があって、より多くの血流量が必要な場合、目に回す分を少なくしてしまうわけです。

このことを考えると、目の問題を内臓の問題と考えた古人の考えはもっともなことだと思います。肝腎要というが如く、目の問題を考えるとき、肝と腎を重要視したのは古典の教えるところ。ですから、目を酷使していくと最終的には肝、腎の問題となりますよ!という意味もあるのです。

「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」と諫めたのは電気がなかった時代、ろうそくの灯りだけで、爪を切ると目を傷め、ひいては肝腎の病に至る=親より先に死ぬ=親の死に目に会えない-ことがあるから、そんなことしちゃイカンのですよ、という意味です。

♪母さんが夜なべして手袋編んでくれた♪
 
一度は聞いたことがある歌ですが、夜なべして、手袋など編んでいたら、それこそ、爪を切るどころの騒ぎじゃないくらいに目を酷使します。
 
昔は今と違って、女性のほうが男性より短命でした。
むべなるかな・・・と思います。

目を酷使して内臓に至るパターンもあれば、内臓の問題から目に問題が出てくるパターンもあるのは当然です。
 
肝腎の機能が衰えることによって、目が悪くなってくる・・・つまり表裏一体です。ここに悪循環という問題が提起されまして、歳を取るにつれ、目を酷使する読書から離れていくのはごく自然なことなのです。
(つまり、老眼は生体の知恵でもありますな)

しかし!小生のように中高年から中途半端なブロガーになってしまうと、別にそれで稼いでいるわけでもないのに、パソコンの前でただひたすら文字を打ち込むことになってしまって、実に困ったものです。
 
じゃ、そんなことやらなけれないいじゃん!という話になるのですが、全国3000万の亜美之介ファンが心待ちにしているブログを止めるわけにはいきません。

どこかに妥協点はないものか、と模索しているのですが、口述するだけで、スラスラと文章が出来上がるシステムが一般化するまで待たねばならないようです。

肩こりと文章書き

先日、作家の村上龍氏が、「ペンで小説を書いていた頃は肩が凝っていたけれど、パソコンで小説を書くようになってからは、肩というより、肩甲骨が凝るようになった」(要旨)と述べておりました。

分かる、分かる。確かに長時間のキーボード入力は肩甲骨の緊張を招きます。
なにせ、「病、膏盲に入る」ですからね、コリ方としてはこちらのほうが深い。

僧帽筋の厚い部位と菱形筋というデカイところが凝るわけですから、より大きな影響を与えることでしょう。

小生、作家でもないのに、休日ともなれば7時間ぶっとうしでパソコンの前で文章を綴っております。

前は三分の一がボツ原稿でしたが、今では逆になりまして、三分の一がアップ分、三分の二がボツ原稿・・・

日の目を見ることのない、凄い量の文章群が原稿ファイルに眠っているわけだ。
(こりゃ、いくらなんでも過激すぎるなぁ)とかね。

『あんまり、変なこと書くと、乗り込まれて襲撃されるわよ~』なんて、スタッフKが言うわけです。そんなバカな!と返しますが、やっぱ、どっかで気にするんですな。
明生館襲撃事件なんて嫌じゃないですか。

それでも、書く!発表しなくても書く!
あ~スッとした!
とまあ、一種のストレス解消なわけです。
誰かに愚痴ってストレス解消するようなもんです。

ただ、その誰かはいない。単にパソコンの画面にのみストレスをぶつけるわけだ。
誰も犠牲者が出ない分、良いといえば良いのですが、その代償として、肩甲骨や腕が懲り、目が疲れるのです。
変なストレス解消策ですよね。

しかし、思うに、一日中、仕事でパソコン画面に見入り、キーボードを操作する人たちは一体どんな按配になっているのか、と。
肩甲骨に腕に目・・・最強3点セットですからね。

痛がる体質

リフレクソロジストにしても、他の施術家にしても、やたら痛がるクライアントを施術した経験はお持ちでしょう。

ツボの痛みというよりも、生理的に痛がるタイプです。
ツボの痛みはある意味不快ではありません。どこかに気持ち良さがあるものです。

ところが、この生理的に痛がるタイプというのは、単に痛いというだけで、施術する上で実にストレスが溜まる一群の人々です。

「刺激に過敏な人」と呼んでいますが、東洋医学上の分類は三焦経異常ということになります。これはくすぐったがり屋さんも同じです。

三焦経という経絡にエネルギーが不足している状態なのですが、専門的には三焦虚という体質ですから、経絡を利用する施術家は覚えておいて損はないでしょう。

こういうタイプの方に対して、痛いのを我慢させて、施術するのは愚の骨頂です。
三焦経にエネルギーが満ちるどころか、かえって散らしてしまいます。

ゆっくりじっくり馴染ませるようにやらねばならないのですが、街の揉み屋さんに行くとそんなことは考えてくれません。

結局、そういう方は指圧やマッサージは嫌いになるに違いありません。
それでも身体の調子が悪い人は、刺激量の少ない施術方法を採る施術院に行くわけです。

かくしてその施術院は三焦経異常の人ばかりが集まり、それなりに繁盛するわけだ。
しかし、そこで働いている施術者はそういうクライアントばかりですから、「証」という概念が発達しません。

たまにもっと強くしてくれますか!という違う証の方の要望があっても、「そんなことしたら、身体がダメになります」とかえって説教することになります。

強くすると言っても、限度がありますので、ある意味、正論ではありますが、間違った前提で言うのはよろしくない。

もっとよろしくないのは、過敏であるが故に、押圧やマッサージを嫌い、たまたまスラスト系で楽になった経験を持つ人たちです。

スラストは一瞬ですから、上手くやれば痛みがありません。
しかも、楽になった感じはする。

こうして、三焦虚の人がバキバキ、ポキポキを非常に好むという変な現象が起きてしまいます。三焦虚の人を毎度、クラックさせて、身体に良いわけがありません。

スラストは瀉法中の瀉法ですから、特に首なんぞやると、ただでさえ三焦経のエネルギーが不足しているところへもってきて、さらに散らしてしまいます。
(首は三焦経が走行する重要な部位。昭和40年代に書かれた増永師の著作にはムチ打ちはほとんど三焦虚とあります。現代ではヘッドレスト、シートベルト、エアバックが装着されていることもあって、小腸虚の方が多いかもしれません。少なくともウチはそうだなぁ)

長い目で見ると、頚椎ヘルニアへ・・・そこまで行かなくとも、椎間板の老化を促進してしまいます。

医原病ならぬ整体原病もまたあるということです。
心せねばなりません。

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