頚椎スラスト系の動画

ユーチューブに頚椎スラストの動画をアップしました。
スラスト系といえば、危険な手技の代名詞。
だから、動画だけを見ると誤解されてしまうでしょうね。
(必ずHPの解説を読んでもらいたいのです)

しかし、なんですね。
K女史が最新式のデジカメを買ったので、その動画機能でユーチューブに転送したわけですが、デジカメですよ、デジカメ。
ビデオじゃなく、カメラに付いている動画機能なのです。
デジカメのくせして、ユーチューブ用動画くらいの画質ですと、理論上、3時間分もの動画が保存できるんですよ。
本体がお札みたいに薄いし、10円玉並に軽いし。
凄いことになってますねぇ、世の中。
よく分かりませんがMOVとかいうファイル形式を採用しているらしく、高画質のものが圧縮できるんだそうです。

ところが、最新のファイル形式らしく、小生の動画編集ソフトですと、対応していないので認識してくれません。つまり、編集なしでアップしなきゃいけないことになりまして、字幕クレジットもなしの動画になってしまいました。

最新式は最新式で良いのですが、周辺機器やら、ソフトが対応できないわけですから、便利になっているのか、不便になっているのか・・・・
長期的には便利になっているのだと思うのですが、中高年はついていけません。
せっかく覚えたムービーメーカー(動画編集ソフト)の使い方も無駄になってしまいました。トホホ・・・
愚痴ってるなぁ。

え~と、なんだっけ?
そうそう、スラスト系動画の話。
すでにHPからトベるようになっていますので、ご覧になってください。
解説文は必ず読んでね。

尚、動画中、ガチャンという音が入っていますが、ベッドがズレた音ではありません。
関節が鳴っている音です。凄い音出してますよ。生体が発するような音には聞こえませんね。何かこう物質的な、金属的な音です。まあ、悪い例としてやってるんだけど。
それにしてもK女史、自分のデジカメを使われ、首まで差し出し、しかもやってはいけない悪い例の被験者にまでなって、なんて気の毒なんでしょう。

今度会ったら、慰めてやって下さい。

小栗さん、K女史はまだ「纏足」読んでないみたいですが、許してあげてください。

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髭の話の続き・・・・

小生、髭が濃くないのは前回のブログで述べたとおりです。
しかし、ヒトの印象というのは面白いものです。
小生、床屋が嫌いで、嫌いなものベスト369位に入るくらいですから、必然的に髪の毛が伸び気味になるわけです。
しかも、天然パーマがかかっていますから、伸びているときに湿気が強いと、もう収まりがつかないほど爆発しそうなヘアースタイル。

あるとき、常連のクライアントさんが言いました。
「一度聞こうと思っていたんですけど、センセは髭を伸ばしたことってあります?」
「え?髭ですか?ないですよ。第一、髭が伸びるほど濃くありませんもの」
「そうですよね、私も一度も髭を伸ばしたセンセを見たことがないですから」
「それがどうかしましたか?」
「実はここ(明生館)を紹介してくれた友人が言うには髭もじゃの先生がいるっていうことで、紹介してくれたんです。たまたま、男性の好みの話をその友人としていたところ、じゃ、ちょうど山男みたいな髭もじゃの先生がいるからって。髭もじゃの山男が好みって言ったものですから。来てみると、髭など生やしてないし、何度来ても髭を生やした姿をみたことがないので、変だなぁ~、もう髭は伸ばさないのかなぁって、一度聞いて見たかったんです」

その友人という人は2度ほど来られているのですが、当然、一度も髭など伸ばしていないわけですから、髭もじゃの小生を目撃しているはずはありません。
ここに印象という摩訶不思議な現象が起こってくるのですね。
多分、2回ともヘアースタイルが爆発系だったのでしょう。
山嵐のようなヘアー→山男→髭もじゃ、というふうに連想したものだと思います。
怖いのはその人の印象の中では「髭もじゃ」であるという小生の像が現実のものとして固定されているっていうことですよ。
明生館のセンセ=髭もじゃ山男!事実じゃないのに現実だと思っているわけ。だから、躊躇なく、「あら、それだったら明生館がいいわよ」てな具合でしょうね。

しかし、腕の良いセンセがいるって紹介されるならともかく、髭の山男みたいなセンセだからって紹介されるのはねぇ・・・・・そんなの初めて聞きました。

好みのタイプではなかったにせよ、たまたま手が合った(施術の相性が良い)のでしょうか、以降、常連さんになってくれたのは良しとしなきゃいけないのですけど。
それにしても印象というのは怖いですね。勝手に脳が現実として作り上げてしまうのですから。

裁判などで、絶対的目撃証言などがあって、被告が窮地に陥ることがあります。
が、腕の良い弁護士はなんなくこの目撃証言を崩すことができるんですね。
背景にあるのはヒトの記憶の曖昧さ、なんでしょう。
場合によっては心理学者や大脳生理学者まで引っ張りだして、如何に人間の記憶が曖昧かを証明して見せたりもします。

ことほど左様に記憶は曖昧ですよ。
ヒトは誰でも過去の記憶の中には、記憶違いの部分も含まれているのでしょうね。
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(小生の髭面の想像図。こんな風に思っていたんだろうなぁ)

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電動シェーバー

小生、顔は濃いくせして髭はあまり濃くないんです。
20歳くらいまで髭を剃るという習慣がなかったくらい。
頭髪は女性ホルモンが支配していて、髭は男性ホルモンが支配している事実を考えると、どうも女性ホルモンが多い体質のようです。(髪の毛フサフサだもんね)

それはどうでもいいのですが、最初に髭を剃らねばならない事態に陥ったとき、安全剃刀じゃなくて、何故か電動シェーバーにしました。
まあ便利ですわね。一々、シェービングクリームを塗りたくって、剃刀を当てるなんて、朝の貴重な時間に手間がかかり過ぎ。そこへいくと電動シェーバーは、場合によっては車の中でも出来てしまうわけですよ。

ところが10年ほど前のこと、「買ってはいけない」という本がベストセラーになりました。
何気にそれを読んでいると、電動シェーバーの害が書いているじゃありませんか。
曰く、「電磁波が発生しているシェーバーを顔に当てるなんてバカじゃないの?髭くらい安全剃刀で剃れ!」みたいな趣旨。
なにせ、根は素直な小生のこと。ちょうど電動シェーバーの調子が悪くなっていたので、買い換えることを止め、安全剃刀派に転向したというわけ。
だから10年くらい剃刀で剃っておりました。
髭が濃くない小生ですから、剃刀の刃もシェービングフォームも他人の何倍も保つわけですよ。実に経済的な顔です。

しかし、ネット常時接続を導入してから、朝の習慣が変わりましてね。
朝一番にやることと言えば、まず、パソコンの電源スイッチを入れることです。こうしておいてお茶を淹れる。お茶が出来上がるころにはパソコンのスタンバイが出来ているので、メールチェックから始めます。これ思いの他時間がかかります。百通は超えるであろう迷惑メールを削除しつつ、必要なメールがあるかないか確認するのですから。そして、ネットニュースで気になるトピックを読む・・・と。

そこで考えたのですね。この作業中に髭を剃れば、効率的な時間活用になるのではないかなと・・・すると電動シェーバーしかないじゃないですか。
しかし、テレビのCMで見る限りでは何万円もするでしょ。今更、何万円もかけて買うののもね~、と決意できないでいました。
あるときコンビニで普段行かない髭剃りコーナーを見ていると、なんと1050円で電池式の電動シェーバーが売っているではないですか!
えっ1000円???どうせ使い捨てみたいなもんだろ!「安物買いの銭失い」は小生の得意とするところ。もう騙されないぞ!とばかりに無視しようとしました。ところが、どうしても心惹かれるのですね。
手にとってみるとメーカーは「貝印」。貝印というのは日本を代表する剃刀メーカーなんです。外資系(シック、ジレット等)のように宣伝上手じゃありませんが、品質は世界基準ですよ。
むぅ~貝印かぁ~。どうしようか・・?今回は騙されてやるか・・・千円ちょっとだし。
と思い切って買いました(千円で思い切るかよ)
ところがこれがビンゴ!!大ビンゴ!
かつて大枚を叩いて買った高性能電動シェーバーに勝るとも劣らない切れ味です。
電池(単3-2本)も説明書では一ヶ月の寿命と書いてありましたが、髭が濃くない小生ですから、一ヶ月を超えても全然もってます。2ヶ月はもちそうな勢い。
刃や本体の寿命がどれくらいになるのかは分かりませんが、仮に1年としても3万円に達するまで30年弱ですよ。3万円の高性能シェーバーでも30年もつなんてことは絶対ないですから、小生のような髭がさほど濃くない人間は千円シェーバーの方が絶対お得ですね。
久々に「安物買いの銭失い」ではなかったようです。
お奨めの逸品です。(高井さんは濃すぎて無理かもね)

え?電磁波で皮膚癌や歯肉癌になったらどうするって?
そんときゃ、そんときですよ(コンビニ弁当の食品添加物のほうが心配だって)
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(ピンボケで申し訳ない。大きさ比較のため普通サイズの湯のみ茶碗を横に並べてみました)

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三水会40回記念

なんでも、昨日の三水会で40回目なんだそうです。
単純に40ヶ月・・・丸三年と4ヶ月ですか・・・・
早いものですね。4年目に突入しているわけですよ。
参加者もさることながら、実は主宰者の自分も勉強になるんです。
三水会のテーマの調べ物をしていたら、(あっ、なるほど!そっか!そういうことね~)なんて気づいたり。知識の整理にもなりますわね。

昨日のテーマはぎっくり腰。
ぎっくり腰を分類したわけですが、これオリジナルなんだよね。
整理しながら気づきましたけど、こういう分類をしている書物はないもんな。
ぎっくり腰に対する様々な「?」がこれで理解できるのではないかな、と、秘かに自己満足しております。色んな症例に出くわしていますからね。それで、理論的にも技法的にも独自なものを確立できないんじゃ、センセ失格だわ。

札幌でも旭川でも或いは群馬でも地方都市には必ず、ぎっくり腰屋的施術院がありましてね。ぎっくり腰になってしまったら(ぎっくり腰?それならあそこが良いよ!)口コミされるとこです。これ、地方都市なら一個や二個はありますね。
スラスト系の技法を使うところが多いのですけど、施術の失敗もよく聞いていました(勿論、成功例も聞きますけど)
何故、同じぎっくり腰なのに失敗例があったり成功例があったりするのか?
ずっと疑問でしたね。
リフレ施術では失敗例はあまりないのですが、かといってすっきり楽になるということもあまりありません。整体的アプローチではスッキリ治ることがあっても失敗例があったりするわけです。
これを原因から遡って分類していく作業というのは結構時間がかかりましたね~。
出来てみりゃ簡単な話ですけど。

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久しぶりのブログです

随分とご無沙汰していたような気がします。

全国2000万の亜美之介ファンの方、お元気してましたでしょうか?

小生、オカシナ天気にもめげず、何とか元気ではありましたよ。

世間では風邪が流行っているようですね。お気をつけくださいませ。

先日、久しぶりに外を歩いていたら、なんとなくどんよりとした空気で身体に違和感を感じました。誰にいうわけでもなく「なんか地震が起きるような気がする・・・・・」と呟いたところ、Kさんが聞いていたみたい。

その日夜、東京は揺れましたね。揺れで目が覚めたくらいでした。

Kさん、次の日曰く、亜美之介センセが変なこというから、ホントに地震があったじゃないの!変なこと言わないでください!

まるで地震が小生のせいであるかのような物言いです。

生まれて初めて地震の責任を追及されてしまいました。自信をなくしました。

それから、中国での大地震。酷い被害ですね。一刻も早く救助活動が実るよう祈るしかありません。さすがにこれは冗句のネタにはできない深刻さです。

日本も地震大国。他人事ではありません。東京もいつか来ます。それがいつなのかが分からない。予知ができるほど科学が発達したあとであればいいのですが・・・・

さて、施術百話の33話目をアップしました。三水会のメンバーは読んでおいてください。題名はぎっくり腰です。次回の三水会はこれについてやりますので。

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デジタル加工

 面白いというか、衝撃的な写真をネットニュースで見かけました。
 ご存知キャメロン・ディアス。
 まずは二つの写真、じっくりとご覧あれ。
Photo

Photo_2

(それぞれワンクリックで拡大できますよ)

修正後と修正前の違い、驚いちゃった。
日本でもアイドルの写真修正の是非は問題になりましたが、ハリウッドでは常識みたい。
美容整形だけじゃなかったのね~。
しかしこんなにも簡単に加工ができるわけですから、お見合い写真の意味合いなんか、現代では全然変わってきますよね。

昔のアナログ写真のときでさえ、お見合い写真は5割ほど割り引いて見なきゃ、なんて言われていました。
現在の技術なら、10割引きで考えなきゃいけない?
つまり、本人じゃないと思ったほうが良いってことさ。

これ、どの程度のソフトがあれば出来るのでしょうか。
技術の進歩を考えると、それほど高額で高度なソフトじゃない気もするけど。

ここでちょっとした疑惑があるんだ、この写真について。
ホントは修正前と修正後が逆じゃないかって。
つまり、キレイな方のキャメロンが普通で、わざと修正してシワシワにしたのが加工品・・?
キャメロンは主役を張れば、ん千万ドルのギャラを貰うプロ中のプロでしょ。
そういう人が無防備にこんな写真を撮らせるかな・・?
不意打ちで撮られたって言ってもカメラ目線ですし。
だから、誰かがイタズラして、わざと変な写真に作り変えたとかさ。
デジタル加工は美しくもできるわけだから、同じように醜くもできますわね。
うがちすぎかもしれませんけど、あり得る話です。
事の真相を知るには生身のキャメロンに会わなければいけません。
それで、亜美之介もGW中、ちょっとLAまで行ってきますわ。
アポはすでに取れています。
本人とメシでも食いながらよく観察してきます。

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明生館(メイセイカン)

明生館をミョウショウカンと読む人はザラにいますし、中にはアキオカンと読む人さえいます(知り合いに明生さんという人がいるのでしょう)。
小生の名前まで明生さんだと思っていた人までいますもの。

名前を決めるときは結構考えました。当然ですよね、屋号ですから。
基本的には何でも良かったのですが、一つ思ったのは、濁音が入らない名前がいいなぁと。
フラットな音は言いやすいではないですか。
小生の本名は姓と名でそれぞれ一つずつ濁音が入りまして、なんかいいづらいわけです。
屋号は濁音なしでいこう!とそれだけは決めていました。
あとカタカナ系はガラではないな、とも、ひらかな系は可愛すぎるし、とも思っておりました。
すると漢字系ということになって、何か良い名前はないものかと・・・と。
2時間は悩んでいたでしょうか。(たった2時間!)

すると、天啓の如く閃いたのです。
「生を明らかに見る館」、つまり明生館。
おおっ!漢方的には深い意味があるぞ!
そんな深い意味でなくとも、「明るく生きる館」とでも言えば説明しやすいし。
まあ、こんなノリ。
「~療術院」とか「~施術院」「~堂」にしなかったのは前述のように濁音が入るからでした。そうするとあとは「~館」くらいしかないですものね。

明生館は別表記すると「目胃背肝」と書きます。
ご存知でしたでしょうか?
おそらく古くから知り合いだった方でも初耳に違いありません。
何故なら、今、考え付いたからです。

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スバルの軽四輪自動車

このブログの趣旨とは全く違う趣旨です。
ですから、当ブログの愛読者は読み飛ばしてしまう可能性もあるでしょうけど、どうしても書いておきたいものですから、迷ったのですが、書くことにしました。

さて、スバルの軽四輪。
これはですね~。全然、売れていません。
ダイハツとスズキの首位争いの中で埋没してしまい、販売台数からして採算が取れないほどです。
事実、ナント!ニュースでは軽四輪事業から撤退し、ダイハツのOEM供給を受けるようなことが書いてありました!
これを見たとき、な、な、な、なんということだ!遂に来るべきものがきたか!!と実に残念無念でした。
小生が残念なのですから、当事者はどれほど残念でしょうね。
世に勝ち組と負け組みがいるなら、軽四輪に関してスバルは負け組みになってしまったのです。
小生、親類縁者にスバル関係者がいるわけでもなく、利害関係があるものでもありません。
ただ、個人的にファンだったのですよ。
魅力はなんと言っても技術力でしてね。
軽なのに早くから四気筒エンジンを搭載して、あのシャリシャリしたエンジン音がたまらなく好きでした。
そして丈夫。他のメーカーが10万キロを超えるともうヘタってくるのに、スバルは軽のクセして、そこから調子がよくなるくらいなのですから。
そもそもエンジンの作りが違うのです。
さすがに元航空機メーカーです。
CVTという燃費が抜群に良いオートマを最初に開発したのもスバルでしたしね。
(今は皆真似してますけど)
軽を買うならスバル以外を買うやつはバカだくらの勢いで好きでした。
小生も分野が違うとはいえ、技術者です。ですから、こういう技術力の高いところは何がなんでも成功してほしかったのですが、結果は出てしまいました。

こう考えると、技術力が高くとも無条件に成功できるとは限らないという見本を見せてくれたような気がします。
車はそこそこ性能があればデザインですしね。また販売網の充実というのも大きな要素です。商品企画力、マーケティング、その他モロモロ、要するに資本力ですか。
金にあるやつには適わない、という典型かな。

あ~しかし、「いつかはクラウン」などという言葉がありますが、小生は「いつかはスバルの軽四輪」という実にささやかな夢があったのですが、その夢は早々に破れてしまいました。今は東京ですから車は要らないのですが、田舎に引っ込んだときスバルの軽四論を乗り回すのが夢でしたのに・・どうしてくれる?
人生の目的の半分は失ったのも同然です。(んなバカな)

そういえばビデオでベータとVHSの規格争いのとき、ベータのほうがサイズや画質で勝っていましたが録画時間が若干長いという理由でVHS方式が勝ちました。
本当は現パナソニックが支持したせいなのですが。
今回、ブルーレイとHD DVDの規格争うにも決着がつきました。勿論、ブルーレイに軍配。でも、コスト、耐久力ではHD DVDの方が優位でした。なにせ現行DVDからすんなり移管できるのですから。それでも、ブルーレイが買ったのは用意周到な包囲網を作っていったからに他なりません。ソニーはベータの恨みを晴らした格好です。
冷静に考えると、消費者は損しますよ。ブルーレイは溝幅がせまく、安い再生機では幾ばくも持たないでしょう。4~5000円の再生機では4ヶ月が限度です。
そのときに文句をいっても始まりません。バカ消費者は自分で自分の首を絞めるんだ。
特に高級機器を買えない、低所得者は踏んだりけったりでしょう。
勿論、メーカーはそんな安い再生機は邪魔になるだけですから、まあ儲かることになる。

スバルの軽四輪だって、そんな長持ちするエンジンを積んでいたんじゃ、他のメーカーの邪魔になるわけで、企業の論理から言えば、良かった良かったということになる。
すべて消費者のためにというのが現代の風潮ですが、資本の論理に押されて良いものが淘汰されているという現実もある、ということを肝に銘じなければね。

ダイハツのOEMを受けたスバルの軽などなんの魅力もありません。
それだったらダイハツを買ったほうがいいじゃないですか。
明生館の施術が英国式に変わったようなものです。それだったら英国式に行きますわね。

返す返す、スバルの軽は残念です。
小生に2000億ほどあれば、軽四輪部門を丸ごと買ってやるのに・・・
残念ながら、資金がほんの少し足りません。
あと1999億9990万円ほど足りないのです。惜しい!

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さて、今日は三水会

毎月第三水曜日に行うので三水会。
第二金曜日なら、二金会。
第一木曜なら、一木会。

一番分かりやすい名前ですわね。
(しかも日程を忘れずに済む)
今、日本にどれくらいこのような名の会合があるのでしょうか。
こういう名前の会合は月に一回行うことが前提になっています。
これが月二回だと、二三水会とか一四火会とかになっちゃって、語呂が悪い。

曜日に関わらず、日にちするとどうでしょうか。
毎月五日に開けば五日会。
中々良いかもしれないですね。
ただ、曜日が関係ないとなると、スケジュールの都合が難しいものです。
日曜日と月曜日じゃ、格段の違いがありますもの。
ここはやはり、曜日を一定にして、日にちのズレには目をつぶるしかないでしょう。

こうしてみるとヒトは曜日で動く習性と日にちで動く習性があるのが分かります。
前者は休日単位で、後者は締め切り単位、みたいなものかな。

現在の暦では曜日と日にちが常に一致する、ということはありません。
一致するのは2月と3月くらいですか。
ところがマヤの暦を使うと常に一致します。
一ヶ月を28日して、一年を13ヶ月にするわけ。
これで364日になりますでしょ。
あと一日は年に一回だけ「何もない日」つまり、「曜日も日にちもない日」を作るわけね。
これを一年の最初-最後にもってくるか、中間に持ってくるか、は決め事にすれば解決。
うるう年も決め事にすれば、大方で変化はありません。
これだと合理的だと思いますけどね。
人間の生理というのは基本的に月の運行に従いますから、バイオリズム基準が分かって、事故も減るし、病気も減ります。社会的損失が少なくなることはいうまでもないことです。
太陰暦の長所は生理基準に従って作られていますので、自然で無理がないということ。
短所は季節がズレてくるということ。だから太陽暦にしたわけですが、前記の案だと、そういうこもなく、両方の長所が得られます。
マヤ人はなんと合理的なことを考えたのでしょう。

当たり前だと考えられていることが、実は全然合理的じゃない、という典型が現在の暦なんですねぇ。

曜日と日にちが一致しないなんて、メチャクチャな話です。
生理基準に関係なく、月日が過ぎ去っていくというのも、オカシナ話ですしね。

三水会が来る度にマヤ歴のことを考えてしまうのでした。

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チャールトン・ヘストン

チャールトン・へストンが亡くなったそうです。
「按腹」の続編を用意していたのですが、急遽、次回に回し、今回はチャールトン・へストンの追悼記事を書きましょう。

チャートン・へストンと言えば、ベンハー(1959年)でしょうかね。
1959年・・・・小生の生まれた年ですよ。
アカデミー賞受賞の名作です。
小生、行きつけのレンタルビデオ屋さんがあるのですが、そこに映画通でもある落合信彦氏がしょっちゅう借りにきているらしい。
たまたまアカデミー賞の話題になったところ、同じアカデミー賞受賞作で、同じように古代ローマを舞台にした「グラディエーター」とを比較し、「アメリカ映画も小粒になったもんだ。これがアカデミー賞とはね~、ベンハーに比べるべくもない」と呟いたのだそうな。
親しいビデオボーイ氏はまだ若く、ベンハーを観たことがなかったので、言っている意味が分からず、早速、観たと言っていました。
「40年以上の前の映画とはとても思えませんでした。CGもないのに凄いですねぇ」という感想。
小生とて、ベンハーをリアルタイムで観たわけではなく、後年、テレビでの吹き替え版を観たに過ぎません。2~3回観ているのですが、あらすじもウル覚えでね。
ただ、絢爛豪華というか色彩のキレイさがやけに印象に残っている作品でした。
だからと言って、再観しようとは思いませんでしたけど。
世代が少しズレているのでベンハーについてはピンと来ないわけです。
映画の評価というのは初回観たときの衝撃というか、その時の自分の感性というか、そういうものに左右されやすいでしょ。流行歌を懐かしがるのも、その歌が流行った当時の自分を懐かしがっているわけですから。

そういう意味では「猿の惑星」(1968)は強烈でした。色んな意味で脳髄直撃。あれを観終わったあとしばし呆然としていましたもの。
小生らの世代では多感な時期にあの映画が流行っていましたからねぇ。
なんと言っても第一作目、チャールトン・へストン主演のね。主演が誰で、誰が監督で、なんてことはちっとも気にしていないのですが、2作目からヘストンが主演ではなくなりました。なんかこう違和感があったのを覚えています。
続編が随分作られたのですが、どれも第一作目の衝撃的な感動が蘇ってきませんでした。
ですから、「猿の惑星」といえばチャートン・へストン。チャールトン・へストンといえば「猿の惑星」という方程式が勝手に頭の中で作られてしまっている世代なんです。
「猿の惑星」が小生の世代、どれほど潜在意識に焼きついているかを現すエピソード。
小生、床屋嫌いで有名なんですけど、さすがに収まりがつかなくなると、自分で切ることがあります。自分で自分の髪を切るというのも結構難しくてね。失敗することも度々。
あるとき、前髪を異常に短く切り過ぎまして、横、後がロングで前がショートというヘンチクリンなヘアスタイルになったんです。
するとそれを見たスタッフのK女史、お腹を抱え込んで大笑いです。
「さ、さ、猿の惑星・・みたい・・・」と息も絶え絶えに笑い転げているではありませんか。
ショックですよ。「猿の惑星」の猿たちのヘアースタイルが瞬時に浮かんきましたもの。
幸い、髪が伸びるのが人一倍早いので、一週間ほどで「猿惑ヘアー」から脱出しましたけどね。
K女史も「猿惑」世代なんです(同じ学年だもんね)。
すぐに「猿惑」を連想するところなんか、大いに共感しますけど、あんまりだ。

話がそれてしまいました。チャールトン・へストン、勿論、彼はハリウッドで最も成功した役者の一人ですから、日本風に言えば大御所、大俳優です。なにも「猿惑」が代表作じゃない。しかし、小生らの世代はどう考えても「猿惑」以外には考えられない役者なんです。ベンハーも十戒も大地震も全然頭になくてもう「猿惑」「猿惑」・・・・ですよ。
その彼が84歳で亡くなったというのですから、歳月の流れをしみじみと感じ入るしかないです。
因みに6年ほど前にアルツハイマー病に冒されている旨をカミングアウトしました。
たまに現代映画にもカメオ出演しているところを見かけたのですが、痛々しい姿で愕然としたことを覚えております。
(セリフが入ってないなぁ、大丈夫かなぁ、この人・・・)
彼くらいになると、セリフ云々のレベルじゃくて、もう存在感だけで、絵になるのですが、それにしても痛々しい。今考えれば、アルツハイマーが急速に進行していた時期だったんですねぇ。
成功者もそうじゃない人も等しく人生の黄昏を迎えなきゃならないのか・・・残酷といえば残酷、平等といえば平等・・いずれ小生も形は違うにせよ、黄昏を受け入れなきゃいけない時期がくるんだろうなぁ、と柄にもなく哲学しておりました。
(すでに黄昏てるかも)

暗い話で申し訳ない。
追悼の意味をこめて今日はベンハーでもじっくり鑑賞すべく借りてきましょうかね。

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動画第2弾

動画第2弾をアップしました。

前回よりも手早くやれましたよ。

まだHPにリンク貼り付けてませんし、解説文もアップしていません。

近日中には出来るでしょう。

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向かない仕事

前にブログで約束したように、足脈についての拙論をHP上に載せたいと思い、動画で右往左往していたのも一段落したこの日曜、その仕事に取り掛かりました。
ところが文章を写すだけのこの仕事。やり始めた途端、嫌になっちゃいます。
とにかく面白くない。文章を作る分には時間を忘れ、フト気がつくと5時間や6時間、簡単に過ぎ去ってしまいますのに。しかし文章を写す仕事はダメですねぇ。ほんの10行で嫌になりましたよ。
というわけで、少しずつやることにしました。だって、休日ですもの。嫌なことしてたら、休まんないじゃないですか。

えっ?スキャンしてPDF化すれば良いって?
そう言うと思いましたよ。動画を編集できるのに、そんなことくらい出来ないわけがないってかい?(何気に自慢している亜美之介でした)
ところがですね、ほんのちょっとずつ直す箇所があるのです。
だから、そのままスキャンするわけにはいかないのでした。
結局、一から写し直しです。大半がそのままの文章なんですけどね。

事務系の仕事は向かないなぁ、やっぱり。
施術も嫌になることがありますが、そういうときは必ず、事務的かつ作業的ですものね。
そこに創造的、或いは想像的要素が入ってくると嫌にならないのですが、どうもサイクルがというかバイオリズムがあるようで、コントロールするのに四苦八苦します。
(これはマリリンさんに対するコメント返しになるかな)

さて、今日の晩飯。休日は栃木の御用米水田でとれたコシヒカリを食うことにしているのですが、米をといで浸しておくのを忘れてしまいました。今からなら面倒っちぃ。
コンビニ毒毒弁当を休日まで食う気はしないし。
冷蔵庫には何故かケチャップが大量にあります。
スパゲッティ・ナポリタンでも作りましょうかね。
(それも尚面倒かな)
まっいっか!お腹の空き具合で考えよう。

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動画URL

http://www.youtube.com/watch?v=4OrAqgScacM

上記が動画へのアクセスURLです。

”差し出がましいですが”さんが見つけ出し、コメント欄に載せていますが、コメント欄での表記は直接クリックで飛べないんですねぇ。

ということで本文中にコピペしました。ワンクリックで飛べますよ。

ワンクリック詐欺じゃないから大丈夫。ユーチューブだも。

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動画アップ!

三水会の前日に動画が完成!!(間に合った!!)

そして、なんと!大手動画サイトに投稿してしまいました。

いや偉いなぁ~ボクって!独力でやってのけたのですよ~。

こういうの詳しい人ならいとも簡単にできるのでしょうけどね。

今回はテストケースでしたが、編集機能やアフレコ機能の使い方が分かっただけでも大した進歩です(出来はともかくとして)。

そのうち、HP上にリンクを貼ります。

ノーナレーションなので解説文もHP上で公開したいと思っておりますよ。

このブログにもリンクは貼れるのですが、今ちょっと時間がないんで、観たい方はもうちょっと待ってくださいね。

まあ、なにはともあれ目出度いわ。

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動画

さすがのIT音痴である亜美之介も最近のトレンドに乗って動画でもアップしようか、と取り組んでいます。
(その前に写真だろ!おまい!)という声も聞こえてきそうですが・・・・
そんなわけで、ブログの更新がご無沙汰になっておりました。
一つのことが解決しないと、中々ブログを熱心に行えないという変なクセがあるのですが、
ブログというのは日記ですからホントはそういうものじゃないのでしょうね。
でも仕方ありません。そういう性格なのですから。

しかし、動画は苦労しておりますよ。
何で?何で取り込めない!
そんな基本的なことからアズッてます。
(アズるというのは北海道弁かな?空転して前に進まないという意味)
マニュアルを読んでも、語句の意味が分かりません。

「本機でDVDをファイナライズしてください」
なぁ~んだ、ファイナライズかぁ。ファイナライズすれば良いのね~。
ところでファイナライズって何だ?
とまあ、こんな調子です。

一番困るのは手順どおりやったつもりでも、全然、その通りにならないということ。
九九も知らないのにいきなり因数分解をしようとするようなもんですかね。

ここは粘り強いK女史にお願いするしかないのですが、K女史は忙しいらしく中々相手にしてもらえません。(最近はパソコンをみると吐き気がすると言っていますよ)

明日、休日ですので、ゆっくりシコシコと取り組むしかないです。
でも自信がないなぁ(超弱気)。

なんだってこの歳で新しいことに取り組まなきゃいかんのだ?
昔なら、50年も生きてきたら充分その経験だけで対応できたものを・・・
まあ、ボケ防止に良いのかも、です。

ということで「足首の拘束リリース」というわずか5分ほどの作品がアップロードされるかどうか・・・ああ、神のみぞ知る・・・

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200回記念!

「塵も積もれば山となる」というのは本当のことですね。
昨年の2月に第一回目のブログを書いてから、今回で200回目になります。
一回あたりの文章量が多いので、字数にすると、20万字超ですね~。
本を一冊分書いたことになります。
まあ、色んなことを書いてきました。
ブログは改まって書く態度が要らない、つまりは気軽に書けるという利点があります。
だから、推敲もあまりせず、完成度は低いという欠点があるのですけど。
それでもその時々の考えをアウトプットできるわけですから、書き手(ボク)の精神衛生上、とてもよろしいような気がします。
それ以外、ブログを書くメリットっていうのはないかもしれませんが。。

しかし凄い時代です。誰でも簡単にこうして自分の考えを書いて、発表することができるのですから。
昔はホントに限られた作家とか、評論家しかそういう場がありませんでした。
それが今では・・・・

因みにボクが使っているブログサービスはココログ(ニフティ)フリースペースです。
ボクはヴィジュアルなものをほとんど使いませんので、与えられた全容量の1パーセントくらいしか使っていません。
この調子でいけば、2000回記念で10パーセント。2万回書いてようやく、サービス容量を使い切ることができるわけです。
2万回というと毎日更新しても54年かかるわけで、一日置きなら108年、2日置きで・・・
というとんでもない容量です。
つまり文章だけなら生涯かけても使い切れないほどの容量なのです。
なんでこんなに多いのか、と言うと、やはり文章を想定していないせいなのでしょうね。
写真とかイラストとか、文章など比較にならないほどデータが必要なものを前提にしているわけですよ。
今は動画が主流になりつつありますから、この容量でも足りなくなるのでしょうね。

かつてホリエモンと呼ばれたIT寵児がいましたが、彼はネットで動画が主流になることはない、と言っていたのを覚えております。
長時間、パソコンの前に座り、動画コンテンツを見るはずがないと。それなら、テレビやDVDなどの媒体を活用するに違いないという趣旨だったような気がします。
そのときは、なるほど、と思って聞いていたのですが、また状況が変わってきていますね。
ユーチューブに代表される短い投稿動画がかなり幅を利かせている昨今です。
このボクでさえ、時々、それを見ますもの。
文章も短文化してザッと読むことができるものが主流になりつつありますし、写真などはそのまま見れば良いだけです。この上、動画も5分以内に終わるもの、ということになると、世の中、益々慌しく、忙しないものになっていきますね。

ホリエモンの言ったことはある意味当たっているのですが、動画コンテンツまで短かくなり誰でも投稿できるようになるとは想定の範囲外だったのでしょう。
ブロードバンド環境と技術革新の成果ではあります。

ボクの施術は長いほうですから、時代に流れに逆行しているのかもしれません。
しかし、一方でスローライフが提唱されてそれでまた情報洪水から身を守る風潮があるのも事実です。2極分化していくのか、うまく使い分けていくのか。行く末は誰も分かりません。

ネット検索は当然ボクもやりますが、どうも慣れていないせいか、落ち着いて調べることができません。やっぱり、じっくりと本を読んだ知識のほうが記憶に残ります。
ネットは情報の使い捨てみたいな感覚なのでしょうか。
それとも若い人はパソコン画面のほうが落ち着いて読め、本だとかえって読みづらい、という感覚なのでしょうかね。
だとすると世代間ギャップは甚だしいものが出てまいります。
パソコンを自由に使いこなす、または何の違和感もない世代と触ることさえ抵抗がある世代。これほどの世代間ギャップがあった時代というのはかつて無かったのではないかと思いますよ。
これが今後の日本の社会にどのような影響が出てくるのか・・・
これもまた誰も予測できません。
変化の真っ只中にいることは間違いないのですけど・・・

これからもちょくちょく更新していきます。
最初に頃のような毎日更新という元気はさすがにありませんけどね。
まあ、よろしく!です。

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嗅覚

犬は人間の一万倍の嗅覚を持っているとか。
いやいや一万倍どころか百万倍だ、という説もあって、犬語をしゃべれない限り正確なところは分からないのかもしれません。

ところで一般的に男より女のほうが、嗅覚が鋭いらしい。
(特別な病気に罹っている人は除いて)
生理中では男の百倍の嗅覚を持つというのは極普通で、中には10万倍に跳ね上がる女性もいるのだそうな。こうなると、もはや犬並みですねぇ。
こういう女性と結婚したら絶対に浮気はバレます。
女性にタバコを吸わせる習慣をつけたのはアメリカが最初なのですが、これは女性の嗅覚を鈍くして気づかれないようにするための男の悪知恵なのかもしれません。
さすがアメリカだ。陰謀大国アメリカ、多分、WASP達の考えたことです。

冗談はともかく、前に見た映画(スピーシーズ)でメスの宇宙人がオスの人間と交わり、子孫を残そうとうする場面がありました。
そういう中で、病気持ちのオスの人間が分かってしまい、交尾を拒絶するんですね。
案外、的外れではないんじゃないかな、と思って見ていました。
別に宇宙人じゃなくても人間のメスでも無意識にそういう判断をしているのかもしれないなぁ、と。

昔はその病気特有の臭いを嗅いで病気を判断していました。
東洋医学では「聞診」として残っています。
(聞くというのは音だけではなく臭いを嗅ぐという意味もあります)
現代医学では診断機器が発達していますから、そういう判断はしませんが、一部の地域では機器類が手に入らないので、そういう訓練もするとか。
実際、ボクもどのような病気がどのような臭いがするのかを検証したことはありませんが、
以下のように言われております。

癌(ある種の) ― 何とも表現できない悪臭
ジフテリア    ― 甘い臭い(不快感を伴う)
湿疹・とびひ   ― かび臭い
はしか       ― むしりたての鳥の羽毛のような臭い
ペスト        ― リンゴ
腸チフス     ― 焼きたてのパン
黄熱病      ― 肉屋の店先のような臭い

しかしなんですね。中世ヨーロッパを恐怖のどん底に叩き落したあのペストの臭いがリンゴの臭いとはね。リンゴの香なんて大好きなんですけど。
焼きたてのパンだって良い香じゃないですか。

あとER的に緊急を要する場合、
アセトンのような甘い臭いだと、糖尿病でぶっ倒れたと判断するのだそうです。
アンモニア臭なら腎機能不全。便臭かったら腸閉塞とか。
ここら辺は常識の線ですね。

その病気が放つ特有の臭いがそのまま病名になっているものもありますよ。
オストハウス病。オストハウスというのはビールを造る際に麦芽を寝かせておく倉庫のこと、つまり麦芽の臭いがする病気ということらしい。
メープルシロップ尿症。文字通りメープルシロップの臭いがするのでしょう。キャラメルの臭いがすると言ったほうが分かりやすいなぁ。

以上、「鼻の中の羅針盤」という本から抜粋しました。
これらはほんの一例でしょうね。
昔の名医達は常人には嗅ぎ分けられない微妙な臭いを基に判断していたのかもしれません。

男女に関係なく、人間はある臭いに鋭敏です。
それはメチルメルカプタン臭といって肉が腐ったときに放たれる臭いなのですが、ナント!1リットルの空気中に4000億分の1グラム、この物質が混じっているだけで、嗅ぎ分けることができるのです。
原始時代に獲得した身を守る能力の一つです。ほとんど超能力に近いと思うのですが、誰でもこの能力を持っているとは驚きです。
都市ガスにわざとこの物質を混ぜ、ガス漏れに気づくようにしていることは広く知られた事実でしょう。本来、天然ガスは無臭なのですから。

大変な仕事!
先日出会った元警視のお話。
その元警視さん、まだ下っ端だったころ。
現場で一番嫌な仕事をさせられたときの話を述懐しておりました。
郊外の林で首吊り自殺死体が発見されたんだそうです。
上司とともに駆けつけたわけですが、現場はその状態のまま。
そこで上司が言いました。
「おい、おまえ!ホトケさん下げてこい!」
「ええっ私ですか!」
「おまえしかおらんじゃないか!いいから下げろ!」
上司の命令に逆らうわけにはいきません。
縄をちょん切ればいいだけだと思うでしょうが、そうすると落ちた拍子に遺体が傷む可能性があります。
そこで、はしごに登り、遺体に抱きつくんだそうです。
抱きついたまま、他の人に縄を切ってもらい一緒に落下するのだそうな。
遺体を傷つけないことが目的ですから、自分のほうから落下し、遺体は自分の上、つまり自分が遺体の下敷きになるように落ちるんだそうですね。
落ちた瞬間、遺体が自分の上に覆いかぶさるような格好で、しかも遺体の顔と自分の顔がくっついた。
「まあ言ってみればホトケさんとキスですな」とおっしゃっておりました。
ある時は滝つぼでぷかぷか浮いている自殺死体があったそうな。
このときも上司の得意なフレーズ。
「おい、おまえ!ホトケさん引き上げろ!」
「ええっ!どうやってですか!」
「あそこまで行ってだよ」
「だって水の中ですよ」
「見りゃ、わかるよ、おまえが水の中に入って引き上げて来るんだよ!」
背広を脱ぎ、ズボンも脱いで、冷たい水の中へ入って行ったのだそうです。
何日も経っている遺体らしく、膨れてとてつもなく大きく、しかも岩場で何度も打ちつけられた遺体だったらしい。まるで、轢死体を水につけておいたような・・・・

そういう現場でそういう作業した日は必ず、家族から「お父さん、臭い!」と言われたと。
「風呂に入ってゴシゴシ洗ってもとれんのだよ、臭いが」と元警視。
メチルメルカプタンの威力は凄いものです。

臭いは音速を超える?
断食をするとあらゆる感覚が鋭敏になると言われております。
その中でも食べ物の匂いには敏感になるとのこと。さもありなん!
昔読んだ本に断食経験者の体験談が載っていました。
断食中にやきいもの匂いがしたらしい。
近くにやきいも屋でも来ているのか?と思って、かなり時間が経ってから「いしや~きいも」というお馴染みのフレーズが遠くのほうから聞こえてきたというもの。
つまりスピーカーから流れる音が聞こえる遥か前より匂いをキャッチしていたものらしい。
極微量の匂いの分子に反応したのか、それだけではなく、匂いというのは空気中を漂ってくるものではなく、空気分子に転写されてくるものなのか。
この著者は大学の先生なので、この話を学生の前でしたら、ある学生が「餓鬼道の世界ですね」と言ったらしい。それで他の学生が大笑いし、腹が立ったのでその話は止めてしまったとのこと。
宇宙物理学でいう位相転移という現象かもしれないという深遠な科学の奥義を聞けるチャンスを学生達はみすみす逃してしまってバカ共が!と思い、それ以来、ヒトの話にはチャチャを入れまいと決心しました。
しかし、その決意は守られないまま、こんにちに至っております。三水会に出席された経験のある方はお分かりでしょう。
科学はときとしてSF小説よりも奇なる仮説を立てるものです。
宇宙誕生時(ビックバン)、猛烈な勢いで爆発し(現在も爆発しつづけ)、150億年だか経た姿が現在の宇宙なのだそうです。しかし、単純にそう考えると、矛盾が出てくる。
超えられないはずの光速をある時期、超えないと現在の宇宙の姿にはならないそうな。
それで考え出されたのが位相転移という現象。難しくてよく分かりませんが、数学的には「あり」なのだそうです
匂いの分子が位相転移するなら、音速どころか、光速さえ超えます。
まあそんなことにはならないとは思いますけど、ロマンがあるではないですか。

臭いに敏感な生き物ナンバーワン!
現在知られている生物の中でナンバーワンの嗅覚の持ち主。
犬でも熊でもありません。
カイコ蛾のオスです。
メスのカイコ蛾が発する微量なフェロモンを嗅ぎつけ10キロ先からやってくるのだそうです。こうなると、そのフェロモンの空気中の量はもはや計測不能なくらい薄い。
化学的には「無い」も同然です。それでも嗅ぎつけるのですから、一体どうなっているのでしょう。生き物というはそれぞれが超能力の持ち主というか、存在自体が超自然現象のような気がしてきます。

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正月2日目

特に変わったこともなく、静かな静かな正月です。
隣のイタリアンレストランも正月休みですし、向かいのAMANOYAさんも、やきとん屋さんも正月休み。
道行く人も少なく着物姿のご婦人も見かけません。
もともとここは静かなところなのですが、尚一層、不気味なくらい静かですねぇ。
雑煮も食べたし、みかんも食べたし、あと正月の儀式ってなんかあったかなぁ?
新春時代劇スペシャルを観るのは自分の中では新たな正月の儀式なんですけど、今日やるのは「吉宗」の時代。この時代の時代劇は好きじゃないんだよね。全然観る気なし。
かと言って、原稿書きに専念するほど気力は湧かないし。
今月27日にやる地方での勉強会の内容でも考えようかな、とも思うのですが、やっぱり気力が湧かない。正月はゆっくりしなきゃ、という観念が大脳に刷り込まれているようです。
まあ、ゆっくりするしかないですわね。
しかし、一人で酒を飲む習慣がないと意外に正月って何もすることがないものですねぇ。
(年始の挨拶でご主人の実家やら奥さんの実家やら回らなきゃいけない人はゴメンなさい。ボクの過ごし方は実に贅沢でございますです)

あっ!そうだ!今年、まだ風呂に入ってないや。
名案だ。風呂に入ろ!(いつもよりお湯をタップリめにして)

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正月!

ブログを始めてから初めての正月です。
正月なのでなにか目出度いことでも書かなきゃいかんのかなぁ、などと考えても特にお目出度いこともなく、目出度いのはボクの頭くらいか・・・と自問しております。
まあ、無事正月を迎えられたという意味でお目出度いのでしょうね。
昨年の正月を元気に迎えられても今年の正月は迎えられなかった、という人はたくさんいるでしょうから。

年末にその年の総括をして、正月を迎えた瞬間に昨年はどうだったとか、こうだったかとかを言わないのが日本の文化ですわね。
全部水に流して、新たな気持ちで今年を生きるんだ!みたいな。
これがあるから戦後、敗戦の混乱にも関わらず経済大国にもなれたのですが、負の面もあって、「日本人は忘れっぽ過ぎる」と指摘されること度々です。

洪水のように情報がこれでもか!というくらい垂れ流される昨今では余計にそう感じてしまいます。
事件の報道があっても違う事件が発生すると前の事件のことなどすっかり忘れ、これこそ大事件だぁ、のように報道されて、さらに別の事件が起きると、これまた大事件だぁ、になって、次々と話題が変わっていくこの変な感じ・・・
変な感じを持つのは年取って、スピードについていけないせいなのかしら、と引け目を感じるくらいです。

いやいやこの変化のスピードは尋常ならざるものがありますよ。
今日の勝者は明日の敗者だし、その逆もあるし、とにかくめまぐるしいこと。
一言でいうと安定感がないですね。
狩を主体にして生きてきた狩猟民族(肉食人種)にはそれが普通なのでしょうけど、農耕民族というのは狩猟の不安定感を嫌い、農耕を始めたのですから、本来それに向く体質の民族と向かない体質の民族がいるように気がします。
日本人は「水に流す」伝統がありますから、変化を受け入れ、むしろ利用し発展してきましたが本来的には保守的かつ安定感を求める民族だと思うのです。
先が読めない状況の中では一部の人はチャンスと捉えても、大多数の人は不安感のほうが先に立って「楽しからずの人生」でしょう。
昨今の変な事件はそういうものがベースにあってのことだと思うわけ。
ボクがこんなところで評論しても仕方のないことですけどね。

う~ん、なんだか、やっぱり目出度くもない話題になってしまった。

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三水会&忘年会

今年、最後の三水会になってしまいました。
光陰矢のごとし、とはよく言ったものです。
人生、光も陰もあるのでしょうが、それらまとめてあっという間に過ぎ去っていくものだよ、と解釈しているのですが、如何でしょう?
一年がこんなスピードで過ぎ去るのですから、その積み重ねである人生だって、あっという間に過ぎ去るに違いありません。
西暦2000年を迎えたとき、今世紀最後の年かぁ、などと感慨に浸ることもなく、仕事で忙殺されておりました。
西暦2001年のとき、今年から21世紀だ!と感じ入る暇もなく、勤めていた学院がクローズしてしまい、21世紀などと思っている余裕もありませんでした。

2002年は麻布に来た年ですが、一人で明生館の絨毯を夜中の2時頃までコツコツと張り続けました。あと2ヶ月余りでなんと丸6年が経過します。あれから6年が経過しているなんて実感が湧きません。なんというスピードで過ぎ去っていくのでしょうか。

三水会も3年です。
ホントによく来てくださいました。心よりお礼申し上げます。
中には皆勤賞の方もいらして、凄いことだと、秘かに感心しております。
勉強する意思を持ち続けるということはホントに凄いことだと思います。
スクールの授業では、どんなに長い時間を割こうとも、全てを教えることはできません。
実践に入ってからこそがホントの勉強だと思います。
一人で勉強を続けていくのも一つの方法でしょうが、時間がかかります。また柔軟に思考形態を変えて身体を診るというのは独学ではほとんど無理でしょう。

このボクでさえ、毎日が驚きの連続です。
(これは新しいパターンだなぁ、まてよ、何かで読んだことがあるぞ、どうすれば良いんだったかなぁ)
こうして現実に機能する技法が生まれ、新しい症例に対応することができたり、できなかったり。すこしづつ、対応幅が広がっていくのは楽しいものでもあり、そこに至るまでは苦しい思いもしたりと、実に地味な作業の繰り返しです。
その地味な作業の中で啓発を受ける存在というのは貴重なものと思われます。

勉強会の意義はそういうところにもあるのですが、それぞれが成長の糧となって、一流の施術家になって頂ければという思いで主催して来ました。
(別に二流でもいいんですけど。三流の施術家でも偉そうなこと言っている某団体もあるくらいですから)
そうこうしているうちに早3年。
よくもまあついて来てくれましたわ。
(ときどきホントに理解してるのかいな?と思うこともあるのですが、ボクの苦い経験、感動経験をスッ飛ばして、結論を言うのですから、仕方ありませんねぇ)
そして忘年会の季節。
毎度行う懇親会と代わり映えしませんが、区切りという意味では意義のあることです。

さて、つまみはモツの煮込みを食おうか、酒は黒ホッピーにするか、はたまた、定番のウーロンハイにしようか、などと、勉強会のことなど、もはや頭になく、そんなことを考えている三水会当日の朝でした。

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酢だけつけて食べる餃子

餃子といえば宇都宮。
たまたま宇都宮餃子を食べる機会がありました。
その餃子は某有名店のもの。
食してみると、まあ普通に美味い。
しかし、特別にすごく美味いというような感じはしませんでした。
むしゃむしゃ食べるわけでもなく、2つほど食べて箸をおきました。

さほどの感動がないようなボクの態度をみて、ある人が、醤油もラー油もつけないで酢だけで食べてごらんなさいや、と言いました。
酢は嫌いですから、気乗りしませんでしたが、折角の提案で、しかも、酢だけを小皿に入れて持って来てくれましたので仕方ありません、ほんのわずか酢をつけて食べました。
すると・・・
(ん?ん~??あれあれ?)

「なんか皮の味がする、餃子の皮の味がしますねぇ・・・美味いわ!これは!」
とボクが申したところ、その人はわが意を得たり、とばかりに、
「でしょう!美味い餃子は皮が美味いんだよ!そのうま味は醤油やラー油が邪魔になることがあってね、だから、酢だけで食うと美味さが分かるんだな、これが」

実際、美味いのです。
なるほどなぁ、と納得しました。
餃子も奥が深いものです。
普通に美味いがすごく美味い、に変化したのですから。
素朴な皮という素材。
考えてみれば皮がなければ、餃子という食べ物は成り立ちません。
その皮を作る工程にその餃子の美味しさの秘密があったのです。

真剣に美味いものを食わせようとしているお店は相当な努力をしているものなのですね。
単にお客だからというわけで、通り一遍の食い方をせず、食べる側にもその美味さを引き出す真剣さというものが必要なのでした。
ボクは食通ではありませんので、どうすれば美味く食えるか、なんてことは考えたこともありませんでした。餃子の皮に注意を払うなんてことも勿論ありません。
自らも職人的な仕事をしているくせに、これは迂闊でしたねぇ。

その有名店の心意気というものが感じられて少し嬉しくなった次第です。

これから餃子を食うときは、まず酢だけで食してみて、そのお店の心意気を感じ取ろうと思います。
(嫌な客になりますねぇ)

※百話28更新しました。

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嫌いなもの

国語嫌い
子供のころから国語が嫌いで良い点数を取った記憶がありません。
今でも漢字は書けないし、書き順が違う、と指摘されること度々です。
ところが何故か本が好きだったので、読むことは出来ました。
読むことも、その意味も分かるのでワープロが普及し、お手ごろ価格になったときは喜んだものです。なにせ勝手に変換してくれるわけですから。
辞書を引き引き悪筆で原稿を書く必要がなくなったのは人生最大の僥倖でさえありましたね(おおげさかな)。
とにかく作文が嫌いで嫌いで、人参と牛蒡と作文がボクの三大急所の一つだったのです。
ですから、その日、給食のおかずがキンピラゴボウで、作文の授業があったりすると、アルマゲドン的気分です。(もうだめだぁ!この世の終わりだぁ!)と思いながら引きずるようにして学校へ行ったものでした。

今もキンピラゴボウがダメなのは変わりませんが、休日の大切な時間にこうして作文しているのだから不思議な気分です。
これもワープロソフトのお陰なのですが、このことから考えるとボクは作文が嫌いだったわけではなくて、書くという作業が嫌いだったんでしょうね。
書くというストレスがなくなった途端、文章をなんのストレスもなく作ることが出来るというのは大いなる発見でした。

音楽嫌い
これも苦い思い出があります。
音楽の時間、先生がピアノ(オルガンだったかな)である音を出しました。
そして生徒に指示するのです。「はい、この音を出して!」
生徒はその音を聞き、あ~♪とか、う~♪とか、声に出して再現する授業でした。
実はその当時、ボクの世界観の中では音程という概念は全くなかったのです。
皆、それぞれ音を出しているようです。しかも、先生が納得しているところを見ると間違っている様子はないのでした。

遂にボクの番になりました。
ある音を出され、ボクはままよ!とばかりに思い切り声をあげました。
すると、まるきり音程が外れていたらしく、皆、大爆笑です。
音が外れているということさえ分からないボクでしたが、大爆笑しているわけですから、大変なドジをこいたことは分かります。ミルミル顔が赤くなり、全くもって消え入りたい気分です。そしてなによりこたえたのは、先生が怒るわけでもなく、気の毒そうな目でボクを見ているその視線でした。
その瞬間にボクは真性音痴、絶対的救いようのない音痴の烙印を押されたのでした。
それ以来、ボクは歌が歌えない人なんだと思い込み、カラオケが流行り始めのときも、全くの素通りです。
ところがある日、なんとなく興が向き、歌ったところ、歌えるではないですか。
あれ?なんで歌えるのだろう?どうして?何故?
驚いたのなんのって。
音が外れているかどうかも分かるようになっていました。外れるとちゃんと修正する自分がいますし、他人が外して歌っていると、指摘したくなる気分になるのです。
不思議です。ボクは歌が上手い人と下手な人の区別が出来なかったのですよ。
どんなに上手いプロの歌手が歌おうと、音痴なオッサンが歌おうとさほどの違いを感じなかったボクなんです。(そういう意味では真性音痴の極致だったかもしれませんねぇ)
いつの頃からか、脳に音程回路(そんなもんあるかどうか分かりませんが)が出来上がったに違いありません。
ワープロといい、カラオケといい、現代テクノロジーのお陰で苦手だと思っていたものが普通に出来るんだということが分かった次第です。恩恵を受けている一人ではありますね。

案外、そういうことってあるんじゃないですかね。
自分では不得手だと思っていたのものが、実は結構、人より上手く出来るなんてことが。
意外な才能が眠っているのかも知れませんよ。

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愛と寛容

愛と寛容を説く宗教は多いのですが、特に教団的な色もなく、愛と寛容を生活の旨とする考え方があります。
この考え方は両刃の剣でとても危険です。
心の底から愛が満ち溢れ、ヒトを許す気持ちになれればなんと豊かな人生を送ることができることか。それについてはなんの異存もありません。

しかし、人間にはどうしようもなくついて回る負の感情もあって、そこから逃れることはできません。もしそういう感情に捉われ、それを発散できなければ、どうなるでしょう。自分の信条とは別の感情ですから、それを抑圧し、(ダメだ!こんな感情を持っては!愛を持たねば愛を持たねば)と言い聞かせるに違いありません。
しかし、それはそのまま感情の抑圧になるのです。
古来より聖人が少ない確率でしか生まれないのは、本当の気持ちでそう思うことができないという人間の本来的性によるものなのです。理想に一歩でも近づこうとする努力は認めますが、身体的にはマイナスに働きます。或いは極端な二重人格を形成してしまうかもしれません。

かのアンドルー・ワイルも同じことを言っていて、愛と寛容の心持が病気を治すという意見に異を唱えています。
ある男が不治の病に罹り、絶望に打ちひしがれました。
その絶望のあと、その男はどうしようもなく強い怒りを感じたのです。
それは自分に対する怒りでもあったのかもしれませんし、そうさせた何かに怒りを覚えたのかもしれません。いずれにせよ、その男は怒りを爆発させました。凄い勢いで怒ったのです。そして、その怒りを解放させ、落ち着いたときから快方に向かい、病気は完治してしまいました。著作に載っている例です。

負の感情も抑圧してはいけないのです。
しかし、怒りは回りに迷惑をかけてしまいます。悲哀を感じて泣くというのも人前ではできません。当然ヒトに迷惑がかからないような環境での感情開放が前提になるのですが、とにかく抑圧してはいけません。

社会正義を追求するとき、不正に対する強い怒りが原動力になります。
悲しみは他人に対する深い共感を覚える手段にもなります。
このように負の感情でさえ、ヒトを成長させる原動力足りえるわけですから、その感情を恥じる必要もないわけで、むしろ抑圧こそがヒトの成長不全を促し、かつ病気にさせてしまう原因なのです。

ただし、何度もいいますが、ヒトを不快にさせる環境での爆発は帰ってマイナスにはなるでしょう。
故橋本龍太郎元首相は「瞬間湯沸かし器」との異名を奉られたくらい怒りっぽい人であったそうな。官僚ともタイマンで議論できるほど有能な政治家だったそうですが、仲間内からは極端に嫌われていました。不遇の晩年を送ったのはご承知のとおりです。
管直人氏は政界随一の論客と言われていますが、通称「イラ管」(いつもイライラして怒っている)と呼ばれ、実力の割には人気が出ません。
このように感情のコントロールは人間関係がある以上、不可欠なものですが、コントロールと抑圧は別物なのです。

無理やり抑圧している人には2つのタイプがあります。
一つは人間的な輝きを失い能面のような顔つきになるタイプ。
一つは愛と寛容を口にしながら、とめどもなく愚痴をいうタイプ。
どちらにせよ、感受性が鈍いものです。

ある介護士はストレスがキツクなってコントロールが出来なくなりそうになると、リネン室に用意してあるパンチングボールを思い切りひっぱ叩いて、何事もなかったように笑顔で仕事をするのだそうです。
こちらのほうが余程健全でしょう。要介護者を引っ叩いてしまったら、大変な問題です。

優しくしなければならない、愛を持たねばならない・・・
~ねばならない、かくあるべき、という理想論は一種の呪縛ともなりうるのです。
だから両刃の剣となって、あるときは自分を傷つけてしまう。
真面目な人に多いのですが、真面目がいいとは限らないわけです。
いい加減は良い加減でもあるわけで、本来、中庸の精神のことを言ったものでしょう。
いい加減ではなく良い加減を会得するにはこれもまた修行が要りそうです。
しかし、~ねばならない、という呪縛に陥るよりは建設的ではあります。

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人間は考える腸である-3

「男は頭で考え、女は子宮でものを考える」
昔から言われてきた言葉ですが、ちょっと性差別的な言葉で、今、こんなことをいうとハラスメントで訴えられかねません。
しかし、感性的、情緒的な判断が優先する思考形態を持っていることは確かでしょう。
そもそも、母性という男にはない無償の愛を顕現しやすい感情が備わっています。

ある卒業生がクライアントの症状を貰って、自分の身体に再現されてしまう、と悩んでいました。実はこのような悩みは多いものです。
しかも、圧倒的に女性が多い。
これを共感現象というのですが、この現象の背後にあるのは原始感覚、つまり内臓感覚なのです。
まさにガット・フィーリングでもあり、子宮感覚でもあります。

ヒトは本当に疲れきったとき、または限界状況に陥ったとき、父性的な厳しい愛よりも、母性的な無条件な愛に包まれたいと思うものです。そのときはいかなる理屈も受け入れられない状態になっていますから、理屈を超えた癒しを欲するのは当然です。
戦争をしていた時代、徴兵された若者が最後「天皇陛下万歳!」ではなく、「お母さん!」と叫んで壮絶な戦死を遂げた者が多かったというのは有名な逸話です。
(職業軍人は別として)

世に母親との関係がうまくいかないという人も多いのですが、それだけでその人の人生には癒しが不足し、身体に変調を来たすか、精神的にやや偏りが生じてしまいます。
一種の女神信仰はその代償的な産物なのかもしれません。

話を戻しますが、共感現象が極端に現れる体質の持ち主の場合、どのように対処するか?
それぞれ工夫をされているようですが、ボクはそのまま受け入れるより他ないと思うのです。もともと癒しとは同苦するということでもあり、分かち合う、ということでもあります。そこには理屈や技法を超えた精神的な触れ合いがあるはずなので、むしろその感覚を大事にしていくことが肝要でしょう。経験を積むとうまくコントロールできるようになるものです。

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人間は考える腸である-2

セロトニンと言えば、ドーパミンと並んで脳内物質の代表格的な存在です。
しかし、身体の分布から言えば、実に90%は消化管に存在しています。
言ってみれば消化管に何らかの機能低下があると、全体のセロトニン量に影響を与えてしまい、不都合が生じる可能性があるわけです。
腹証の意義はそんなところにもあるのかもしれません。

腸の働きを良くするのに、古くは整腸剤サプリや今風な感じで言えば、特定保健飲料など、様々なものがあって、どれが自分にあっているのかさっぱり分かりません。
腸の働きを大切にするのは重要なことですが、情報過多というのもまた選択できなくってしまう要因ではありますね。
これについては専門外ですので、なんともコメントしようがありませんし、お奨めのものは?と問われても答えに窮してしまいます。

整体的に考えると、腸をはじめ内臓の働きを活発にする方法はいくらでもあります。
伝統的なツボ刺激でも内臓はよく動きますし、足の施術でも活性化できるものです。
施術者なら多くの経験を持っているのではないでしょうか。
意外に腕の施術で内臓が動いたりして、(ヒトによってポイントが違うのだなぁ)と実感できる現象ではあります。

個人的に思うに、一番の内臓機能低下の原因は下垂によって起きるような気がします。腹証を限りなく行っていると、第10肋骨の開き角度があまりにも人によって違うことが分かるのです。一言でいうと胸郭の有り様ということになるのですが、煎じ詰めると、第10肋骨の開きの問題になるでしょう。生まれつきのものですから、大きくこの角度を広くする変えることはできませんが、そこに加齢現象が加わり、または仙腸関節(骨盤)の歪みと相まって、横隔膜の弾性が失われ、さらに胸郭の歪みを助長しているケースが多いものです。
そうすると、胃があるべき位置に収まらず、やや下垂し、それに伴い、全体が下垂していくわけです、当然、腸管もまた圧迫され、または自ら下垂し、機能低下に至るわけです。
そうすると、下腹が膨らみ、特有の「下腹部ポッコリ」状態となってしまいます。
腸は脳の母ですから、母の不都合は子に及び「母病犯子」となって、物忘れも拍車がかかっていくわけです。
内臓が下垂していると頭の働きは確実に低下していくのですが、これを指摘した療法家は寡聞にして知りません。
そこで胸郭をやや広げ気味に、また横隔膜の弾性を回復させ、かつ内臓(胃を中心に)の位置を上方に押し上げると、ウエストが締まり、アンチエイジングともなるのでした。
男性に多いリンゴ型腹部膨満(アンタのことだという声が聞こえてきそう)は完全なメタボなので即効的対処ができません。(困ったもんだ)

手技だけでは限度があります。当然、腹筋の強さが必要になりますので、ある程度の腹筋力はつけておくべきでしょう。
エステ等で行う痩身術はこの腹部内臓下垂の問題を解決したときにハッキリしたウエストラインが出て、効果を実感できるものなのではないかと推測できます。
また、そのような状態にしたとき、間違いなく若返るのは腸と脳の相関関係によるものであって、単に気分の問題ではありません。脳が若返ることによって、ホルモン量が変わるのです。
頭蓋が閉じていると影響力は限定的ではありますが。

こうしたことから、真のアンチエイジングとは腹部の内臓位置異常を正し、頭蓋へのアプローチによって脳脊髄液の循環を促し、直接的、間接的に脳の活性化を図るということになるのではないかと思う次第です。

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人間は考える腸である

腸を専門に研究している有名な医学者の言葉です。
最近、色んな意味で腸が注目されていますね。
腸相で分かる寿命とか・・
一見、正当医学から外れているようないないような・・・・

腸については8年くらい前に「医道の日本」という東洋医学系専門誌に論文を投稿したことがあります。
題名は「腹診、腹証の意義」
日本では「腹証」という独特な診断法が発達してきた歴史があります。
お腹に対する感覚は世界の中でも最も豊かな感性を持っている民族なのかもしれません。
そういうところから話が始まり、発生学的に言っても、腸は最初に出来た臓器であり、腸が発生したことにより、脳が必要になった、という趣旨の論文でした。
そして腸は第2の脳というものではなく、脳の母ではないか・・と。
そこに関連性がないわけがない、とも。
英語でも「腹の底から湧き上がってくる感情」のことをガット・フィーリング(小腸からくる感じ)というのだそうです。
東洋医学の経験知は心-小腸を陰陽関係として捉え、表裏一体のものと考えます。
(この場合の心はココロのこと)
ガット・フィーリングは万国共通で感じていたものなのでしょう。

一流の専門学者が言っていることを聞くと、8年前にボクが書いた論文をそっくりなぞっているような錯覚にとらわれます。
(盗作しやがったな)などと考えるのは被害妄想。だって相手は専門の学者ですからね。素人の意見など無視します。だいたい「医道の日本」なんていう雑誌は読まない。
まあ、でも自分が8年前に言ったことが今、大真面目で議論されているのを聞くと、結構自尊心をくすぐります。

そんなこたぁ8年も前にオイラが言ってんだよぉ、とちょっと品のない語彙で呟いてしまうのでした。

日本の腹証とはちょっと違うのですが、オステオパシーでも内臓マニピュレーションという手技があります。この手技はどういうわけか、各内臓に感情が宿るという前提で行われます。こうなると六臓六腑に感情を配当した東洋医学の前提となんら変わりません。
言い方、名称、アプローチの違いを超え、自然療法は洋の東西を問わず、ある一点に収斂していくのではないでしょうか。少なくとも、現代医学との視点とは一線を画し、ヒトの持つ感覚、感性を第一義的に考えるようになるでしょう。

一方で現代医学は分析的、帰納的方法論に益々拍車がかかり、様々な未知を既知化していっています。そして、自然療法はそれらのことを取り入れながらも感性を重んずるという原点回帰への方向に向かっていて、なにやら面白い時代ではあります。

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継時性構造疲労症候群

前回、三水会で勉強した内容と若干関係します。

同名で施術百話-No27を更新しました。

ご覧になってください。